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サンパウロ到着。レストランで日本人夫婦に出会う。

サンパウロに到着しエアビーで見つけた一泊1000円のホステルに向かう。



その途中でレストランに入ると日本人っぽい夫婦がいた。

話しかけてみると、ビンゴ!日本人だった。

83歳のおじいちゃんと79歳のおばあちゃん

①おじいちゃん 25歳の時にブラジルに来た
②おばあちゃん ブラジルで日本人の両親から生まれた

おじいちゃんは日本語がペラペラだったがおばあちゃんはちょっとだけ違和感がある。でも十分会話できるレベルだった。親が愛媛出身らしく、「ようけ」という方言を使っていた。(河合塾時代の四国なまりの寮長を思い出した笑)

①新潟から高卒で上京 集団就職で製本会社に勤務 厳しい現場が嫌になり、大学に行こうと思った。
國學院大學に入学し新聞配達のアルバイトでお金を稼ぐ。しかし仕事が忙しすぎて大学に行けない。
大久保駅で「力行会」の「少年よ、新天地へ!」というポスターを見かけ、研修を経てブラジルへ
聞いていた話とは違い、奴隷のように農場で働く。とにかく日本に帰りたかったが、見張りがおり、逃げ出すと撃ち殺される。
3年の契約期間が終わり、ようやく解放。街へ出る。
仕事をあれこれとして、日本へ出稼ぎに出ることにする。
当時は法律上、五年まで出稼ぎで日本に滞在できた。
三菱の工場で働いてブラジルに帰った。
その後色々な仕事をして今に至る。今はブラジルから年金をもらっている。
少々同じ話が繰り返されることはあったが、83歳とは思えない程健康。
壮絶な人生、生きるパワーを感じた。

この料理の米はちょっとしょっぱかった。
「日本の米は味がしないけどこれはバクバクいける」と言っていた。
やはりずっと住んでるからブラジル料理に慣れてるんだな~と思った。
おばあちゃんは「この肉食べたらあんた日本に帰りたくなくなっちゃうよ笑」と言っていた。それはない。美味いけどね。

②田舎で育ったが職を求めて町へ 美容師になった。75歳まで働いて、コロナで店を閉めた。
10人兄弟で8人ご存命 1人の息子がいて、1人の孫がいる。孫はさゆりという名前で写真を見せてもらったが、超かわいかった。


俺も爺ちゃん婆ちゃんに孫を見せてやりたいなと思った。
孫の存在って高齢者にとって凄く大きいと思う。生きる意味、生きる目的にすらなりうる

ホームシックになっていた僕だったが、この夫婦で出会ってなんだか救われた。

色んな話を聞けて、サンパウロまではるばる来て良かった。

旅はこれだから辞められない。旅に飽きてきた頃に心躍る出会いがあったり、なかったり。


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