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経営危機から再生へ、日立が取り組み続けた改革の軌跡『日立の壁』

今回は、『日立の壁』をピックアップします。

企業で働いている方なら誰しも、組織の壁、歴史や伝統の壁、メンツの壁など、社内に存在する様々な「壁」を感じたことがあるのではないでしょうか。
大企業ならなおさらのこと。その中でもとりわけ、日立の壁は高く厳しいものでした。

言い訳文化、事なかれ主義、縦割り組織、先送り体質、忖度……。本書は、前CEO・東原敏昭氏が6年間で、経営チームとともに 日立をどのようなアイデアで改革し、大企業病から脱却させ、成長させることができた のか。それをつぶさに記録した1冊です。

現場力で「大企業病」に立ち向かい、壁を壊せーー。

日立製作所は、製造業史上最大の赤字(当時)を出した2009年3月期に経営を引き継いだ川村隆・元会長と、故中西宏明・前会長の大胆な経営改革により、2012年3月期に過去最高の当期利益を達成し、V字回復を果たしました。

彼らの大胆な経営改革の1つに、カンパニー制の導入がありました。社内の各事業部門を、1つの法人としてみなすやり方です。健全な経営のためには、不採算や低収益事業の整理・撤退が必要だったはずですが、歴史や伝統、メンツといったしがらみに縛られ、改革は先送りされ続けていました。

そうした中、社内には 「自分の事業で赤字を出しても、稼ぎ頭の事業が帳尻を合わせてくれるから心配ない」というような、もたれ合いの意識 がいつしかはびこるようになっていました。これが「大企業病」です。

そこで著者である東原社長(当時)は、 カンパニー制を廃し、すべての事業を社長の直轄とし、社長自らがハンズオンでマネジメントするビジネスユニット(BU)制に移行させることにしたのです。すべての事業を社長直轄にすることで、あらゆる縦割りの壁をたたき壊すことを目指したのです。

社会人としての原点で受けた、生涯の支えとなる訓示

東原氏が日立製作所に入社したのは1977年、研修後は日立市にある大みか工場に配属されました。当時の大みか工場は、独自の文化を作っていこうという活力にあふれており、そこで当時の工場長であった伊沢省二さんから受けた訓示が、その後の彼の仕事に対する、大きな支柱となりました。

「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、 人間、うまれてきたかいがないじゃないか」

それは、山本有三の『路傍の石』の一節を引いた訓示であり、 人生の大半の時間を仕事に費やすなら、仕事の中で自分を成長させ、生きがいを見つけなさい 、という趣旨でした。

「仕事を生きがいとし、仕事の中で成長する」という考えを人生の軸に据え、「なんでもやってみようの精神」で、与えられた仕事やチャンスはどんなことでも興味を持って、チャレンジする。こうした信念を持ち続けていたからこそ、東原氏は数々の壁を壊し続け、不可能だと思えたV字回復を成し遂げられたのです。

変化を恐れず変わり続けていく勇気を持つ

日立は6年間でどのようにして「大企業病」を脱却し、グローバル企業に生まれ変わったのか、本書では経営改革の中身だけでなく、著者の仕事に対する情熱や信念も多く記されています。

創業100年を超える企業であっても、社会に必要とされなければ生き残ってはいけません。
ますます複雑化する社会課題に貢献する企業であり続ける。そのためには、変化を恐れず、変わり続けていく勇気が必須です。

「第9章 未来の日立のために」より

本書を読んで、あなたの周りにある「壁」をたたき壊すためのヒントを手にしてみませんか?


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