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親に『死んでくれ』と思う心

 世間では、「ご両親に感謝しましょう。」とか。「産んで育ててくれた親というものはとても尊いです。」とか。
 さも、それが正解の様に大々的に主張して来る。
 私も、それはそうだと思う。
 しかし、そうじゃない人もいる。


 あなたは、「ある日、目が覚めてリビングに足を運ぶと、親が首を吊って死んでいないかな」と考えた事はあるか?
 あなたは、「部屋で首を吊って親に後悔させてやろう」と思った事はあるか?
 私はある。


 私の親は、私が物心が付く前に離婚している。所謂母子家庭だ。
 当時の世間は、母子家庭にあまり良い印象を持っておらず、おまけに母は私が小学生の頃に鬱病になり、世間だけではなく学校、社会、親兄弟からも疎まれる存在だった。
 その当時、母は自室で殆ど横になっている生活で、私は不登校児だった。
 不登校でも親が鬱で寝たきりでも毎日、飯は食わなければならず、私は寝たきりの親から千円を貰いコンビニ弁当を買いに行く生活を送っていた。
 時々は親の手料理を食べたり、自分で目玉焼きを作ったり、一緒に外食に行く事も多かった。
 そんな生活を中学校を卒業するまで続けた。

 私は高校生になった。
 高校は学校に通わなければ卒業できないのである。
 私は高校に通った。
 中学時代から友達はありがたい事に存在していてありがたい事に同じ高校に進学していた。
 そしてありがたい事に高校でも友達ができて私は順風な、と言うにはあまりに華の無い青春を謳歌した。

 その高校時代に母は再婚した。
 私の家は母子家庭で親は鬱病で生活保護を受けて団地に住んでいた。
 それが急に再婚して車を買い、家を建て、私は大学に進学する事になった。


 大学生になった私は、軽音部に入って順風と言うにはあまりに華の無い青春を謳歌した。
 一人暮らしの大学生には少し多い仕送りを再婚相手からいただき、中学まで不登校の人間にはあまりある友人や教養や青春を謳歌した。

 私の母は再婚相手からDVを受けていた。

 学生時代にひと月程、母が一人暮らしの私の家に住んでいた時期があった。
 学生時代に母が2週間ほど再婚相手と別居している期間があった。
 学生時代に実家に警察を呼んだという報告を受けた事があった。
 私の楽しい楽しい青春は、こういった事実を忘れる事で謳歌していたのだ。


 私は大学を卒業した。
 そして実家に帰った。
 就職はしていなかった。
 そして親は離婚した。
 母は毎日の様に叫んでいた。
 私は耳を塞いでいた。
 4年が経った。
 何も変わらなかった。
 母と私は会話をする度に歪み合うようになっていた。
 私はただ毎日を、「死にたい」と思いながら生きていた。
 母は苛立っていた。
 私は死にたいと思わない様に、辛い事を考えないように生きていた。


 あなたは親に感謝していますか?

 わたしは親に感謝しています。

 しかし、恨んでもいます。

 素直に感謝はできません。

 なぜなら私の親は、良い親では無かったからです。

 それは仕方のないことかも知れません。

 事情はあります。

 それでも私の心は晴れないのです。

 いつか私が死ぬ時、全てがどうでもよくなって、わだかまりがなくなって、許せるのかも知れません。

 もしあなたが私の様に親に感謝できない人ならば、今までよく頑張ったと言いたい。
 私が言われたい事だからだ。

 もしあなたが私とは違い親に感謝できる人ならば、私は心底羨ましいと言いたい。
 そんな幸せ私には無いからだ。



 私が今も生きていられるのは友達と、漫画と、音楽と、ゲームと雑音のおかげだ。
 願わくばみんな幸せになって欲しい。
 願わくばみんな幸せになって欲しい。

 と同時に願わくばみんな死ねと思う。

 もし叶うなら過去に戻って親が鬱病になる前に休ませて小中学校をちゃんと通って恋人を作って就職して趣味に生きれる人生を送りたかった。

 素晴らしい人生を。

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