温泉で子どもがはしゃぎまくってたお話〜子どもに不寛容な社会〜
○あいさつ
おはようございます!最近、「お前、本当に4月から教壇に立てるのか??」と自問自答を繰り返し、不安な夜を過ごしがちなT.Puです!
さて(笑)
一昨日、温泉に行ったんですね。温泉と言っても、湯船の種類がたくさんあり、サウナも何種類かある、スーパー銭湯的な施設と言ったほうがイメージしやすいかもしれません。
その温泉、日曜だったからってのもあって、すごく人が多かったんです。
そんな人でごったがえす温泉では、お湯が地面に打ち付けられる音、ドアの開閉音、桶を地面に置いた時のあの音、ジャクジーのぶくぶく音、そして・・・子供たちが「きゃっきゃ」と騒ぐ音が響いています。
それらの音の中でも子供たちの声が一番響いています。そして、子供たち、めちゃくちゃ走り回っています。何回もこけながら、でも頭は打たない絶妙なボディーバランスで、コケては走りを繰り返しています。
周りの大人は笑って見ています。誰も注意しようとしません。そんな雰囲気だから、完全に子どもにとって無法地帯と化しています。どんどん子供の声は大きくなり、コケる頻度も多くなっていきます。
それでもみんな何も言わず、静かに見守ります。時には「元気だね〜」、とか「何歳〜?」と話しかけている人もいます。子供の父親だけが申し訳なさそうに子供たちをなだめています。
私はこの光景を見て、
「最高かよ😿」
って思いました。
○子どもに寛容な雰囲気
「満員電車にベビーカーで乗るな!」
『この公園ではボールを使ってはいけません』
「しつけがなっていない」
「親のくせに・・・」
こんな言葉や標識が日本中に溢れている中で、一昨日行った温泉の雰囲気は、子どもに寛容な雰囲気そのものでした。
誰も怒鳴ったり、睨みつけたりすることはなく、その場にいた大人全員が「元気だな(笑)」、「頭打たないかな?大丈夫かな?」といった表情で優しく子供たちを見守っていました。
これが、本来あるべき教育の姿なんじゃないかと思いました。
教育とは何も保護者や先生だけがするものではありません。子どもは社会全体が一丸となって育てていく必要があるものです。
○日本の現状
今の日本はどうでしょうか?
地域コミュニティが希薄化し、大人たちは自分たちの暮らしでいっぱいいっぱい。他人の子供なんて見ている余裕はない。
だから、子どもが問題を起こすと真っ先に責められるのは親、そして先生です。
その結果、親は「完璧な子育てを夫婦だけでしなくてはならない」、という風潮の中で何が正解かもわからないまま、不安を感じながら孤軍奮闘を強いられます。
先生は責任を恐れ、教育活動は萎縮し、思い切った取り組みをしにくくなります。その結果、学校はいつまで経っても前時代的なままです。
言うまでもなく、この風潮による一番の被害者は子供達です。
親や先生が萎縮してしまうから、のびのびと自分らしく過ごすことができない。その過程で育っていくはずだった能力や個性は当然育たない。その結果生まれるのは、逸脱しないように個性を殺して生きる同じような子供達・・・。
「自分を殺して生きる」ことは最もコスパよく不幸になれる方法だと思っています。
つまり、子供たちへの不寛容は「不幸になりやすい子供たちの大量生産」を手伝っているんです。
言い過ぎですか?論理の飛躍が起きていますか?
いえ、決してそんなことはないと思います・・・。
○子どもに寛容な社会を築いていくために
何よりも教育への理解度、関心度を上げることが重要だと思います。
私は教育学部生なので教育への知識を身につけることができました。そうじゃなかったらどうだったでしょう。温泉で騒ぐ子供を睨め付ける大人になっていたかもしれません。
これからも分かるように、大事なのは教育に対する知識、そして理解だと思います。子どもが嫌いでも構いません。知識さえあれば子供を社会全体で育てる重要性が理解でき、少なくとも子どもに不寛容な態度を取ることはなくなるでしょう。
これを踏まえて、私は「教育」を義務教育における必修科目にするべきだとさえ思っています。
教育とは言わば「未来を作る営み」です。
子どもは未来であり、未来は希望であり、希望は人の生きる意味そのものだと思います。
そんな大事な「教育」を教育学部生だけが学ぶのは、非常に勿体無いと思いませんか?
とは言え・・・、私に国の体制を変えるような力は当然ありませんし、現実的ではないですよね・・・。出馬・・・??
だから、少しでも多くの人に、私が学んだ教育に関する知識や経験が届けばなって思います!
また偏った考えの記事になってしまいましたが、ここまで読んでくれてありとうございました。たくさんの人からのご意見や感想をお待ちしています!
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