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花束の代わりに

 革靴の中、つま先のところのほんの少しの隙間がやけに冷たく感じて、氷につま先を押し付けて歩いているような、とにかく寒さが足元から上がってくる夜だ。
 いつもより少し早く仕事を片付けた僕はコートの襟を立ててバス停へと歩いた。
 今夜はこれから酒を飲むから、クルマは置いてきた。
 ああ、こんなに寒くなるなんて。春遠からじという表現を反語として使うしゃれた言い回しはないものかと思った。
 木曜日の夜の7時、クルマの量が今日は少なく感じる。 最近、小奇麗に施工し直されたバス停には他にバスを待つ人はいない。 運賃の小銭を財布から出して、コートのポケットに入れようとしても、北風が冷たくて手間取ってしまい、タバコに火をつけるのもうまくいかない。昨日はあんなに暖かかったのに。

 ほどなくバスが来た。乗客は5~6人。経営はだいじょうぶか?

 目的のバス停に到着してスーパーマーケットが入ったターミナルビルの地下に階段で降りて連絡通路と改札を抜けて地下鉄のホームへ進んだ。なんだか今日はクルマの量も人の量も少ない気がする。ホームに人影もまばら。やっぱり今日は気温こそそれほど低くないけど、北風が強く吹いているから、体感温度がとても低く感じられる。 だからみんな早く帰ったか、もしくはどこか暖かい場所で落ち着いてしまっているのかもしれない。この時間の地下鉄に乗って座れるなんて、と、思った。

 繁華街の駅はそれなりに人が多かった。目的の出口を目指して人の流れに乗って歩いた。地上へあがるとやっぱり風が冷たいし、人もクルマも少なめだった。
 待ち合わせの場所をシティホテルのロビーにしておいたのは正解だった。
 そのホテルのフロントロビーには柔らかくて広く使えるソファーがあり、建物の2階にあるから、たとえば人の出入りのたびに開く自動ドアから冷気や風が入ってくるということがない。適度に効いた暖房と柔らかいソファーは、多少の遅刻も許してしまえる。
 エスカレーターで2階に上がり、ロビーに入ると彼がいた。ちょっとだけでも先に着いて、あの座り心地のいいソファにかけたかったなあ。腕時計を見ると、ジャスト7時30分。スーツの上にコートを着たままソファーから立ち上がり爽やかな笑顔を見せた。

 やあ、と右手を自分の顔の横まであげた僕は歩み寄ってきた彼と握手をした。

「どうも、ごぶさたしております!お元気そうで何よりです」

 彼は、かつて僕の仕事のアシスタントをしていた。 年齢は僕の1周り年下で、今年29才になる。

「そっちも元気そうだね。すっかり一人前の顔つきだな」

「いえいえ、まだまだです。よかったんですか?今日は。お忙しかったんじゃ」

「大丈夫、先週末にプレゼン1っこ通ったし、だから堂々と定時退社(笑)」

「おめでとうございます。じゃあ、よかったです」

「いこうか」

 大学生の頃にアルバイトのアシスタント・ディレクターとして僕についていた男で在学中の4年間、かなりの本数の仕事を一緒にこなしてきた。
 僕の仕事は、いわゆるイベントという手段で集客動員を図り、販売促進や宣伝などの拡大を推進するという企画と制作だ。学生の割りに腰が据わっていて、礼儀正しくて声が大きいから、取引先や得意先の担当者や、一般のアルバイトスタッフに受けがよく、彼が大学生のアルバイトだと言うと、誰もが驚いたものだ。 父親を早く亡くした彼は僕を兄貴的に慕ってくれていて、適度に女好きなところもあって、だから、仕事が終わった後なんかに、「人生を楽しむための男塾」とかなんとか言って、彼や他のスタッフたちとよく遊び歩いたりしたものだ。

 彼が大学3年の時、進路についての相談を受けた僕は、そのまま正社員として迎えることができるという選択肢を提示したが、すぐにそれを引っ込めた。一緒に仕事をするチャンスはまだまだ先にあるはずだから、学生のときからずっとウチの仕事とウチの仕事のやり方しか知らない彼に、外の世界を経験させた方がよいと考えたからだ。
 僕の提案に、彼は広告代理店に就職したいという答えを出した。業界関係の知り合いに頼んで、会社訪問やOB訪問枠を利用させてもらって、彼の就職を後押ししたが、彼は実力と努力で、ちゃんと希望通りの進路に就くことができた。
 早いタイミングで就職が内定した彼にとって、学生時代最後の夏休み、他の学生スタッフが相変わらず就職活動に精を出したり、ここぞとばかりに遊びまわっている中、彼はたくさんの現場を経験したいと申し出てきて、だからめいっぱい仕事をしてもらった。 かなり忙しく、内容も複雑で高度な仕事が多い年だった。その年の夏の終わりに、お疲れ様の気持ちを込めて、そして内定祝いと称して2人で飲みに行った。
 22歳の彼は、まだそれほど酒が飲めず、だから酒の種類に関する知識もほとんどないに等しい状態だった。 僕も若い頃は酒は弱かったけれど、先輩たちに鍛えられていくうちに飲めるようになって、おいしい酒の存在を知ってからは自分で店を開拓するようになった。 その日彼を連れて行ったのは、その中の1つで、ワインとシーフードが楽しめるレストランバーだった。カウンターとテーブル席、個室などがある落ち着いた店内と、ソムリエ、バーテンダー、ギャルソン、マネージャーなどがいる店に、当時の彼は緊張した。 かくいう僕だって、彼の年齢のときにここへ連れてこられたら同じように緊張したと思う。
 内装も雰囲気も落ち着いていてスタッフもみなちゃんとしているけど、実はとてもフレンドリーで、料金だって良心的だから、気に入ればとてもリラックスして楽しい時間を過ごすことができる店だ、と僕は思っている。その夜はフランス、イタリア、スペイン、ドイツのワインを飲みながら、いろんな話をした。
 結構まじめな話をしていたと思う。人生とは仕事とは男とは女とは、みたいな。

「ここ、使ってもいいからな」

彼はほんとうに嬉しそうに

「じゃあ、もしも僕が女性といても、そのときは無視してくださいね。僕も無視しますから」

 僕らは笑いあった。

 あれから8年。
 その間にも何度か現場や出先で偶然会ったりして立ち話をしたり、電話をしたり、年賀状のやり取りはあったが、“近々飲みましょう!”とか“今度誘うから”という常套句だけで、こうしてゆっくり会うことがなかった。彼がここ5年ほど携わっていた大きな仕事が昨年末にようやく一段落したらしくて上司から年明けからの2カ月はゆっくりしてよいと言われたらしい。 ずっと突っ走ってきた彼は、ぽっかり空いた時間にいろいろなことを考えたらしく学生のときのことや、自分の彼女のこと、家族のこと、将来のこと。 そしたら、僕に会いたくなったらしく、先週のアタマに電話をかけてきた。 僕もちょうど時間が空く頃だったから、今回は“ちゃんと”約束して、男二人だし居酒屋とかがいいかなと思っていたんだけど、8年前に彼をこの店につれてきたことを思い出して、今日の夕方予約をしたのだ。僕にとっても彼は弟のような存在だった。

「使ってるか?」

「2度ほど使わせていただきました」

「彼女?」

「いえ」

「なるほど」

 待ち合わせたホテルと、この店は、実は隣同士で、だからロビーから出て、エスカレーターで地上に降りて、隣の階段を使って2階に上がれば、もう店だ。顔見知りのギャルソンヌが出迎えてくれた。

「めずらしいですね、男性同士だなんて」

「そう、僕はどっちもOKだからね」

 彼女は笑いながら僕らをテーブルに案内してくれた。勧められたイタリアのシャンパン、コルドンルージュでまずは乾杯だ。

「皆さんお元気ですか?」

「うん、今日会うって言ったら、みんなも来たがったけど、リハーサル入ってて、だから、今度またみんなで一緒に飲もうって言っといた」

「そうですか、じゃあ、またぜひ」

 スモークド・チキン、ポテトフライのフレンチ・ドレッシング和え、カマンベールチーズの味噌漬け、セル牡蠣のブルゴーニュ風グラタン。僕はワインはたいてい白だ。赤も時々飲むけど、フルボディはあまり好きではない。

「鍛えられたみたいだな。昔はビール1杯で真っ赤だったもんな」

「いろんなこと、鍛えられましたよ。特に局関係の方々には」

「白?赤?」

 ワインリストを見ながら彼に好みを聞いてみた。

「いや、合わせますよ」

 彼は昔からそうだ。僕に対しては、食事にしてもなんにしても、まずは僕に合わせると言う。

「いいよ、もう、合わせなくても、大人なんだからさ(笑)」

「あ、いえ、すみません。じゃあ、白で」

「じゃ、これ頼もう」

 ブルゴーニュの辛口の白、プイィ・ロッシュをオーダーした。

 料理もワインも美味しかった。

「で、どうよ?がんばってる?」

「はい、楽しくやってます」

「結婚でもするのか?」

「え?なんでですか?」

「だってさあ、久しぶりにお前が誘ってくれたわけだし、ありゃ?もしかしたら披露宴で挨拶かなんかしろっていう依頼かな?とか、思っちゃってさ」

「しませんよ、ってか、わかれちゃいまして」

「まじで?」

彼の付き合っていた女性は、彼の高校時代の同級生で、僕も何度か会ったことがある。

「いつ?」

「2年前です。浮気がばれまして」

「ははは、まじか?やるなあ、お前、で、その理由はホントなの?」

「いや、まあ、それも1つなんですが、なんかこう、ときめかなくなっちゃったっていうか、なんか惰性で付き合ってるみたいになっちゃって、僕もやっぱり無意識に業界的なノリになってたみたいで、彼女はご存知の通り、銀行員だしなんだかんだ言って、やっぱり時間の感覚も世の中の動きとかに対する考え方も、とにかくいろんなことにどうしてもギャップができちゃって、で、コッチも、ま、最近はないですけど、合コンだのなんだのとか、局の営業の方たちに風俗とか付き合わされて、そしたら、目くるめく世界なわけですよ(笑)
 ある日、思い切って、自分はこんなことしてる男だと、だから謝って、それで別れようって切り出したんですよ」

「なるほどね」

「その時に、彼女、言うわけです。
 それでも私は、あなたと結婚したいって、正直重くて、今でも、それ思い出すと、重いですもん。 だから、ほら、2年前に、あれはどっかの展示会かなんかでしたっけ?そこで会いましたよね、あの直後ですよ、わかれたのは」

「あの時は一緒だったよな、彼女と」

「ええ、だから、ほんと、あの直後です」

「ふ~ん、で、いまは?」

「ええ、おかげさまで」

「やるなあ、ってか、やった?」

「ははは」

「1年半とか?」

「なんでわかるんですか?」

「なんとなく」

「司会の仕事やってて、3つ下なんですけどね、結構ふりまわされています」

 彼は母親と祖母、姉と、女の中で育ったから、最初は優等生タイプのものわかりのいい同級生を彼女として選んだのだろう。そしてそれはうまくいっていたけど社会に出て、精神的に自立した彼にとっては、安心感だけではない別の恋愛対象を求めたのだろう。だから、ふりまわされたりすることが嬉しかったりするわけで、男とはそんなもんだ。

「この前、僕はオフで、彼女は渥美半島のゴルフ場で、企業のコンペの表彰式の司会の仕事が入っていて、ドライブを兼ねて送り迎えをしたんですね。本番の最中は2時間くらい、僕はすることがないから、一人で恋路が浜とか行ったりして、昔の彼女と学生のときに電車と船を乗り継いで夏に来たことがあって、そういうこと思い出したりしてたんですよ。で、やっぱり彼女には幸せな結婚してほしいなとか。高校の時の同級生で家も近所だから駅が同じだし、出勤の時や帰りの時に駅で見かけたりするわけで、声かけたり、挨拶したりとかはないんですけど、お互い。だけど、ああ、元気そうだなとか、そんなこと考えてたりして、別に元に戻りたいとか全然思わないんですけど、初めて一緒に見た映画だとか、そういうのってすごく美化して思い出にしちゃってるなあって自分でも思うんですけど、男って、ほんと、馬鹿ですよね」

「忘れないんだよな、そういうのって つーかさ、そう思ってる自分に恋しちゃってるみたいな(笑)」

「ありますよね」

「ないよ」

「さすが」

「うそ、あるよ」

 プイィ・ロッシュは、とても口当たりが良くて、すっきりしているから、僕らは2杯3杯とおかわりをした。牡蠣のグラタンの皿に残ったオリーブオイルを薄くスライスしたバケットですくって食べると美味しいとギャルソンヌに教えられてやってみた。
 美味い!

「じゃあこの1~2年はいろんな意味で転機なのかな?仕事ももうじき新しいの始まるんだろ?」

「ええ、来月になったら、こうしてゆっくりお会いしてなんてできないとおもいます」

「がんばってきたもんな。いろいろ充実してて、よかったな」

「学生のときにいろいろ学ばせてくれて、鍛えてくださったお陰です」

「どうでもいいようなことばっかだったけどな」

「いや、ほんとうに、感謝しています」

「お世辞でもそう言ってもらうと、嬉しいよ」

「本心ですよ。これからもよろしくお願いします」

「こちらこそ、あれ?ちょっとごめん」

 僕の胸ポケットの携帯が振動している。誰だ?

「はい、もしもし、ああ、どうも、お疲れ様です。お世話になります」

 取引先の社長だったから彼に断って席を立ち、店の中ほどにある電話ブースに入った。再来週のイベントの現場の演出プランに詰まったらしくアイディアが欲しいという相談だった。こういうのは無責任なアイディアのほうが思考が流れ出すきっかけになるから適当に思い付きを伝えたら、案の定「それだ!」とか言っちゃって、とにかく用件はいとも簡単に済んだから、僕はついでにトイレに寄ってからテーブルに戻った。

「お忙しそうですね。よかったんですか?今日」

「気にするな。大丈夫。終わったから」

「昔つれてきていただいた時はまだワインなんてわからなかったですし、料理も、美味しいのはわかるけど、味わうって感じじゃなかったし、むしろ量!みたいな、若かったし、女性を連れて来た時も、ただこう、カッコよけりゃいいみたいな、あくまで落とすためのプロセスでしかないって感じだったし、でも、今こうやってご一緒させていただいて、仕事とか女のこととかお話しながら、味わうって言うんですか?、ジャズピアノなんて、あの頃は気づきもしなかったし、なんか今一人でここに座っていたら、ああ、ようやくここに来れたって、こう、ジーンとしてきてですね、なんか嬉しいです」

「人生を楽しんでいるって感じ?」

「そう、ほんと、そうです。人生を楽しむって意味が少しわかりましたよ」

「だろ?」

「その分、ちゃんと努力したり苦労したりなさってるわけですよね」

「してるよ」

「ですよね」

「しろ」

「はい」

 僕らのグラスに4杯目のプイィ・ロッシュが注がれた時、また僕の携帯電話が震えだした。

 佐藤友香

「彼女ですか?」

「ちょっと失礼」

 僕はまた席を立って、電話ブースに向かいながら通話ボタンを押した。

「やあ」

「もーしもーし、こんばんはー」

「こんばんは」

「昼間お電話いただいたのに、出られなくてごめんなさい」

「いやいや」

 今日の昼間、僕は彼女の携帯に電話をかけた。呼び出し音に続いて留守電に切り替わったからメッセージを残さずに切った。着信履歴が残るだろうし、それを見てあとでかけ直してくると思ったからだ。

「今週末だったよな」

「そうー、もう全然間に合ってないんだけどさ。手伝う?うそうそ(笑) 手紙も出さなきゃとか、でもプリントする紙とかないじゃん!みたいな」

「あいかわらずだな」

「なに?もしかして例のあれ、やってくれるのかな?」

「え?ああ、あれ、そう、だからさ、当日行けそうもないんだよ、っていうか、今日昼間思い出して、そう言えば今週の日曜日だったよなって。で、忘れないうちに電話で直接伝えておこうって思ってね。

 おめでとう。
 しあわせになってください」

「どうもありがとうございます。しあわせになれるでしょうか?(笑)
 な~んだぁ、内心楽しみにしてたんだけどな、薔薇100本の花束(笑)」

「代わりにお祝いを贈るよ。旅行は落ち着いてから行くんだろ?じゃ、今週とか、来週送っても受け取れるよな。新居の住所をメールしといてくれよ」

「OK、じゃ、今夜送る。すぐ送る(笑)」

「その住所を頼りに、ある日の昼下がりに突然押しかけよう(笑)」

「待ってるわ(笑)」

「いま何しているの?」

「もう、あらゆること。ほんと全然準備間に合わないし、そんなんなのにねー私、土曜日に仕事するらしくて、信じられる?」

「君らしい」

「前日だけど大丈夫?って聞かれて、大丈夫ですって言っちゃって」

「大丈夫でしょ」

「むこうの家族とか、あきれていると思う」

「いいじゃん、期待するなって事前に表明できてさ(笑)」

「だあね。そっちは?」

「飲んでる」

「お楽しみ?」

「いや、男二人で。こい」

「行っちゃおうかな・・・って、むりむり。落ち着いたらまた誘います」

「そうしてくれ。 じゃ、とにかく、あと2日か?がんばってのりきってください。 メールしろよ。 ご結婚、心からお祝い申し上げます。おめでとう。 当日は行けなくてごめん」

「わざわざありがとう。嬉しかったわ、じゃあ、引き続きお楽しみ下さい」

電話が終わって、僕はテーブルに戻った。

「お忙しそうですね」

「おかげさまで」

「よかったんですか、ほんとに」

「うん?なにが?なんか注文しよう、2品選んでくれ」

「はい、じゃあ~、ええと、ぺペロンチーノとサラダでいいですか?」

「いいね」

 僕らのグラスに5杯目のプイィ・ロッシュが注がれた。電話のことについて聞きたがってにやにやしている彼に、相手の素性についてと、話してた用件について説明した。

「なんか、いいですね、そういうの、憧れちゃうなあ、ほんと」

「いいなあって思ったことを、普通にすればいいのさ」

「う~ん、ですね、ですよね!そうですよね!」

「うん、普通じゃん。友達が結婚するからお祝いの電話をしただけだから」

「はい」

「そういうこと」

「はい」

「僕を反面教師に、いい人生にしていってくれ」

「はい(笑)」

 パスタとサラダが運ばれてきた。この店のパスタは、実は絶品だ。にんにくと鷹の爪とオリーブオイルがからまった細めのパスタ自体の美味さをああでもないこうでもないと褒めていたら、他の客が少しずつ帰りだして手空きになったマネージャーが僕らのテーブルに挨拶にやってきた。
 今夜お客様が飲まれましたワインはブルゴーニュのうんぬんかんぬん・・・。
 へえとか、ほうほうとか相槌を打ちながら楽しい時間は終わった。このマネージャーの語り口調が独特で、僕は彼のこの最後のスピーチがいつも楽しみだったりする。

「じゃ、いこうか」

「はい」

 僕らはテーブルで会計を済ませてコートを着た。僕はこの店の会員なので20%オフになる。一応合計金額を6:4で割り勘にした。一応、6が僕だ。

 ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。これは今月のプレゼントのシャンパングラスです。どうぞお荷物になりますがお持ち帰り下さい。という見送りを受けながら僕らは冷たい北風が吹く店の外へ出て歩道を歩いた。タクシーで車道が埋まっている。

「今夜はどうもありがとうございました。 楽しかったし美味しかったです。またぜひご一緒させてください」

「うん、誘ってくれてありがとう。楽しい酒が飲めたよ。 じゃ、がんばって、またいつか一緒に仕事して、美味い酒飲もう」

「ありがとうございます!よろしくお願いします!がんばります!」

「うん、そっち?こっち? 僕はこっちだから、じゃ、また」

「お疲れ様でした。ご馳走様でした。失礼します」

 彼に手を振って別れて僕はしばらく通りを歩いた。酔った体に、今は北風が心地よい。 熱いコーヒーが飲みたくなったけど、このあたりでコーヒーを飲める店はほとんど閉まっている。自動販売機で缶コーヒーを買おうかとも思ったが、やめた。コーヒーならなんでもいいから飲みたいってのとは違う。 でも仮に、今ここに古いソウルかR&BがBGMの小さなカフェかなんかがあったら、今夜の締め括りは、あまりにも陳腐だなと、一人でにやけながらタクシーに乗り込んだ。


(2003/02/22 記)
これを書いた当時、この夜の2日後に嫁に行く友人に贈りました)

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