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はじめのいっぽ。

「文章を書くのが怖くなった」

自分が入っているオンラインスクールコミュニティのウェビナーで話すことになった。
話す内容は「アウトプットができない君たちへ」。
どこか最近のジブリ映画を想起させるようなテーマ。

なんでこのことで話すことになったかというと、
あることがキッカケで、2021年から文章が書けなくなった。

元々は文章を書くのが好きで、大学時代に2ヶ月間旅したなかで2週間に一回は記事を書いていた。
旅で何が起きたのか?そしてそれついて自分が何を思ったのか?を書き連ねるのが楽しかった。

最近になってその当時の文を読もうとしたが、恥ずかしさのあまり最初の一文でパソコンを閉じ、3階のベランダから投げようとした。笑
とても人様に見せれるような文章ではない。
(あっ今でも自分の文章ははちゃめちゃだと思う)

それでも当時のぼくは書くのが好きだった。
旅の時に感じたことをピュアに受け止め、その感情にフィットした言葉が見つかり、それが文章になっていくことがすごく好き。
なんといっても最後の「。」をタイピングした時の快感がたまらない。

1日中働いた後の、ビールの一口目が喉を通った時のように。

「くぅっっー終わったぁぁぁー!!」
というエクスタシーがたまらなかった。

文を読んでくれた人に「私もわかる」「面白い文だね」なんて言われた時にはたまったもんじゃない、弾けそうなくらい嬉しかった。

まさか自分だけが抱いていた感情に共感してくれる人がいるなんて、、、
こんな幸せはなかった。

それでも僕は文が書けなくなった。

2021年に、あるゲストハウスでインターンをすることになった。
宿の仕事をやる代わりに、そこでしか味わえない体験ができる。
それよりも僕が心が惹かれたのが「文章力が学べる」ということだった。

その宿のオーナーさんは元編集者の人で、今でも漫画を通じて発信し続けている人だった。

最後に文章を学んだのは確か中学生だった気がする。
もう忘れている。

これまで義務教育の中でしか文章を学んだことがなかった僕は、
「よし!ちゃんと文章力を学ぼう」と意気込みゲストハウスに行った。

文章ってちゃんと残るし、これから自分のやることや考えていることをいろんな人に知ってほしいし、多くのひとに共感されたらきっと嬉しいだろうなーって。

インターン業務と共に文章力を鍛える時間もはじまった。
文章の基礎的な書き方や、構成の方法、文章がうまくなる方法、発信力の大事さ、についてさまざまなことを学んだ。
忘れまいとその時に書いた手帳は今でも僕にとってのバイブルだ。

その時に話していた事でとても印象的な話がある。
「正しい歩き方を学ぼうと『歩き方講座』を受けた人はしばらくの間歩けなくなる」というものだ。

歩くという行為はだれに教わることなくいつのまにかできているもの、
しかも正しい歩き方を学ぶのなんてモデルさんくらいではないだろうか。

途中で正しい歩き方を脳にインストールするが、体はこれまで通りに歩こうとし結果歩けなくなるということらしい。

文章の時間でこの話をするということは、文章力を学ぶ事も同じ現象が起きるのだろう。
だが強気だった僕は
「ふんっ!オレが文章が書けなくなるって!?2週間に一回に書いていた人だぜぇ?」とワイルドだろ〜と言わんばかり意気込んでいた。

だが、文書力を学ぶにつれて段々と体がいうことが効かなくなってきた。
次第に歩けなくなっていったのだった。
文章の基礎を学ぶにつれて、文章の大事さを知るにつれて、なぜか怖くなってしまった。

また、文章を添削してくれる時間がとても苦手だった。
これまで自由気ままに書いていた文章に、「わからない」「こうした方がいい!」と言われることが正直苦痛だった。

しかし今思えばあれは「愛」なのだ。
「ダバちゃん、このままの文だと意図していない形で人を傷つけてしまうよ」という愛なのだ。

いまではそう思えるが、当時の僕は自分を否定されているようで怖かった。

こうやって書くとまるでそこでの時間が悪いように見えるが
大事なことなのでしっかりと断言したい。
心から向き合って教えてくれるオーナーや、一緒にインターンをしていた大事な仲間たちに感謝している。
他のインターン生たちは素敵な文章が書けるようになっていた。

ぼくはインターンしたことで、発信をすることの大切さを知り、文章の基礎を学ぶことができた。
そのゲストハウスのおかげで、自分の歩みたかった人生のレールに乗れた。
とても感謝している。

これは僕の心の問題だった。
書くのがとても怖くなってしまったのだ。

そこからぼくは周囲の人に「アウトプットができなくなったんだよね」と話すようになった。

文章を書かないといけない仕事も他の人に依頼することで避けていた。
しかし、去年仕事で文章を書かなければいけなくなり、
出会ったライターさんに僕が書けなくなったことを相談し、添削をしてもらった。
それでも大学時代のように気持ち良く書けなくなった。
なんでこんなに書けないのか分からなくて苦しかった。

そして今年に入り、その文章を書く仕事は無くなった。
だが、そのライターさんと先日電話することになり、
ぼくはまだ文章が書けないことを話すと
「ダバちゃんって本当に文章書きたいんだね、だって文章苦手だったらやめればいいんじゃん。あなたと出会って1年ちょっとだけどずっと言い続けているよ?」と言われ僕はハッとした。

確かに僕は別に文章を書く仕事でもないのに一体なんでだろうなと考えた。
僕はアウトプットをするのが好きなんだ。
話すことも好きだけど、ぼくは文を書く方が好き。

そう思っていた時、「アウトプットができない君たちへ」というテーマで話すことになった。

なんか奇遇だな。

そしてウェビナー当日、自分が文章を書けなくなった話をした。
僕はこのことを友人や仕事先の人に何百回と話している。
だけどこの日は、普段とは違う反応があって驚いた。

心に寄り添ってくれるコメントがたくさんきていた。
とても嬉しかった。

僕が歩きだそうとする姿をたくさんの人が応援してくれる。
みんなも僕と同じような体験をしていて、僕だけじゃないことが嬉しかった。

ウェビナーが終わったあとに、みんなからいただいた言葉と共に
書くことにした。

何を書こうかと考えた。
そうだ。アウトプットは早い方がいい!って言っていたな。
と思い、この日のウェビナーのことを中心に自分の心にあるモヤモヤを書いてみることにした。

書き始めはやっぱり怖い。
だが、だんだんゾーンにはいってくる。

なんだろう。気持ちいいぞ。この感覚。久々だ。

無心になって好き勝手に、想いをただ指に委ねるだけ。
なんのプレッシャーもない。
タイピングした時の音や感覚。
文脈も無視して、とりあえず書きたいように書く。

気持ちいいぞ。リハビリにしては最高だ。
これを書き終えたらお世話になった友人のライターさんに見せたり、スクールにみせるんだもん〜なんて楽しみも作ったりしている。

そして書きたいことがもうすぐ終わる。
アウトプットの一発目。
これまで書けないことを相談してきた人たちが、側で見守ってくれるような感覚になる。
今か、今かとぼくが歩き出すのをみている

『。』

くぅぅぅー終わったぁー

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