哲学を殺しました
「生きること」と
「死ぬこと」の意味を聞かれた。
あまりにもどうでもいいことを
唐突に聞かれたので
「知らない」
と答えた。
生きることと死ぬことに
果たしてどんな意味があるか?
知りたいのはそこではなくー
「生きることと死ぬことを
この人はどう解釈するのか?」
が本質で、
これまで生きてきた
とても小さな体験を元に
浅く後付けするところを
うかがいたいー
野次馬。
結局、生き死について
どれだけ説明を凝らしても
そこは主観でしかない。
白紙の問題集に書かれた回答に
一体、誰がマルを付ける?
1たす1は2
ほど単純にいかないのが
正しい冷蔵庫の締め方であり
正しいデートの断り方であり、
「どう生きたいか?」
である。
今、何が正しく
何が悪いかは
正確には存在しない。
振り返った時に
何が正しかったか?
何が悪かったか?
があるだけ。
どれだけ自分の好きなように
毎日を生きたところで
泣く親もいれば笑う親もいる。
そして去る友達、
現れる恋人も。
万人にウケる
生き方がなければ
そんな死に方も当然ない。
正しさの渦で苦しむよりも
間違いの渦で笑える方が
幸せだと私は定義する。
今日も何に苦しみ
何に笑いますか?
それくらい自分で
決めようじゃないか。
かりそめ
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