うつぶせのモアイは悲しい
南米脱出話と交互になって非常にわかりづらいですが…ずっと書きたかったので今日から何回か、イースター島振り返り日記を書きます!寒いし外にも出られないしな!!
宿で会った皆さんと車で島を回ったときのことと、イースター島に初めて移住した日本人・最上賢二さんにガイドしてもらった日のことをあわせて書いたほうがうまくまとめられそうなので、そんな感じでいきますか。
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世界一周26・27・28日目。
←計算合わなくなってきた。笑
チリ、イースター島。
イースター島は、二等辺三角形みたいな形をしている。
↑これはガイドの最上賢二さんにいただいた地図。
実際に行ってみて、
『地球の歩き方』でおすすめされている回り方が見やすいと思った。
いずれにせよ、島を3つに分けて回ると効率がいい。
①南西のオロンゴ周辺(上記地図の紫の印のあたり)、②南海岸からラノ・ララク周辺(上記地図のオレンジの印のあたり)、③中部のアフ・アキビ周辺から西海岸(上記地図の緑の印のあたり)だ。
『地球の歩き方』より引用
(ただし①~③の数字と括弧内の説明はけそが便宜上追記した)
私は、5泊6日のイースター島滞在を
以下のように過ごした。
(体調が悪かったので、最後のほうはほぼ宿でぼんやり)
1日目:
午後、イースター島に到着。
宿のあるハンガロア村から
歩いて行けるモアイ(タハイ儀式村周辺)の見学
2日目:
午前→まったり
午後→お昼ごろからレンタカーでまわる。
前述の②・③のあたりを見学。
3日目:
午前→
アカハンガ(③のあたりにある)で
ご来光待ち(悪天候のため見られず)
前日回れなかったアフ・アキビ(③)
や ①のあたりを見学。
お昼ごろ、車を返却
午後→イースター島博物館見学
4日目:
最上賢二さんの1日ガイドツアーに参加。
②・③を再度見学し、
疑問に思ったことなど聞く。
5日目:
ほとんど宿でぼんやり。
小さいパイナップルを食べたり、
民芸品市場でお土産など買ったりする。
6日目:
午前中~お昼、
タハイ儀式村でモアイを見納めて、
午後の便でサンティアゴへ。
―――以下は、主にこれから行く方向けの細かい話―――
がんばって予定を入れれば、そして天候に恵まれれば、3日くらいでも見どころは回れると思う。
特に外せないのは、
②のゾーンのアフ・トンガリキと、ラノ・ララク。
時間がない場合でも、ここは絶対見たほうがいいと思う。
アフ・トンガリキのモアイは、大きくて立派で迫力があり、ラノ・ララクはモアイ切り出し場所で、びっくりするほどたくさんのモアイが観られる(CMとかで使われるモアイはほぼここのモアイだと思う)から。
レンタカーさえあれば、必ずしもツアーに参加しなくてもいいかな?と思うけれど、
個人で回る場合は絶対なんらかのガイドブックを持参したほうがいい。
ただ見ているだけだと、背景がわからなくてあまり面白くない。
おすすめなのは、これ↓。かなり細かいところの説明まで書いてある。
モアイはどういうことが謎だと言われているのかや、イースター島の歴史もまとめられているので、
事前に読んでいくと見学の面白さがかなり上がると思う。
発行年が古くて(2009年)新しい情報が読めないのがちょっと問題だけど。
ちなみに、イースター島は一応全体が国立公園ということになっていて、多くの場所で入場券を提示しないといけないんだけど(80USDもしくは54000CLP。空港で買える。たしか10日間有効?)、オロンゴ儀式村とラノ・ララクは
1枚のチケットで1回しか入れないので注意。
―――主にこれから行く方向けの話、終わり。笑―――
まずは、アフ・バイフへ。
車を借りて、最初に見るモアイがこれなので、結構ショックだった。
↑どのモアイも倒されている。
以前のnoteにも書いたことと少し重複するけれど、モアイ文化は以下のように進んでいったらしい。
※以下は最上さんに聞いたことと博物館で読んだこと、地球の歩き方(含むイースター島完全ガイド)で読んだことのまとめ。けそが咀嚼してまとめるんで、間違ってるかも…ご参考程度に。最上さんも、あくまで一説なのですが…と前置きされて話されてることが多かった(今となってははっきりわからないことが多いらしい))
①島にはもともとアフと呼ばれる石を積んだ台座があった。アフは各部族の墓(えらい人だけでなく、部族のいろんな人が入る。子供の骨も発見されている)。アフは、祭壇として崇められていた。
②だんだんアフの上に小さな石像が建てられるようになる。これがモアイ。
アフに載せられるモアイにはもともと目が入っていた。
↑こういうの。写真は、イースター島博物館で撮影。
この目から、墓の先祖の神通力(マナ)が放たれ、その部族を守ってくれると考えられていた。(だから、ほとんどのモアイは部族の村の方を向いて立っていた)
③部族の力の象徴として、モアイがどんどん巨大化していく。島にある最大のモアイは、ラノ・ララクにある製作途中のもので21.6mもある。
④1000年~1500年にかけて、モアイ製造・運搬が激化し、島で大量の木が切り倒された→土地がやせた→食糧不足(※)→部族間対立へ(17世紀には少なくとも10の部族・1万人程度が住んでいたらしい)。
各部族の象徴であったモアイが倒される戦争(フリ・モアイ)に発展。
⑤1774年に島を訪れたイギリス人ジェームズ・クックは、そのときにはもうモアイは崇拝されている様子はなく、人口は2000~3000人になっていた、と記録している。
⑥1840年頃までに、フランス、アメリカ、イギリス等外国船の寄港が相次ぎ島は混乱、食糧不足と相まってフリ・モアイは激化。最後のモアイ像が倒される。
このあとも、ペルーの奴隷船がやってきて島民のほとんどがさらわれるか殺されるかする等、島はどんどん悲しい状況になっていくのだが…
説明が長くなりすぎたので、そろそろモアイ見学の話にもどる!
そう、で、モアイ倒し戦争のときに、相手の部族の先祖の目力が出ないように、モアイに入っていた目が破壊されて、うつぶせになるように倒された、ということでこんな感じになってるらしいですよ。
悲しい…。
また、アフ・バイフには、昔の住宅を再現しているゾーンがある。(最上さんいわく、再現ゾーンは2,3年前につくられたらしい)。
イースター島はとにかく石ばっかりある…ということで、石の畑でもつくりやすい芋類を昔から育てていたそう。
↑発育によくなさそう感がすごい。食糧不足に陥った話も納得。イースター島は風が強いので、石で囲まないと植物がすぐ倒れてしまうらしい。
ちなみにイースター島の土では器をつくることもできず、かつては蒸し焼きかBBQしか調理方法がなかったそうで、今でも料理文化は発展していないとか。
イースター島ならではの料理って、ほとんど見ないんですよな。
poeっていうバナナのケーキが伝統的な料理だって村の人は言っていたけれど、最上さんいわく、これがほとんど唯一の伝統料理だとか…!
当時、鶏は貴重な食糧で大事にされていたとかで、鶏小屋の再現もある。
↑再現と言いつつ、この小屋は今も鶏の飼育に使われているんだって。最上さんが、岩をどかして鶏が出ていく様子を見せてくれた。笑
続いて、南海岸にある、アフ・アカハンガへ。
こちらでも、モアイ…倒されてます…!
↑地面に面しているのが、頭ですね。
↑当時の男性の髪型を再現したと言われている「プカオ」も、周りにたくさん落ちてる。
首長をかたどったと言われるモアイ像のプカオには、高貴な者の象徴である赤い石が使われた。それには鉄分の多い赤い凝灰岩が算出されるプナ・パウの火口付近から切り出す必要があった。
〈ここから同じ本の別のページに記載されている内容〉
プナ・パウは火口のある死火山のひとつで、島で唯一、赤茶色の石が採れることから、プカオやモアイの黒めにあたる部分に、プナ・パウの石が欠かせなかった。きれいに円柱状に切り出せたのも謎だが、ここからアフ・トンガリキへは直線距離にして12㎞あり、どうやって運んだのか、モアイ像同様に謎に包まれている。
(『世界遺産 イースター島完全ガイド』より引用)
ちなみにモアイってほとんど男性らしいのだけど、何体か女性のモアイも存在していて、それはこの赤い石でつくられてるんだって。
↑あんまり赤さが伝わらないけど…イースター島博物館に展示されている女性のモアイ。一般にイメージされるモアイとは、だいぶ雰囲気が違いますな。
なんだか、説明の文章がやたら長くなって全然進まなかったけど、長文になってきちゃったんで、
(次回へつづく)
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