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ニューイングランドの清教徒|第7章 アメリカの宗教|アメリカでの40年間(1821-1861)


ニューイングランドの清教徒

アメリカ国民の宗教的性格と宗派に関しては一考の価値があります。ニューイングランド諸州の初期の入植者はイギリスの清教徒でした。彼らは信心深さと同時に利益を追求し、自分たちには宗教の自由を与え、清教徒以外のすべての人の自由は一貫して否定しようと決意していました。イギリスでの迫害から逃れた彼らは、自分たちの信条と異なる者すべてを容赦なく迫害しました。彼らはクエーカー教徒を絞首刑にし、異端の女たちを荷馬車に乗せて、マサチューセッツ州の町から町へ、村から村へと移動させました。それぞれの村では裸にされ、信心深い群衆と清教徒の牧師たちを喜ばせながら鞭を打たれました。聖公会信者、つまり英国国教会の信者は追放されました。もしローマカトリック教徒が、頑なに守っていたにも関わらず容赦なく否定された「神を崇拝する自由」を求めて清教徒の中に踏み込んでいたら、間違いなく絞首刑に処せられたでしょう。

清教徒らは聖書を法典としていて、地球は聖徒たちの遺産であるという言い分でインディアンから強奪し、彼らを殺害しました。罰金と投獄という罪をちらつかせ、男性に日曜日の集会への出席を強制します。教会員以外には政務官の投票を認めません。バプテスト派を植民地から追い出します。モーセの律法に従って魔女狩りをし、何十人も絞首刑にします。インディアンを奴隷にしたり、ジャマイカから黒人を輸入したり、大西洋の反対側で同胞が行っていたのとまるで同じことをしていました。ヤンキーの入植者たちは、ブライト氏が西半球に広がることを期待している国、自由で繁栄した幸福な共和国群の基礎を築いていました。

ニューイングランドの開拓者たち、あの恐ろしいピルグリム・ファーザーズについて、ヘマンズ夫人はこう歌っています。
「彼らは何を求めてこんな遠くまで来たのでしょう?鉱山の輝く宝石?海の富でしたか?戦争の戦利品でしたか?いいえ、彼らは信仰の清らかな神殿を求めたのです。」
「ああ!そこを聖地と呼びましょう。彼らが最初に踏みしめた場所です。彼らがそこで見つけたものは、神を崇拝する自由という汚されていないものだったはずです。」

実際、清教徒らは信仰以外にも求めていたものがあると思います。彼らは、生産的で収益性の高いタラ漁業における「海の富」を重要視していました。「戦利品」とはインディアンから奪い取った広大で肥沃な地域でした。「神を崇拝する自由」は彼ら自身の自由のことであり、聖公会、バプテスト、クエーカー、ローマカトリック教徒には断固として容赦なく否定しました。

彼らは最も厳格で妥協を許さないカルヴァン主義者でした。ほかにも陰鬱で狂信的で恐ろしい信仰はありますが、この信仰が私には最悪なものに思えます。カルヴァン主義を前に人々は反抗し、奇妙で極端な行動に走ります。彼らは普遍主義者、理神論者、無神論者になってしまうのです。いまアメリカはカルヴァン主義神学に反対するプロテスタントで溢れています。カルヴァン主義が聖書の教義であることが証明されれば、彼らは聖書を否定し非難するでしょう。論理的でない人たちは、聖書のある部分を取り上げて、別のところから引き出された教義を持ち出して対抗します。

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