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モアイが生える丘

イースター島の話の続き。
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レンタカーで次にやってきたのが、ラノ・ララク!
私がイースター島で一番好きなモアイスポット。

イースター島のモアイが切り出された場所で、『世界遺産 イースター島完全ガイド』によれば、ここには397体のモアイがあるとのこと。
イースター島博物館の情報によれば、これまでに確認されているモアイの総数は887体
島のモアイのかなりの部分がここにあることが、おわかりいただけるかと思う。

↓何回も貼るけど、イースター島に行くならこの本はほんとにおすすめ。基本情報みたいなのは大体書いてある(最新情報じゃないのが残念だけど)

前のnoteに書いたけど、ここには1枚のチケットで1回しか入れないので、レンタカーで来たときは遠くから眺めるだけにして、ガイドの最上さんと入った。

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↑これはレンタカーで来た日に遠巻きにラノ・ララクを見ている図。
遠くからでも、モアイがにょきにょきしているのがわかる。楽しい。

(ちなみに、イースター島は村を出てしまうとあんまりトイレがない。ラノ・ララクは貴重なトイレスポットである。近くに軽食が食べられるお店もあるのだが、ここのご飯は島の中でも特に割高。シンプルなホットドックでも700円くらいする)

ここで見どころになってるモアイがいくつかあるんだけど、まず私のお気にいりは、正座しているモアイ!(モアイ・トゥク・トゥリ)

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最上さんいわく、この正座モアイ、もともと埋もれていたものを学者さんが掘り起こして今のように配置したそうで、もともとどこを向いていたかはわからないそうだ。

最上さんが「おしりがキュートです」と仰っていて、そんな最上さんがキュートですと私は思った。

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(もちろん写真に収める)

そう、私が(貧乏旅行にしては)大枚をはたいて最上さんにガイドをお願いしたのは、最上さんご本人に興味があったからなのだ。『イースター島 完全ガイド』の中で、最上さんは「子供の頃からイースター島に住むと決めていた」方だと書かれていて、それでイースター島ほんとに住んじゃうってことある!?と思ってびっくりして、ぜひお話を聞いてみたかったから。

私「なんで、イースター島に住みたいと思われたんですか?」
最上さん「モアイが好きだったんですよね」
私「なんでガイドの仕事をされることにしたんですか?」
最上さん「とにかくイースター島に住みたくて、そのためにできる仕事はなんだろうって考えたらガイドくらいだったんですよね」

す、すごいな…。

外国に住むことを決めた日本人の人の話って、聞くと毎回ドラマがあって、面白い。日本人宿、ハレカポネのオーナーさんのお話も面白かった。結婚相手に求める条件は、「とにかくイースター島に一緒に住んでくれること」だったとか。そんなこと、ある?

『イースター島完全ガイド』には、最上さんの紹介として「現在はガイドとして活躍するかたわら、イースター島と日本とを結ぶパイプ役を務めている」と書かれているのだが、皇族の方がイースター島を訪問した際も最上さんがガイドをされたとのこと。イースター島の博物館の解説の日本語訳も最上さんがつくられていて、とにかくイースター島の日本人といえば最上さんなのだ。

最上さんは、行くところ行くところで「ケンジ!」と声をかけられて、大人気。ツアーのランチの時間に、たまたま同じテーブルに座っていたイースター島民と思しきガイドさんも、「ケンジのガイドなら完璧だよね!」と言っていた。

最上さんのガイドのいいところは、(前も書いたっけかな?)空想する楽しさを含んだ話をしてくださるところ!

最上さんのお話によれば、1937年、チリ政府から、外交上有利な立場になるために日本にイースター島を譲渡したいという申し出があったそうで、日中戦争中だったこと、対米・対英感情への配慮から、日本はこれを断ったらしい。

この話のあと最上さんは、「もしそのとき日本領になっていたら…それぞれのモアイの前にずらりと人が並んで、整理券とか配られて、モアイ饅頭とかモアイせんべいとか売り出されていたかもしれないですよね~」と仰ってて、ああ最上さんは、きっと子供の頃からこういう風に、いろいろ想像して、モアイを愛してきたんだなあ、って思ったりした。

独特なテンポが素敵な方なんだよなあ。


モアイの話に戻る。

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↑イースター島では、お土産としてモアイの磁石がたくさん売られているんだけど、1個だけ正座しているモアイを見つけたの…これしかないって言われた…嬉しくてすぐ買った(顔は似てないけどね)。1個だいたい100円くらい。

あとは、製作途中のモアイも観ることができる。

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↑掘り出してますね感…。

まず岩からモアイを掘り出し、運んでから、背中の彫刻等を施したらしい。

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↑写真は、イースター島博物館で撮影したもの。図の1番が掘り出しているところ、4番が起こして仕上げているところですな。

続いて、日本のCM等でよく使われている首傾げているモアイ
(続いてって書いてるけど、紹介の順番は適当です…すみません…)

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最上さんによれば、モデルとなった首長が首に障害があったから、モアイ職人がそれを再現したという説があるそうだ。
我々がイメージするモアイって、この辺のモアイですよな。
最上さんいわく、平均的なサイズ(4M12トン)のモアイをつくるのに、30人で1年半かかったと考えられているらしい。1年半もかかるのか…。

モアイって耳が長い印象だけど、これは耳を長くする部族がいたからだそうだ。
最初は細いサトウキビの茎をつかって穴を開け、ふさがらないように固まるまではサメの背骨を入れて、だんだん穴を大きくしていった、穴自体が装飾だったので、改めてアクセサリーを入れたりしなかった、とのこと。

『世界遺産 イースター島完全ガイド』には、イースター島の伝説として以下のようなことが書いてある。

・800年頃のイースター島には耳を長くした長耳族(ハナウ=エエペ)と、普通の耳の短耳族(ハナウ=モモコ)がおり、長耳族が短耳族を支配して働かせていた。
・不満が募った結果、短耳族は蜂起。1人を残して長耳族は焼き殺される。
(この、1人だけ残されるところに私は物語を感じてしまう…残された人はきっと知識とかを引き出すために生かされたんだろうけど…どんな気持ちで生きてたのかな、とか)
・短耳族のみになったらその中でまた争いが起こり、モアイ倒し戦争へ発展した。(ただし、モアイ倒し戦争は島外からやってきた人々ともともとの島民との間で起こった争いだ、という説もあるそう)

人間は争わずにはいられないのでせうか…。

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こちらは、モアイ・コ・トゥウ・ホトゥ・イティ。
お腹に船の絵が掘ってある。
最上さんは、「西洋の船が来たとき、それを記録したものという説がある」と仰っていた。『イースター島完全ガイド』には、伝説のホトゥ・マトゥア王が舟に乗ってやってきたことを示しているという説もあると書かれている。なんにせよ、その頃掘られたものが今も残っているのはすごいことだな…。

続いて、モアイ・ピロ・ピロ。

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横顔がシャープなモアイで、フォルムが私好みだった。
最上さんの話が…メモがちゃんと取れてなくてうろ覚えなのだけれど…、たしかピロピロは「汚い」という意味だった、はず。お腹のところに西欧から来た海軍?の人が遊びで鉄砲?を打って、ぼこぼこになっちゃったからそういう名前だった、はず(すべてがうろ覚えすぎる~~笑)

毎回ちょっとずつしか進まないイースター島日記…。いつ完結するのだろうか…。
つづく…。

<ご飯のコーナー>

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中南米を旅行する人は誰もが飽きるほど目にすることになる…エンパナーダ

いろんな具材が入っているパイのような軽食で、焼いてるのと揚げてるのがある。牛肉とか鶏肉、チーズが入っていることが多い。

私も、アルゼンチン・チリ・エクアドルそれぞれでエンパナーダを食べたんだけど、一番おいしかったのがイースター島のエンパナーダだった(ほかのとこのより高いんだけどもね)。

なんと…

魚介が入っているのがある!(ほかのとこで見たことない!)

私が特におすすめなのが、LATAM航空オフィス近くにある壁が緑のお店のエンパナーダ。

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↑ここです。

味付けがちょうどよくて(お店によっては塩辛すぎる)、チーズもたっぷりでほんとーーにおいしかった。
特にタコ(pulpo)のエンパナーダがおすすめ!たしか高いけどね!600円くらい!また食べたいよーー。

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↑いかにもかじりかけですみません。

↓えび(camarón)もおいしいよ!

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注文するときに役立つスペイン語―英語表記のあるお店のメニュー写真も、置いておきます。

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