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ちょっくらプカオでも載せちゃおう

世界一周日記、イースター島編の続きです。

モアイ関係の過去記事↓
  

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続いてやってきたのは…

アフ・トンガリキ!

後ろ姿もすごい迫力…(『世界遺産 イースター島完全ガイド』によれば、ここのアフは全長約100mで幅は6m、ポリネシア最大級らしい。実際に見て一番最初に思ったこと→「思ったよりも…とても大きい…」)。

見えちゃうのか…。

見えてきちゃったのか…。

み、みえたーー!!

※私はこの中の、一番左にいるモアイが好きです。ちっちゃいかんじで(でもたぶん5mくらいはあると思う)、口が「ム」ってしていて。
ちなみに、モアイの左手前に謎の小山があり、そこに上って角度を調節してカメラマンが低いところでカメラを持って写真を撮ると、自分が16番目のモアイになったみたいな写真が撮れます。楽しいよ。

モアイ倒し戦争でうつぶせに倒されたモアイは、1960年のチリ地震による津波で見るも無惨な状態になっていたが、1995年に日本の援助によって復元された。
『世界遺産 イースター島完全ガイド』より引用
1995年
1988年に当時の知事で考古学者のセルヒオ・ラプが日本のテレビ番組にビデオ出演し、クレーンがあったらモアイが復元できるのにと話したのをきっかけに、日本の(株)タダノがクレーン車と技術を提供。アフ・トンガリキの15体が修復・復元される。
こちらも『世界遺産 イースター島完全ガイド』より引用

というわけでですねー。
ここのモアイのお顔が観られるのは、日本企業の協力があったからなのですね。(ちなみに最上さんいわく、「日本のテレビ番組」は世界ふしぎ発見だそうです)

トンガリキについても、ガイドの最上さんにいろいろお伺いしました。
(私の記憶ミスでメモが不正確だったらすみませぬ…)


「津波で流されちゃったということは、もともとのモアイの並びはこの通りじゃなかった可能性があるということですか?」
最上さん
「いえ、順番は元の通りです。津波で流される前に、アメリカ人研究者が倒れている状態の写真を撮影していたため、それに照らして復元がされました」


「トンガリキって、どういう意味なんですか?」
最上さん
「この説も確実なものではないですが、『トンガアリキ』と発音すると『北の王様』という意味になります」

最上さん
「もともと日本の企業としては、15体のうち1体を起こして、ほかのモアイはイースター島民に起こしてもらおうと考えていたみたいですが、イースター島民から『なぜ全部起こしてくれないのか?』と責められたので、当初予算の2倍をかけて全て起こしたようです

「そうなんですね…」


「モアイのサイズが大きかったり小さかったりするのは、モデルのサイズによるんですか、それともその部族の権力の大きさによるんですか?」
最上さん
「どちらの説もありますね」


「なんで一体だけプカオが載ってるんですか?(※写真の右から2番目の)」
最上さん
「クレーンを使えるようになったイースター島民が、調子にのって載せたんですよね。載せやすい安定したプカオを、頭の形が載せやすかったモアイに載せた、という感じです」

え・・・
※これについて、宿のオーナーさんは所説あるけどねと言ってました。


「アフの前の広場では儀式など行われたと何かで読みましたが、どんな儀式が行われたのですか?」
最上さん
「これも確実な話ではないのですが、お墓参りの儀式があったようです。草でつくった人形を円の中に2体置き、同族の子孫がその横に一晩中座っていると、先祖と話せるようになると考えられていたようです」

そしてアフ・トンガリキの入り口には、来日したことがあるモアイもいるぞ!

この人です。

一般的にモアイ・ホトゥ・イティと呼ばれている。〔中略〕1982年のエキスポランドで開催された『謎のイースター島巨石像展』で来日したことがある。もとはラノ・ララクにあったが、トール・ヘイエルダールのモアイの運搬実験に使われ、この場所に運ばれた。そのためこのモアイにはアフがない。
『世界遺産 イースター島完全ガイド』より引用

最上さんいわく、日本に運ぶことができたのは、世界遺産になる前だったから、とのこと(前述の本によれば、イースター島の42%がユネスコの文化遺産に登録されたのは1995年)。世界遺産になると、コンクリートでの修復等も許されなくなるそう。

そして、このヘイエルダールの歩行実験は、モアイを左・右…と順番に引く実験だったそうだけど、1日に1mしか進まなかったらしい。つ、つらい…。

まだつづくよ。

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