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鎌倉日記(11/23②)

ゲストハウス


囲炉裏
外観(翌日撮影)

古風な外観と囲炉裏の渋さに一目ぼれして、夜は久しぶりにゲストハウスを予約していた。そのゲストハウスは12月いっぱいで閉店してしまうという。
今しか泊まれないということが、私には大きな価値に思えた。期間限定のお菓子をつい買ってしまうように、私は宿泊予約ページの確定ボタンを押していた。

雨が降りしきる中住宅地を歩き続けると、ひと際古い家屋があった。どうやらここのようだ。チェックインして荷物を下ろす。入って見回すと、ゲストは二十歳くらいの若い人たちが多かった。
ゲストハウスというのは特殊な場所だ。親しげに話す人たちが、実はその日初対面だったということがよく起こる。夕方の早い時間にチェックインしたにもかかわらず、着いた時には既にゲスト同士で交流が進んでいた。
昔は何の躊躇もなく人の輪に溶け込めていたが、今は何だか気が引けてしまう。それは少し歳をとったからなのか、逆にまだ歳が近いからなのか。
もうゲストハウスを楽しめるほどの気楽さを、私は持っていないのかもしれない。

居づらさを感じ、私はまず他の場所で過ごすことにした。
ゲストハウスは二階にあり、一階はバーになっていることはリサーチ済みだ。私は一階でゆったり飲みながら過ごすことにした。
戸を開けて店に入ると店内は空いていた。ハイボールとおつまみの盛り合わせを頼んで、カウンターの端に座る。先客はいたが、奥の席に一人。チェックインの時に見た顔だった。

ウイスキーと自由、そして平凡な生活


おつまみの盛り合わせ

バーにいるときカウンターで隣り合う人と話すのもいいが、一人で過ごす時間も私は好きだ。
マスターの趣味であろうギターやスピーカーが、店に独特の雰囲気を与えている。二階の喧噪が遠くに聞こえる。例え飲んでいるものが普段と同じハイボールだとしても、旅先で飲む酒は美味い。先ほど感じた居心地の悪さを忘れて、気付けばグラスは空になっていた。
お代わりを頼むタイミングをきっかけに、バーの店主に色々な話を聞いた。自転車で日本を一周した話、ゲストハウスを転々としながら働くうちに縁があって結婚した話、たまたまこのゲストハウスに泊まった時に声を掛けられて店を始めた話…。
大学生だった頃の私なら、自由に生きる人を見るとただ羨ましいとばかり思っていた。しかし今の私は知っている。その自由は、安定した収入や社会的な信用などの、見えない何かを引き換えにして得たものだということを。

就活をこれから始めようという頃、就職しない選択肢を考えた時期があった。
塾講師としてフリーターをしながら、ゲストハウスに住み込みで働く。やりたいことしかやらない生活を、一年でいいから送ってみたかった。金銭面を考えて結局はドラッグストに就職したが、想像していた生活は本来の性分に一番近い選択だったのではないか。
一方で、その選択をしていたらコロナ禍を乗り切ることはできなかっただろうとも思う。
ドラッグストアで働いていた時、店舗がコロナ禍で深夜営業を廃止することになった。正社員で働く人にはすぐ異動先が用意されたが、夜勤バイトの人たちはあまりにも簡単に解雇になった。数日後すぐ会えると思っていた人と、店で会うことがなくなった。人の名前と勤務時間で埋まっていたシフト表は、翌月から余白が目立つようになった。

好きなことで生きていく、自由に働く。自分がやってみたかったことであり、できなかったことだ。しかし、私は大学を卒業して生きていく上で、次第に自由な生き方が負うリスクも実感するようになった。
つまらない人間になっただろうか。しかし、平凡でささやかな生活の価値に気付けたということは、少なくとも私にとって大きな意味を持った。

それって引き寄せの法則ですよね

夜は続く。お腹が空いたのでニョッキのボロネーゼを頼んだ。

ニョッキのボロネーゼ

カウンターの奥で、先客とバイトの女の子が親しげに会話している。先客はこの店に何回か来たことがあるようで、旅慣れた人から漂う特有の雰囲気を持っていた。
にわかに店が混み始めた。サッカーが始まり、店の大きなテレビで試合を見るためにゲストハウスの客が押し寄せたようだ。席を詰めるために私は先客の隣に座った。わざわざ隣に座る必要はなかったが、彼女と話してみたいという好奇心もあった。
彼女は静岡で一人、飲食店を営業しているという。美大を出たものの自分が表現したいものを出せる場が見つからず、あちこちで働いた結果今の場所に行きついたらしい。三十代半ばくらいに見えたが、並々ならぬ貫録を持っていた。店が混む前は、バイトの女の子が彼女に人生相談をしていた。
この人なら、私の悩みに対してどのような考えを持つだろう?
半ば酔っていたこともあり、私は初めて会った彼女に人生相談をした。

「パワハラを受けるってことはね」
はい。
「あなた自身が自分にパワハラをしているんだよ」
どこかで聞いたことがある考え方だ。
「自分が自分にパワハラをしているから、パワハラをしてくるような人を引き寄せちゃうわけ」
引き寄せの法則だ。

この言葉に続いて、自分を愛する方法やインナーチャイルド(大人になっても残っている、子供時代の考え方)の話になった。
自分を否定せずに愛する練習をしよう、自分の中にいる子供時代に自分を抱きしめてあげよう。昔、母親に散々読まされた自己啓発本の内容とよく似ていた。
私はスピリチュアルを引き寄せる波動でも持っているのだろうか。それとも、誰かに頼らず自分で解決なさいという一種の啓示なのだろうか。
誰からの?

世界を変えるのは認識か行動か。
そんなテーマが、三島由紀夫の「金閣寺」に書かれていたなと思い出す。
結局のところ、私は未だに悩みの袋小路にいる。アドバイス通りに考え方を変える気にもならなければ、会社を燃やすつもりもない。ただ、全てを今まで通りにして生きていくことができない予感はしている。

悩みは解決しなかったが、面白い夜だった。白州を見つけたせいでついつい飲みすぎてしまったので、ワールドカップで盛り上がる人たちを残して部屋に戻り眠った。

白州ロック

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