見出し画像

走り始めて27年目。走る理由②。

中学校生活。


京都でランニングコーディーネーターをしています、さりぃです🏃‍♀️🏃‍♀️

走り始めて27年目。原点回帰🌐


中学校入学🏫


3年間続けてきたランニングクラブは小学校卒業とともに終了。

ピアノはまだ習い続けることもできたので吹奏楽部を諦め、、陸上競技部を選択することに。(さらっと書いているけど結構悩んだ)


この当時の陸上競技部は、短距離も長距離もレベルが高く、練習も厳しい環境に。これが厳しい環境じゃなかったら続いてないな、、とも思う。


当時女子の長距離は先輩の代で地元で1・2位を争うレベル。

練習を見学するも、ランニングクラブでやっていた時と違って厳しそう。

楽しそうな感じはなく、必死に競い合いながら、食らいつきながら走り続けている。


まだ仮入部期間は種目正式に決めず、1年はほぼ練習は同じ内容。

まだ、仮入部期間中はやっていけるレベルだった。


そして、忘れもしない5月。


授業でバレーボールをしていた時に。

相手チームの子がサーブミス。


ミスしたボールを全力疾走で追いかける。。


『ドーン!!』


前にあった鉄棒にぶつかって、地面に倒れこむ。


おでこから出血。

救急車で搬送。


10針以上縫う。

練習はお休み。

ガーゼをして陸上部を見学。

チーン😂

そのおでこの縫った後は今でも残っている。


やる気満々で仮入部したのに、、練習の見学する日が続く。

他の1年生が練習を積むことに焦りまくる。


そして回復後、少しまだそこそこ走れた短距離。


低学年リレーのメンバー候補に入れて頂き、人生初のバトンパス練習開始。

全然うまくなかったけど、、


今でもパスの感じはほんの少し覚えている。


何日間?何週間か経ち、、

陸上競技にもいろいろな種類があって、、短距離・中長距離・跳躍・投てき

種目を決めないといけなくて。。


いや、長距離でしょ。

長距離を選択。

その日からすぐにリレーメンバーを外され、長距離ブロックで練習に専念。

キツイ練習が始まった。


当時、地元で活躍する実力がある先輩が3年生1人、2年生3人。そして、私より少し速いくらいの同級生1人。中長距離合計では15人くらいいたと思う。


先輩は当時リズミファイターというダンベル500gずつを持って練習をこなしていた。周回練習であればラスト1周くらいでダンベルをグランドに投げ捨ててラストスパートに入る。


Noダンベルなのに全く追いつけない。


180mのホントにマルみたいなグランドのトラックを5周と100mで1000m。この練習を毎回必死に先輩の姿を見て走る。


少しずつ近づいてきて。


重りは持たずやけれど、夏過ぎて秋近くには抜けるようにもなってきた。


秋には、、チームとしての大きな目標の市内の駅伝大会が‼︎


メンバーから見て入れるとしたら5人中4人はほぼ決まり。1枠を実質1年2人で争うことに。

私よりちょっと速いかもな1年生。


当時もう1人の1年生は貧血気味でもあり、夏場にその症状が出たこともあり、最終選考の実質残り1枠を勝ち取り、駅伝メンバーに。


市内駅伝当日。私は3区担当。

2位で襷をもらい、、1位へ。


そのままチームは優勝!!


『光る一年生の力走』

と、新聞に小さく載る。


中学の何もなくていちばん良い思い出。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?