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「イスラム教 犠牲祭ー精神と物質ー」アフリカ大陸縦断の旅〜エジプト編⑯〜

*前回の物語はこちらから!!!


・犠牲祭(イード・アルアドハー)誕生の物語

「信仰の父」と呼ばれる男、アブラハム。彼はサラという不妊の妻を持ち、子宝に恵まれないまま、年老いていきました。しかし、それでも信仰心の厚い彼は、神の言葉に従い行動し続けました。そして、アブラハムが100歳の時、サラは90歳で男の子を授かりました。子供の名はイサク。ようやく授かった赤ん坊に、老夫婦は愛情を注ぎ、神に感謝しました。そして時は流れ、イサクが少年となった頃、神はアブラハムに試練を与えました。

「お前の愛するイサクを生贄に捧げよ。」

 苦悩と葛藤の末、その信仰の厚さから、神の命令に従うことを決めたアブラハムは、モリヤ山へとイサクを連れて行きました。そして、アブラハムは刀を取り出し、イサクの首を切ろうとしたその時、神がそれを辞めさせました。

 愛する息子を犠牲にしてまでも、神への信仰心を貫くアブラハムの行動。これを目の当たりにした神は、アブラハムの厚い信仰を認めました。

 これによって、アブラハムとサラは子孫繁栄と、全世界からの祝福を神から約束されました。そして、アブラハムは生贄として、神に羊を差し出したのでした。


 この物語から、アブラハムの神への忠誠心を讃えること。命の大切を理解すること。その上で、感謝の意を込めて神に動物を捧げること。これら3つを示すと共に、の聖地メッカ巡礼の無事終了を祝うため、イスラム歴で12番目の月(ズー・アルヒッジャの月、巡礼の月)の10日から4日間に渡って、犠牲祭が行われるようになったのです。また、この犠牲祭の前後数日間は、イスラム教徒の祝日とされています。


・イスラム教における「喜捨」、「善の行為」と「犠牲祭」の関係性

 上記で示したことの他にも、イスラム教徒にとって重要な2つが、犠牲祭には含まれています。まず1つ目は、六信五行の1つである「喜捨」という考え方です。六信五行とは、文字通りイスラム教徒が信じるべき6つの信条と、実行すべき5つの義務を指し、「喜捨」はこの五行の1つに含まれています。この喜捨とは、富のある者が貧しい者に対して惜しみなく財産を分け与える、という行為を意味します。

 では、いかにして「喜捨」が「犠牲祭」と関わっているのでしょうか。例えば、とある富裕層が、犠牲となる動物の肉を購入します。それは3等分に切り分けられます。1つは自分や家族のため、1つは親戚のため、1つは恵まれない人のため。分け隔てなく、均等に配分された肉。もちろんこれは営利目的ではなく、販売するといった行為は、固く禁じられています。これは「喜捨」と「犠牲祭」の関係を表わしていると言えます。


 そして、この他人を思いやる精神は、2つ目のイスラム教徒にとっての「善」の行為へと繋がります。神の言葉が書かれているイスラム教の聖典、コーランには、他者への善の行為が記されています。それによれば、血縁者や近親者に限らず、全ての他者に対しても、彼らの不幸を放置してはならず、親切心を忘れてはいけないとされています。

 このことから、「犠牲祭」ではイスラム教徒が実行すべき、「喜捨」が含まれています。さらにこの考え方を覆うように、イスラム教徒にとっての「善の行為」が存在していると言えます。


 以上全てのことから、「犠牲祭」本来の目的として、まず「神への忠誠心」「命の大切さ」「神への感謝」という3つが掲げられています。さらに、神の教えによって、「喜捨」「善の行為」という2つが大きく関わっています。これらのことから、犠牲祭は神とイスラム教徒を繋ぐことのできる、大きな役割を果てしていると言えるのではないでしょうか。


・この目で見た犠牲祭の姿

 2018年8月21日、朝5時。外から聞こえてくる爆音で、目を覚ましました。窓を開け、外を見ると、そこには100を超えるイスラム教徒の大行列。謎の音楽と共に、繰り返される神への言葉。オーナーによると、彼らはモスクに行って集団礼拝を行う、とのことでした。

 目の前を通り過ぎる、分かりやすい異文化。良くも悪くも、思想が各地に散在している日本。そこから来たばかりの私にとって、国中がほぼ1色に染まっていく瞬間は、衝撃そのものでした。


「犠牲祭について知りたいんだったな。残念ながら、ここにいては知ることはできない。もっと田舎の方に行けば、何か学べることがあるかもしれない。」

 宿のオーナーはそう言って、色々と説明してくれました。カイロの中心地辺りではすでに料理用に加工された肉が売られており、動物が生け贄になる過程を見ることはできないこと。大衆の前で動物を殺すことは、あまり見られなくなってきていること。田舎の方であれば、自分たちで家畜を殺し、それを振る舞っている人々を見られる場所があること。

「(肉は売られているのか。田舎の方でしか見られないということは、少しずつ犠牲祭も変わっているのかな。」

 そう思いながらも、田舎というヒントだけを頼りに、バスを乗り継ぎました。そして、ようやく、人や建物が少ない場所に辿り着きました。バスの運転手によれば、ここにマーケットがあるとのこと。前に1度、縄で括られた羊が運ばれていくところを見た、という発言を信じて、私たちは歩き始めました。


 15分程歩き続けると、徐々に増えていく家畜の数。さらに奥へと向かえば、両側の道路には、何かにぶらさげられた何頭もの家畜が目に飛び込んできました。宙づりにされた状態で置き去りにされた動物の死体。気が付けば、そんな状況が至る所にありました。

「(ただ食べるために殺されているみたいだ。神や命への感謝は感じられない。)」

 犠牲祭の姿に少し違和感を覚えながら、マーケットらしき場所に大きな入り口は、日常と変わらないのか、野菜や果物、骨董品が売られていました。すると、突然耳に入る、何かが暴れているような大きな音。それはすぐ近くにあった鉄の檻から聞こえてきたようでした。そして、反射的にそこに目をやった私たちは、数分の間そこから動けなくなっていました。目の前で巻き起こる異文化に、ただ立ち尽くすしかなかったのです。


 鉄格子の中で暴れ狂う牛。血まみれの床。4本の足に括り付けられた鎖。それを囲む、ナイフを持ったたくさんの大人。暴れ出す牛の首に、突き刺さるナイフ。そして、何度も叫ぶ牛。と同時に、聞こえてくる子供たちの明るい声。赤く染まった服、手にべったりついた血。まるで絵の具で遊ぶかのように、手形を付け合い、追いかけっこをする彼ら。

 もはやそこに、私が思い描いていた犠牲祭の光景は微塵もありませんでした。

 ようやくその場から逸らした目は、解体用の道具らしきものが、たくさん並べられた隣の空間に。そこには、1人の男性が死んだ羊の足からパイプを入れて、口から大きく息を吐いていました。すると、みるみるうちに膨れ上がる羊の死体。その回りには、体がパンパンに膨らんだ羊が、無造作に転がっていました。そして、その後ろには鎖に繋がれた別の牛が体を揺らしていました。隣の檻で血まみれになる牛を見ながら、「次は自分の番か」、と思っている気がしてなりませんでいた。仲間の死を悲嘆し、自分にも近づく最期を悟ってか、泣いているようにも見えました。

 すると、隣の檻から鈍い音と共に、聞いたこともない叫び声が聞こえてきました。そう、これがあの血まみれの牛から出た断末魔でした。その状況を見たいとは思わず、私の目線はなぜか、次に殺されるであろう牛の方へ。その瞬間、牛の目から涙が流れました。


 何となく、ここにいられなくなった私は、30分ほどでこのマーケットを立ち去りました。「これが今の犠牲祭の姿だ、これが異文化だ」と言われればそれまでの話。しかし、私には未解決な部分が多すぎました。

「(思っていた犠牲祭、イスラム教とは違っていたな。」

 そう思いながら、道路で作業のように解体される動物たちを背に、宿へと戻りました。


 宿に到着してから、犠牲祭で感じたことを少し話しました。やはり、本来の犠牲祭の目的を掲げつつ、商業的、経済的な側面も含まれているとのことでした。そして、イスラム教において、動物が殺される姿を他の動物が見ることは絶対にあってはならない、と言っていました。ちなみに羊の体をパンパンに膨らませていた理由は、皮と肉の間に空洞を作り、解体しやすくするため、とのことでした。


 販売された犠牲祭用の肉。時代と共に変化していく倫理観。放置された動物の死体。鎖に繋がれた牛を囲む、大勢の大人たち。その周りを走り回る、血に染まった子供。牛の断末魔と涙。作業化する動物解体。残されたのは、早朝に目にした、犠牲祭を見てからでは形式的とも捉えられる信仰心。

 本来の目的であった「神への忠誠心と感謝」「命の大切さ」「喜捨と善の行為」などは精神性は側面となり、その正面の姿は物質が支配していると感じました。

 もちろん、全てのイスラム教徒がこうであるか、と聞かれれば絶対にそうではないと断言できます。また私が訪れた場所と集めた情報が重なってしまった可能性も大いにあると思われます。


 しかし、命あるもの全てと、切ることができない繋がりを持ってしまった、貨幣制度。それに追随するように生まれた欲望。これに人間は絶対的価値を置いてしまったのです。純粋な精神性は消えつつあり、物質に服従する形で残ってしまった二次的な精神。これは特別イスラム教に関して言えることではなく、多くの人にあてはまるのではないでしょうか。


 とは言っても、もはや覆すことはできない精神と物質の世界。物質先行に対して、諦めなければならない訳ではありません。宗教ならその教えを、1人の人間としての道徳と理性を、側面に存在する精神を連れ戻し、正面で物質と共存させる選択肢が残されているはずです。

 自分が信じる精神を、形式的にさせないような生き方を選ぼう。そんなことを思えた犠牲祭の1日。


 この日の晩、オーナーが犠牲祭用の肉を宿に泊まった全員に、振る舞ってくれました。

 そして私は静かに手を合わせました。

「いただきます。」




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