私の遺骨を読んでね:ダルちゃん
なぜ子供を生んだのか、という話に至ったとき、職場で一番都会が似合う先輩は「自分がここにいた証拠が残したかったからかなあ。私が死んじゃったとしても、子供がいたら、私のかけらは未来に残るじゃない?」と言った。
私は長生きしたいわけじゃない。こんなくそみたいな世の中でどうして生を更新していきたいと思えるだろう、と毎月思っている。
それでも、この話を聞いたとき、私が子供を生まずに死んだら、私の存在はなかったことになっちゃうのか、と、ぼんやりと落ち込んだ。
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職場で一番素晴らしい表現者だと思っている先輩に、あるときルノワールの気持ちがわからないことについて話した。
「幸福なときに絵を描こうと思う気持ちのことが、私はわからないんです。だからルノワールの気持ちって、全然わからないです」
先輩は言った。
「それが悲しい気持ちでも、嬉しい気持ちでも、気持ちが溢れてやりきれないときに、人は表現するんじゃないかなあ」
なんで、気持ちが溢れてやりきれないとき、それをどこかの器に収めようとするのかな、と先輩の言葉を思い出して私は時々考える。
それはやっぱり、私が死ぬ前に、私のかけらを誰かに手渡しておきたいという気持ちがあるからなんじゃないか。
子供も、詩も絵も、
全てとは言わない、その一部分は、
生みの親の遺骨なんじゃないか。
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『ダルちゃん』を読んで、久しぶりに、創ることについて考えた。
(『ダルちゃん』2巻より)
このあと、サトウさんが言う
「わかる
なんて軽々しく言えないけど
わかる気がするよ
戦ってるのね ダルちゃんは」
って言葉がとっても優しくて、私まで泣いてしまった。
私のかけらを大事にしてくれる人は、どうしたって特別な人だ。
拙い遺骨を受け取ってくれて、いつもありがとうございます。
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