高校の話①「ファッションショーと服飾部」

 皆んな高校の話が好きらしい。
ちょっとした話を数回に分けて書いていこうと思う。

①ファッションショーと服飾部

 またファッションショーの話を少ししよう。
 高校だからファッションショーは、というより、行事全体は全て生徒が主体となって運営するのであって、つまりファッションショーは服飾部が全ての運営をするわけだが、この服飾部というものが、いわゆるイロモノ集団であった。
 どの部員も、それぞれ独自な美的感覚、世界観を持っていて、それを表現することに長けた人達であった。(我々モデルは、この異色な服飾部員に恐れたり、驚いたり、面白がったりするのも仕事の一つであった)
 この異彩や技量は無論彼女たちが作る服に顕現する訳であるが、文化祭当日に彼女たちが着る服飾部のTシャツにも、堂々たる服飾部の感じを漂っていた。前述した通り普通の生徒らは皆クラスTシャツを着るからである。彼女らは文化祭寸前にこのTシャツを切ったり編んだりして更に尖ったものにしていくのが通例であったが、私が3年生の頃にはちょっと事件が起きた。

 何故そうなったか覚えていないが、文化祭当日にそのTシャツが業者から届かないという危機になったのだ。朝から大慌てして、部員の一人が電話で何度も確認していたのを記憶している。
 いよいよ本日中に届かないかもしれないとなったときに、一人のSさんという部員が泣き出した。涙は多分、Tシャツだけのためではなくて、本番前に重なった多大な疲労や緊張からも来ていただろうと思う。
 私はその一菊の涙を同じ教室の近くで見ていたのだが、何ともいたたまれなくなったのを覚えている。声を掛けてやらなきゃならないほど深刻な感じがしたのだ。私は彼女達と接する機会が少なく無かったし、今迄の尋常では無い努力を理解していたからこそ、どうしようもなく同じ様な悲しさに包まれた。遂に私が慰めた記憶はないのだから全く不甲斐ないが、その後には無事にTシャツが届いたのがこの罪悪感への唯一の救いである。

 似た罪悪感は二年生の時にも感じた。私が春のショーで和装を着た時のことである。
 その時には初めて同期のHさんと接触して、数週間前からHさんと二人で練習をしはじめた。私一人しか出演しないシーンだから二人である。
 確かHさんのクラスの男子と美術の授業が一緒で、彼らが酷く五月蝿いだとかの話をしていたのだが、私はどうにも上手く会話ができなかった。女性とのサシの対面だからとか、そういう事もあるが、純粋に未熟で、会話が滑らかに進まないのだ。四肢に鳥肌が立つような喋りにくさと、またHさんも同じように感じているだろうという念がふつふつとした。証拠にHさんの目はふらふらするし、手も何だか変に動くし、奇妙な間も多い。こんなぎこちない空気でシーンの練習をしたあと、私は一人で歩いて帰るのだが、私は彼女に申し訳なく思うのと同時に、非常に情けなくなった。どうして人と上手く話せんのだろうと思った。
 同じ感覚はまだ挙がる。別の日の練習でも、三人いて、私一人だけ、会話に入れずに黙っていたことがあったのだが、これも何だか凄く情けなかった。打ち上げもそうである。ファッションショーの打ち上げなどは、まったく良く出来た人間の集いである。頭もいい。自信もある。私は大いに振る舞いに困ったものだ。
 高校だけでなく大学でも、4月くらいに出店のポスターを皆んなで作っている時に、無言の私に同じ事を思った。必竟まるで成長していないのである。

 Tシャツ事件に戻ろう。
 とかくに、文化祭の本番一週間前あたりは服飾部の精神が困憊してきて、何やらおかしな感じになるのだ。だから泣くし、事件も起こる。
 3年の時分の光る服なんぞはかなり大変だったと思われ、当時は流石の私にもその苛立ちや緊迫が伝わってきた。私も大役を仰せ使って、ある程度は緊張していたのだろうが、被覆室で、服飾部三年の多くとともに採寸をされていて、小さなYさんに丁度首の採寸をされていた時に、そのYさんにふと、
 「今なら俺を殺せるよ」と言ったことがある。
 そもそも私は、健気で大人しくて、大真面目な小さい女性を見るとふざけてからかいたくなる性質があるのだが、今になって回想すると変な話である。ただ、普段は大人しいYさんが、疲労と緊張で豹変して、巻尺で絞殺して来なくて良かったと思う。絞殺されていれば、私の服は光らなかった事だろう。そういえば、あの時のステージは三年間のうちで最も平らで歩きやすかった。余程本部の人間が丁寧に準備してくれたと見える。非常に感謝している。
(余談であるが、採寸といえば、女の子複数人に、身体中を巻尺で、殊に腰あたりを腕を回して採寸されている時などが、ショーを通して一番なんとも言えない気分だった!)
 
 上述の通り本番前には様々な苦労や激動があるのだが、本番になってしまうと、もう押し切るしかなくなる。部員の人たちは、始まってしまえばもう見守る事しか出来ないのだ。
 本番でようやくモデルは辛くなる。あの暑い舞台袖に詰め込まれて、すぐに緊張の渦に飲み込まれる。そうして白い幕の前に来て、曲の拍を数える時に、緊張がもはや感じられなくなるほど気分が高揚してくるわけだが、私は一度、この白い幕の前で拍を数えて待っているモデルの女性に話しかけてしまったことがある。二年生の時の同じシーンのYさんであるが、しかも
 「おれ変なとこ無いよね?」
という、全くどうでもいい服と髪の細部の質問をしてしまった。記憶では、Yさんは結構難しいタイミングで幕から出る筈だった。あの時たぶん、拍を数えながら話しかけられて、相当神経に応えただろうが、しっかりと応答してくれたYさんには甚だ申し訳ない気持ちで一杯である。

 それからショーが終わったあと気分が良いのは、服を倉庫で普段着に着替えて、体育館の外に出る瞬間である。ああ終わったという感じがする。それから被覆室へ向かう前には、外にいる知人に労ってもらうためにも、モデルはちょっと大げさに外へ出るものなのだ。

 また、服飾部の顧問のN先生がこれまた素晴らしい人で、私が二年次にN先生が担任するくらすになった時には大いに仲良くしてくれた。無論家庭科の教師で、最後の授業では日本の家庭科を変えたいという野望を語ってくれたが、今どうなっているかは知らん。
 ある時友人がDIYで作ったキッチンに、足を置く空間が無いと文句をつけていた。私が一人暮らしをするというと、まるで母見たように「お母さんが悲しむよう」と言ってきた。それから被服室の奥にある彼女の冷蔵庫は汚かった。最近同窓会で再会したが、私が冷蔵庫を開けて以来、あの冷蔵庫の中は綺麗にするようにしているらしい。いつかその真偽を確かめに行かなくてはならない。多分N先生が、日本の家庭科を変えた頃である。

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