最強の教師とは、”最弱な教師”のことなのかもしれない
一昨日、初任地の校長先生とお話させてもらう機会がありました。
その中で、
「赴任にあたって何か不安なことはない??」
って聞かれたんですね。
だから私は
「私の知っている先生は、”完璧”な人が多いような気がする。でも私は欠点だらけ・・・。私に担任が務まるかが心配。」
ってことを言ったんです。
すると校長先生は豪快に笑い捨て、こう言いました。
「完璧じゃない先生こそ、子供たちに寄り添えるんじゃないか!!」
私は同じようなことを先輩先生noterさんに言われたことを思い出しました。
「自分が字が汚いことで悩んでいる」っていうのを記事の中で書いたことがあったんです。
そしたらそのコメント欄で、
「字が汚ければ、字が汚い児童に寄り添えるし、反対に字が綺麗な児童のことを心の底から尊敬できる」
ってことを言ってもらったんです。
この両者の言葉を受けて・・・私は
最弱な人間こそが、最強の教師になれるのかもしれないなって思いました。
人の痛みを多く知り、それに寄り添える人こそ、真に効果的な教育ができるのではないかと・・・。
私は人の痛みを人一倍知っている自負があります。
小学校の時は親の仕事の都合で、2回も転校をしました。
部活動やアルバイトでは能力が伴わず、何度も辛い思いをしました。
中学生の時はどれだけ頑張っても成績が伸びず、勉強が死ぬほど辛い時期がありました。
大学の序盤、いじめのようなことを受けた経験もあります。
私は決して能力の高い人間ではありません。多分ですが、サラリーマンとかになったら同期の中で最も出世が遅いのではないかと思います。
ですが、先生であれば。先生という職業であれば、私の「弱み」ですらも武器に変えることができるんです。
もしかしたら「先生になる」と決めたあの日から、能力が高くならないように力を加えられていたのかもしれません。
私は最弱なまま、”最強の教師”を目指していこうと思います!!
ここまで読んでくれて、ありがとうございました!
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