見出し画像

★キャンピングカー生活まであと32日★「ネット社会の野次馬」

今日なんの日?

こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?
ぐっちーです。

※最初に伝えておきますが、今回は自分で自覚するほど視野が狭くなってます。しかし俯瞰して分析することが少し難しい状態でした。申し訳ありません。

ネットを見るとモヤモヤする

最近のネット記事や動画のコメント欄を見て、感じることがあります。

「日本人、他人のことで騒ぎすぎ」と。

これは昔からそうなのかもしれませんが、最近特にそう思うのです。

「よそはよそ」で考えられず、とにかく全てのことに首を突っ込みたがって刺激を与えるコメントだけ残しイッパシに評論家気取り。
あれは良くない、これは間違ってる、あいつが悪い、こいつは許せない、と否定的な言葉ばかり並べる。

じゃあアンタは一体誰なんだ?と聞きたい。

それだけ言いたいのなら顔や名前ぐらい出せばいいじゃない。
そんな勇気もなくコメントで人を傷つける可能性のあることを言ってんじゃないよ。
と、いうかその可能性にも気づいてないなんて愚かしい。

と思うわけです。


そもそも1人vs世論という多数に守られた匿名の存在なんて卑怯にも程があると思う。

直接被害を受けていない人が必要以上に油を注ぐ必要がどこにあるのでしょうか?立場と役割を理解すべきだと思います。

おっと、いきなり熱が入りすぎました。

今度は冷静に、なぜ人は自分に直接関係のないことにまで否定的関心を持つのか考えてみましょう。

誹謗中傷の理由

私の見る限り、荒い言葉遣いで建設的な意見ではなく根拠ない、感情的で攻撃性のみを持ったコメントというものを見かけることが少なくありません。

これを世間では誹謗中傷と言うのだと思います。

東京都人権啓発センターのHPに、こう書かれています。

「調査の結果、誹謗中傷する人はネット利用者全体の1%未満で、特別な傾向は見られず、中高年も多いことが分かりました。書き込む理由の一つは、間違いを正さねばならないという気持ちからくる正義感。もう一つは自分の中に鬱憤(うっぷん)があって、人を攻撃したいという気持ちに駆り立てられているのが理由」と田中教授は言います。

なんとまあ自分本位なのでしょうか。
しかしこれもごまかせない人間の闇の部分ということなのでしょう。

人って愚かだなぁと思わせてくれます。
その誹謗中傷の先に誰が得をするというのでしょう。誰が心地良くなるというのでしょう。

LOSE-LOSEを求める人などいないはずなのに、このような状況になる理由が残念ながら私にはわかりません。その人が抱える問題の解決になるとは思えません。

匿名性の問題

ここまでネット社会での誹謗中傷の問題が拡大・蔓延している大きな理由に匿名性が挙げられると思います。

ネットでの誹謗中傷は、本名や顔出ししている人を除いて卑怯者のやることだと思っています。
たとえそれが正しいことであっても、攻撃したいから陥れたいからという理由で書き込む人に正義を語る資格はありません。

では匿名性を無くすことはできないのか?

と考える前に実はインターネットの書き込みにはIPアドレスという発信元を追跡する住所のようなものが隠れているため、見る人が見れば身元は特定されてしまうのです。完璧な匿名ではないんですよね。

問題はネット=匿名=身元がバレない=何言っても安心、と思っている利用者のモラルのように思われます。

今や誰か分からない、自分と関係のない赤の他人からの誹謗中傷で自殺に追い込まれたり精神病になってしまう時代。本当にこんな愚かな社会であってはいけないと、一人一人の道徳を問いたいと思わされる時代。
(そしてそもそも、誰か分からんヤツからの意見で凹んでる場合じゃないぞ日本人!!)

ある意味「人間らしさ」が浮かび上がった、本能的な闇の部分がミックスされてしまったネット社会。

そこから理性だけで、仕組みだけで完璧なネットのモラルを確立させることは難しいのだろうと思います、残念ながら。

他人のこと叩いてる場合じゃない

ネット社会に限らず言えることとして。

他人の穴をつっついてる暇があるなら自分自身のこと見つめて考えて行動してる方が何十倍も有意義であり生産的だよね、というのが私の意見。

もし他人に何かしらの反応やメッセージを送りたいのなら根拠のある正当な指摘もしくはポジティブな称賛や共感に留めておきましょう。

自分の意見を述べること自体が、この世の誰かを傷つける恐れがあることを忘れてはなりません。
もとより「傷つけたくない」と思う気持ちがあれば表現も変わってくるはずです。

「傷つけないようにする」意識

意図せず誹謗中傷になってしまう例も多いと思いますが、私からすればそれも深層心理で「傷つけてもいいや」と思っている人の言い訳だと思っています。

厳しいかもしれませんが、まだ意識のレベルが弱い。
「傷つけようとしない」より「傷つけないようにする」考え方を持っておくとトラブルにはなりづらいと思います。(微妙なニュアンスですが、より気を配って色々な立場や目線に思考を張り巡らせることが大事ということ)

運転免許を持っている人は「かもしれない運転」という言葉を聞いたことがあると思いますが、対人関係においても「かもしれないコミュニケーション」は非常に有効だと思っています。

相手を思い遣って想像する。そうすれば自分の言動によって相手が○○と感じるかもしれない、と予想立ててコミュニケーションすることができます。

不要なトラブルは避けたいですよね。他人は変えられないためトラブルをゼロにすることはこの社会において不可能ですが、せめてその確率を下げることは自分が変わることで可能です。


最後は少し話が脱線してしまったけど、ネット上でも自分が見られていることを一人一人が意識できるような制度や仕組みを期待します。

<<<あと32日>>>
軋轢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?