『ゲンロン4』 「平成批評の諸問題 2001-2016」を読む

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 3回シリーズの第3回である〉

 『ゲンロン』第4号(2016年4月刊)に掲載された東浩紀・市川真人・大澤聡・さやわか・佐々木敦による座談会を、熟読する座談会のテープ起こしである。こちらの(第3回)座談会は2017年6月18日におこなわれた。
 2016年7月から2017年12月までやっていた「web版『人民の敵』」のコンテンツとして、2017年9月に公開したが、すでに閲覧できない状況となっているようなので、ここで改めて公開し直す。東らの座談会は3回にわたっておこなわれ、こちらも律儀に3回の座談会をおこなった。
 東らの座談会は、その後、『現代日本の批評 1975-2001』および『現代日本の批評 2001-2016』として単行本化されている。こちらの座談会は、その単行本版ではなく初出の『ゲンロン』掲載版を使っているので、東らの発言を引用する際に付した「○○ページ」というのもすべて『ゲンロン』掲載版の数字である。現在では単行本版で読む者が多かろうから、面倒ではあるが、いずれ単行本版を入手して修正をほどこすつもりだ。
 通常やっている太字化などの装飾作業は、あまりにも長いコンテンツなので、冒頭の座談会主旨説明などの部分を除いて、基本的に放棄する。
 もともと「web版『人民の敵』」で無料公開したものである上に、これを読んで“外山界隈”の批評集団としての力量に今さら気づいたという怠惰な言論人も結構いたフシがあるので、今回も気前よく全文無料としておく。
 なお、こちらの座談会では主に私と藤村修氏が喋っているが、藤村氏は云うまでもなく“時事放談”シリーズでおなじみの極右天皇主義者の藤村氏である。

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外山 いやー、困りましたね。1回目2回目、3回目と回を経るごとに参加者が減ってるじゃないか(笑)。1回目の後半からもうすでにウンザリしてたっぽい東野大地センセイはいよいよ来てないし……東浩紀に責任をとっていただきたい(笑)。検閲官2名と助手1名って感じですけど、まあ仕方がない。始めますか。
 前々回、前回そして今回と、3回にわたって〝東浩紀とその仲間たち〟による「現代日本の批評」という3回シリーズの座談会をこっちも律儀に3回シリーズの読書会形式で批判的に検証しています。今回その最後で、東浩紀がやってる『ゲンロン』という雑誌の、2016年12月だからつい最近出た(この読書会は2017年6月18日)第4号に載ってる「平成批評の諸問題 2001−2016」を読みます。
 前回まではともかく、今回はぼくは実はむしろ〝お勉強〟のつもりだったんですよ。〝2001年以降の批評シーンの動向〟とかほとんど知らないからさ。しかし今チラッと見ると、なんか〝政治運動〟寄りの話題が多そうなんだよな。今回はあまり批判的なことを云わずに虚心に勉強させてもらうつもりが、今回こそ一番批判的にならなきゃいけないんじゃないかと不安だ。

藤村 (事前に読んできており)そのとおりです(笑)。

外山 かつ、なんで座談会のメンバーを変えちゃうんだよ、と。前々回前回は2回とも、〝東浩紀市川真人大澤聡・福嶋亮大〟で同じだったじゃないか。今回は福嶋亮大がいなくなって、〝サヤワカ〟(平仮名表記だが、読みにくいので以下、片仮名表記とする)って人と、それから佐々木敦って人が入って5人になってる。
 とくに座談会の前提となる「基調報告」まで書いてる佐々木敦の存在、これが問題なんだよ! 佐々木敦なんか入れてもらっちゃ困る。というのも、佐々木敦は「劇団どくんご」の強力なサポーターでございまして……。

藤村 そうなのか!

外山 ぼくはまだ会ったことはないんだけどさ。〝身内に甘く〟をモットーとするファシストとしては超やりにくい(笑)。

藤村 一応ざっと読んできたから云うと、この人が一番最悪でした。

外山 マジっすか!? それは困った(笑)。しかしまあ、過去2回さんざん云いたい放題云ってきた手前、心を鬼にして、悪口を云うべきところがあれば云わざるをえないでしょう。佐々木さんはもしこれを読んでるなら今すぐ他の、現代美術関係のサイトとかにでも飛んでほしい、と(笑)。
 そんなわけで、読みましょうか。その佐々木敦による「基調報告」をまず黙読してください。


 (佐々木敦「[基調報告]ニッポンの文化左翼
     ──ストリートを続けよう?」黙読タイム)


外山 さて、いかがでしょうか。私の口からは云いにくいんで、〝悪口〟があればどうぞ(笑)。……でも実際、そんなに違和感なかったよ。

藤村 そう? 〝身内に甘いファシスト〟としての発言ではなく?

外山 まさか。しかしさすが「どくんご」ファン、よくモノが見えてらっしゃる(笑)。
 まあ、良くも悪くも〝教科書的〟な整理だと思います。まさに〝基調報告!〟って感じがする。01年以降のさまざまな出来事、現象が淡々と説明されてるだけで、それを佐々木敦自身はどう評価してるのかについては、あんまり書いてないでしょ? もちろんこの説明、整理の仕方に賛同できるかどうかという問題はあるだろうけど、それについてもぼくはとくに違和感はない。
 前半にある、佐々木自身の著書『ニッポンの思想』(講談社現代新書・09年)からの引用で、大きな本屋の〝思想書〟コーナーに並んでる本は「ほぼ三種類ぐらいに大別されるように思います」ってことで、「①広義の『左翼』本」、「②いわゆる『賢者の教え』本」、「③現在の『思想=批評』シーンの一大ジャンルとしての『東浩紀もの』」という整理は、あくまで『ニッポンの思想』を書いた09年時点でのものなんだけど、「あれから七年が経つ現在もなお、この趨勢がほとんど変わっていないことには驚きと失望を禁じ得ない」(95ページ中段)として、この3つの傾向がその後どうなっているかを追っています。で、この〝3つの傾向〟という分け方についても、まさにそうだよなあと思うし、〝その後どうなっているか〟の部分も、まさにそうだよなあ、と(笑)。
 しかも、ぼくなんかが〝これは当然、言及するべきだろう〟と思うようなことにはだいたい言及してあるじゃん。〝鎌田哲哉の『LEFT ALONE』批判〟にまで言及してる。絓(秀実)さんの位置づけにはだいぶ苦労してるようだけど、「他の文芸批評家/新左翼系批評家とはまったく異なるスタンスを維持している」、「今や極めて貴重な存在感を放っている」(95ページ下段)って、〝そのとおりですね〟としか云いようがない(笑)。
 「②いわゆる『賢者の教え』本」って枠には、『ニッポンの思想』の時点では橋本治、内田樹、中島義道が入れられてる。ここでは引き続き〝内田樹のその後〟についての記述に多くが割かれてて、カッコ内で一言言及があるだけとはいえ、この枠には佐藤優も入るっていう認識についても、〝うーむ、たしかに。そのとおりですね!〟と思うし、とにかく目配り、バランスはいい。
 もちろんこの後の、本編の〝雑談会〟でどういうことを云うのか不安だけども(笑)、その叩き台としては非常によくできた、だからまさに〝教科書的〟な整理じゃないだろうか。

藤村 この人は〝ゼロ年代以降の批評シーン〟について「東浩紀ひとり勝ち」と云うんだけど、そうなるのは当たり前だと思うんだ。まだ〝批評シーン〟が何ほどかのものであった時代のビッグネームである柄谷行人や浅田彰の庇護のもとに登場してきた人なんだし、今の〝批評〟の読者の大半も〝柄谷−浅田〟という流れを前提としてるような人たちなんだもん。そういう系譜感覚からすれば例えば北田暁大なんて〝新参者〟にすぎないだろうし、その他さまざまの若手批評家たちもみんなそうでしょう。
 〝柄谷−浅田−東〟というラインを前提としてるような人たち、そういう系譜意識を共有してるタコツボの住人たちが〝批評〟の主要な読者層なんであって、だからこそ「東浩紀ひとり勝ち」は単に当たり前のことだよ。そのことを佐々木さんはもちろん……。

外山 意識してるよね。後半はとくにそうだし、全体として〝タコツボ化を憂う〟書き方になってる。

藤村 だから東浩紀が〝ひとり勝ち〟であるかどうかなんて、〝どうでもいい〟とまでは云わないが、逆にそうであるしかないことこそが現在の〝批評〟の危機的な状況の反映、結果でしょう。

外山 佐々木敦もおおよそそういうことを云ってると思うよ。

藤村 オレがものすごく違和感を持ったのは、〝文化左翼〟批判に対してですね。〝文化左翼〟という言葉を云い始めたのはリチャード・ローティなわけですけど、ローティの云う〝文化左翼〟というのは、野間(易通)さんの云う〝ヘサヨ〟とほぼ重なるわけで……。

外山 この基調報告で〝文化左翼〟という言葉が最初に出てくるのは、毛利嘉孝に言及したくだりだけど、これまた〝まったくそのとおり〟、毛利嘉孝がまさに典型でしょう。

藤村 毛利もそうだし、小森陽一も高橋哲哉もみんな、〝文化左翼〟であり〝ヘサヨ〟だよね。しかしこの佐々木さんは、政治的な発言をする人間をすべて〝文化左翼〟の枠に入れてしまってるような気がする。白井聡まで〝文化左翼〟に入れてるでしょ。もちろん白井聡はもともとは文化左翼だったんだろうけど、しかし『永続敗戦論』(13年・講談社+α文庫)は文化左翼的な著作ではないよ。
 毛利嘉孝の『ストリートの思想』(NHKブックス・09年)が文化左翼的な本であるというのはそのとおりなんだろうけど、〝3・11以降〟の〝運動〟系の人、例えば今回の特集「現代日本の批評Ⅲ」にも原稿を寄せてる五野井郁夫とかになると、この「ストリートの思想の二〇年」って文章を読んでみてもそうだし、むしろ毛利嘉孝批判、〝文化左翼〟批判をやってるんだ。

外山 なるほど、云いたいことは分かる。〝文化左翼〟って本来は〝68年〟の延長線上の、まあ〝劣化した新左翼〟というか(笑)、とにかく新左翼的な系譜にあるものに限定して云うべきなのに、左翼っぽい言論人を全部そう呼んじゃうんでは、〝文化左翼〟ってカテゴリーがわざわざ作られた意味ないよね。
 シールズ同伴知識人の代表格の1人で、単なる凡庸な戦後民主主義者であるらしい五野井郁夫は当然、〝文化左翼〟ではないだろうし、佐々木敦もべつにこの基調報告では五野井郁夫の名前も挙げてないけど、99ページ下段にあるように、毛利的なものの先行者である「粉川哲夫や平井玄」から連綿と続いてきた系譜が「しばき隊からSEALDsまで」という現在の諸運動まで連続性を持ってるという認識のようだし、五野井なんかもその枠に入れちゃいそうだ。それは括りとして乱暴だろうってことでしょ?

藤村 佐々木敦は〝3・11〟の以前と以後とに区切りを入れてないようだけど、実はまさに野間さんが〝文化左翼〟批判をさんざんやってきたわけだ。しかも野間さんの〝文化左翼〟批判、野間さんの言葉で云えば〝ヘサヨ〟批判は、ローティにかなり近かったりする。

外山 うん、そういう断絶が見えてない感じはたしかにあるな。

藤村 で、野間さんたちの運動による被害者でしょ、ヘサヨだけでなく、この座談会に集まってるような人たちも(笑)。

外山 被害というか、とばっちりというか……。

藤村 だから野間さんに象徴される〝3・11以降〟の運動に対して憎しみを持つこと自体は当然です(笑)。

外山 しばき隊はほんとに〝狂犬〟というか……〝狂犬〟とか云うと喜ばせちゃうな。〝バカ犬〟だ(笑)。相手も見ずに片っ端から吠えかかっていくからね。

藤村 佐々木さんもつい最近、しばき隊というか、カウンター連中に集中攻撃されてて、可哀想だなあとオレも思ったけどさ。そういうこともあって冷静な分析ができないんだろうか?
 ……毛利と五野井でどっちが思想的に洗練されてるかといえば、たぶん毛利でしょう。つまり〝3・11〟の前と後で思想的にはさらに劣化してるんだけど、野間さんによる〝文化左翼〟批判、〝ヘサヨ〟批判をちゃんと〝批評〟として批判的に検証すれば、そういう劣化を解く鍵にもなるわけで、そこは見えてなきゃいけないと思う。

外山 そうだねえ……。

藤村 政治的・運動的なものを一緒くたにしすぎだよ。

外山 そこはたしかに、さっきも云った99ページ下段あたりに露呈してはいるね。文化左翼の源流として80年代の粉川哲夫や平井玄の名前を挙げてくるあたりには、「八〇年代に粉川が行なった『自由ラジオ』などの日本版アウトノミア運動」なんておそらく東浩紀の視野にすら入ってなかっただろうし、〝さすがよくお分かりで!〟と感心したんだけど、それが「九〇年代のサウンドデモを経て」というあたりまではギリギリそうとも云えるかもしれないが、〝3・11以降〟の諸運動にまでストレートにつながってるかのように云うことには無理がある。

藤村 おそらく〝3・11以降〟の諸運動のマズさというのは、〝文化左翼〟的なものではなく、〝友−敵〟理論というか、ある種の〝決断主義〟というか、そういう問題でしょう。一方でまさに安倍ちゃんが、〝友−敵〟理論の政治、〝決断主義〟の政治を展開してるわけだ。それに対抗して運動の側も同じノリになってて、だから〝批評〟みたいな冷静な言葉は用ナシになってる。これは〝文化左翼〟とはまた別の問題ですよ。
 で、内田樹なんかについても、まあ「左翼」と断定してはいないけど……当たり前だよね。内田樹が左翼であるわけがない。政治的スタンスはむしろ加藤典洋なんかと同じような人だもん。

外山 しかしもともと内田樹はレヴィナスの研究者なんだし、左翼じゃない?

藤村 そうだけど、ブレイクしたきっかけである『「おじさん」的思考』(02年・角川文庫)とか『寝ながら学べる構造主義』(文春新書・02年)とかは〝左翼〟的な本ではないし、そういう読まれ方をしてきた人でもないんだし。

外山 だって絓さんによれば、確証がある話なのかどうか知らないんでテープ起こしに際してはボカしますが(笑)、新左翼の某派にいた人らしいよ。

藤村 出自がどうあれ、そういう打ち出しで〝論壇デビュー〟してきた人ではないでしょう。
 で、『寝ながら学べる構造主義』を竹田青嗣も評価してたし、『村上春樹イエローページ2』06年・幻冬舎文庫)の解説も内田樹が書いてた。つまりそもそもかなり〝『オルガン』右派〟(外山と藤村氏の間で通用している用語。80年代後半から90年代初頭に刊行されていた思想誌『オルガン』の同人および常連寄稿者を、竹田・加藤・橋爪大三郎・西研・小浜逸郎らの〝右派〟と、小阪修平・笠井潔らの〝左派〟とに分類)と親和性のある書き手なんだ。なのに佐々木敦は、慎重に断定は避けつつも、内田樹をほとんど「左翼」にカテゴライズしつつある。

外山 それはしかし〝左翼〟の定義の問題だからなあ。ぼくだって内田樹は左翼だと思ってますよ(笑)。

藤村 しかしここでの佐々木敦は、単に〝運動〟っぽいものに……もちろん在特会とか「新しい歴史教科書をつくる会」とかの〝運動〟は別として、それがフリーター労組や素人の乱だろうが反原連やシールズだろうが、そういうものに関与したり接近したりする人たちを一緒くたに「左翼」として乱暴に括りすぎだよ。非常に浅い見方による〝左翼〟アレルギーだと思う。

外山 竹田青嗣や加藤典洋や橋爪大三郎なんかの『オルガン』右派も含めて、左翼だとぼくは認識してるんだ。彼らも〝ある時期までは〟とはいえ全共闘的なノンセクト・ラジカルの問題意識の延長線上でモノを考えてきたんだし、だから新左翼諸党派や旧左翼の党派的思考、あるいは戦後民主主義的なリベラル派の思考を批判して、その結果としてハタから見ると右だか左だか分かんなくなってるし、むしろ保守派のようにさえ見なされたりもするんだけどさ。

藤村 〝文化左翼〟を批判するローティ自身が「私は左翼だ」と云ってるわけだし、そういう意味でなら内田樹だろうと竹田青嗣や加藤典洋だろうと〝左翼〟でしょうけど、そういう意味での〝左翼〟を佐々木さんが問題視しているわけではないでしょう。

外山 〝文化左翼〟ではなく、ね。

藤村 うん、〝文化左翼〟ではない。

外山 で、佐々木敦もこの基調報告で内田樹を〝文化左翼〟の枠には入れてないじゃん。〝賢者〟枠(笑)。

藤村 でも、その内田樹が〝3・11〟以降、〝文化左翼〟と接近してることについて、「この国で『賢者』たらんとすれば『左翼』になるしかない、ということかもしれない」とか、批判的な書き方になってるでしょ?

外山 そうだね。

藤村 オレは内田樹の政治的スタンスについて詳しくは知らないけど、例えば加藤典洋だって〝共謀罪反対〟のデモにこないだ参加してたんだよ。内田樹の〝接近〟だってそれと同レベルのことだろうし、逆にじゃあ〝共謀罪反対〟のデモとかに参加したら〝左翼〟ってことになるのか?

外山 それは100ページ下段にあるとおり、「世間的にはすでに『左翼』に映っているのかもしれない」ような振る舞いの1つではあるでしょう。

藤村 世間の目にどう映るかではなく、佐々木敦が〝批評家〟としての視点でどう判断するかが重要なんであって、むしろここで急に〝世間〟とか出してくるのがズルいよ。ネトウヨの〝世間〟とかから見れば我々だって〝左翼〟だろうしさ(笑)。
 全体的にはおおよそ正しい認識が云われてるとは思うんだ。例えば102ページ中段に、「『声を上げる』という言い方がある。確かに『声』を上げるのは悪いことではないし、時としては切実に必要なことでもあるだろう。けれども『声』は、やはり単なる声でしかない。自分の話している声を聞いているだけでは『批評/思想』にはならない」(傍点部分を太字化)って、ここ(傍点部分)はおそらくデリダを意識して書いてるし、あるいは105ページ中段に、これはアイドル論の文脈で、「あるアイドルの信者とアンチのいずれかの立場から反対側をdisり合うのは『批評』ではない」、とこれは濱野智史への苦言でしょうけど(笑)、「なぜ信者とアンチという決定的な差異が生まれるのか、その選別の条件とは何か、その対立が意味するもの、その対立が生産するものは何か、を問うのが『批評』である」と書いてて、いずれもまったくそのとおりですよ。今の〝アベ政治を許さない!〟的な人たちと安倍支持者たちとの対立なんて、AKB総選挙での対立と同じようなもんです(笑)。
 そういうことも含めて、左翼思想あるいは反体制思想の言葉がものすごく貧しいものになってるという認識は、まったくそのとおりでしょう。しかし〝3・11〟の以前も以後の運動もみんな一緒くたに〝左翼〟呼ばわりしてしまうという、この佐々木敦の書き方自体が、まさに彼が批判している〝信者とアンチがdisり合う〟振る舞いそのものではないのか、と。

外山 うーん……。でもさっきも云ったように、一応は内田樹は〝文化左翼〟とは別枠で扱ってるわけだし、逆に〝文化左翼〟の枠内として名前を挙げられてる人たちは、鎌田哲哉と絓秀実を除いてはたしかに全員そうだし、その鎌田哲哉と絓秀実についても他の連中とは〝ちょっと違う〟ことにも留意してさえいるし、決して〝一緒くた〟にはしてないと思うけどなあ。むしろかなり丁寧かつ適切な腑分けがおこなわれてるんじゃない?

藤村 鎌田さんは〝文化左翼〟でしょう(笑)。

外山 むしろ〝文化左翼〟すぎて他の凡庸な連中からは浮いてるのかな? 〝文化極左〟?(笑)

藤村 絓さんはレーニン主義者だし、〝文化左翼〟の枠には入らないでしょうね。
 ……そうそう、オレがもう1つ引っかかったのは、『永続敗戦論』についてのくだりだな。『永続敗戦論』が売れて「『ニッポンの文化左翼』の新たなオピニオン・リーダーとなった感のある白井」の、その『永続敗戦論』を内田樹がいち早く評価して、しかも白井と「対談本をたて続けに出している」ことについて、まさに内田の〝文化左翼との接近〟であるかのように書いてある。

外山 ぼくは読んでないんだが(後註.のち2018年11月に白井氏との対談に臨むに際して白井氏の単著はすべて読了)、読んだ藤村君によれば、『永続敗戦論』は実はそれほど〝文化左翼〟的な内容ではないんでしょ? 加藤典洋の『敗戦後論』(97年・ちくま学芸文庫)の問題意識を肯定的に継承するような本で……。

藤村 うん。そしてそのことにはっきりと自覚的な本だね。
 もちろん白井聡自身は〝文化左翼〟なんだ。もともとレーニン主義を文化左翼的に解釈し直すような本(『未完のレーニン』講談社選書メチエ・07年)でデビューしてるわけだしさ。
 しかし少なくとも『永続敗戦論』は〝文化左翼〟的な本にはなってないし、むしろ反米派の保守や右翼まで巻き込んで〝アベを倒せ!〟的な方向に誘導するもので、つまりべつに〝左翼〟でなくても『永続敗戦論』を評価してる人はいっぱいいるし、まして加藤典洋と近しい関係にある内田樹が絶賛しても何ら不思議はない。むしろ当然のことで、それをもって〝文化左翼との接近〟を示してるかのように書くのはヘンだ。
 ……そもそもごく普通のリベラル派であれば、保守リベラルであれ左派リベラルであれ、今の安倍政権に対して危機感を持ちますよ(笑)。

外山 ぼくはこの佐々木敦の文章は両義的に書かれてると思う。一方で現在の日本の左派が、〝文化左翼〟もリベラル派も含めてことごとく劣化してるのは間違いないし、そのことに佐々木が苛立つのはよく理解できる。そういうのとは距離を置いていたかに見えた内田樹までが、そっちに〝接近〟しつつある事態も、佐々木からすれば嘆かわしいでしょう。
 しかし一方で、結論部分の105ページ下段にあるように、「『文化左翼』たちもまた、それ自体としては私自身同意出来ないわけではないリベラルな主張の正しさに」云々と、佐々木自身の政治的スタンスはそもそも実はそっちに近いんだということも表明されてて、だから左翼的な運動に接近したりすること自体に否定的な人でもないはずなんだ。単にやっぱり、実際ろくでもない運動しか顕在化してないという状況だし(笑)、そのもどかしさを云ってるにすぎない。
 非常に韜晦した書き方で、01年以降の現象をただ列挙的に説明していって、その1つ1つについて佐々木自身がどう評価しているのかについては、もちろん今まで云ってきたようにほぼ想像はつくわけだが(笑)、明示的にははぐらかしつつ最後まで書ききってる感じなんで、ぼくとしてもあんまり異論を差し挟みにくいんだ。

藤村 とくに結論部分にはオレも賛成だよ。「そしてみんなサヨクになった。それは最悪の意味で、そしてみんなオタクになった、と同義なのではないか」(105ページ下段)っていう、まったくそのとおりです。ドルヲタが〝箱〟に行くように、サヨクは国会前や首相官邸前に行くってだけの話で(笑)。〝3・11以降〟の運動では〝思想〟なんか問われない。とにかくただ……。

外山 「〝アベ政治〟に賛成なのか反対なのか、どっちなんだ!」っていうね(笑)。即答しなきゃいけない。あれこれ留保して理屈を云い始める奴は仲間に入れてらえない。

藤村 うん、即答できない奴は排除されると同時に、「反対です!」と即答できればその内実は問われず、〝シングル・イシュー〟とか云って要は無原則的にツルむわけだ。佐々木さんもそういう状況に強い嫌悪感を持っているのであろうことは、非常によく分かります。
 しかし同時に、そういうサヨク化していく批評家について、101ページから102ページにかけて、「繰り返すが、それが悪いわけではない。ただ気に懸かるというのは、佐々木中に限らず、本来はもっと複雑かつ(良い意味で)難解な思考を展開していた筈の書き手が、ある時ある瞬間から、もうややこしいことなど言っていられないとばかりに、それ以前の本人の言説/言論に照らしても、いささかナイーブなのではないかと端からも思えてしまうような直情的で直截的な言葉を発し出す、そしてそれが一定以上の人気を博していく、ということなのだ。正直に言うと私は、そういうさまを目にすると、悲しいような、恥ずかしいような気持ちになってしまうのである」と書いてる。
 正直、何をエラソーにと思った。そういう「直情的で直截的な言葉」に納得いかないのであれば、「悪いわけではない」とか中途半端なことを云わずに、その言説の問題点を個別具体的に批判し、はっきり「悪い」と言うのが批評家の役割なんじゃないのか、と。そして、そのことがその手の言説をなくすために批評家にできる唯一の手段だと思うけどな。

外山 ……話はズレるが、そういえば北田暁大には一言の言及もないね。

藤村 たしかに。

外山 一時は〝東浩紀ひとり勝ち〟の状況をついに終わらせるかと期待させるぐらいの存在感ではあったでしょ? 東浩紀に並ばないまでも、それに近い位置にまでは来てた。『思想地図』(08〜10年。『思想地図β』を経て『ゲンロン』の前身)も最初はたしか東と北田の2人でやってたはずだし、北田暁大の名前が出てこないのが、ちょっと〝見落とし〟という感じもする。もちろんそれぐらいのことは、この文章全体のバランスの良さを考えれば、大した問題ではないけどさ。

藤村 本編の座談会ではもちろん言及されるしね。

外山 あと、濱野智史への言及の部分は笑えた。どこだっけ? なんか、切って捨ててたじゃん(笑)。

藤村 103ページ中段にある。「二〇〇八年に『アーキテクチャの生態系──情報環境はいかに設計されてきたか』(NTT出版)でデビュー」して、「同書は各所で話題となり、濱野は新進の社会学者として一躍脚光を浴びた」けど、なぜか唐突に「アイドル、とりわけAKB48に急激にハマり」、『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書・12年)なんてワケの分からん本を書いたかと思うと、独自のアイドルをプロデュースしようとして途中で投げ出したり、「以降は批評とも思想とも関係ないので割愛する」って(笑)。
 もっともオレはこの切り捨て方には違和感があるけどね。その後の濱野智史の見苦しい展開こそ、むしろ批評の対象とするに値するでしょう(笑)。

外山 ……佐々木中への言及もあったね。

藤村 ドゥルーズ論か何かの人でしょ。

外山 フーコーやラカンについて論じた本(『夜戦と永遠』08年・河出文庫)でちょっと話題になってた人。ドゥルーズ論については、〝刊行が予告されてたけどまだ出てない〟と不満げに書いてある。しかもやっぱり「『3・11』以後」の「『左翼』化」を嘆かれたりもしてるけどさ(101ページ下段)。
 ……ともかく〝北田暁大への言及がない〟という以外は、01年以降の〝批評シーン〟の推移について書くならこうなるよなあっていう、非常にバランスのいい、的確な見取り図が示されてると思います。
 問題は、この実に〝教科書的〟な整理を前提として、本編の座談会で何がどう話し合われるかですね。他にとくになければ、座談会のほうに移りましょうか?

藤村 ……しかし佐々木敦が「劇団どくんご」の関係者だったというのは意外だ。

外山 〝関係者〟というか、この人が「どくんご」の東京公演に来て、「素晴らしい! ぜひ観にいくべきだ!」ってツイートすると、翌日から満員になるんだよ(笑)。東京公演は毎回そう。

藤村 それはすごい影響力だね。

外山 東京公演以外では効果ゼロなんだけどさ(笑)。劇団としてはメチャクチャありがたいことだろうけど、一ファンとしては、〝有名な批評家〟がツイートして初めて「どくんご」に興味を持つようなスットコドッコイはべつに観にきてくれなくていい! とか云いたくもなるんだが……(笑)。

藤村 でもこういう人が「どくんご」を面白がるというのは、ほんとに意外だよ。東浩紀とかはたぶん……。

外山 どうだろうね。さすがに観れば面白さは分かると思うんだが……いや、無理か。キモヲタだもんな(笑)。

藤村 オレはこの佐々木敦の文章を読むのは今日で3回目なんだけど、1回目に読んだ時はすごくムカついたんだ。2回目に読んだ時はそうでもなくて、今日の3回目でまた最初に読んだ時の違和感が甦ってきてさ。

外山 ぼくも1ヶ所だけ、最初のほうの95ページ下段、「九〇年代末、西尾幹二、藤岡信勝らの『新しい歴史教科書を作る会』に代表される歴史修正主義や、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(一九九八年、幻冬舎)が衆目を集める中」、左翼文化人たちが「差し迫る危機感から積極的な『発言』に転じていく」っていう書き方に、〝ん? そういう脈絡だったっけ?〟という違和感は持ったけどね。

藤村 むしろ逆というか……。

外山 いや、〝無関係〟じゃない?

藤村 そうそう、〝無関係〟だ。

外山 たまたま時期が重なっただけだよね、たぶん。

藤村 右も左もタコツボ化しきってる中で、それぞれの文脈でたまたま同じぐらいの時期に起きた2つの現象だと思う。

外山 あるいは、右は社会全体の変化と連動してるんだけど、左はタコツボ内の事情でたまたまそういう時期にそういうことが起きただけ、っていう。ぼくの違和感はそれぐらいで、あとはほぼ異論はない。
 ……というわけで、本編の〝雑談会〟に進みましょう。あ、ちなみにぼくはこの〝サヤワカ〟という人を名前しか知らないんですが、何者なんですか?

藤村 〝物語評論家〟と名乗ってるみたい。アニメとかマンガとかのサブカルチャー批評をしたり、マンガの原作者をしたり、まあ一言で云うとキモヲタです(笑)。例えばこういう本を書いてる(と持参した本を出す)。『僕たちとアイドルの時代』(15年・星海社新書)っていう。

参加者 男ですか?

藤村 うん。74年生まれ。

外山 (ウィキペディアの記事を見て)『ユリイカ』や『クイック・ジャパン』で書いてる人のようですね。著書に『僕たちのゲーム史』(星海社新書・12年)、『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書・13年)、『一〇年代文化論』(星海社新書・14年)……。

藤村 ゲンロン・カフェで野間さんと対談してましたよ。野間さんがまず朝日新聞に掲載されたサヤワカのインタビューを「糞論評」とこき下ろして、さらには〝艦これ〟を〝最強に気持ち悪い〟ってツイートしたのが発端で、野間さんをゲンロン・カフェに呼んで、東浩紀も含めて3人で〝オタクとネトウヨ〟みたいなテーマで議論してた(「オタク批判はヘイトなのか――艦これ、サブカル、カウンター」2015年6月19日)。
 ちなみにオレはこの『僕たちとアイドルの時代』についても非常に批判的です(笑)。

外山 じゃあまあ、本編を読んでみましょう。


 (「1.「ゼロ年代批評の誕生」黙読タイム)


外山 えー、よろしいでしょうか。……まず再確認しておくと、そもそもリチャード・ローティが云い出した当初の意味での〝文化左翼〟というのは、どういう意味なの?

藤村 デリダとかフーコーとかの影響を受けた、まずはいわゆる〝差異の政治学〟、〝アイデンティティ・ポリティクス〟というやつですね。LGBTであったり少数民族であったり、いろんな〝マイノリティ〟の運動に依拠しつつ、従来のマルクス主義よりも緻密な議論を、しかし引き続きマルクス主義に基づいて展開するような……もちろんもともとは新左翼あがりの連中が大学に居着いてそうなってるわけで、彼らは〝大学内左翼〟、〝アカデミズム内左翼〟でもある。
 そういう連中をローティが〝文化左翼〟と総称したんだけど(左翼が従来の〝階級闘争〟的なテーマから〝マイノリティ問題〟等へと移行したことについて批判的に云われたものであるようだ)、この座談会で云われてる〝文化左翼〟は、もともとローティが云ってたような意味から、かなり拡張されてるような気がするよ。
 例えば毛利嘉孝とかって、ローティ的な意味では〝文化左翼〟と呼べるんだろうか? 〝ストリートの思想〟とか云ってる人だよね。思想的にもネグリとかに依拠してそうでしょ、〝マルチチュード〟みたいな。ローティがネグリをどう見てたのか知らないんで、オレも自信を持って云ってるわけではないんだけどさ。

外山 絓さんや千坂(恭二)さんも、ネグリ派とかまで含めて〝文化左翼〟呼ばわりしてるんで、ぼくはそんなに違和感はないんだけど、単に元来はどういうニュアンスだったのか気になっただけで。

藤村 もちろんネグリだって〝アイデンティティ・ポリティクス〟的なものも踏まえて議論を構築してるんだし、だから〝文化左翼〟に含めていいのかもしれないけど、厳密にはどうなのか、オレには判断つきません。

外山 ……で、どうですか、この第1節の議論は全体として。〝ネットの世界〟での〝批評〟の変遷については、ぼくなんかは「へー、そうなんですか」と素直に受け入れるしかない(笑)。もちろん、ところどころ「ん? そうか?」とつまずくところもなくはないけど。

藤村 最初のほう、107ページ上段から中段にかけて佐々木敦が、「ぼくはかつて『ニッポンの思想』(〇九年)で『東浩紀のひとり勝ち』という言い方で、東浩紀がゼロ年代の批評のヘゲモニーを握ったと書きました。けれども二〇一六年から振り返れば(略)、東浩紀の存在はマイノリティであり、広い意味での左翼的な文脈のほうが大勢を占めていたといえる」と云ってますけど、実際どうであったかよりも、今なぜ彼がこういうふうに云い出すのか、その動機のほうがむしろ重要な気がするんだ。
 で、この佐々木発言を受けて大澤聡さんは、「一九九〇年代以降に興隆した新世代の左翼系批評」が「絶えずそれなりの存在感を発揮してきたとはいえると思」うけれども、それが「こと『批評』というフレームで精査した場合に主流だったといえるかというと、ちょっと留保がともなう。倒錯があるような気がする。当時のリアリティとしては、やっぱり東浩紀周辺のほうに『批評』の中心があったと見ておくべきではないでしょうか」と応じてます。
 オレは実感としては大澤さんの云ってることのほうが正しいんじゃないかと思う。

外山 しかしさらにそれに対して東浩紀自身が、佐々木敦の見方のほうに賛同する、と応じてるよね。「全体的な状況は、〇〇年代の初期からあきらかに左傾化していたと思います」、「毛利嘉孝さんが『ストリートの思想』(〇九年)でまとめている動きが出始めたのも〇〇年代はじめです。『殺すな』デモ、素人の乱、だめ連ですね」(107ページ下段)と云ってて、まあ年代については相変わらずデタラメですけど(笑)。

藤村 素人の乱や、とくにだめ連なんかは、毛利とかの左派系批評家らによって後から見出されるだけで、その運動が盛り上がってるリアルタイムで批評シーンと接続してたわけではないでしょ?

外山 定義というか、どこまで視野に入れるかという問題じゃないかなあ。〝活動家〟が現場でミニコミとかの形で流通させてる言説までを含めて〝批評〟と考えるなら、〝主流〟はたしかに〝ストリート系〟のほうにあったと思うんです。それらを発掘して毛利なんかが、まあそれはそれで〝秋の嵐〟や88年の第1次反原発ムーブメントすら視野に入ってないようなウソ歴史なんですけど(笑)、〝実はこっちのほうが主流だったのだ〟と後づけで整理して提示する。
 それとも関係して、108ページ下段の佐々木敦の、「人文書一般の地盤沈下に伴って、批評=思想といった等式が壊れていく。思想家や批評家が理論的な言説を世に問うて影響を及ぼすというあり方に代わって、雨宮処凛さんの『プレカリアート』(〇七年)のような、運動や社会問題を取り上げた本が影響力を強めるようになる」という発言があります。ここで「批評=思想といった等式」と云っている、この場合の「批評」というのは、浅田彰から東浩紀に至るような、いわゆる狭い意味での〝批評〟だよね。
 しかしそういうものが主に「思想」なんだという「等式」自体がそもそも特殊なものであって、それが「壊れて」、〝活動家〟の言説も〝思想〟界において一大領域を成しているというごく当たり前の、本来の姿に戻っただけのことだとぼくなんかは思うよ。
 つまり佐々木敦も含めてこの座談会の参加者たちが共有しているらしい、浅田彰や東浩紀のようなタイプの〝批評〟がイコール〝思想〟であったかのような特殊な状況を、特殊だと感じることのできない〝思想〟観がそもそもおかしい。

藤村 でもそういう〝思想〟観が普通であるような状況があるわけで……。

外山 いや、それはこの人たちがそういう感覚であるというにすぎないでしょう。だって〝浅田まで〟はそもそもそうではなかったはずじゃん。〝浅田以降〟はそうなってて、浅田はその両方の状況を体験してると思うけどさ。
 かつては、まあ〝運動〟にもコミットしていたとはいえ柄谷や浅田のような〝批評家〟に近いあり方をしていただろう吉本隆明と、もっと露骨に〝運動の人〟である黒田寛一なんかとが、渾然一体となって〝思想界〟を形成してたわけでしょ?
 さらに云えば〝レーニン〟とか〝毛沢東〟とかだって〝思想家〟だったはずじゃないか(笑)。彼らのような〝思想〟観だと、〝マルクス〟すら〝思想〟ではなくなってしまう(笑)。

藤村 しかしこの座談会で〝批評〟と云われてるのは、そういう「批評=思想」であるようなタイプのもので……。

外山 うん、佐々木敦の基調報告で「③現在の『思想=批評』シーンの一大ジャンルとしての『東浩紀もの』」として括られてた領域のものを指してる。

藤村 だからその中で〝東浩紀ひとり勝ち〟なのは当たり前(笑)。

外山 東が1人で孤塁を守ってたような領域にすぎないんだもんね。
 しかし本当はそういう議論の前提となっている「批評=思想といった等式」というもの自体が疑われなきゃいけないはずで、東のような狭い意味での〝批評家〟だけでなく、〝活動家〟のような人たちの言説まで含めて〝思想〟シーンが成り立ってると考えるなら、〝批評〟の主流はそりゃ東しかいないんだから東だったでしょうけど(笑)、〝思想〟の主流はそうではなかった、という認識になりますよ。だからここで佐々木敦や東浩紀は、しぶしぶ認識を変えようとしてるということでしょう。

藤村 なるほど。でもここに挙げられてる雨宮処凛の『プレカリアート』なんかは、かつてであっても〝思想〟とは見なされなかったんじゃない?

外山 〝活動報告〟だもんな(笑)。

藤村 あるいは〝ルポルタージュ〟とかで、〝活動家〟の言説にも〝思想〟的なものとそうでないものはあるし、『プレカリアート』はたぶん違う。雨宮処凛の『プレカリアート』よりは清(義明)さんの『サッカーと愛国』(イーストプレス・16年)やノイホイさん(菅野完氏)の『日本会議の研究』(扶桑社新書・16年)のほうが数倍〝思想〟的だけど、たぶん清さんもノイホイさんもそれらを〝思想の本〟だとは云わないだろう。
 〝批評シーン〟のタコツボ化を自覚して危機感を持つこと自体は理解できるけど、だからといって雨宮処凛の『プレカリアート』まで〝批評〟の枠に入れようとするのは、むしろ彼らの意図をいろいろ勘繰ってしまう。

外山 ん?

藤村 どう考えても〝批評〟ではないものまで〝批評〟の枠に入れることで、〝批評〟というものが〝活動家の言説〟の大量流入によって劣化させられてる! というような気色の悪い〝危機感の煽り立て〟をしようとしているんじゃないか、と。

外山 〝我々は迫害されている!〟って?(笑)

藤村 まるでネトウヨが〝我々日本人はチョーセンジンによって迫害されている!〟みたいなノリを感じて、〝キモっ!〟と思ったわけです。

外山 どうしたんだ、藤村君。今日はやたら〝毒吐きます〟みたいなキャラになってるよ(笑)。
 ……でもまあたしかに雨宮処凛は〝批評〟とか〝思想〟とかってタイプの言説を提出してくるような、そういう素養もそもそもない人だけど、誰がいるかなあ。例えば矢部史郎なんかは、〝活動報告〟的な文章も〝批評〟的な文章も、それらが渾然となったような文章も書ける人じゃん。そういう人までは〝批評〟や〝思想〟の枠にそもそも入れておくべきでしょう。

藤村 だとしても、それがある時期以降は〝主流〟だったかといえば……。

外山 千坂恭二の云う〝イデオローグ〟的な〝批評家〟や〝思想家〟のあり方の問題だよね。千坂さんが云うには、まず単に食い扶持のレベルで、大学に寄生する〝アカデミシャン〟と資本に寄生する〝ジャーナリスト〟と運動に寄生する〝イデオローグ〟という3類型があって、商業ジャーナリズムの世界で食ってる大塚英志や東浩紀はこの分類では〝ジャーナリスト〟枠になるんだけど、もともと3類型あったのに、とくに80年代以降は〝アカデミシャン〟と〝ジャーナリスト〟だけが〝批評〟や〝思想〟の担い手であるかのような状況になってて、〝イデオローグ〟はそもそも食っていくことすらできずに、そもそも滅亡したのかもしれないし、少なくとも可視化されない存在になった。
 まあもっとも、東浩紀や佐々木敦の視野に入ってる〝活動家〟たちなんて、千坂説では〝ジャーナリスト〟に分類されるようなタイプの言説の担い手にすぎないんだけど(笑)、ともかく現在は不可視のカテゴリーとして本来はもう1つ、〝イデオローグ〟という〝批評家〟や〝思想家〟のあり方が存在してて、そこが東や佐々木には潜在的可能性としても想定されていないだろうことが一番の問題だよ。で、〝イデオローグ〟の不在を埋める代替物のような、むしろ東たちと同じ穴の狢である、〝ジャーナリスト〟枠の一部を成している一群の〝活動家〟の言説の台頭にアタフタしてるところだと思う。
 ……まあそれは措いといて、いずれにせよ雨宮処凛や松本哉のような〝現場活動家〟タイプで、本を書くとしても〝批評〟や〝思想〟の本ではないような人たちと、酒井隆史や丸川哲史のような〝理論家〟タイプの人たちと、両方にまたがってる矢部史郎のような人と、一口に〝活動家〟といってもいろいろいるんであって、それらの言説を全部〝活動家の言説〟として一緒くたにしてるからちょっと議論がおかしくなってはいるね。
 この座談会に参加している人たちも、〝ジャーナリスト〟と〝アカデミシャン〟の2タイプしかいないし、まあそもそも〝イデオローグ〟なんて今いないけどさ(笑)。だけど考えてみれば、基調報告での佐々木敦の3分類にしても、理念型としては千坂さんの3分類と重なってて、①が〝イデオローグ〟で、②が〝ジャーナリスト〟で、③が〝アカデミシャン〟だよな。③の代表とされてる東浩紀自身は〝ジャーナリスト〟型の生計の立て方をしてるけど、批評家のタイプとしてはアカデミズムに近いでしょう。〝イデオローグ〟枠であるはずの〝活動家〟的な書き手たちも、〝イデオローグ〟として生計を立てる道は今ないから、みんな②枠と③枠の住人になってもいるわけで、あくまでもイメージの話にしかならんけどさ。
 で、ここで彼らが云い合って同意し合ってる「〇〇年代の初期から」という部分にはぼくは同意しないけど、いつ頃からかはともかく、①枠の〝活動家〟的な言説が③枠のアカデミズム的な言説よりも優勢になってきてるという認識については、ぼくもそうだと思います。まあ、それは実は②枠の商業ジャーナリズムへの進出競争において、という気はするけどね(笑)。……しかも①枠の言説のレベルが非常に低いというか雑というか、そのことを憂慮する彼らの気持ちもよく分かる。

藤村 「二〇一六年から振り返れば」、だいぶ前から実はそうなってた、と。

外山 『ニッポンの思想』を書いた09年時点の佐々木敦は、あくまで③枠を中心に日本の思想シーンの変遷をスケッチしたんだが、ちょうど同じ頃に①枠を中心に日本の思想シーンの変遷を描く毛利嘉孝の『ストリートの思想』が出てて、その後の展開も踏まえて振り返ると毛利説のほうに軍配を上げざるをえない、という認識ですね。

藤村 なるほど、了解しました。しかし例えば108ページ下段で、市川真人が「まさに『社会学の時代』ですね」と云って、それを承けて東浩紀が「『政策の時代』でもある。たとえば、九〇年代の宮台さんは、基本的には解説者の立場で、時代について診断しているだけだった。ところが、〇〇年代以降はその宮台さんも含め、言論人本人が運動に参加したり、具体的な政策提言をしたりしなくてはいけないという強迫観念が強くなる」と云ってます。全体としてはそう思うけど、こと宮台に関しては……。

外山 90年代に登場してきた直後の時点ですでに、〝フィールド・ワーク〟と称して女子高生とデートしてみたり……(笑)。

藤村 そうそう(笑)、そしてそれは宮台自身にとっても政治的・思想的な、ある種の〝実践〟として位置づけられてたわけだよ。

外山 うん、宮台はそれを決して〝非政治的〟なものだとは思ってなかったはずだ。たしかに社会全体の趨勢としてはここで云われてるとおりだろうが、宮台についてこんなふうに云うのはおかしい。

藤村 しかも宮台は、デモなんかバカのやることだと嘲笑してて……。

外山 反革命分子だからね(笑)。

藤村 〝表現〟と〝表出〟という概念を出してきて、〝表出〟はただ本人がスッキリするだけで、〝表出〟でしかないようなデモには何の意味もなく、むしろ〝ロビイング活動〟の方が重要なんだと昔はよく云ってた。

外山 たしかに90年代のうちから反革命・宮台は、そういうくだらんことを云いまくってた気がするよ。

藤村 オレも宮台のそういうスタンスに全面的には賛同しないけど、少なくとも宮台の云い方は、デモという方法の弱点を突いてはいたと思う。00年代以降の行動も、「強迫観念」とかに突き動かされてるわけではないし、宮台が自分の従来からの信念に忠実にやってるだけの話であって、宮台だって東に〝おまえも政策提言しろ〟とか云ってるわけでもあるまいに、何を被害妄想みたいなことを云ってるのか、よく分からん。

外山 だけど宮台個人のケースは措いて、社会全体としては「社会学の時代」、「政策の時代」になってるでしょ?

藤村 うん。

外山 ……ぼくが「ん?」と思ったのは、120ページ上段の、サヤワカの発言です。「〇三年ごろからはサウンドデモも本格的に立ち上がります。その嚆矢が〇三年三月の芝公園での『World Peace Now』です。ただ重要なのは、このときは、いまとちがってネットとはほとんど接点がなかったという点だと思います」と云ってる。
 そもそも1つにはワールド・ピース・ナウの前に01年のアフガン反戦の時に「チャンス!」というのが立ち上げられてたことがすっかり忘れられてるようで、野間さんの『3・11後の叛乱』(笠井潔との共著・集英社新書・16年)でも、彼らの運動の歴史はワールド・ピース・ナウから書き起こされてて、チャンスはすっかりスルーされてたし、どういうことなんだろう? ぼくも裁判闘争から獄中にかけての時期だから、リアルタイムでほとんど動きを追えてなくて、ここらへんは〝運動史の空白〟として、ぼくにとっても謎のままなんだけどさ。
 反原連とかシールズとか、〝3・11以降〟の運動を象徴する人間は福岡では〝いのうえしんじ〟だけど、ぼくがやってた「だめ連福岡」に出入りしてた90年代後半にはまったく没政治的なサブカル野郎にすぎなかった井上君が、突如として〝運動の人〟になっちゃったのもアフガン反戦からだよね。

藤村 まさに。

外山 あの時に福岡でも井上君たちがチャンスをやってて、それは福岡でだけやってたんじゃなくて、チャンスはやっぱり首都圏で始まって、各地に〝オレもオレも〟って感じで拡がって、福岡では井上君たちがやってたというにすぎない。〝9・11〟の直後に、それまで〝運動〟とかに参加したこともなければ興味もなさそうだったサブカル連中が大挙して突然、デモとかやり始めて、その流れが2年後にワールド・ピース・ナウにつながってるはずだし、野間さんもそうであるように、03年のイラク反戦はそのまま〝3・11以降〟の反原連とかにまでつながってるはずなんだ。なのにどいつもこいつもワールド・ピース・ナウのことばっかり云って、チャンスの話をしないのは何か理由があるのか、ずっと不思議でならない。
 で、それともう1つ、01年のチャンスでさえ〝ネットで呼びかけて集まった〟と自称してたはずだし、その2年後のワールド・ピース・ナウが「ネットとはほとんど接点がなかった」なんてことはありえないと思うんだ。だって03年だよ? サブカル系のイケてる連中みたいなのが何か新しい運動を立ち上げようとして、ネットを使わないとかありえないよ。もちろんツイッターもフェイスブックもないし、今と比べたらかなり原始的だったろうけど、〝2ちゃん〟とかはとっくに〝巨大掲示板〟になってたような時代でしょ。もしかしたらメーリング・リストとかでの呼びかけだったかもしれないけど、サヤワカが「ネットとはほとんど接点がなかった」とか云うのは、単にキモヲタがネット・サーフィンする範囲では感知できなかったというだけのことでしょう(笑)。
 続けて中段で佐々木敦も、「このころ、のちに『ストリートの思想』と呼ばれるものが胚胎していたのはたしかだけれど、ネットとはまだほとんどリンクしていなかった」とか云って、サヤワカのにわかには信じがたい認識を追認してる。このへんは絶対に間違いだと思う。
 そもそも佐々木がちゃんと目配りしてた80年代の粉川哲夫とかだって、80年代前半からもう運動にコンピュータを導入してどうこうって議論を始めてるんだし、たぶんそこらへんとも関連して、「どくんご」の初期の関係者には〝パソコン通信〟で反原発運動を展開してた人たちもいるし、それも80年代のことで、そういうのは左翼系でも早い人はめちゃくちゃ早いよ。ぼくはいまだにITは弱いけど、そのぼくですら、上手く使いこなせなかったとはいえ、すでに97年の時点でホームページを立ち上げてるからね(笑)。
 さらに続けて東も「この時期にはストリートの思想とネットの思想のふたつが分裂して走っていた。ぼくはネットの思想にコミットしたわけですが、たしかにストリートの動きとは無縁だった」と云ってるけど、粉川哲夫って人の昔の本を読んでみるといいんじゃないでしょうか(笑)。
 やっぱりネットの世界には当時すでに運動系の人たちもキモヲタ連中もいて、単にそれらが出会う回路がまったくなかったというだけでしょう。こういう、ちょっと考えればありえないことがすぐ分かるようなことを云っちゃいけません。
 あと、同じ120ページ中段の佐々木発言の中には、イラク反戦のサウンドデモについて、「三田格さんが関わり、さらに三田さんの師匠筋の平井玄さんなどが理論的な背景を担っていた」とあり、東発言を挟んで大澤聡の、「ただ、平井さんはアウトノミア運動をバックボーンに活動していましたが、つぎの世代になると理論の部分が空無化し、サウンドデモは文字どおりサウンドだけになってしまう」という発言がある。ここらへんも「ん?」なんだよな。この時に、後に〝ヘサヨ〟と呼ばれるようになる流れと〝パヨク〟と呼ばれるようになる流れとが分裂してるはずなんです。
 ヘサヨというより、ヘサヨと〝ドブネズミ系〟の混合みたいな感じだけど、それと反原連とかにつながっていくパヨク系がここで分岐するというか、〝9・11〟を機に誕生したパヨク系の系譜に、80年代以来の新左翼ノンセクトつまり未分化のヘサヨ&ドブネズミ系の連合体が介入しようとして、やっぱり路線が合わずに決裂するに至る。
 そのへんはたしか、矢部史郎&山の手緑の『愛と暴力の現代思想』(青土社・06年)に言及があったと思う(「一昨年のアフガン反戦運動以来、私(たち)は反戦運動のなかで異物のように扱われてきた。イラク反戦運動の大枠であるWPN(ワールドピースナウ)のなかで、事務局と参加者がしばしば対立し、その対立の原因は、ACA(反資本主義運動)というグループの動向にあると噂されてきた。デモで検挙があるたびに、WPNは救援運動を放棄し、ACAは救援運動に取り組んできた。WPNとACA。非暴力と暴力。親警察と反警察。新しい運動スタイルと古い運動スタイル……」──「反労働の暴力へ」矢部・04年)。
 つまり後の〝3・11以降〟系とイコールの〝9・11以降〟系のラブ&ピースなノリに矢部とかがシビレを切らして、アナーキーでバイオレンスなノリを導入しようとして排除されるわけです。で、まあ〝弟子筋〟なんだったら三田格もそうなのかもしれないけど、少なくとも平井玄とかは矢部側だったと思うんだよね。
 ぼくはさっきも云ったとおり、この頃とくに03年は丸々獄中にいたんで状況が正確に分かってないんだけど、それでもこの座談会でのまとめ方がどうもおかしいだろうことは分かる。ヘサヨ+ドブネズミ系とパヨク系との分岐がこの時に起きてることが彼らにはまったく見えてなくて、ここでの「サウンドデモ」の話が、素人の乱やフリーター労組へとつながっていく、つまりヘサヨ&ドブネズミ系の流れとして語られてるのか、それとも反原連やシールズにつながっていく、つまりパヨク系の流れとして語られてるのか、ちっとも分からないし、まあ単に区別がついてなくてごっちゃにして、結果としてまったく無意味な議論をしてるだけだということは想像つくけどさ。
 仮に大澤の云うように、サウンドデモ的なものからやがて「理論の部分が空無化し」て、それが最近の反原連やシールズのような没理論左翼につながっているという話であれば、それは「つぎの世代になると」っていうような〝世代交代〟が原因ではなくて、多少なりとも理屈のあるヘサヨやドブネズミ系が袂を分って出て行っちゃったからです。
 そもそも〝世代交代〟なんか起きてないしね(笑)。まあシールズを除いては、だめ連もワールド・ピース・ナウも素人の乱もフリーター労組も反原連もしばき隊も、雨宮処凛も湯浅誠も外山恒一も桜井誠でさえも、みんな一緒で70年前後、65年から75年の生まれ(笑)。

参加者 えーと、さっきから出てくる〝ヘサヨ〟とか〝パヨク〟とかがよく分からないんですけど。

外山 ヘサヨってのは、要は昔ながらの新左翼ノンセクト・ラジカルです。差別問題とかにうるさい(笑)。

藤村 まさに〝文化左翼〟の人たちだよね。

外山 ついでに云っとくと〝ドブネズミ系〟は野間さんから〝面白主義〟の〝サブカル〟と罵倒されてるような人たちで、ぼくも入るし、だめ連や素人の乱もこの枠に入る。
 で、パヨクは、元々は野間さん一派つまり「しばき隊」界隈を指す悪口だけど、他に適当な用語がないんで、狭義の野間系だけでなく広義の野間系つまり反原連とかシールズとかまで含めて云ってます。左翼のくせに理屈のない、運動史についての教養もない人たち。〝9・11〟で登場して、〝3・11〟以降は量的な主流と化してる。思想的にはカラッポで……。

藤村 うん、思想的なものは何もない。

外山 動物化した左翼(笑)。

藤村 その代表格が野間さん(笑)。まあ〝代表格〟というか、その中では最も〝理論家〟ではある。

外山 ぼくは細かいことにこだわってるようだけど、こういう細かいところに目が向いてないために、その部分がどんどん拡大されて、結局はかなりトンチンカンでトンデモな認識が提示されることになったりするから困るんだ。ごくごく基本的なところでのちょっとした認識不足が積み重なって、最終的にはトンデモな結論が導かれたりする。
 さっきもちょっと云った107ページ下段の東の、「全体的な状況は、〇〇年代の初期からあきらかに左傾化していた」だの、「『ストリートの思想』でまとめられている動きが出始めたのも、〇〇年代はじめです」だの、前々回から繰り返し云ってるとおり、ほんとはいずれも80年代後半から始まってることです。しかも東たちは前回の座談会では、91年の〝文学者の反戦声明〟から左傾化が始まったかのような話をしてたはずじゃん(笑)。なんでその話すら〝なかったこと〟になっちゃってるのか。
 だめ連の登場とかに関してもテキトーな認識が目立つ。108ページ上段の大澤発言で、「九〇年代後半にだめ連がメジャー化したきっかけ」が『現代思想』の例の〝ストリートカルチャー特集〟(97年5月号)だったかのような、これも実際は違うよね。だめ連がタコツボ化した〝批評シーン〟でさえメジャー化したのは、たしかにその特集がきっかけだけど、政治運動シーンでは95年時点でとっくに超メジャーな存在でしたよ。しかもはっきり云って、『現代思想』が特集した時にはだめ連はとっくに旬を過ぎてて、遅すぎる。そういう遅れまくった〝批評シーン〟の内側の感覚で歴史を語ってもらっちゃ困るんだよ。
 松本哉なんかもっとヒドいよ。97年か98年の時点でもう〝大スター〟だったのに、この人たちの視野に入るのはどうせ07年の杉並区議選のあたりか、もしかしたら最初の本(『貧乏人の逆襲!』ちくま文庫)が出た08年からでしょ? 10年遅れてるんだ。
 ……あとそれから、たぶんそうなんだろうとは思ってましたが、122ページ中段で正直に告白されてるね。東浩紀にはやっぱり絓秀実の一連の〝68年〟論はよく分からなかった(「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」)、って(笑)。

藤村 だって絓さんの書くものは難しいもん(笑)。

外山 絓さんのよりはよっぽど分かりやすい笠井潔の〝68年〟論すら理解できなくて、逆ギレして決裂したような人ですから、そりゃ絓さんのはますます理解できないでしょう(笑)。

藤村 しかし〝ゼロ年代批評〟で〝ひとり勝ち〟してたような人がそんなことではマズいだろう。

外山 だってそもそもぼくらの世代以下で絓さんの〝68年〟論をちゃんと理解できてる人って、全国を探してもたぶん、まあ絓さんの直接の界隈を除いては、福岡の〝外山界隈〟以外にまず存在しないと思うよ。東とかに理解できるわけない。

藤村 オレもそんなに分かってないよ。すごく重要なことがいっぱい論じられてて、すごく面白いと思うけど、少なくとも1、2回読んだだけでは理解できません。

外山 『1968年』の第4章とか、ぼくでさえ熟読の読書会を10回近くやって初めてようやく理解できたぐらいだもんな。ぼくら以外ではせいぜい、鹿島君(鹿島拾市=加藤直樹)とかの〝ドブネズミ系インテリ〟がほんの2、3人、理解できるぐらいでしょう。全共闘世代のごく一部を除いて、あれを理解できる人は全国に10人いないと思う。そのうち4人は我々団界隈(笑)。

藤村 東浩紀はこう云ってるけど、〝68年革命が「成功」したからメデタシ、メデタシ〟みたいなことは絓さんは全然書いてないしね(笑)。

外山 うん、同じ122ページの下段ではやっぱり東が「『六八年がすごい』本」とか云ってるけど、そういう本ではない(笑)。

藤村 ここでは絓さんの『革命的な、あまりに革命的な』(作品社・03年)は「『早稲田文学』に連載されたもの」となってて、それはそのとおりなんだけど、原型になったものは西部邁の『発言者』に連載されてて、その時のタイトルは「全共闘という愚行」だもん。

外山 つまり全共闘が実は〝勝ってしまった〟ためにこういうマズい現在がある、っていう苦い側面も濃厚にある。

藤村 そうそう。市川真人に「六八年で撒かれた様々な種が、今日ちがうかたちで実現しているという話でしょう」ってまあ無難な説明をされて、東は「それが成功なの?」ってしつこく食い下がってて……。

外山 ほんとに分かってないんだということがよく分かる。

藤村 市川さんと佐々木さんは分かってるみたいだ。

外山 とりあえず理路はね。

藤村 ……あと、どーでもいい云いがかりですけど、114ページ中段から始まる、大澤信亮と浜崎洋介の『すばる』での対談記事の話があるでしょ。対談の内容についてもいろいろ云ってるけど、何よりも2人が浴衣を着て登場してたことを4人で寄ってたかってディスってる。
 おそらく前提として、NAMだの『重力』だのっていう、〝あんなろくでもなかった運動〟をノスタルジックに回顧するような対談の内容がケシカラン、というのはあるんでしょうけど。

外山 4人の座談会参加者のほぼ共通の認識として、『批評空間』や『重力』は、もはや〝野蛮な情熱〟でもってそこから身を引きはがさなければならないような、〝古いタイプの批評〟を引きずった媒体で……。

藤村 しかし大澤信亮はともかく、浜崎洋介って人は今はもう完全に保守系文化人になってて、『表現者』の常連執筆陣の1人だし、福田恆存について論じたりしてるぐらいで、むしろこの4人よりもよっぽど『批評空間』的なものからとっくに自らの〝切断〟を敢行してるとも云えるわけですよ。しかもそういう保守系文化人が浴衣を着て、何が問題なんだ(笑)。

外山 ぼくはそういう〝浴衣なんか着て云々〟っていう〝批判〟についてはどーでもいいと思ったけど、例えば115ページ下段の市川発言、仮にこんなふうに大澤・浜崎やそれをよしとする『すばる』編集部や『すばる』読者を批判したって、「棲み分けの結果として、批判するはずの側に届かない」っていうあたりは、かなり重要なことを云ってると思う。
 その後しばらく延々とそういう話が続いてるじゃん。ファン同士で好きなものを褒め合うダベりのようなもの以外の〝言論〟が必要とされておらず、そういうことではイカンと思って批判しても、批判してる当の相手はそんなもの絶対に読まないし……っていう苛立ちはよく分かるし、苛立つべきですよ。

藤村 じゃあ、どうするのか?

外山 その展望は何ら示されず、ただひたすら危機感が表明されてるだけですけどね(笑)。で、展望が見えないもんだから、そのぶん八つ当たり気味に〝①枠〟の人たちへの敵意が……。

藤村 そうそう(笑)。

外山 そんなに敵意なんか持つ必要ないのになあ。前々回も云ったように、東浩紀なんかが率先して〝①枠〟に乗り込んで、レベルの低いパヨクどもの議論を一掃するぐらいの強力な〝運動の言葉〟を紡ぎ出せばいいだけの話です。

藤村 オレは東浩紀のことはずっと記憶の彼方だったんだよ。90年代末に颯爽とデビューして、その時の印象がちょっとあるぐらいで、後はずっと忘れてた。だって今でこそオレはドルヲタだけど(笑)、基本アニメやマンガにはほとんど興味がないから、サブカルチャー批評に転じた東の著作を読む気はしなかったのね。
 それが再びというか初めてというか、東浩紀に注目したのはそれこそ〝3・11以降〟なんだ。当時まだ反原発運動とかやってた千葉麗子と口汚く罵り合ったりしてて(笑)、野間さんがその論争をブログでジャッジしたりしててさ。論争の内容はともかく、そんなふうに〝活動家〟と本気で大喧嘩してるような姿は、〝知識人〟として好ましいなあと思った。しばき隊を擁護する論陣を張ったりもしてて、オレが〝ゲンロン友の会〟に入る気になったのも、そのことが大きいぐらいだもん。

外山 中途半端なのが良くないよ。たまにちょっかいを出すレベルじゃなくて、もういっそ〝①枠〟を乗っ取るぐらいの気持ちで突っかかるんなら突っかからないと。

藤村 うん、ほんとにそう思う。

外山 なのに実際は、ちょっと突っかかっては、揉めて、引き揚げて、こんなふうに遠吠えみたいなことを仲間うちで云い合うことになっちゃってる。

藤村 で、野間さんとの蜜月関係もまるで〝なかったこと〟のようにして……(笑)。

外山 チラチラとはさすがに優秀さの片鱗が窺われるような発言もあるし、もっと本気で〝①枠〟に介入すれば、政治運動シーンにもそれなりの影響力を持つ知識人になれると思うんだけどね。
 そもそも東浩紀はアカデミズム的なシーンからはすでに距離のある人になりつつあるわけじゃん。いっそ〝ニッポンの政治運動〟のイデオローグ的な立ち位置を目指してもいいんじゃないの?

藤村 でも彼らからすれば〝イデオローグ〟なんてあり方は、閉鎖的で、閉ざされた……。

外山 だってむしろ自分たちが身を置いてる〝批評シーン〟のタコツボ性を身に沁みてるような議論をしてるんだからさ。自分たちがしょせんタコツボの住人だったことを認めざるをえないぐらい、彼らはもう追い込まれてきてる(笑)。
 ……ぼくはネットの話はよく分からないんだが、130ページ下段にある、06年1月の「ホリエモン逮捕でネットの空気が代わってしまう」(佐々木発言)とか、「そのあとには反動がやってきて、ネット空間は一気に保守化していく」(大澤発言)とか、全然ピンとこないんだ。これはおおよそ正しい認識なの?

藤村 一般的に云われてるのは、サヤワカさんも触れているように、やっぱり02年の日韓ワールドカップがネットの〝保守化〟のメルクマールでしょ。

外山 政治的・思想的な意味での保守化についてはね。

藤村 あの時の韓国は実際ヒドかったし、マスコミがそれをちゃんと問題にせずにキレイごとでごまかすもんだから、〝マスコミは真実を報道していない!〟って感じでネトウヨが大量発生する。ぼくも当時、某ネット右翼団体に参加してて、ワールドカップ問題にも関係してたんで、体験的によく分かってるつもりです。

外山 もっともぼくの認識では、日本のネット文化は最初からまあ、〝右傾してた〟とまでは云わんけど、〝監視社会化のツール〟でしかなかったよ。それは理由もはっきりしてて、ネットが普及したのは世界的にも日本国内的にも90年代後半でしょ。要するに、監視社会化が進んだのは世界的には9・11以後つまりネットの普及が進んだ後だったけど、日本国内ではそうではないんだ。日本版の〝9・11〟である95年の〝オウム事件以後〟に、つまり急速な監視社会化が先に始まって、その後でネット社会化が始まった。そんなもん、最初から監視社会化のツールとしてしか機能しませんよ。
 だから日本のネット社会はそもそもの最初から〝保守的〟なものでしかなくて、その枠内で多少の揺れはあり、ここで佐々木や大澤が云ってるのもそういう相対的な話にすぎないことは分かってるんだけど、でもネット・シーンの具体的な動向には疎いんで、ニュアンスがよく掴めない。だってぼく、108ページ下段で大澤が言及してる「シノドス」ってのも何だか知らないんだ。名前はよく聞く気がするけど、何?

藤村 オレも知らない。何でしょう?

参加者 社会評論的な記事がたくさん載ってる、ニュースサイトですね。

外山 たぶんすごく有名なサイトなんであろう「シノドス」すら知らないぐらいなんで、まして109ページ中段のサヤワカ発言、「二〇〇一年はまさにページビューを稼ぐサイトが登場してきた時代です。『カトゆー家断絶』や『侍魂』、『ちゆ12歳』みたいなテキストサイトが開設される一方で」云々とか、そんなキモヲタみたいなことを急に嬉々として語られ始めましても、まったくついていけません(笑)。

藤村 途中からページの端っこに別枠で「補遺」として「はてなダイアリーの時代──批評とネットの交差点」ってのが掲載されてるでしょ。

外山 〝プチ座談会〟みたいなやつね。大澤・サワヤカ・東の3人でやってる。

藤村 〝はてなダイアリー〟というのがかなり重要なものであるらしいことは、こないだ清さんと初めて会って飲んだ時に清さんから聞いて知ったんだけど、それまでは〝はてサ〟っていう、〝はてな系サヨク〟って言葉は知ってたし、左翼が主に使ってるブログ・サービスで、語感も似てるし〝ヘサヨ〟みたいなのがいっぱい集まってるんだろう、ぐらいのイメージでいた。この〝プチ座談会〟を読んでも、〝へー、こういう面白いしくみだったのか〟って今さら蒙を啓かれてますよ。

外山 〝プチ座談会〟のほうはまだちょっとしか読んでないが、115ページの東発言に「04年ごろのはてなダイアリーは、たしかアクティブユーザーが3000人ぐらいだった」とある。たしかに何のブームでも、それぐらいの人数の頃が一番面白いだろうな、というのは想像できます。
 ……まったく関係ないが、大森望と豊崎由美の『文学賞メッタ斬り!』(04年・ちくま文庫)への言及から、〝書評家の時代〟みたいな話が124ページあたりからしばらく続いてるでしょ。ここでは『文学賞メッタ斬り!』自体は良かったんだけど、〝権威を引きずりおろす!〟ってノリだけ真似た安易な言説が増えてつまらないことになったという話で、それにべつに異論があるわけではない。
 ただぼくが愕然としたのは、たしか同じコンビで書かれた(間違い。豊崎由美&岡野宏文)、文学に限らず20世紀のさまざまなベストセラーを〝メッタ斬り〟するという対談本(『百年の誤読』04年・ちくま文庫)を読んで、まあ面白いことは面白いんだけど、いかにも〝読書家〟な感じの2人がコト〝政治的〟な方面の話になるとビックリするぐらい無知なんだよ。
 80年代のベストセラーを10冊ぐらい改めて読んで語り合ってる章があって、『窓ぎわのトットちゃん』とか『積み木くずし』とか『気くばりのすすめ』とか出てくる中に、森村誠一の『悪魔の飽食』(81年・角川文庫)が入ってるの。で、実際に読んでみるまでは、タイトルのイメージで、〝もったいないオバケ〟みたいな話というか、〝こんな使い捨ての風潮はケシカラン!〟っていう説教本なんだろう、って2人ともカンチガイしてたらしいんだ。

藤村 『悪魔の飽食』を!?

外山 常識だよなあ。なんてモノを知らない連中だ、と愕然としましたよ(笑)。2人ともいわゆる〝新人類世代〟(50年代後半〜60年代前半生まれ)なわけで、〝政治〟を忌避してきたウブな新人類どもが〝9・11ショック〟とかで急に政治づいたら、そりゃ凡庸なリベラルになっちゃうはずだわ、と思い知った。じっさい読んでみて衝撃を受けたらしくて、〝ぜひ若い人たちにこそ読んでほしい〟とか云い出すし(笑)。

藤村 たしかに『悪魔の飽食』ってタイトルは意味不明だけどさ。731部隊の戦争犯罪を追及した本だとは、タイトルからはまさか想像つかないでしょう(笑)。

外山 それはそうなんだが、しかしぼくらと違って彼らは当時もうリッパな大人だったわけでしょ。まだ政治に目覚めるはるか以前の、中学生のぼくでも当時ほぼリアルタイムでそういう本だって知ってたもん。ごくごく素朴な最低限の社会的関心があれば、〝731部隊について書いた本がベストセラーになってる〟ぐらいの情報は、実際にそれを手に取って読むかどうかはともかく、小耳には挟むはずだよ。2人の対談は読みものとしては充分面白いし、鋭いことも時々云うんだけど、サブカル連中の政治オンチぶりは本当に度し難いレベルなんだな、と思い知りました。
 ……こっちの座談会もだんだん〝雑談〟化してきたんで、本編の〝雑談会〟に戻りましょう。では次の第2節をそれぞれ黙読してください。


 (「2.「新たな批評の地平──ゼロ年代後半の批評」黙読タイム)


外山 132ページの一番最初の東浩紀の発言の中に、ゼロ年代半ばを過ぎて、「ここからさきはどんどん暗い時代になっていく」とあるけど、これは〝格差社会の進行〟とか〝右傾化の進行〟とかの全体状況を云ってるのか、それともフリーター労働運動とか素人の乱とか、あるいは在特会とかが顕在化して〝活動家の言説〟がいよいよハバをきかせるようになってきた、みたいな話なのか、どっちなんだろう?

藤村 やっぱり〝批評シーン〟にとって「暗い時代」ってことじゃない?

外山 タコツボの中が暗くなってきた、と。ちょっと電気暗くなってきてねえか、と(笑)。

藤村 社会全体も暗くなってきたという認識もコミだろうけど、主には〝批評シーン〟の話をしてるわけだし。

外山 132ページ下段から133ページ上段にかけての一連の会話の中にある、村上隆が「ホリエモンの現代美術バージョン」(佐々木)だっていう形容はちょっと笑った。

藤村 そういう話は東浩紀が現代美術について論じる時はいつもやってますよ。グローバリズムに親和的な美術であって……。

外山 しかも東はおそらく村上隆的な方向を支持してるんでしょ? で、しかし村上隆と並んで「同時代には、その対抗軸として、いわゆる『関係性の美学』のような政治化しストリート化した現代美術も立ち上がっている。いわばホリエモン対ストリートの対立が美術業界にも見られる」(東)、と。この「関係性の美学」って、今日はもう呆れて来なくなっちゃったウチの東野大地センセイがツトに問題にされている、東京の〝3331〟とかいう中村政人って人がやってる流れのことでしょ?

藤村 じゃあ中村政人のようなものが「政治化しストリート化した現代美術」なの?

外山 話にならんぐらいレベルが低いのは、例えばシールズがそうであるのと一緒でしょう。そういえば五野井郁夫はその両方に関わってる(笑)。

藤村 なるほど!

外山 〝3331〟が「政治化しストリート化した現代美術」とはとうてい思えんけど、五野井郁夫の存在を念頭に置くと、〝シールズの現代美術バージョン〟ってことでいきなり納得がいく(笑)。「政治化しストリート化した現代美術」と云われたら普通は〝チンポム〟とかを念頭に云ってるのかなあと思うけど、東野センセイによれば、日本の現代美術シーンで「関係性の美学」を云々してるのは、ほぼ〝3331〟界隈のみらしいですから(後註.たぶん外山の誤解)。

藤村 この第2節全体の議論の〝暗い〟トーンはたぶん、一番には00年代後半以降、〝批評〟自体のレベルがどんどん落ちていってるという認識が彼らにあるからでしょうね。

外山 なんか佐々木中に対してやたら……。

藤村 手厳しい(笑)。……要は〝批評〟の世界がタコツボ化していったことによって、レベルが落ちていく。なんとかして〝批評〟を回復させなきゃいけないんだけど、自分たちの周囲もどんどん貧しくなっていて、一方で〝政治〟方面を見ると、実はそっちも〝大きいタコツボ〟でしかないんだが(笑)、なんか活況を呈してるように見えるわけだ。悔しい、と。それでジェラシーがメラメラと燃え上がっているという、そういう感じを受けます。

外山 〝政治〟系の言葉も貧弱なのは確かで、そういうことへの彼らの苛立ち自体は〝ごもっとも〟なんですけどね。
 しかし一方で、彼らが今のそういう〝政治〟系の言説を批判的に語る時の言葉も、やっぱり貧弱だと思う。乱暴すぎるというか、それは何度も何度も云ってるとおり、彼らが政治的な運動の展開や変遷について知らなすぎて、ほとんどイメージで語ってるにすぎないからなんだけどさ。
 それは148ページ中段から149ページ上段にかけて、彼らが〝最近の運動〟についてざっと語り合ってる部分からも見てとれる。東が、「二〇〇〇年になるかならないかのころ、『だめ連』のメンバーに会って活動内容を尋ねてみたら」云々って、遅すぎるでしょ(笑)。

藤村 うん、遅い。00年頃といえば……外山君が逮捕されたのはいつだっけ?

外山 02年。

藤村 そのちょっと前ぐらいから、だめ連はテレビにも出てたよね?

外山 00年前後のだめ連はもう完全に〝終わって〟るんです。97年の『現代思想』の特集の時点でほとんどもう終わりかけてて、どんどん左派系知識人の慰みものみたいになった挙げ句、00年前後には筑摩とか河出とかの遅れた出版社がやっと注目して競うように〝だめ連の本〟を出すし、「たけしのTVタックル」にまで進出したりするようになってるという、消費されまくってもう何もない状態。
 そんな時期のだめ連に初めて遭遇して、「『中野の自転車置場でときどき会ったり会わなかったりする』と言われて脱力した記憶があります。こんな遊びが『現代思想』で取り上げられているのかと、半ば憤ってもいました」と東はトンチンカン極まりないことを云ってるわけです。もちろんここではそれをいわば〝過小評価だった〟、00年代後半にフリーター労働運動とか出てきてから認識を改めた、と云ってるんですけど、だめ連のピークが『現代思想』の特集なんかよりずっと前にあったことなんかは相変わらず分かってないでしょう。
 世間がだめ連に注目するのは確かにものすごく遅かったんだけど、〝批評家〟のくせに首都圏の政治的な運動の動向について世間と同レベルのアンテナしかないのはマズいだろ。
 同じようなことは137ページ上段のサヤワカ発言についても云える。「〇五年に『素人の乱』、〇六年に『革命的非モテ同盟』が登場します」っていう。素人の乱と非モテ同盟を同列に並べるセンスも度し難いけど、それは措くとしても、松本哉の運動の起点を05年なんかに置いちゃダメですよ。だめ連が勢いを失っていく97、98年に、それと入れ替わるように〝法政大学の貧乏くささを守る会〟で大旋風を巻き起こすのが松本哉なんだもん。

藤村 外山君の周辺にいたからだけど、オレですら福岡にいながらにして松本哉の存在はその頃からもう知ってた(笑)。

外山 〝松本哉〟を00年代の、しかも00年代後半以降の人として語るのがそもそも大間違いってことです。ほんとは90年代後半の人なんだ。

藤村 そうだよな。

外山 ここでは一応、「〇五年」と年号が挙げてあるけど、素人の乱の結成時点で彼らがそのことを知ってたともとうてい思えない。07年の杉並区議選で騒がれてからか、08年に松本君の最初の本が出てからか、もしかしたら〝3・11〟以降の反原発運動で一般のニュースにさえ登場してから初めて知って、後から調べただけのことでしょう。まあおそらく07年の都知事選と杉並区議選の直後、彼らの〝お仲間〟である鈴木謙介が司会をやってるTBSラジオの「ライフ」に、ぼくと松本哉が出演したあたりで初めて知ったんじゃない?
 07年まで彼らは松本哉はおろか外山恒一すら知らなかっただろうし、それぐらい〝遅い〟連中なわけです。もちろんそもそも〝政治系〟に反感を持ってるからあんまりちゃんと見てないんだろうけど、そのために知識がなさすぎて、知識がないくせにあれこれ口を挟もうとするからトンチンカンなことばかり云ってしまう。
 それこそ私の『青いムーブメント』(彩流社・08年)でも(後註.当然これは現在では「『全共闘以後』でも」と云い換えられる)読んでだね(笑)、〝ドブネズミ系〟の存在まで視野に入れないことには80年代以降の運動史は正確には読み解けないんだけど、せめてヘサヨとパヨクの識別ぐらいはしてほしいよ。
 だめ連や素人の乱は実はヘサヨではなくドブネズミ系だけど、あとヘサヨとドブネズミ系の野合であるフリーター労働運動と、そういうのをパヨク系の反原連やしばき隊やシールズと一直線に結んじゃうようなデタラメな歴史観をこんなふうにバラ撒かないでほしい。〝批評シーン〟への影響は大なんだろうし、迷惑だ。

藤村 ……133ページ上段で大澤さんが、「『現代思想』の書き手の一部が思想誌『VOL』を創刊しています。中心メンバーのひとりである萱野稔人は〇五年に『国家とはなにか』を出版し、カルチュラル・スタディーズやポストコロニアル批評では批判が大前提だった『国家』の問題にメスを入れ、実体論的なアプローチを示します。あの仕事によっても、それまでの言論界の痩せ我慢の底が抜けた。ひとつの転機になったはずです」と云ってます。
 続けて萱野が「テレビ文化人」化していったことを揶揄してるし、萱野はつい最近もテレビで〝共謀罪〟問題に絡んで安倍内閣の肩をもつような発言をしてツイッターでさんざん叩かれてたし、この後の議論も鈴木謙介や荻上チキがタレント化していく話が続くし、「痩せ我慢の底が抜けた」というのは、もともとアナキストだったはずの萱野がテレビに出てメジャー化して堕落した、というような意味?

外山 いやいや、座談会の流れからして、言論界全体の〝左傾化が加速した〟という意味でしょう。

藤村 だって萱野さんは〝左傾化〟どころか、むしろ右傾化、保守化したわけだから……。

外山 萱野稔人個人はね。ここで「痩せ我慢の底が抜けた」と云ってるのは、〝『VOL』の創刊〟からの文脈だし、〝「テレビ文化人」化〟は付け足しで、ただその付け足しを機に話題がちょっと変わる。
 〝批評〟とくに〝現代思想〟系の批評なんて、たいていみんな左翼なのは前提なんだけど、露骨に左翼的なことは云わない、まして現実の左翼運動にコミットするのは避ける、というのが不文律みたいになってたわけでしょ。自分たちは〝活動家〟ではなく〝批評家〟である、というクソろくでもないプライドを左翼知識人たちは持ってるものだった。左翼だけど左翼運動にはコミットしない、というのがつまり「痩せ我慢」で、『VOL』なんていう露骨な左翼メディアを大学に籍を置く若手研究者たちが創刊した、というのがつまり「痩せ我慢の底が抜けた」ということだよ。で、彼らは総じてそういう〝政治的言説〟について、〝没教養・没理論・没知性〟の低レベルな言論だ、という偏見を持ってるわけだから、そういう方向に「底が抜けた」ということでもある。
 〝付け足し〟を機に始まる〝「テレビ文化人」化〟については、その後も何度か繰り返し論点になってるよね。すぐTBSラジオの「ライフ」の話につながって、だいぶ後のほうでも152ページ下段でやっぱり大澤が「『テレビ』と『運動』へという流れは一〇年代の批評が置かれた条件を物語っています」と、〝批評家〟が〝批評家〟として自立せずに、タレント文化人化したり〝活動家〟に転じたりすることで、彼らは〝出口〟と云ってるけど、いわば〝卒業〟していっちゃう現象に苛立ってるようです。あるいは〝大学〟の中に引きこもってしまうような方向にも、前回の座談会では批判的だった。

藤村 ちなみに、「ライフ」に権威あるギャラクシー賞をもたらした(外山と松本哉の出演回が受賞)外山センセイとしては(笑)、ここでの東浩紀による「ライフ」評価はどうなんですか? 東は「あまり評価はしません」と云ってますが……。

外山 ぼくもべつに〝評価〟はしてないよ(笑)。呼ばれたから出ただけだもん。

藤村 東が〝評価しない〟理由は、「ライフ」でのトークに濃厚な「ぬるい部室のような空気」(134ページ上段)だと云ってる。「ぼくも部室的な空間自体は好きなんです。しかし、ゲンロンカフェを運営している立場から言えば、残念ながら部室では客が来ない」ということらしい。やっぱり東は、〝批評〟が客を集められなくなってきた状況に対して非常に危機感を持っており、この第2節全体をつうじて何度もそういう認識を表明してるわけだ。
 これはだいぶ以前に東と柄谷が喧嘩した時の話ともつながっていて、〝今後は「批評」も先細りしていくんだから、批評家も営業活動をしなきゃいけない〟って東があの柄谷に噛みついて(笑)、柄谷は当然、〝うるせえ!〟って一蹴したという……(笑)。東が昔からここらへんは一貫してるのは偉い。

外山 タコツボ化についての危機感の表明がずーっと続いてるような座談会だね。
 噂話で聞いただけだからテープ起こしでは人名は伏せるが、それなりに売れてテレビやラジオにも出てた某若手知識人が、地方の大学で教えることになって赴任して、いざ教壇に立ってみると学生たちが誰も自分のことを知らないことが分かって呆然としたっていう(笑)。〝批評シーン〟のタコツボ化を少しも自覚できてなくて、彼は自分を学生の多くが当然知ってるぐらいの超メジャーな存在だと勘違いしてたわけです。

藤村 バカだねえ……。

外山 そんなオソマツな〝世間〟認識でよく〝批評家〟を名乗れるもんだよ。

藤村 ……しかし134ページ下段の東浩紀の、『永続敗戦論』に対するコメントがヒドい。「日本は『永続敗戦』の状態であり、そこから抜け出すには不可能なものへの挑戦が必要なのだという話」とか云ってるけど、あの本はそういうことが書かれた本ではありません(笑)。

外山 そうなのか。読んでないから分からない。

藤村 オレも最初は〝日本は対米追従路線から抜け出せ!〟っていう本だろうと思って読み進めてたんだけど……。

外山 むしろ〝抜け出せない〟って話をしてる本じゃないの?

藤村 そうそう。〝抜け出せない〟って話で、かつそのことにせめて〝自覚的であれ〟という本。だからオレはもちろん、〝ケッ、これだから根性ナシのリベラルは!〟と思いましたけど(笑)、でもリベラル派ならそういう結論しかありえないだろうことも分かる。
 でも白井聡はリベラル派ではなく〝レーニン主義者〟であるはずだよなあ。『永続敗戦論』の解釈がおかしいだけで、総合的には東の云うとおり白井は「レーニンを不可能なものに挑戦したひととしてロマン主義的に再解釈しようという」人、「抽象的なロマン主義」、「政治的ロマン主義」の人なんでしょうね。
 「五野井郁夫さん、北田暁大さんとの最近の共著『リベラル再起動のために』(一六年)でもまったく同じで」と東は云ってて、この本はオレは読んでないが(後註.のち2018年10月に「“検閲”読書会」を実施)、その中で白井は「野党共闘なんてちゃんちゃらぬるくて、解決策は共産革命しかないと言っている」らしく、「威勢はいいんですが、政治的ロマン主義ですね」と切って捨てられてるんだけど、オレは左翼じゃないから賛同しないだけで、白井聡の云ってることは何も間違ってないし、正しい(笑)。

外山 うん。〝そうだそうだ!〟と賛同できない東の〝軟弱ヘナチョコ〟ぶりが露呈してるだけ(笑)。
 ……136ページ中段から下段にかけて、赤木智弘と雨宮処凛の話が出てきますが、前々回の座談会と違って、東もちゃんと赤木智弘と雨宮処凛とは全然違うんだということぐらいは理解してるようですね。前々回の座談会から1年ぐらい経ってるわけで、ちょっと成長の跡が見られる(笑)。

藤村 しかし東浩紀がなぜ雨宮処凛を評価するかというと……じっさい評価してて、ニコ生とかでもよく、シールズをディスる時に比較対象として雨宮処凛の存在を引き合いに出したりしてる。ちょっとヒネクレた見方をすれば、雨宮処凛は「パヨク」化しないからじゃないの? 要は雨宮処凛はまったく〝批評〟的な人ではないし、東浩紀の〝批評家〟としての存在を脅かすことなんか絶対にないというだけのことでしょう(笑)。

外山 ただ、多少認識が更新されたのはいいけど、「雨宮さんはミニスカ右翼から転向して左翼になったので、ぼくを含めみなすぐやめるだろうと思っていたのだけど、意外と息の長い活動を続けている。ある意味で雨宮さんはここで、自分の生き方を見つけたんだと思うんですよね」と東は云ってて、佐々木がそれに「自分探しを成就させた、と」って応じてる。とくに間違ってるわけではないが、「ミニスカ右翼」の頃は単に不勉強だったから右翼だっただけだよね(笑)。

藤村 そんな云い方をされては右翼としては立場がないが、まあ雨宮処凛の場合はそうです(笑)。

外山 単に「自分探し」をしてただけで、その過程でたまたま視野に入ったのが右翼方面の人だった。いったん飛び込めばいろんな人と知り合うし、彼女の場合は左翼系の人が面白がって近づいてきて、〝左右交流〟の中でいよいよ勉強して左傾した、という(笑)。自分のことだけでなく社会のことを考えるようになって、左翼になったわけで、雨宮処凛の本当の政治的履歴は〝左傾して以降〟に始まるんだよね。「ミニスカ右翼」時代は単に「自分探し」時代で、〝自分〟のことしか考えてなかった(笑)。
 もちろんこれは批判的に云ってるわけではなく、それでいいと思います。普通はマジメに勉強すれば左翼になるんであって、それが〝お勉強〟では終わらない人がやがて右に行ったりするんです。

藤村 雨宮処凛の〝過去〟については、認識が間違ってる人が多いよ。福田和也なんか昔から雨宮処凛のことは視野に入れてたはずなのに、ラジオで言及する時に〝一水会にいた〟って云ってた。たしかに一水会の機関紙である『レコンキスタ』に連載はしてたし、近しい関係にもあったけど、雨宮さんが実際に所属してたのは「民族の意志同盟」だよね。
 で、その時期から一部では有名だったが、もうちょい有名になるきっかけがドキュメンタリー映画の『新しい神様』(土谷豊監督・99年)でしょ。映画の中でもすでに元・赤軍派議長の塩見孝也とかとの交流が始まってたし、映画が完成してしばらく経つといよいよ本格的な左傾化が始まった。『生き地獄天国』(00年・ちくま文庫)という最初の本が出る頃にはほぼ左傾してて、たしか最後の章のタイトルは「天皇陛下バイバイ」だったよね。そしてその後さらにどんどん左派・リベラル派のほうに接近していく。
 そういう経緯をリアルタイムで見てた人間からすると……まあウソは書かれてないけど、〝批評家〟たちの言葉としては雑すぎる気はする。

外山 もちろんたかだか1ページあるかないかの言及で、そこまで求めるのも酷ではあるけど、でもやっぱり政治運動シーンの変遷についてこんなふうにあれこれ語るんなら、ディテールは押さえた上で語ってほしい。雨宮処凛に対してはたまたまあんまりボロが出てないだけで、他のところではボロが出まくってるし、それに雨宮処凛についても、本当にちゃんと見てればもう少し云い方が違ってくるだろうとは思う。

藤村 しかも「意外と息の長い活動を続けている」とか、なんか……偉そうだよね(笑)。「自分の生き方を見つけたんだと思う」とかさ。

外山 まあ『新しい神様』を観れば、〝右翼時代〟の雨宮処凛はあまりにもバカすぎて、つい〝上から目線〟でモノを云いたくなりますけど(笑)。でもメチャクチャ真剣なのも伝わってきて、そのケナゲさが憎めなくなるというか、好感がもてるし、観終わる頃には完全に雨宮ファンになっちゃうような映画ですよ。

藤村 その前のくだりで、白井聡も含めて、00年代後半のいわゆる〝ロスジェネ論壇〟について、「若年層の貧困を分析する際に、社会構造の問題よりも、むしろ当人たちが抱える不安や自意識など実存的な問題に重点を置く」(135ページ中段・大澤)傾向を問題にした流れで雨宮処凛の話になってるから、云い方もつい偉そうになってしまうんでしょう。
 しかし「ロスジェネ論壇では実存の問題が社会の問題とダイレクトに結びついていたわけです」(同下段・大澤)と云うけど、たしかに雨宮処凛がそうだったのは『新しい神様』を観れば分かるとはいえ……。

外山 その雨宮処凛にしても、「ミニスカ右翼」時代が「自分探し」だっただけで、左に転じた時点で「自分探しを成就させた」んであって、それ以降は違う。

藤村 実際どうだったかな、ロスジェネ論壇って。たしかにここで云われてるような傾向は感じられたが……。

外山 ぼくはここで云われてることは概ね正しいと思うよ。

藤村 それにここでは〝ロスジェネ論壇〟を雨宮処凛と赤木智弘に代表させてるけど、『ロスジェネ』創刊号(かもがわ出版・08年)にはたしかにこの2人の名前も前面に出てたとはいえ、それ以降は出てきてたっけ? 4号(10年)まで出たはずだけど、それ以降はもう赤木智弘は出てきてないはず。

外山 『ロスジェネ』は他に……増山麗奈がいたのは強烈に覚えてる。

藤村 あ、増山麗奈か……すいません、やっぱりロスジェネ論壇は〝自分探し〟です(笑)。

外山 あの人は〝自分探し〟ですらない気がする。〝上昇志向〟?(笑)

藤村 佐藤悟志は雨宮処凛への評価が手厳しい人で、彼女も要は〝上昇志向〟なんだと云ってる。それは有名になってテレビに出まくるというようなことではなくて、左翼が〝上〟なんだ、右翼での活動を、やがて〝上流社会〟である左翼業界へと転身するためのステップアップに利用したんだ、と。

外山 佐藤悟志は逆に長いこと左翼で頑張って、その果てに〝下層人民〟との結合を求めて右に〝転落〟したんだもんね(笑)。立派だ。

藤村 『ロスジェネ』は杉田俊介、大澤信亮、浅尾大輔、増山麗奈……といったあたりがメインだったと思う。

外山 うん、でも座談会の中で言及がないだけで、佐々木敦の基調報告ではちゃんと言及されてたよ。
 ……(本棚から実物を取り出して)創刊号には紙屋高雪もいるね。〝オタクコミュニスト〟を自称してるサブカル系の批評家で、もう何冊か著作もあるけど、彼は実はぼくらがやってた「全国高校生会議」の参加者なんだよ。ぼくや矢部史郎といった主力メンバーではなく、単なる参加者の1人だけどね。愛知県で民青の高校生班を束ねてて、そこそこ優秀な奴だという印象はあったけど、まさかその後、民青の全学連委員長までやってたとは最近まで知らなかった。

藤村 へー、そんな人がいるのか。……しかし増山麗奈の名前を出されると、ロスジェネ論壇=〝自分探し〟というイメージに説得されてしまいそうだ(笑)。

外山 だって、ロスジェネ論壇とダイレクトにつながるわけではないけど、決して無関係ではないところに最近は森元斎や栗原康といった〝自分探しアナキスト〟、〝メンヘラ・アナキスト〟たちも登場してるわけで、細かい部分はともかく、大筋としてはここでの議論はぼくには納得できるものだよ。

藤村 しかし一方でじゃあ、「実存の問題」と「社会の問題」とが結びつかない場合はどうなるかといえば、ヘサヨ化するわけでしょ? 〝他者〟だの〝外部〟だの、〝マイノリティ〟に帰依するような運動になってしまう。

外山 いや、あれはあれで〝自己否定〟的な実存の運動だよ。「実存の問題」と結びついてない社会運動って、ほくのイメージではむしろシールズとかってことになる。あれは〝自分探し〟ではないよね。

藤村 さあ……シールズのアカウントの大半が〝ぶろっくやっちゃうよ君〟を導入していて、オレはそのブロック・リストに入っている〝レイシスト〟らしいし(笑)、シールズの動画とかはあまり見れなかったんだよ。

外山 個々人を見ればそういうタイプもいるだろうけど、運動全体としては、単なる正義感に基づいた凡庸なリベラル派の運動だもん。あるいは〝選挙に行こう!〟とかさ。東たちは「実存の問題」と結びついた運動を批判的に云うけど、じゃあそうでない運動って何なんだということになると、結局そういうしょーもない運動でしかない。

藤村 あるいは宮台真司も〝実存の問題と社会の問題とは切り離せ!〟的なことを昔からよく云ってて……。

外山 で、どうなるかといえば〝政策提言〟だの〝ロビイング〟だの、ほんとしょーもない!

藤村 だから東たちのこういう批判の仕方は、事実としては間違ってるわけではないんだが、好きではない。

外山 むしろ〝ちゃんと結びつけろ〟ってことですよ。まあ、実存主義はほんとにマジメにゴマカシ抜きでちゃんと政治化させるとファシズムになるしかない、というのがぼくの結論なんだけどさ(笑)。
 ……東たちの〝無知〟っぷりをさんざんディスっといて、ぼくがこういうことをよく分かってないというのはマズいんだが、『ロスジェネ』と『フリーターズ・フリー』(07〜08年。14年に自主流通の最終第3号刊行)って、どういう傾向の違いがあったんだっけ?

藤村 執筆者もかなり重なってたと思うよ。大澤信亮や杉田俊介は両方に関わってたでしょ。あと、生田武志さん。

外山 生田さんが『フリーターズ・フリー』のメインでしょ、たしか。アタマ良さげなほうが『フリーターズ・フリー』で、アタマ悪そうなほうが『ロスジェネ』ってイメージなんだけどさ(笑)。

藤村 うん、オレもそう(笑)。〝勉強になる〟のが『フリーターズ・フリー』で……(笑)。でもそうか、『フリーターズ・フリー』との比較で考えると『ロスジェネ』は〝自分探し〟だよなあ。〝自分探し〟というか、〝自意識の発露〟? しかしそれは単に増山麗奈がいるかいないかの違いかもしれない(笑)。

外山 生田武志さんには1度会ったことがあるけど、ものっすごいマジメなヘサヨ、という感じの人だった。熊本に来た時にぼくの〝秘密アジト〟に泊まって、かなり長いこと語り合ったんだ。ぼくらと5歳ぐらいしか違わないんだけど(64年生まれ)、ずーっと釜ヶ崎で活動してて、もちろんぼくはそういうのから〝野蛮な情熱〟でもって身を引きはがすことで〝異端的極左〟の思想的流浪を開始したわけで、全面的に支持はしないまでも、やっぱり偉いとは思うよ。頭が下がります、というか(笑)。その生田さんの印象もあって、『フリーターズ・フリー』のほうはヘサヨっぽい、『ロスジェネ』のほうは、ぼくらドブネズミ系の末裔のだいぶ劣化した部分という、あくまでイメージなんだけどね。……まあ、いいか。
 137ページ中段の大澤発言の中に、「SEALDsの活動の参照モデルのひとつは、まちがいなく在特会の動画でしょう」というのがあるけど、これはどう思う?

藤村 間違いでしょう。

外山 だよね。

藤村 「まちがいなく」とか云ってるけど、「まちがいなく」間違いです(笑)。……あえて認識を修正するなら、しばき隊の活動の参照モデルの1つはたしかに在特会で、そのしばき隊の影響を多少はシールズも受けている。

外山 間接的な影響というか、しかしそれも〝動画の使い方〟とかの部分での影響ではないよね。〝まず街頭に出る!〟っていうノリの影響であって。

藤村 ただ奥田愛基さんは、神保哲生がやってる「ビデオニュース・ドットコム」で、在特会の動画の使い方について、〝悔しいけど上手いと思う〟ってことは云ってたけどね。

外山 それは逆に云うと、〝動画の使い方〟の部分では参照してない、影響は受けてないってことじゃん。
 ……ぼくはよく分かってないんだが、在特会のそれと似てるかどうかはともかく、シールズって〝動画の多用〟とかしてたの? 何かそれに近いようなことがあって、大澤もこういうことを云うんでしょ?

藤村 さあ、オレもシールズの動向はちゃんと追ってなかったし。

外山 マスコミはさんざん報道してたみたいだけど、自分たちで動画を撮ってネットに上げたりとか、そんなことをしてたイメージはないけどな。だって在特会とかは、マスコミが報道してくれないから自分たちで〝報道〟してるわけだもんね。マスコミが嬉々として報道してくれるシールズに、わざわざそんなことやる動機がないでしょう。まあ、小熊英二がドキュメンタリー映画にしたって話は知ってるけどさ。

藤村 ツイキャスとかは結構流れてきた。あと、「あざらし防衛隊」っていう、しばき隊界隈でシールズ好きの、主観的にはシールズを応援したいんだろうけど、シールズ側にとってはたぶんとっても迷惑な中年のオッサン集団がいて(笑)、彼らは在特会と同じノリだし動画をバンバン撮ってネットに上げてたかもしれない。

外山 しかしともかくこの人たちは、シールズはまたちょっとそれまでの流れとは違うんだ、ということも分かってるフシがないよね。そもそも自生的な運動ではなくマスコミが作った幻影みたいなもんだ、ということがたぶん分かってないでしょう。反原連やしばき隊とは友好的ではあるけど、別物だし、80年代以来のドブネズミ系やヘサヨの系譜の延長にある素人の乱やフリーター労働運動とも違うことはもちろん、〝9・11〟以来の系譜を持ってる反原連やしばき隊とも違う、そういう〝運動史〟とは何の関係もない、マスコミ主導で作られた〝運動シーン〟への闖入者にすぎないんだもん。

藤村 そこらへんは全然分かってなさそうだ。シールズって、実は〝大人の運動〟だよね(笑)。

外山 うん、朝日新聞の記者とかの運動(笑)。赤木智弘とかと一緒! 個人ではなく集団の赤木智弘(笑)。

藤村 それはなかなか的確すぎる……。

外山 ……137ページ下段の東発言はすごく腑に落ちた。「出版はリベラル知識人が圧倒的に強い。そうなると右派は、小林よしのりのようにマンガに行くか、在特会のようにネットに行くか、いずれにせよ周縁から出発するしかない。その結果、リベラル層はネットに対して親和性が低くなり、出版が強いうちはよかったものの、時代が進むにつれて後手に回らざるをえなくなった」っていう。
 さっきも云ったように80年代の粉川哲夫とか以来、左翼のネットというかIT方面への進出は右派より圧倒的に早かったはずなんだけど、いつのまにか逆転してて、それはたしかに東がここで云ってるようなメカニズムでそうなったのかもしれない。さすが東浩紀!(笑)

藤村 〝批評〟だけでなくネットの動向にもちゃんと目配りをしてて、〝政治運動〟にだけ目配りが足りない(笑)。……えーと、他に何か気になったところはあったかなあ。

外山 〝らき☆すた〟が、〝けいおん!〟が、〝ハルヒ〟がっていう、キモヲタ・トークのくだり(141ページ)はどーでもいい!(笑)

藤村 〝コミュニティ形成〟については、彼らはすごくこだわってるよね。138ページで、東が08年に始めた雑誌『思想地図』と〝批評家養成塾〟の「ゼロアカ道場」について振り返ってるけど、『思想地図』について、いろんな人に声をかけて誌面に登場してもらったのに、「それがまったく線にならない。研究者が、もはや出版のなかで線を作っていくことに関心を持たなくなっていた。『思想地図』をやめたのは、その状況に対する絶望が大きいんです。論壇が機能するためには、さまざまな立場のひとが線になりコミュニティを作らなければ意味がないのだけれど、そうならないし、そもそもそんなことを考えているひともいない」とか、「『思想地図』にはコンテンツがあったけどコミュニティがなかったのだとすれば、ゼロアカには、コンテンツこそなかったかもしれないけど、コミュニティだけはあった。そして結局、そちらのほうが現在の活動につながっている」とか、東自身が総括しています。

外山 〝彼らが〟こだわってるというより、とにかく〝東浩紀が〟こだわってる。3回シリーズの座談会にこっちも律儀に3回シリーズの読書会をやってきて、回を追うごとに東への親近感というか、〝やっぱり同世代ではあるんだよなあ〟という近しさを感じるようになって我ながら困惑してるんですけど(笑)、東浩紀がデビュー以来ずっと続けてきてるのは、まさに〝運動〟なんだもん。〝批評シーン〟というタコツボの中で、東は一所懸命、〝運動〟を志向し、しかも何度も挫折を経験してるのに、へこたれずにまた別のことを考えて、〝運動〟を再建し、継続してきてる。
 この意味不明な情熱、パワー、そして〝運動家〟体質にはものすごく同世代性を感じるんだけど、〝ジャンル〟がなあ……(笑)。

藤村 〝政治運動〟ではないもんね。オタク運動(笑)。

外山 うん、オタク運動という圏域で、まさしく我々ドブネズミ派とそっくり引き写しの、〝多動児〟みたいな不屈の大奮戦をやってて……。

藤村 オレもアイドル以外ではオタクではないから〝別世界の話〟でしかないけど、もしオレがオタクで、この座談会を読んだとしたら、東浩紀って人はなんと偉大な……(笑)。

外山 超人的な〝活動家〟っぷりでしょう。

藤村 まさしくカリスマ的な指導者たるにふさわしい。

外山 オタク界の矢部史郎だね(笑)。まあ〝矢部史郎〟はちょっとイヤがらせで云っただけで(笑)、〝オタク界の松本哉〟でもいいですよ。

藤村 すごくアクティブな活動家。

外山 次々とイベントを仕掛けたり、雑誌を立ち上げたり、スペース運営にまで手を染めたり、とにかく思いつくかぎりの方法でシーンを活性化させようっていう。〝批評シーン〟というそもそもがタコツボの中での話だから限界はあるけど、そのタコツボの中の端のほうと端のほうでつながってない部分を出会わせてシャッフルしようとしたり、そのためのアイデアも豊富だし、かなり優秀な〝活動家〟だと思う。ただ、居場所を間違えてる(笑)。

藤村 なぜかオタク界でそれをやってる。

外山 そんなタコツボは出て、さっさと野間さんをボコボコにしなさい、という最初の読書会での話につながるわけですな。
 ……全体的に、〝政治運動シーン〟の出来事も、細部がよく見えてないがゆえのトンチンカンな発言も多いけれども、単に〝言及する〟というレベルでは、ほぼ取りこぼしなく、だめ連や素人の乱はもちろん、『VOL』とか『ロスジェネ』とか、さらには非モテ同盟とかまで広く言及してはいると思う。〝批評シーン〟については、そもそも専門なんだし、ますますそうでしょう。
 しかし151ページ上段に『超訳 ニーチェの言葉』が出てきて、まあそれを批判しているというより、それを権威主義的に批判した佐々木中を批判しているという感じの話になってるけど、これで思い出したのが〝現代語訳『アンチクリスト』〟と銘打った『キリスト教は邪教です!』(講談社+α新書・05年)っていう本です。その〝翻訳〟をやった適菜収って人も、取りこぼすとマズい人なんじゃないですか?

藤村 あ、そうだね。

外山 結構もう何冊も本を出してるでしょ。まあ、これだけいろんな人や著作に言及してれば、1人や2人は取りこぼしても仕方ないけどさ。

藤村 でも、そこは彼らの〝党派的〟な限界が露呈してるのかもしれないよ。だって適菜収は〝保守派〟と見なされてるはずだもん。

外山 ぼくも個人的にはあまりいい印象は持ってないんだけどさ。それこそシニシズムを強く感じる。ニーチェの本をいっぱい書いてるくせに、ニヒリズムじゃなくてシニシズム、ニーチェ用語で云えば〝能動的ニヒリズム〟ではなく〝受動的ニヒリズム〟なんだよな。〝左翼〟のことをよく知りもしないくせに、バカにして嘲笑してる感じを受ける。
 まあ個人的評価は措いといて、適菜収には〝ニーチェ入門〟的な啓蒙書も多いけど、彼らもこだわってる〝ネット文化〟論の文脈でも、『B層の研究』(12年・講談社+α文庫)は、〝B層〟って言葉の浸透ぶりを考えても、それなりに重要な本じゃない?
 ……あと、これまたぼくはあまりいい印象がないんだが(笑)、あの人もいるじゃん、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書・09年)って本を書いた人。中川……。

藤村 中川淳一郎だ。

外山 うん、彼にも言及がないね。

藤村 しばき隊に目の敵にされてる1人だよ(笑)。

外山 まあ、『ウェブはバカと暇人のもの』でぼくの都知事選についてもトンチンカンな言及の仕方をしてたんで、あんまりアタマの良い人ではないと思うけど(笑)、〝ネット社会〟について論じてる人としてはやっぱり外せなくない?

藤村 津田大介に連れられて沖縄に行って、沖縄の厳しい現実を初めて実感して涙を流して、それでそれまでいい加減なことを書いてきたことを反省して、〝もう沖縄のことを論じるのはやめます〟って宣言したんだよ。えっ? なんで〝やめる〟んだよ(笑)。それまで書いたことが間違ってたと思うんなら、訂正して、〝本当はこうでした〟と書くのが〝言論人〟でしょう(笑)。

外山 しょせんオフザケでしか言論活動をやってないことを露呈させてるじゃん。

藤村 東浩紀とも、〝面識がある〟どころかもっと近しい関係にあると思うんだけど、たしかに言及されてないね。

外山 まあ、そんなふうに何人か重要な人が取りこぼされてるような気はするが、〝言及の範囲〟という点では、全体的にバランスはいいと思います。前々回前回と比べたら相当いい。

藤村 でもやっぱり〝政治的なるもの〟への過剰なアレルギーは気になる。152ページ下段でも、佐々木敦が國分功一郎について言及してて、そのスピノザ論やドゥルーズ論を「テクストをしっかり読み、先行研究を踏まえつつ、独自の概念を新しいキーワードとして提出・抽出できている」ってベタ褒めしてるんだけど、そのすぐ後で、「とはいえ、國分さんは震災後は市民運動に向かっていった」って、オマエはそこまで〝運動〟が嫌いか、と(笑)。

外山 もはや異常だよなあ。ちょっとでも〝運動〟に足を突っ込むと……。

藤村 〝とはいえ〟って(笑)。

外山 〝惜しい奴を亡くした〟みたいな(笑)。

藤村 何でそこまで……。

外山 「どくんご」が反原発デモにも参加したりしてることは黙っておいたほうがよさそうだ(笑)。

藤村 もう応援してくれなくなるかもしれない。

外山 ……まあいいや、次に行っちゃいましょう。


 (「3.「震災以後の批評」黙読タイム)


外山 ここも延々とただ嘆き合ってる感じだね(笑)。大変ですなあ、としか……。
 毎度のツッコミになるが、156ページ上段の東発言、「二〇一二年に入ると、国会前の反原発デモが膨大な動員に成功したこともあって、ついに運動の季節がやってきます」っていう、またトンチンカンなことを云ってる。〝運動の季節〟とか云うなら、それにふさわしいのは直近ではフリーター労組のデモが突然、千人規模になってきた00年代後半のほうについてそう云うべきでしょう。

藤村 〝3・11以降〟という括りでは、たしかに2012年の反原連の運動が規模的には一番大きかっただろうけどね。

外山 質を問わずに量だけで判断するなら、十万人規模の反核集会が複数回あった82年とかも東たちは〝運動の季節〟って云わなきゃいけなくなるはずだ。〝量〟も重要だけど、〝質〟を伴ってなきゃ無意味なんだよ。

藤村 うん、〝運動の季節〟とかではない。そんなもん、来てねーし(笑)。

外山 しかも00年代後半のフリーター労組のデモの高揚を視野に入れた上で、こういうことを云ってるんならまだマシだけど、たぶん入ってないまま云ってる。

藤村 だけど一応、90年代についても00年代についても、〝運動〟的なものが〝批評〟をどんどん侵食してきてるっていう危機感を云い続けてはいたじゃん。

外山 イラク反戦のサウンドデモについても言及はしてたよ。でも、03年のサウンドデモにしても12年の反原連にしても、むしろ〝運動シーン全体〟は停滞期で、そういう中で目立った運動であるにすぎない。
 本当に盛り上がってるのは、90年代後半のだめ連や松本哉の法大の運動だったり、00年代後半のフリーター労組や素人の乱の運動だったりするわけだ。もちろん80年代後半にも反管理教育運動や〝広瀬隆ブーム〟の反原発運動が盛り上がってた。
 そういう質的にレベルの高い運動の盛り上がりはちっとも視野に入っておらず、マスコミが報道しやすいような低レベルな運動は、マスコミが報じてくれるもんだから視野に入り、怠惰な東たちの視野にも入るぐらいだから量的にも盛り上がるんだね(笑)。
 あ、こういうことだ。あちこちで云ってるとおり、少なくとも80年代以降は、2010年代はどうなるか分からんが、これまでのところ〝何年代後半〟がラジカルな運動の高揚期なんだよ。逆に〝何年代前半〟はリベラルな運動の高揚期。80年代前半に反核運動が盛り上がり、80年代後半にはぼくら〝ドブネズミ系第1波〟の連中の運動が盛り上がり、90年代前半には〝文学者の反戦声明〟とかが盛り上がっているかに見え、90年代後半にはだめ連とかが盛り上がり、00年代前半にはアフガン反戦・イラク反戦が盛り上がり、00年代後半にはフリーター労組とかが盛り上がり、10年代前半には反原連やシールズが盛り上がった。
 〝前半〟の運動はリベラルなんでマスコミも安心して大々的に報道する。〝後半〟の運動はラジカルなんでマスコミはほとんど報道しない。で、この座談会に参加してるような連中は〝政治運動シーン〟の部外者であり傍観者であり〝観光客〟なんで、マスコミが報道するものしか視野に入らない。でも体質的・気質的には彼らはどうもラジカル志向なんで、リベラルな運動の高揚には反発を覚える。〝政治の言説〟ってやつは低レベルでしょーもないものばかりだ、という印象が固着する。
 どうもそういうメカニズムだね。彼らの視野からは〝何年代後半〟のラジカルな運動の高揚がことごとく抜け落ちてるもん。それでトンチンカンなことばかり云う。
 ぼくが〝2012年〟なんて停滞期の真っ最中だ、と云うのはラジカルな運動の停滞期という意味であって、リベラルなくだらん運動はそりゃ、チョー高揚してたでしょうよ(笑)。

藤村 155ページ中段からの東の発言も意味が分からんよ。「日本でそういった『当事者の社会学』を切り開いたのは上野千鶴子さんですよね。古市さんにせよ開沼さんにせよ、実際に上野さんが師匠なわけです。荻上チキさんも上野さんを尊敬してますね。ぼくは3・11以降の論壇は『上野千鶴子の時代』といえるんじゃないかと思うんですよね。それくらい上野さんの存在感は大きい」と云ってる。もちろん上野千鶴子本人の時代という意味ではなく……。

外山 〝上野千鶴子的なもの〟の時代、ということでしょうね。

藤村 そこまでは分かるけど、要するにどういうことなのか、意味がよく分からない。

外山 まあ彼らのタコツボの中はそういう雰囲気だったということなんでしょう。その直前で大澤聡が挙げてる「鈴木涼美の『「AV女優」の社会学』(一三年)や北条かや『キャバ嬢の社会学』(一四年)」とか、あるいは前ページから東や大澤が挙げ合っている古市憲寿の『希望難民ご一行様』(光文社新書・10年)や『誰も戦争を教えてくれなかった』(13年・講談社+α文庫)、開沼博の『漂白される社会』(ダイヤモンド社・13年)といった、本来ならアカデミックな背景を持つ書き手たちによる「かつてであれば、どれもルポライターやジャーナリストの領分だったはず」(154ページ下段・大澤)の著作が、タコツボ内では話題になってたらしい。それは「九〇年代以降、出版業界に金銭的な体力がなくなり取材費を出せなくなる。その空いた席に、大学に所属する若手研究者たちが参入していく」という事情とともに、「社会学のトレンドとしての参与観察」、「社会学における当事者=現場主義化」という趨勢を背景としており、後者の源流には上野千鶴子の存在がある、っていう。
 しかしタコツボの住人ではない我々からすれば、そりゃ多少は〝インテリ活動家〟ですからタイトルぐらい聞いたことある本は何冊か混じってますけど、90年代、00年代についての座談会で挙げられてた本よりもずっと遠い感じがする話題ですな。大澤の155ページ中段の発言の中にある「なんちゃって社会学者」とか、座談会参加者たちの口がだんだん悪くなっていくのは楽しいけど(笑)。
 とにかく全体的にもうツマラン本しか出版されなくなっているということが、2010年代にはタコツボの中の人たちにさえ痛感されるぐらいの事態にまで立ち至った、ということでしょうか(笑)。我々はそんなことはもう90年代からとっくにそう思ってたけどさ。

藤村 まあ古市の本を読んでないから何とも云えないし……。

外山 うん、もはやムリにでも読もうかという気さえ起きない本ばっかりだよ。『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿・11年・講談社+α文庫)とか、要は〝今の若者は不幸だとか云われるけど、そんなことないっス〟みたいな内容でしょ。そんな反革命言説、読まなくても読む必要なんか一切ないことは分かる(笑)。
 東が『絶望の国の幸福な若者たち』について154ページ下段で、「震災で自信を失った日本人への慰撫装置として機能した」と云ってるけど、読まなくてもそんなことぐらい想像がつくし(笑)、そんな本なんか書いちゃダメじゃん(笑)。

藤村 オレが聞いたところによれば、例えば国が滅びようが、そりゃ生活レベルは落ちたりもするだろうけど、それなりに楽しく生きていくことはできるよ、っていう話らしいけど……。

外山 だったらわざわざ本なんか書かなくてもいいじゃん(笑)。我々からすれば、〝若者たち〟が〝幸福〟かどうか、主観的にどう思ってるかなんて、どーでもいい。

藤村 うん、どーでもいいね(笑)。でもまあ、上の世代から〝キミたちは不幸だね〟とか云われ続けて〝ウッゼーよ!〟と反発する若者たちの気持ちはよく分かる。

外山 若者たちは不幸というよりバカになってるんだよ。〝ボクたちは不幸じゃないです〟とか云われても、それはバカだから気づかないんだとしか思わん(笑)。不幸でも幸せでもいいからまずバカを直せ、バカを。

藤村 でもそれは昔から、大人は若者を見て〝バカだなあ〟と思うわけで……。

外山 いや、実際にレベルは下がってるよ。ぼくらの世代だって新人類世代や全共闘世代に比べたらアホだもん。

藤村 そうだねえ。

外山 高校全共闘の高校生が書いた文章とか読めば分かる。というか、今のぼくらの世代のそれなりのインテリが読んでもまず分からないことが分かる(笑)。で、今の若者はそのぼくらよりもさらにアホになってる。どうせろくなこと云えないんだから、〝若い書き手〟とかもう発掘すんな、と(笑)。

藤村 赤木智弘が出てきた時なんかも、年長の知識人たちはちゃんと正面から批判すべきだったんだよ。そんな消費者根性のダメ人間が貧乏なのは当然だ、一生貧乏してろ、って。

外山 まあぼくは面識もあるし、なんか慕ってくれてるし、〝身内に甘い〟ファシストなんでそこまでは云わんが(笑)、赤木智弘がダメなのはやっぱり本気じゃないところだよ。〝希望は戦争〟って彼は本気で云ってはいないでしょ。若者たちの困窮をなんとかしてくれないと〝戦争〟とか待望しちゃうぞ、それでもいいのか、って大人を脅してるだけなんだもん。

藤村 で、リベラルな大人たちが脅しに屈してチヤホヤしたわけだ。そんな脅しには屈せず、きっちり批判してやるべきです。

外山 赤木智弘が本気で戦争を望んでるんなら、ぼくはもっと彼を高く評価しました。
 ……座談会に戻ると、この第3節は全体的に興味が湧かない(笑)。

藤村 細かいことを云い出せばいろいろあるんだけどさ。
 また〝白井聡問題〟でもあるんだが、156ページで議論されてる「リベラルの『じつは勝っている』論法」(市川)の話ね。「一二年一二月の衆議院選挙では、原発はほぼ争点にならず、民主党は大敗して政権が自民党に戻ることになる。それ以降の小熊さんは、すでに社会は変わったんだという主張に移ります。(略)彼は反原発運動は十分に社会に影響を与えたのだし、それゆえ『勝った』のだと言い続けていた」(東)、「白井聡さんも同じですね。リベラルはじつは勝っているんだと」(佐々木)っていう。

外山 大澤聡が「柄谷さんも同じロジックです」と云ってるとおり、柄谷も〝デモで社会は確実に変わる。デモがない社会からデモがある社会に変わった〟とかしょーもない詭弁を弄してた。

藤村 たしかにみんなこれを云うんだよ。野間さんも云う。ゲンロンカフェに出演した時に、自公が3分の2を占めたという選挙結果にも関わらず、〝実は勝ってる〟みたいなことを云ってたもん。

外山 〝しばき隊リンチ裁判〟でもきっと勝てますね(笑)。まあそもそも野間さんはリンチ事件が発覚した時も、自分たちの不利さをちっとも直視してなかったからなあ。

藤村 「リベラルの『じつは勝っている』論」って、〝3・11以降〟の〝思想のない〟運動、〝文化左翼〟ですらない運動が共通して陥る罠だという気がします。
 東が「一三年の春にゲンロンカフェで小熊さんと対談する機会がありました」って云ってて、その時の対談と中身が同じなのかは知らないけど、小熊英二の対談集『真剣に話しましょう』(新曜社・2014年)での小熊と東の対談を読んだら、「総選挙でリベラルが負けたとは思わない」という小熊の発言に、東が驚愕してたもん。オレもその点では完全に東に共感するし、小熊には「真剣に話せよ!」と云いたくなる(笑)。
 だから彼らの批判には全く賛成なんだが、さらに一歩進めて考えると、彼らの「じつは勝っている」論にも実はもっともな理由があって、自公は圧勝したけど、自公以外にもう1つ、ほんとに勝ちまくってる政党が存在するじゃん。云うまでもない、共産党ですよ。

外山 うん、得票も議席も伸ばし続けてる。

藤村 だから〝実は勝ってる〟と云うこともできるわけだ。〝3・11以降〟の運動って、みんな共産党がバックについてる。

外山 結局は共産党の勢力拡大に利用されてるだけの運動だよな。

藤村 もちろん白井聡なんかは、共産党を好きか嫌いかと訊かれたら嫌いだと云うでしょう。そんな白井聡ですら、実は単に共産党を利してしまうような論法に乗っからざるをえないぐらい、リベラル派は共産党による〝不可視の独裁〟のもとにある(笑)。

外山 共産党の問題は措いても、ここで彼らが云ってることは正しいですよ。とくに156ページ中段から下段にかけての市川発言は素晴らしい。
 「『みんなが選挙に行っていれば勝ったのだ』とかもそうです。しかし実際には、いま投票率が九割になったら、リベラルはさらに負けるでしょう。『支持政党なし』とか『態度未定』を都合よく解釈することが、最大の問題なんです。実際はそのほとんどは、リベラルに対しても保守に対して以上にうんざりしているか、あるいは、たんに政治に興味がない保守層ですよ。しかし、リベラルはそのことに気づかないし、気づきたくない。なぜなら、彼らは自分たちが『正しい』と思っていて、『正しさ』が存在基盤になっている。それが『正しさ』である以上、いつか現実に証明されると信じているから」っていう、まあ素晴らしいというか、誰でも分かってなきゃいけないレベルの話ですけどね。

藤村 そういう鋭いことも云うんだけど、やっぱり〝政治運動〟に対して傍観者の立場から発言してるだけだから、共産党の問題にも踏み込まないし、単に〝政治の連中〟はバカだ、ウゼえ、みたいなところで終わってしまってる。

外山 そうなんだよな。そこがもどかしい。

藤村 あと、野間さん問題。「TWIT NO NUKES」の話題に関連して157ページ中段から野間さんの名前が出始めて、さらに159ページ上段で東が、「あと重要な動きとしては、一三年の野間易通さんによる『レイシストをしばき隊』の結成かな。SEALDsを生み出した功績は高く評価されるべきだけど、彼らはどっちかというと、もはや言論なんていらないという立場で、批評とは無関係ですね」って云ってるでしょ。
 まずその1。おまえはシールズには批判的立場だったはずだろう、と。「SEALDsを生み出した功績」を何で「高く評価」するんだ。

外山 そうだよね。ぼくの立場からしても、一番ろくでもない〝功績〟だ。むしろ〝負の遺産〟?(笑)

藤村 野間さんの一番の〝功績〟は、まさに〝しばき隊を結成したこと〟でしょう。しかもおまえはそれを支持してたはずだろう、と。それでゲンロンカフェにも野間さんを呼んだはずだ。そこらへんの整合性はどうなってるんだ、って話ですよ。

外山 うん、立場がブレブレになるのは良くない。

藤村 それに野間さんはまさに〝批評〟を提示してるじゃん。『金曜官邸前抗議』(河出書房新社・12年)なんて肯定的にせよ否定的にせよもっと読まれるべき本だと思うし、さらに『3・11後の叛乱』で野間さんは自分たちの運動について……。

外山 充分に〝批評〟っぽい語り口でいろいろ自己分析してみせてるよね。

藤村 もちろん野間さんのいう〝クラウド〟なんて与太話は批判の対象以外の何物でもないんだけど(笑)、一方で野間さんはリチャード・ローティ的な問題意識で、つまり〝文化左翼〟的な連中を〝ヘサヨ〟と呼んで批判してるわけです。野間さんにとって、反原連の時もしばき隊でも、主要敵はヘサヨなんだもん。

外山 たしかに(笑)。

藤村 だから〝文化左翼〟的なものと野間さん的なものとを一括りにしちゃいけないし、したがって〝文化左翼〟的なものへの批判と野間さん的なものへの批判も、一部には重なるところもあるだろうけど、基本的には分けるべきでしょう。

外山 そこができてないんだよな。〝批評家〟のくせに雑すぎる。〝運動やってる連中〟なんかすべて一緒くたで〝アイツら〟なんだ(笑)。

藤村 オレはほんとに東浩紀に対して残念に思うのが……。

外山 過去の都合の悪いことはどんどん糊塗されて、〝なかったこと〟みたいにしていく。

藤村 『ゲンロン』の創刊号は野間さんにも献本されてるんだよ。野間さんが〝ありがとうこざいます〟って添えて写真をツイッターに上げてたもん。あれはもう1回探して写真を保存しとくべきだな。〝なかったこと〟にされかねない。

外山 〝誤配〟だったんじゃない?(笑)

藤村 東浩紀は1回、在特会へのカウンターにも参加してる。それも野間さんと一緒に記念写真とか撮ってアップしてた。まあ、〝観光客〟として行ったのかもしれんけどさ(笑)。

外山 ……とにかく〝政治系〟の話が絡むと途端に論評が雑になるよね。反感が先に立っちゃうんでしょうけど。

藤村 気持ちは分かるんだ。しばき隊とかシールズとか、東浩紀がちょっと批判したらどんだけクソリプが飛んでくるか……でもしょせんツイッター上での話じゃん。

外山 打たれ弱いというか、そもそもネット・リテラシーがなってないよ。無視すればいいだけなのに、すぐ〝ブロックします〟ってやるでしょ。
 ……じゃあ、最後の第4節に進みますか?

藤村 なんか、この座談会の人たちもそろそろ疲れてきてる感じがするよね(笑)。

外山 そりゃ疲れるでしょう。長々とやってる上に、しかも対象の時代が新しくなるにつれて絶望的な状況を直視しなきゃいけなくなるんだから……(第4章の冒頭をチラッと見て)おっ、東が「最後に今後の批評の展望を語りたいと思います」って云ってるぞ(笑)。


 (「4.「『観客』を復興する」黙読タイム)


外山 東浩紀ってつくづく〝運動家〟だねえ。頑張ってるよなあ。
 ……しかしやっぱり〝社会〟を変えないと、〝批評〟の読者なんかも増えないと思うけどね。もはや〝批評シーン〟の枠内でどれだけ努力したって、〝社会〟が〝批評〟なんて行為を不要とする方向に進んでるんだったら、〝批評の読者〟なんか減る一方に決まってるじゃん。〝反知性主義〟になってるんだし、〝ポスト・トゥルース〟なんだしさ。〝社会〟が進んでるそういう傾向に歯止めをかけて、変革して、別の方向に動かさないと〝批評の読者〟なんか増えるわけない。
 したがって東浩紀はもう〝政治活動家〟になれ、というのが結論でしょうか(笑)。

藤村 オタク批評みたいなものを含む〝批評〟を復興させるためにも、まずは政治運動をやれ、と。

外山 だっていろいろ〝展望〟らしきことを語り合っちゃいるけど、どれも〝批評シーン〟の中だけでのアイデアだもんね。

藤村 冒頭にあるように、東浩紀がゲンロンカフェでいろいろイベントをやってみても、「じつは若手論客には集客力がないんです。テレビに出ていても、お金を払って話を聞きに来るかといえば、そうでないひとが本当に多い」(162ページ中段)と嘆いてるけど、おそらく東自身が百も承知であるだろうとおり、それはそれら若手論客たちのせいではなく、それだけ近年は〝批評シーン〟のタコツボ化が進んでいるってことだ。観客を集められるのは宮台真司とか茂木健一郎とかだけで……。

外山 タコツボ化がいよいよ深刻化する以前にすでにメジャーになってた人だけ、と。東自身もそうでしょう。

藤村 ゲンロンカフェでの茂木健一郎のイベントにはオレも1度行ってて、たしかに満員に近い客入りで大盛況だったけど……東がもんじゅ問題、築地問題、オリンピック問題、大阪万博問題について自分の見解を熱く語って茂木の意見を引き出そうとするのに、茂木はのらりくらりはぐらかしてちっとも答えようとしない。それでついに東はキレちゃうんだ(笑)。
 あの時は本当に茂木の答えはひどくて東がブチキレるのも当然だと思ったけど、そんな奴よりはるかに優れた、我々がカネを払って聞きに行くに値するような話のできる若手論客はいくらでもいるはずです。しかし客は集まらない。

外山 それもつまり、もはや〝云ってる内容〟、〝書いてる内容〟は関係なくなってるってことでしょ。

藤村 まあ、茂木健一郎の場合は単にテレビに出てる有名人だから客が入るんでしょうけどね。

外山 でも東浩紀の話によれば、「テレビに出ていても」若手論客では客が入らないって。

藤村 そうだな。それはなぜなんだろう?

外山 重要なのは〝読者がついてるかどうか〟だもん。テレビでコメンテーターとかやって顔は有名になったとしても、視聴者がその人の本を読むとは限らないし、むしろほとんど読まれてないでしょう。本ぐらい読んでる程度の〝ファン〟じゃないと、カネを払って話を聞きに行ったりはしないよ。
 ……しかしこの第4節は、あんまり云うこともないな。なんか内輪の企画会議みたいになってるし(笑)。

藤村 ゲンロンカフェに小林よしのりを呼んだことについて、東浩紀が自慢げに、まるで〝ジャンルを横断〟して〝異文脈の人間を取り込む〟ことによってシーンを活性化させる試みであったかのように云ってるけど、今やネットでは〝小林よしのり〟と〝東浩紀〟は同じ陣営と見なされてるはずなんで(笑)、むしろオレなんかは、野間さんとかを呼んできたことのほうが画期的なことに感じられたけどなあ。だってキモヲタとサブカル野郎の対談イベントだよ(笑)。

外山 〝政治運動〟に対してしょせん〝観光客〟のスタンスでしか接しないから、さっき藤村君がツッコミを入れてたように、しばき隊やシールズに対する評価が野間さんとの個人的な関係の変化に左右されてブレまくったりする。

藤村 ブレたり、〝なかったこと〟にしたり……でも今回の座談会に付いてる年表には、野間さんたちしばき隊の動向についてかなり詳しく書いてあったりするんだ。
 まず2013年2月に「『レイシストをしばき隊』(しばき隊)結成▶主宰者=野間易通ら」とある。それから同6月に「在特会がデモでしばき隊と衝突→在特会の桜井誠、しばき隊の久保憲司ら8名逮捕」。そして2014年9月「しばき隊が解散→後継団体として『C.R.A.C.』結成」。2015年11月、「はすみとしこを支持するFacebookユーザーの情報をC.R.A.C.メンバーが公開し炎上」。同月、「過激発言を行っていたC.R.A.C.関係者の新潟日報報道部長が懲戒処分に」って。

外山 結構マニアックじゃない?(笑)

藤村 うん、マニア情報(笑)。

外山 〝はすみとしこ問題〟とか〝新潟日報報道部長〟とか、まあ〝運動史年表〟ならともかく、〝批評史年表〟に載せるのはぼくでも躊躇しそうだ。

藤村 しばき隊あるいは野間さんへの歪んだ愛は感じられるでしょ。

外山 ぼくの都知事選出馬と〝新潟日報報道部長〟問題を同じ大きさにするのはやめてほしいよ(笑)。

藤村 ……それにしても東の〝活動家〟っぷりには感心させられるけどね。〝人を集める〟ってことを本当にマジメに追求してる。

外山 東浩紀に対するぼくの評価もだいぶ変わってきたよ。

藤村 どんなふうに?

外山 キミには〝素質〟はある、と。ただ居場所を間違えてるだけだ(笑)。……政治運動について知識が薄っぺらいからトンチンカンなことばかり云ってるけど、とくに知識が必要でない範囲のことなら、リベラル派に対する批判とかにしても、そんなにおかしなことは云わないしさ。大体そのとおりですね、っていう。
 ま、そんなところですか。

 〈完〉

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