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他の医学生と自分を比較するのを辞めたい

僕は二浪して大学に入って、二回留年している。


高校の同級生で医学部に行った人で、ストレートに進めている人はもう6年生である。


大学の元同期はもう4年生でCBTという大きな試験が終わり、病院実習が始まる。


対して僕はまだ2年生である。


また、大学のテストでは結果が廊下に張り出される。再試験を受けなければいけない者だけ番号が書かれる。


僕はいつも再試験にかかっていて、僕の番号は常に張り出させれていて、同級生に笑われる。


だから僕は医学部の教室にいると、


「俺はこいつらと違って、武者修行プログラムで優勝したし、アメリカ横断したし、ベトナム縦断したし、札幌市民に必要とされるサービスを運営してるし…!」


とか授業中に考えている。考えてしまっている。


非常にダサい。


人と比べても不幸になるだけだ、と一般的に言われていて、僕もそう思う。


地球レベルで考えれば、

日本という小さな国に北海道という小さな島がある。その中の大学の1つの教室で成績がどうだとか留年がどうとかはとても小さな話なのである。


色んな国を旅してきたけどなんで僕はそこに囚われているんだろう…


先日メキシコの田舎町の展望台で日本人に会った。

なんと彼は愛知の医学部に通う大学6年生だった。再受験で医学部に入っており、29歳らしい。


一緒に夕飯を食べることになり、ビールやメキシコ名物のテキーラを飲んだ。


色々話して、初対面だったけれどこの悩みも話してみた。


「わかる。どっちもあるよね。周りと比べて落ち込む時もあるしこの生き方で良かったと思うこともある」と言われた。

たしかにそうだな。どっちの時もある。


結局、僕は

「自分の生きた方に誇りを持っているかどうか」

が重要だなと考えた。


アフリカの村でも誇りを持っている人は持っているし、

先進国の高給サラリーマンでも「逃げたい、辞めたい」と考えながら誇りを持てず生きてる人はいる。


僕はこの生き方に誇りを持ってるか?

持っている!!
…多分笑


いや誇りってなんだ?自信とは何が違う?自分のこと好きかどうかってこと?と考え出すとキリがないが、


僕は二浪してでも北大に入って良かったと思うほど北大が大好きだ。北大生であることを誇りに思う。


1留目に経験した事や出会った人は今にすごく影響してる。


2留目が始まっていきなり挑戦したクラウドファンディングもかなり大きな人生の1ページだ。

ここ2年間くらい、とにかく個性やアイデンティティが欲しくて色んな事をした。

もう普通の医学生ではない。かなり個性的な方の医学生。
(地球レベルで見たら普通だけど笑)
個性が欲しいというフェーズは終えて、次のフェーズに入っている。
この個性をどうアウトプットするか。
どんな医療を提供するか。
この世界に何を表現したいか。


誇りって数字では計れないけど、裕福とか貧困より本質的なものだと思う


地球上のみんな誇りを持って生きられたらいいな!



北大生伝統の赤ふんどし

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