女子力教という名の暗黙の伝統宗教【脱洗脳】
女子力教は、暗黙の伝統宗教だ。
俺が今、勝手に命名した。
卑弥呼様の時代よりももっと昔
みんなが土偶を作ってた頃
きっとそれよりもっと昔
マホメッドやキリスト、モーゼ
そんな預言者達が生まれるよりも
もっと昔の昔
世界中で女子力教を唱える
教祖達が何人か生まれては
ずっと昔にみんな死んでいった
世界中の教祖達は
良くも悪くも、共通した
一つの教えを残していった
「女の子は、女の子らしくしていれば
幸せを掴むことができる」
女子力教には、決まった経典もなければ、毎年の決まったお布施もない
暗黙の伝統宗教だから
多額の献金も必要ないし
グッズも買わなくて良い
毎月の謎の集会に行かなくてもいい
一般信者は
心の中で、ひっそりと信仰しつつ
伝道師は
周囲に布教して信者を増やせばいい
良心的な宗教だよ
でも、俺が女子力教を問題視してるのは
女子力教の教義と修行が全ての女の子に通用し、信じれば幸せになれるかは、効果が定かではないのが問題なんだ
そして、後から出てきたら新興宗教、例えば僕らの身近なところでいうと儒教なんかは、女子力教の教えを教義に都合よく取り込んだ。後から出てきた宗教は、「今まである」「広く暗黙に信じられている」価値観をうまく主義・主張を構成するために組み込んでくる。そして、宗教のウケを良くするためには、「権力者=王様」ウケを経典に組み込む必要がある。
つまり、王様が人々を都合よく動かすアクションが経典に組み込まれていく。
だから、様々な後発宗教が提言する女性のあるべき論、そしてその宗教の影響を受けてる今の世の中的な価値観は、そのままそっくり信じ込むと、簡単に支配されてしまう危ない側面がある。
女子力教は、古い古い暗黙の伝統宗教で、
「女の子は、女の子らしくしていれば、幸せを掴むことができる」という、ただ1つの教義が存在しているだけだった。
その教義に、後からうまれた数々の後発宗教が、新興宗教にありがちな、具体的な細かい生活ルールが融合させていった。細かなルールが増え、規則が増え、あるべき論にまみれ、そうして、信者達の生活ががんじがらめになって、暮らしにくくなっていく。
まぁ、つまり
女子力教自体は良心的な伝統宗教ではあるけど、どハマりせずに、適度に楽しめる程度で、ライトにお付き合いするのが良さそうな宗教だと思ったよ。
あとは、政治・統治という人を支配する意図が組み込まれた後発宗教の唱えるあるべき論にやられちゃわないように気を付けて損はないかもよ。特に女の子はこうあるべき、男の子はこうあるべき、という人々を扱いやすく行動を画一化させるための支配。
俺が思うに女子力教は、「女の子としての自分に自信を持てること」を得るための道具として、所詮道具として、前向きに活用するのが一番だろうな。
現代人の僕らは宗教は全部、自分のために、自分の心の栄養として、美味しいとこだけ、採用すればいいんだ。
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