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私がやっと”幸せ”になれた話①(リメイク投稿)

1.はじめに
 
  

 最初に断っておくんですけど、この文章はただの自己満で、たくさんの人の助けになるようなものじゃありません。文章の主張に科学的な根拠なども何もなく、完全に自分の経験から感じたことです。この文章を書き始めたきっかけだって、大学の授業が週一以下しかなく、暇だから始めただけです。崇高な目的なんてものは何もありません。ですが、「暇だから」っていう理由だけで書き続けられるほど、手軽なことではないでしょう。作家さんたちに怒られちゃいます。一応、少しは、ほんのちょっとだけですが、この文章を書くにあたっての動機はあったりします。

 まず一つ目が「自分のアイデンティティの形成過程を再確認したい」というものです。私は今、時期的に限りなく社会人に近い学生です。そして、ある程度自由な時間を過ごすことができる最後の期間になります。今、ここで自分と向き合わなければ今後こういった機会はなかなか訪れないだろうと考え、踏み切りました。「だったら別に書く必要ないじゃん!!」って思うかもしれません。そうです。ただただ、自分のモチベーションを保つためだけです。こんなことに付き合わせて本当に申し訳ありません。

 一応、二つ目の動機は一つ目ほど自分本位なものではないつもりです。二つ目の動機は「誰かの助けになりたい」というものです。曖昧ですが、意外にしっかりとした動機でしょう。どこからか「ただの大学生に誰かの助けになれる文章が書けるか!!」っていう声が聞こえてきそうですが、おっしゃる通りだと思います。私なんかがたくさんの人たちの助けになれるなんて微塵も思っていません。私が助けられるのは、“奇跡的にこの文章を読んでくれた、かつての私のような経験を今まさにしている人”に限られます。てゆーか、そういう人すら助けられる確率の方が圧倒的に低いでしょう。私の文章が一人でも救える確率は天文学的に低い確率です。それでも書いてみようと思います。暇なので。

 今回のテーマはタイトルにもある通り「幸せ」です。20歳そこらの若者が幸せを語るのもおこがましいですが、現時点で私が考える「幸せ」について共有していけたらなと思います。唯一私が著名な方々に優っている点があるとすれば、それは「平凡さ」です。学力も普通、運動神経も普通、ルックスも良くない、身長は平均以下、そして他人がびっくりするようなエゲツない経験をしているわけでもない、本当にどこを切り取っても「平凡」です。ですが、だからこそ共感していただけることも多いかと思います。

 私は今から小学生の時の自分、中学生の時の自分、高校生の時の自分、大学生の自分になりたいと思います。比喩的な意味で。そうすることでかつての私たちがどんなことに幸せを感じていたのかを思い出し、「私にとっての幸せとはなんなのか」を明らかにしていきたいと考えています。それを明らかにした上で、私なりに幸せとは何かを考察していければなと思います。先ほども言った通り、私の今までの人生はどこまでも平凡で、ドラマのような面白みなど微塵もありません。それでもこの先を読んでも良いよって人は、私の痛い演技にお付き合いください。

2.小学生の時の幸せ

 

 みんなの歓声が気持ちいい。P(私の名前)はスーパースターなんだ!!
今、Pは体力テストのシャトルランの真っ最中。去年は学年で2位だったけど、いま残っているのはp一人。つまり、pがナンバー1だ!!。やっぱpは他の人よりすごい人間なんだ!!

小学校低学年の時から常に「この子は他の子とは違う」とか「リーダーシップがある」とか言われてきた。その時pはまだ幼かったからよくわからなかったけど、確かにいつもみんなの中心にいて遊んだいた気がする。この時からpは他人とは違ったんだなあ。

高学年になって、バスケを始めた。最初は下手くそで試合に全く出してもらえなかった。同じ学年の子はみんな出ているのに・・・。悔しすぎてめちゃくちゃ練習した。練習がない日も毎日練習した。そしたらベスメンとして試合に出れるようになった。試合に出れるようになっても自主練は続けた。そして6年生になると市の選抜にも選ばれた。まだ小学生なのに、こんなに努力できる人はいるのかな?いや、いないよな。〜くんも〜くんもみんな遊んでばっかりで全く努力しようとしない。みんな怠け者だなあ。努力もできるpはやっぱり優れた人間なんだ!!

学校生活でもpは大活躍だった。勉強は学年でトップクラスでできた。いつも勉強が得意じゃない子に勉強を教えてあげていた。夏休みの宿題で作文があった。Pが書いた作文は校内の賞に選ばれた。そして小学校代表として市の作文発表会に参加した。そのときpは5年生だったのに学校の代表だった。Pはもしかしたら1つ上の人たちよりすごいのかもしれない。Pは足が学年で3番目くらいに早かった。毎年リレーの選手に選ばれた。持久走はもっと早かった。校内の代表として市の陸上競技大会の1000メートル走の選手に選ばれた。その大会で陸上クラブにスカウトされ、駅伝大会にも出場した。結果は華の2区で3位。1位ではないけど、pの専門は陸上じゃない。それで3位は我ながらすごいと思う!。勉強もできて運動神経も良いpはやっぱり選ばれた人間なんだ!!

pは正義感も強かった。意味もなく悪口を言われて、孤立している子がいたら積極的に話しかけた。毎日一緒に学校に行ったりした。一緒に話したり遊んだりしていると全く悪い奴じゃないのに、なんでみんな彼を避けるんだろう?。みんなひどい奴だ。Pは正義感もあるんだ!我ながら素晴らしい人間だと思う。

Pには弟がいる。すごく優しくて、めったに怒らない。喧嘩するとしたら原因はいつもpだ。そんな優しい弟だけど、pの弟なのに勉強はあまり得意じゃないし、運動神経もすごく良いわけじゃない。あと、pみたいに友達も多くない。おじいちゃんやおばあちゃんに会うと褒められるのは基本pだ。なんだか可哀想だ。なんでpと弟はこんなにも違うのだろう。

シャトルランが終わった。結果はもちろん自己ベストで校内1位。みんなが「すごい」と言ってくれる。なんて気持ちが良いんだろう。バスケで個人賞をもらった時も、テストで唯一100点を取った時も、祖父母が弟ではなくpを褒めた時もこんな気持ちだった。この気持ちを味わうためにpはこれからも頑張っていこうと思う!!

 この時の私は“他人と比べること”で幸せだった。

3.中学生の時の幸せ
 
 

  今、俺はとても良い気持ちだ。今日は卒部式。キャプテンだった俺に対して監督は「お前をキャプテンにして本当に良かった」とみんなの前で言ってくれた。一番ではなくても普通のやつに比べたら、俺はやっぱりすごい人間なんだ。

中学生になったばかりの頃からやっぱり俺は他の人とは違った。通っていた小学校があった県とは異なる県の中学校に進学し、友達が誰もいない状態でのスタートだった。しかし、俺は他の人とは違うのですぐさま友達をたくさん作った。弟は苦戦していた。

部活動でも俺は特別だった。1年生なのにスタメンで試合に出場した。俺は試合に出てるからと言って調子に乗るわけではなく、1年生だからしっかり雑用も行った。誰よりも一生懸命行った。その結果、監督からの信頼も得ることができ、毎日部活に行くのが楽しみだった。

 中学生になった後すぐに学力を測るテストがあった。俺は小学生のころ学年でトップクラスに頭が良かったのできっと上位だろうと思いながらテストを受けた。手応えも悪くなかった。しかし、テストの結果を見て僕は愕然とした。学年順位が半分より上だった。目を疑った。確かに10番以内とかに入れるとは思っていなかった。小学校のあった地域はあまり学力の高くない地域だったからだ。それでも心の中では20番以内には絶対入っていると思っていた。なのにこの結果だ。そんなはずはない、きっと回答の欄がずれたんだ。本当の実力がこんな物の訳がない。

部活でレギュラーを外された。これまで2年生の先輩と混ざって試合に出ていたが、ここにきて外された。同じ学年のチームメイトの何人かが大きな成長を遂げたのだ。最初は絶対俺の方がうまい、監督の見る目がないと思っていた。でも徐々にそれを認めざるを得なくなってきた。シンプルに1体1で勝つことができなくなってきた。でもまだ俺は1年生だ。これまで試合に出れていた方がすごかったんだ。来年はまたスタメンとして試合に出れる。

二年生になった。僕はどうやら地頭が良くないようだ。一年生の最初に受けた屈辱のテストからは大分順位が上がった。他の人よりかなり勉強を頑張ったからだ。でも、それでも当初想定していた20番以内なんて全く届きそうにない。僕より明らかに頑張っていないのに、平気で僕より良い点数を取ってくる人がたくさんいる。もはや才能の違いなのだろうか。僕は優れた人間ではなかったのかな。

先輩たちが卒業した後も僕はスタメンになれなかった。納得はしている。実力差は明らかだったから。小学生の時は毎日バスケが上手くなって行くのが嬉しかった。楽しかった。でも今はいくら努力してもみんなに追いつける気がしない。勉強と同じく人一倍頑張っているのに報われない。やっぱり僕は才能がなかったんだ。特別な人間なんかじゃなかったんだ。

楽しみにしていた修学旅行の班決めがあった。これはすごく重要だ。誰かが言ってた。「修学旅行はどこに行くかよりも、誰と行くかが重要だ」と。結果的に最高の班を作ることができた。メンバーはクラスの中でイケている、いわゆる1軍と呼ばれるような人たちで、そこにいる俺もきっとクラスの中心なんだ。きっとみんなも羨ましがってる。同じバスケ部のあいつはあんな地味なやつらと班を組んでいる。完全に俺の勝ちだ!!

3年生になった。いよいよ受験だ。僕は1年生の時から勉強を頑張っていたので推薦をもらうことができた。そして、結果から言うとそのまま合格することができた。最高の気分だった。今までの頑張りがやっと肯定された気がした。

卒部式の帰り道、ずっと考えていた。「俺は○○よりは優れている」、「○○のこの部分より俺のこういうところの方がすごい。そうすることで一時的に気持ち良い気分になれた。そうだ!俺は1番ではないけど世間一般の人よりはすごいんだ!!だって○○や○○よりはましだから!!!

この時の私も“他人と比べること”で幸せだった。一方で“他人と比べること”で不幸にもなっていた。


4.高校生の時の幸せ


 全く眠れなかった・・・。今日は大学の合格発表日。僕の人生がかかっている、大事な日だ。センター試験は志望校には十分すぎるほど点数が取れたし、二次試験の手応えも悪くなかった。周りの人も「落ちるわけない」と言ってくれてる。でも不安なものは不安だ。もしこれで落ちていたらみんなに馬鹿にされる。僕の居場所がなくなる。僕が劣った人間ということが確定してしまう。それは嫌だ。それだけは絶対嫌だ。

高校入学当初、僕は焦っていた。中学校では部活や勉強が思った以上にうまくいかなかったので高校こそは!という思いがあった。僕は優れている人間ではないということに薄々気づき始めてはいたが、それを認めたくない自分がいた。高校ではかつての輝きを取り戻せるのではないかという淡い期待を持っていた。そして、それと同時に自分に課すハードルが下がってきているのも感じていた。例えば、小学生の時はバスケの試合に出れないという事実があった場合、試合に出るまで努力するというハードルを自分に課すことができた。自分を信じることができたからだ。しかし、中学校の後半からは同じような課題があっても、○○よりは長い時間試合に出れれば良いから、その程度頑張る、というように自分の中でのハードルをどんどん下げていった。自分を信じられなくなったからだ。そうでもしないと、達成できること自体が無くなって、失敗ばかり積み重なって、とても自分を保てないからだ。僕はプライドだけは高いまま、自信を失っていた。

高校2年生の時は毎日が地獄だった。その要因は部活動だ。才能もないのに性懲りも無くバスケ部に入部した。1年生の時はなぜか監督や先輩に可愛がってもらえて、試合には出れなくても楽しかった。しかし、2年生になり、なぜかキャプテンをやることになって、状況は最悪になった。キャプテンがチームで一番うまい必要はない、よく言われる言葉だ。本当にその通りだと思う。でも、それでも試合に全く出られないのは個人的にはきつかった。周りの人に「あいつキャプテンのくせに」とか言われているような気がした。それでも「○○よりはマシだ」と思うことによって、なんとか自分を守っていた。だけど、徐々に○○の数が少なくなっていった。僕はさらに下を探した。そんなメンタル状態でいるうちに自分のプレーができなくなっていった。もともと上手くないけど、その限られた実力の6割くらいしか出せなくなっていた。相対的にチームで必要ない選手になっている気がした。部活がある日の朝目覚めると、「天井が落ちてきて怪我しないかな」と毎回思った。登校中に大型トラックを見かけると「あれに轢かれないかな」と本気で思った。チームに必要のない人間には価値がない、優秀じゃない人間に価値はない、という思考が頭をぐるぐるしていた。

部活を辞めることを決意した。流石にこのままじゃ自分を保てないと判断したからだ。早速監督に伝えにいった。すると「もう少し考えてみろ」と言われた。目的は果たせなかったのになぜか嬉しかった。少しだけだけど必要とされている気がしたからだ。そしてしばらく考えて、マネージャーとしてチームに貢献する道を選んだ。それを伝えに行くと「お前のいないチームは考えられない。」と言ってくれた。本当に嬉しかった。久しぶりに心から笑うことができた気がする。こうして私はマネージャーとなった。

キャプテンとしての重圧と、チームでの競争、体力的にキツい練習から解放されて僕の高校生活は一気に明るいものになった。久々に生まれた正のエネルギーをチームのサポートに当てた。以前よりずっとチームに貢献できているような気がした。また、今までおろそかにしていた学校生活にも力を入れることができるようになった。文化祭や体育祭も充実して取り組むことができた。

高校3年生になった。部活の最後の大会は目標をしっかり達成することができ、最高の形で終えることができた。そして、いよいよ受験勉強だ。僕は地頭が良くないことが分かっていたので、いかに効率よく勉強するかが勝負だった。しかも、ここに来るまでロクに勉強を頑張ってこなかったので相当作戦を練る必要があった。だからまずは勉強の仕方を勉強した。その甲斐もあってか、クラスで最下位レベルだった成績はぐんぐん伸び、クラスで上位の方になった。また、クラスのメンバーにも恵まれた。仲が良かった友達は皆総じて学力が高く、競い合いながら成績を伸ばすことができた。そして何より、そのクラスメイトたちはめちゃくちゃ面白かった。そのおかげで、受験勉強で辛いはずの3年生は俺にとって最高の一年だった。

受験前になっても成績は伸び続けた。俺は久しぶりに自分がすごい人間だということに気づいた。だって、俺より一生懸命頑張っているのに全く成績が伸びてない人たちが多かったからだ。俺は地頭が悪いと思っていたけど案外そうでもないかもしれない。結局今の世の中で一番重要なのは学力だ。バスケが下手でもどうってことはない。どうせプロにもなるわけではないし。俺はバスケが苦手なだけで、世の中全体でみれば価値のある優れた人間なんだ!!

大学入試の結果は合格だった。俺は大きな幸福感を感じていた。この高校で一般入試によって国立に受かったのはほんの十数人だ。また、バスケ部で国立に受かったのは俺だけだ。バスケでは彼らに勝てなかったけど、勉強では勝ったんだ。しかも俺は塾にも行ってない。完全に俺の実力だ。俺はすごいんだ!やっぱりすごかったんだ!!

この時の私は“自分より下を見つけること”で幸せだった。

5.大学生前半の幸せ
 

 なんだよこの飲み会、全然面白くない。なんだこの人たちは。この先輩の何が面白いんだ、なんで笑っているんだ。俺に話振れよ。絶対俺の方が面白いから。絶対俺の方が面白くて、特別な人間なんだから。もしかして、僕はみんなに必要とされてないのか?誰か僕を見て。僕に構って。本当の僕を探して・・・。

センター試験であんなに点数取れた人はこの大学にそんなにいないだろう。だから俺の方がすごい。こんな気持ちを前面に出して、俺の大学生活はスタートした。最初は何もかもうまくいっている気がした。友達はすぐにできたし、今までできたことのなかった彼女もすぐできた。やっぱり俺はすごかったんだ。高校で勉強ばっかりやってきたやつとは違うんだ。俺は自分がすごいことを周りに知らしめたかった。高校の部活の時のようには決してならない。あんな惨めな思いは絶対にしない、そう誓って生活していた。

まず、遊びや飲み会に誘われたことは必ず友達に報告した。自分がこんなにも必要とされているということをアピールしたかったから。お酒はあまり好きじゃなかったけど、たくさん飲んで潰れて、それもみんなに報告した。面白いやつだと思われたかったから。授業のグループワークでは自分の意見を主張し続け、他人の意見は全く聞かなかった。自分が一番優れていると思いたかったから。自分よりイケてないやつには大学での立ち回りをアドバイスをしてやった。自分の方がイケてると知らしめることで安心したかったから。こんなことを続けた結果、僕はだんだん友達が少なくなっていった。

久しぶりに弟を登場させる。弟は高校生になっていた。相変わらず、優しくて、マイペースで不思議な雰囲気を持った弟だ。小学生の時、自分の弟とは思えないほど内向的で友達も少なかったのが、今では学校の人気者らしい。また、部活も高校生の時の僕に比べたらすごく楽しくやれているらしい。失礼な話だが、弟は常に自然体で全く頑張っていないように見える。それなのに、こんなに頑張っている僕よりみんなに慕われて、うまくやっている。なんでなんだろう。ずるいなあ。

大学生になって初めてバイトを始めた。俺はあんなに容量よく成績を上げれたのだから、きっとバイトもすぐに戦力になれる。一緒に入った友達より、ずっと良い仕事ができる。そう思って意欲的にバイトに取り組んだ。結果、このバイト始まって以来のポンコツとしてイジられるようになった。最初は「このバイトが向いてないだけだ」と思っていたが、次のバイト先でもあだ名がポンコツになるほどポンコツぶりを発揮した。僕のプライドはズタズタだった。大学でも活躍できない、バイト先でもみんなに迷惑をかける、僕は他の人に比べてなんでこんなにも劣っているんだ。

誰にも話しかけられない飲み会の途中、ずっと考えている。気づいていた。こんなの本当の僕ではないことに。僕はもっとダサくて、お酒なんて好きじゃなくて、全然面白くなくて、優秀なんかじゃない。でも、こんな僕をきっとみんなはバカにするし、必要としてくれない。何より、みんなより劣っていることに自分自身が耐えられない。それでも自分を偽って、みんなに必要とされるためにこんなにも頑張っているんだ・・・。でも、もはやそれが苦しい。自分でも本当の自分が何なのか、分からなくなってしまった。誰か、本当の僕を見つけてよ・・・。

この時の私は・・・ずっと不幸だった。

6.大学生後半の幸せ

 

 なんで僕はあいつみたいに面白くないんだ。なんで僕はあいつみたいに優しくないんだ。なんで僕はあいつみたいにカッコ良くないんだ。なんで僕はあいつみたいに先輩に誘われないんだ。なんで僕は仕事がみんなよりできないんだ。なんで僕はあいつみたいにオシャレじゃないんだ。なんで僕はあいつみたいに勉強ができないんだ。なんで僕はあいつらみたいに必要とされないんだ・・・。必要とされないのは僕が劣っているからに違いない。必要とされないのは僕がおかしい人間だからだ。必要とされないのは僕がいらない人間だからだ・・・。

 新しい彼女ができた。僕の心はズタズタで少しでも癒しが欲しかった。その子はすごく不思議な雰囲気の持ち主で、常に自然体でいるように見えた。なんだか弟に似ている。全く気は使わないし、空気は読めないし、たまにとんでもない行動をするけど、なんだか彼女といるとすごく気持ちが楽になった。そして彼女と一緒に過ごしているうちに、彼女の前では、自分を偽ることをやめていることに気づいた。

 思い返せば、僕もずっと自分を偽っていたわけではない。仲の良い友達の前で弱音を吐く時なんかは、限りなく偽りのない自分でいられたような気がする。僕は劣っている人間だから、そんな自分を見せていたのが恥ずかしい・・・。

 相変わらずバイト先でもポンコツ呼ばわりだ。何か問題が起こったら「またpか笑」とか言われる。違うのに。以前と違い、自分が、仕事ができる、優秀だと思うのはやめた。あまりにも仕事ができないので、最初からどうせ僕だからと思ったほうが楽だ。傷つくのを最小限に抑えられる。そして、何より自分を偽らなくてすむので、すごく楽だ。実は最近このバイト先の居心地がすごく良い。

 優れていなければ誰も必要としてくれない。劣っていれば誰も一緒にいてくれない。だから自分を偽る。身の丈に合わないのはわかっていても、頑張る。でも、それはとても苦しい。本当の自分じゃないから。でもそうしないと誰も必要としてくれない・・・・のか??
本当にそうか?。今の彼女の前では自分を偽っていない。でも、ずっと一緒にいてくれる。仲の良い友達は?。友達がどんどんいなくなっていくなか、今もずっと一緒にいてくれる。一緒に遊んでくれる。バイト先の人たちは?。こんな仕事ができない僕を見放すどころか、たくさん話しかけてくれたり、飲みに連れて行ってくれたりする。自分を大きく見せようと自分を偽っていた時には人は離れていき、限りなく素でいる時には人は離れていかない。よく考えたら、弟や今の彼女も常に自然体に見える。それなのに、みんなに好かれている。慕われている。これが意味するのは・・・自分を大きく見せる必要なんてないってことなのか・・・?。優れている人と比較して、そういう人たちになろうと思わなくて良いのか?。僕は僕でいて良いのか?。仮にそうであるなら、いちいち自分より上を見つけて劣等感を抱かなくて良い。反対に下を見つけて安心する必要もない。人と比べさえしなければ、きっと本当の自分でいられるだろう。素の自分が受け入れられるかはまだまだ不安だが、やってみよう。彼女や弟のような自然体を目指してみよう。

 この時の私は・・・“他人と比較すること”をやめた。


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