さらわれたヨル(第一夜)
今日も街を一人歩くヨル。何年経っても変わらない景色と変わらない子どもの声。変わらないピンク色の花びらが舞い、今年も変わらない、私 ヨルが歩いている。たったひとつ 途切れてしまった景色は、あの日の夜。ヨルはさらわれたかった。ヨルは夜にさらわれて、あの日をもう一度確かめたかった。
あの日の夜は冷たい空気の膜に包まれていた。昨日の風で散ってしまった桜の花びらが地面を覆い、私たちはその地面を踏みしめながら同じ空の下 桜散るこの道を手を繋いで歩いていた。そこは二人の帰り道だった。ひと気のないこの時間に他愛ない言葉を交わしながら二人の笑い声が地面を時々ぴょんと跳ねる。きっとこのシーンを映画に撮ったら優しくて微笑ましい素敵なカットになるだろう、そんなことを思いながら彼の手を更にぎゅっと握った。私の真横に彼がいること。彼の横顔は私が一番よく見えるんだというこの優越感。彼の言葉は今、わたし宛てに告げられているのだという恍惚感に揺られ頬は熱い。
「ねぇ、この桜は、地面に落ちて最後どうなるの?」桜と葉の入り混じった地面に目をやりながら問いてみる。
「桜蕊降る(さくらしべふる)夜の海」地面の色が鮮明さをなくす。風が音を立て始めた。
「え?」
彼の声は、ぼんやりと遠い向こうにあった。さっきまで届いていたわたし宛てのことばとは違う感触だ。
「桜は見上げるだけじゃないんだ。寄り合って落ちた桜の花びらは、まだ息をしている。」
そう口にした彼の髪に一枚の桜が舞い落ちた後、微笑んだ私の目には桜色の空だけが残っていた。
to be continued✉
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