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ポストコロナ社会と活字の潤い

新型コロナウイルス感染症の影響で世界人口の半数以上を占める約39億人が外出制限のなか暮らしている。日々の感染者推移や各国での対応の違いなどがノンストップで報道されている今から振り返ると、「季節が変わって気温が上がれば落ち着いていくのではないか」というニュースが出ていた頃からは全く想像できなかった事態。このnoteを書きはじめた4月4日付のWHOの発表では、世界中で105万人以上の感染者、5万6千人以上の死者が出ている。この新型ウイルスとの戦いが当初予測していたよりもずっと長期的なものになることに、私たちは気が付きはじめている。

この新型ウイルスは世界中の富めるもの貧しきものの両方にとって脅威となっている。従来の社会の仕組みの根幹を覆しはじめているこのウイルスの存在を知った今、私たちはポストコロナ社会に進んでいるのだろう。私たちはこのポストコロナ社会をどう生き、そこでは何が求められ、大事にされるものはどういうものなのか。立ち止まってよく観察しながら考え、よく準備し、そして具体的な行動に移すことが求められる。

そんな営みは、今から数週間か数ヶ月先に感染拡大が収束しはじめ、緩やかに患者数の数が減少してきたときにも、私たちにとって変わらず重要なことになるだろう。なぜなら、ポストコロナ社会は感染症との戦いが続くことではなく、この新型ウイルスのように世界規模で社会の仕組みの根幹が覆される脅威が存在するのだということを知っている社会のことだからである。

日本では同様の事象を、2011年3月に起きた東日本大震災とその後の東電原発事故のときにも経験した。これらの災害は、現代に生きる私たちが効率的で合理的だと考えていた仕組みが、実際にはとても不公正で不安定な構造の上に成り立っていたのだという事実を、私たちの目の前に突きつけた。その事実に狼狽しながらも向き合った人々は、その先の暮らし方を模索してきた。今回の新型コロナウイルスの蔓延についても、同様の意識や生き方の転換が起きていく、そんな地響きのような予感がある。このnoteを皮切りに、ポストコロナ社会について考えたことを書き残していきたい。

最初になるこのnoteでは、「活字の潤い」を挙げておきたい。世界人口の半分が外出制限を経験している今、書籍やオンラインで活字を追う人たちがこれから徐々に増えていくのではないか。特にNetflixで映画や音楽を楽しめるような無制限の高速インターネットサービスを享受できる人たちは別にして、39億人の多くにとって活字の充実が意味するところは大きい。

同時に、ポストコロナ社会直前の世界では、SNSを通じて短文かつビジュアル重視の情報がその正誤とは関係なく飛びまわり、世の中の方向性を決めていた。この傾向は相変わらずなのかもしれないが、ひとつ大きく変わったことは、受け手の人々がこれまでに比べて圧倒的に多くの時間をかけて入ってくる情報と向き合えるということだ。実際には行動制限の結果なのだけれど、通勤・通学したり、出張で飛び回ったり、付き合いで飲みに出かけたり、ということをしなくなった人々は、より長い時間テレビやスマホ、パソコンを通じて受け取る情報に向き合っている。これまで瞬時に単発的に人々の関心を引けばよいだけだったものに、長く向き合っても飽きないものが求められるようになる。そこで求められるのは、忙しい毎日の隙間にエナジードリンクのように突き刺さって残る情報ではなく、ひたすらに長く感じるロックダウンの一日一日を内面から支えてくれる質の活字ではないだろうか。

ポストコロナ社会は活字が潤い、言葉の力が高まる時代。そんな期待を持っている。

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