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「諦めたスーダン入国ー絶望の始まりー」アフリカ大陸縦断の旅~エジプト編④~

*前回の物語はこちらから!!!!!



 2018年8月16日午前7時、起床。私たちは、昨日に取り損なったスーダンのビザを取得するため、スーダン大使館に行く必要がありました。地元民でさえ分からなかった、スーダン大使館の移転先。宿のスタッフ、花崎さん協力のもと、何とか場所を突き止めることに成功しました。しかし、スーダンはイスラム教徒が大多数を占める国。犠牲祭(イスラム教の祝日)の影響で、大使館が閉まっている可能性がありました。


 スーダン大使館向けて移動すること約1時間、遠くに見えるたくさんの人だかり。「あれがスーダン大使館か。良かった、まだ閉まっていない。」しかし、近づくにつれて感じる異様な雰囲気。黒い服を身にまとった人々の、長蛇の列。何やらガシャガシャと大きな物音。飛び交う怒号。

 「何が起きているんだ。」

 何1つ状況が理解できないまま、スーダン大使館に到着。そして、私たちは目の前の光景に落胆しました。銃を持った警備隊によって、固く閉ざされた大使館の門。犠牲祭は8月21日、現在8月16日。5日前にも関わらず、すでにスーダン大使館は祝日に入っていたのです。

 「間に合わなかったか。もうスーダンには行けないかもしれない。」

 そして、襲ってくる恐怖。

  「この場から離れなければならない。」

 私たちは厳しい現実を受け入れると同時に、あの異様な雰囲気の正体に気付いたのです。

 スーダンの内紛や経済的貧困によって、不法入国を余儀なくされたイスラム教徒の難民たち。彼らが作る黒い列から、飛び出した複数の男性陣。閉まりきった鉄柵を、必死に揺らす彼ら。「開けてくれ。」と叫ぶ彼らを止める、警備隊。それを見てか、泣き始める子供達。

 今すぐ暴動が起きたとしても、何ら不思議ではない状況。「巻き込まれたら死んでしまう。」もはや私たちに、スーダンのビザ取得のために何かできることはないか、という考えは一切ありませんでした。

 今にも暴れ出しそうな黒い人々をかき分けて、私たちは逃げるようにその場を立ち去ったのでした。


「スーダン諦めるか。巻き込まれんで良かった。命あるだけええか。」

「考えてもしゃあないし、ピラミッドでも行こ。」


 今思えば、この会話が絶望の始まりだったのかもしれません。


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 2018年8月16日正午、スーダンのビザ取得を諦めた私たちは、受入れられない現実から目を背けるように、ピラミッドへ。

 移動すること約1時間、ピラミッドの最寄り、ギザ駅で電車を降りました。改札を出ると、しつこい客引きの群れ。完全なぼったくり達を振り払い、私たちはしばらく歩いてみることに決めました。

 歩き始めて15分ほど経った頃、とある親子に声をかけられた私たち。

「ピラミッドまで行くのか?バス停まで案内してあげるよ。」

 おそらく、父親とその息子(小学生ぐらい)という組み合わせの2人。

「何か悪いことを企むにしても、子連れはないだろう。」

「それに、エジプトに来てから親切な人にしか出会っていない。」

 この2つの理由から、彼らに案内を任すことにしました。


 そして歩くこと数分。私たちは、大量の車が行き交う大きな道路に出ました。すると、その親子は突然立ち止まり、道路に向かって手を挙げたのです。

「バス停の看板すらない、ただの歩道。車が止まる気配なし。これじゃヒッチハイクですけど、、、。大丈夫か、この親子。」

 しかし、私たちの抱いていた不安は、見当違い。ほんの数分で、1台の車が脇にそれて、こちらに向かってきました。

「この車はピラミッドに行くから、乗っていいよ。」

 言われるがまま、車に乗る私たち。そして、なぜかその親子2人も、私たちに続くように車に乗り込んできました。8人乗りの車内は満席。しかし、私たち以外に観光客は一人もいませんでした。

「本当にギザのピラミッドへ向かうのか?エジプトで1番有名な観光地、ピラミッドに向かう車の中にいる半分以上が現地人。そんなことがあり得るのか?」

 次々と溢れてくる疑問。

 すると、車内に乗っていた1人の男性乗客が私たちに声をかけてきました。

「Which is better , tourist way or Egyption way?」
(ツアーで行くか、地元民が行く方法で行くか、どっちがいい?)



 あぁ、この時、ツアーを選んでおけば、


 この時、ツアーを選んでおけば良かったのに、、、


*続きの物語はこちらから!!!!!




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