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意図的な『ブレ』と『ぼかし』の楽しみ方

昨年より散文や詩、自由律俳句など、文字の作品をつくるようになってから、私の写真の撮り方が変わりました。タイトルの通り『ブレ』や『ぼかし』のある写真を好んで撮るようになったのです。


今回の記事では

・これらの写真を好んで撮るようになるまでの振り返り
・『ブレ』『ぼかし』写真の撮り方

についてまとめます。

『写真という作品をつくる』ことを楽しんでいた時期

自分のカメラを初めて持ったのは、中学生の頃。といっても本格的なものではなく、130万画素のカメラ付き携帯でした(最近のスマホに内蔵されているカメラの10分の1程度の画素数です) 。

撮る楽しみを味わったのは使い始めてから数日後、カメラの設定を変えられることに気づいた日でした。オートモードを曇りモードにして、露光も上げてみる。薄暗く色味のない写真が見違えるように鮮やかになり、感動したことを覚えています。

それでもまだちょっと暗く写るので、場所を変えて、なるべく窓の近くで撮ってみる。ピントを合わせるためにカメラと被写体の距離を調節する。薄いカーテンを閉じた方が意外と綺麗に撮れるのに気づき、また感動する。

工夫すればするほど、自分が見ている被写体の色味や空気感に近づけられる。その満足感が病みつきになり、何かあれば写真を撮るようになりました。

そのうち撮る目的が『日々の記録を残す』ことから『写真という作品をつくる』方向へ変わります。

シルバニアファミリーの人形と小物を並べて撮ってみたり、

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撮りたい被写体の周りに瓶や松ぼっくりを添えてみたり、

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噴水の流れ落ちるタイミングを見計らって撮ってみたり。

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(久々に写真を見返したのでものすごく懐かしい気分です。画素数が少ないせいかサイズも小さいですね。)

撮った写真はどこかに公開することもせず、携帯の待ち受け画面に設定して眺めるだけの日々でした。


『ブレ』を許容できなかった時期

それから3年後、新しいカメラを手に入れました。といいつつそれもまたカメラ付き携帯。しかし画素数は500万画素にグレードアップ。

見たままの色味や空気感により近づけて撮れるので快適だったのですが、画素数が上がったことで、写真の『ブレ』に気がつきやすくなりました。

今ある風景をそのまま切り取るなら『ブレ』があってはならないのだと、ピントがきちんと合った写真を得るまで何十枚も撮る。カメラのシャッターを押している時、きっと険しい顔をしていた気がします。

しかしこれは携帯に内蔵されたカメラ。限界があります。それは分かってはいるものの、上手く撮れない度にもどかしい思いをしていました。

例えばこのすずらんの写真。

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右の白い花にピントが緩めに当てられていますが、当時の私にとってはやや不満足の出来栄えでした。輪郭をもっとくっきり撮りたいと思い何度も撮り直しましたが、これが限界でした。


この花と蝶の写真に関しては、より低い満足度。

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花の一部にピントがかろうじて当たったものの、メインの蝶はブレブレです。被写体を追いかけてピントを合わせてくれるような機能がないので当たり前ではあるのですが、理想の写真に近づけない状態にもやもやしていました。

相変わらず写真はどこにも公開せず、待ち受け画面にして眺めるだけ。しかし写真に関する自分の理想の条件は高くなり、その分もっと高性能のカメラが欲しいと思うようになりました。

『写真という作品をつくる』ことを辞めた時期

それから何年かして、念願の一眼レフを手に入れました。『ブレ』を抑える機能が充実していて、2000万画素を超える画素数。これなら私の理想の写真が絶対撮れると思いながらシャッターを切っていました。

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上手く撮れたと思ったものは、現像してアルバムにまとめる。アルバムを見た人が「写真撮るの上手いね」と言う。そうしていくうちに、写真を撮ることを仕事に出来たらいいのに、と思い始める。仕事にするなら実績を作りたい。そうだ、どこかの写真コンテストに応募してみようか、などと夢を膨らます。

でもそれが、『写真という作品をつくる』ことを辞めるきっかけになってしまいました。

どの写真コンテストに応募しようかとインターネットで検索して、コンテストの概要を見て、過去の受賞作品をチェックする。ものすごい作品たちが金賞銀賞をとっている。どうやって撮ったのと驚く写真も、言葉にできないほど鮮やかで美しい写真も、呆れるほどそこにはありました。

そして気づいてしまう。私がいつか撮りたいと思っていた理想の写真は、このカメラよりもっともっと画素数が高くて性能の良いカメラでないと撮れない。世界遺産、海底、山頂、ほとんどの人が行けない場所に訪れないと撮れない。私はそういうカメラを抱えてその場所まで足を運べるだけの財力も体力もない。そしてそういう写真は、もう既に、他の誰かが撮っている。技術は段々と進歩して、写真に特段興味のない人でも、携帯カメラひとつで上手く撮れる時代になった。私がカメラの道に進もうとしても、きっと途中で埋もれるに違いない。

大きな壁があると既に知っていながら、敢えてそこに向かって進む勇気は持っていませんでした。私はろくに写真コンテストに応募することもせず、『写真という作品をつくる』ことすら辞め、私のカメラは『日々の記録を残す』ための道具へと戻りました。

『日々の記録を残す』から『写真で作品をつくる』へ

再び写真を積極的に撮るようになったのは、数年前あたりから。ストレスが積み重なったことで体に異常をきたし数週間入院した時、ふと手に取った本の文章に救われました。言葉は本当に怖いものだとずっと思っていた私に、確かに言葉は怖いこともあるし時に残酷だけれども、優しく使えば怖くないことを教えてくれました。そこから、私なりの言葉の楽しみ方を探すために、読書感想文、詩、俳句、短歌、自由律俳句、散文など、言葉を使った何かを手探りでつくるようになりました。

あるとき、つくった言葉を『日々の記録を残す』ために撮った写真と組み合わせて加工したところ、これが意外とぴったり合うことに気づきます。


『日々の記録を残す』ためだけに撮り、私しか見返さない予定だった写真が、作品の一部として生き返る。このことにものすごく面白みを感じ、忘れかけていたカメラの楽しさも、もう一度思い出しました。私のカメラは『日々の記録を積極的に残す』ための道具となり、次第に作品の素材となる写真を撮ること、いわば『写真で作品をつくる』ことが増えていきました。

『ブレ』の味を知り、写真の新たな楽しみ方を知った

言葉と写真を組み合わせる作業をしていた時に偶然、『ブレ』ていたけれども消し忘れていた写真を見つけ、それを試しに使ってみたところ、いつもより言葉が引き立つように感じました。

『ブレ』とは許容できないもの。『ブレ』とは失敗したもの。そう思い込んでいた私の考えがこのとき崩れました。

何かの基準から外れていてもいい。『ブレ』があってもいい。むしろ『ブレ』は味だ。こう考えることで、なぜかふと肩の荷も下りました。

『ブレ』の写真を撮っていると、同時に『ぼかし』の効いた写真も沢山撮れます。いままでは少しでもピンボケしていたら速攻削除していた写真も、味のある写真の一つとして保管するようになりました。

最近では、敢えてブレた写真を撮ることが好きになり、写真に文字を乗せる加工もせず、文字を添えるだけでそのまま公開するという試みも行っています。


『ブレ』『ぼかし』写真の撮り方

お待たせしました。長い振り返りを書き終えましたので、ここからは具体的な撮影方法についてまとめます。

用意するもの

・レンズ直径が小さく本体が片手で持てるカメラ(スマホ内蔵のカメラなど)

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・透過性があり、カメラのレンズより大きいオブジェ(アクリルビーズ、カットガラス、天然石など)

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撮影方法

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①オブジェをレンズにくっつけるように手で固定する

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②シャッターボタンを押す

以上です。 

どんな風に撮れるか
多面体にカットされたオブジェで撮ると、『ブレ』『ぼかし』に加えて『多重』の写真を撮ることができます。

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色のついたオブジェを使うと、写真全体がオブジェの色に染まります。また、オブジェの透過性が高ければ高いほど、『多重』に写る被写体の輪郭がはっきりとします。

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表面がカットされていない、つるつるとしたオブジェを使うと、『ぼかし』の強い写真が撮れます。また、表面の湾曲具合が高いと、『ブレ』の強い写真になります。

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注意点
思わぬ写りこみにご注意ください。特に、多面体にカットされたオブジェでは、乱反射して意図しない場所が写りこむ場合があります。撮影したものを公開する前に、問題のあるものが写っていないことを十分ご確認ください。


応用編

『ブレ』や『ぼかし』の良さは、文字と組み合わせるとき、文字を主役にしてくれるところです。

試しに、以下の文章を『ブレ』あり・なし写真に入れて比較してみます。

ピントが合っていなくたっていい。肩の荷を下ろして、楽しめばいい。


▼『ブレ』なし写真

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▼『ブレ』あり写真

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『ブレ』なし写真は、あくまでも被写体が主役ですが、『ブレ』あり写真は、文字が主役になることが分かります。

文字が訴える内容によって、『ブレ』なし・あり写真を使い分けることをおすすめします。

また、この記事ではスマホ内蔵のカメラを使った方法で書きましたが、デジタル一眼などレンズ直径が大きいカメラでも応用可能だと思います(レンズ直径より大きいオブジェを、UVレジンなどで自作する必要がありますので少々手間がかかりますが)。時間があれば私も試してみる予定です。その際には、所感などをまたnoteにまとめます。

最後に

今は、『写真で作品をつくる』ために、素材となる写真を撮る日々。でもいつかまた、何かのきっかけで、『写真という作品をつくる』ためにカメラを構える日が来ても楽しいだろうなと思うようになりました。

『ブレ』だって味のうち。完璧を追い求めずに、時には肩の力を抜いていいのだと、写真を撮るたびに感じます。



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