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斉藤由貴『卒業』に見られる語り手の視線と婉曲的な歌詞表現について

 はっぴいえんどや細野晴臣の手がけた楽曲が好きだったということや幻の名盤解放同盟、珍盤亭娯楽師匠などのキワモノ選曲DJmix、Night TempoやVantageなどのフューチャーファンク勢のmixが気に入ってオリジナルを探して聴いたりしていたので歌謡曲への興味はここ数年徐々に増していった。良い曲の知識はさまざまなジャンルで増していくのだが、良い歌詞については松本隆が他より秀でていると分かってきた。
 なぜこの曲かという点は、別に研究者でもないので全部を網羅的に聴いてこの曲を取り上げるのではないが、松本隆の歌詞の中でもとても優れている有名な曲の1つであり、今流行っているポップスには見られない特徴と一般的な楽曲の歌詞の本質的な部分が見られるのではないかと思ったかからだ。

斉藤由貴のデビュー曲としての『卒業』

卒業の歌詞

 まず前提として『卒業』はミスマガジンでグランプリを獲った斉藤由貴のデビュー曲として作られたものだ。卒業の歌詞を見ればわかるが、これは卒業式を迎える女子高生の歌である。楽曲リリースの同年に高校を卒業する斉藤由貴が女子高生の1キャラクターを演じ、一人称の独白により卒業を迎える時の心情を歌っている。
 また、グラビアなどで注目を集める存在の「斉藤由貴」がファンへ向けて初めて曲に乗せて声を届けることが主軸にある。それは斉藤由貴が男性の理想的な女性を演じる役割にあるという意味でもある。

直接表現を忌避するための視線

 歌詞全体の表現としては彼氏を見つめる視線と内省へ導く体験の2つに分かれる。次に参照するフレーズは視線に関するものだ。 

制服の胸のボタンを
下級生たちにねだられ
頭かきながら 逃げるのね
ほんとうは嬉しいくせして

人気のない午後の教室で
机にイニシャル 彫るあなた
やめて 想い出を刻むのは
心だけにしてとつぶやいた

席順が変わりあなたの
隣の娘にさえ妬いたわ
いたずらに髪をひっぱられ
怒ってる裏で はしゃいだ

 これは話者が女性であることが前提にないと成立しない。この歌詞は全性別の人間に普遍的に作られた歌詞ではないのは読むとわかる。制服のボタンをねだられるのは男性だし、「隣の娘にさえ妬いたわ」とは女性の語りを思わせる。そして、歌詞の内容としてはある男子高校生の挙動に対しての反応を心の声として表している。「好き」という言葉を使わずとも見たものを語るだけで思慕の表現を行っているのが特徴的だ。男子高校生のわずかな動きに対して一喜一憂する女性はある意味同年代の男子からすれば理想的だ。そして、同年代の男子からすれば近くにいる同級生の女子がもしかしたら斉藤由貴のように聴取者である男子へ気持ちを秘めているかもしれないという期待を持たせるところもある。プロデューサーとの話がどうだったかはともかく、結果的に松本隆の表現の豊かさが斉藤由貴の魅力をさらに引き立てる格好になっている。
 また、ピックアップするエピソードは当時の高校生あるあるだが、それに対する否定的な視点を個人の感情に持たせているということでメインのサビを引き立てる構成になっている。そうした他人に語られることのない感情を歌って聴かせることで、一方的ではあるがある種の擬似的なコミュニケーションが聴取者との間で発生する。この点で、当時の海外含めたロックバンドでも見られるようにメディアでインタビューされた時の答えよりも歌手の本質的な部分を歌詞の方が表現しているかもしれないと思わせるところがある。

メタファーによる主人公の内省表現

離れても電話するよと
小指差し出して 言うけど
守れそうにない約束は
しない方がいい ごめんね

セーラーの薄いスカーフで
止まった時間を結びたい
だけど東京で変わってく
あなたの未来は縛れない

ああ 卒業式で泣かないと
冷たい人と言われそう
でも もっと悲しい瞬間に
涙はとっておきたいの

駅までの遠い道のりを
はじめて黙って歩いたね
反対のホームに 立つ二人
時の電車がいま引き裂いた

ああ 卒業しても友だちね
それは嘘では無いけれど
でも 過ぎる季節に流されて
逢えないことも知っている

ああ 卒業式で泣かないと
冷たい人と言われそう
でも もっと哀しい瞬間に
涙はとっておきたいの

 言うまでもないがもっと哀しい時とは彼氏とのはっきりした別れの瞬間のことである。ここでは卒業式という公的なものと個人的な関係を対比させることではっきりと「別れ」という言葉を出さなくても理解できるようにしている。また、「冷たい人と言われそう」という世間的、社会的な視点との真逆の感情が主人公に訪れているということは「でも」で分かるようになっている。
 こうした婉曲的な表現により、主人公の未分化な状態が分かるようになっている。
 「東京」という具体的な地名が出ることに少し違和感があるものの、これも都市部の抽象化された場所として表している。わざわざ都会と濁すよりも主人公が思うのはどこか具体的な地名の方が良いに決まっている。「東京」と言うだけで語っている「ここ」はある程度離れた地方なのだとわかる。
 現実に入る亀裂を「スカーフで縛る」からの「未来を縛る」、「駅」からの「時の電車が引き裂く」という具象に対するメタファーによって表現することで、冒頭での主人公の視線とリアクションからさらに強度を増して内省へと聴く人を導いている。
 生き生きとしていた現在の男子高校生への視線と内省に対して、視線の及ばない東京での時の流れに身を任せることができない哀しみともとれそうだ。
 歌謡曲や演歌など当時の流行歌全般に言えることだが、主人公演じる斉藤由貴という女性が哀しむという仕草が男性ファンの理想を暗に満たしている部分もアイドル向けの歌詞を作り上げるための作為性を表しているがこれまで上げた表現が時代性を超えた魅力としてより際立っている。

 個人的には歌謡曲にとらわれず現代のポップスでも良いものがあれば聴きたいが面白いと思えるのはメジャーなとこなら宇多田ヒカルくらいでなかなか見かけないのが残念だ。そこには内省の語り手としての歌手がインターネットやSNSを利用することでどこでも本心を語れるようになり、歌詞を内省的なものよりかパブリックなものとして大きなことを語ろうとして失敗しているからかもしれない。
 要は歌詞は内省で良いはずだ。

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