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詩的であるとは、どういうことか

皆さん、こんばんは。
今日は詩という厄介な代物について、雑感を述べてみたいと思います。

詩って結局なんなんだろう

詩。皆さんはどんな形で詩と出会いましたか。
多くの方は、教科書で始めて出会ったのではないでしょうか。いつもは物語の読解だったのに、急に詩というジャンルが教科書に出てくる。なんやねんこれ。しかも、物語と同様の感想が求められる、だと?!

物語は感想が出やすいですし、ストーリーを追うことができます。展開を織り交ぜつつ、意見を言えば分量が稼げます。人物の心境など、推測もしやすい。

でも、詩の場合は違います。なにこれ。どう読めばいいのこれ。散文詩だの詩の型は習うけど、結局あの正体はなんだったのか?そんな疑問が子供のころの遠山の脳裏を占めていました。

そもそも、表現というのは何らかの外的事象(私たちの外側にあると思われるもの)と内的事象(私たちの内側にあるもの=精神、想像、イメージ)を何かの手段によって、表現することです。

たとえて言うと、こんなところでしょうか。

現実:自分は仕事終わりに近所のスーパーに寄った。適当なものを緑のかごに放り込み、列に並んでレジを済ませる。店員はどこか淀んだ目。レシートを受け取り、ドアを通った。

物語:スーパーの扉が開いたとき、私の目は開けた。そこはいつも行くスーパーで、仕事終わりで疲れた私の目を、燦然とした蛍光灯の光で刺す。それぞれの食べ物が、それぞれの食べ物のあり方で私を誘う。私の胃にぴったり合いそうなものを選び、かごに放り込む。そのままズカズカ、レジまで歩いて、お会計。私の胃にベストマッチするあれこれは、店員にとっては興味がないらしい。その目は興味無げに、バーコードを読み取る作業に集中している。今日の夕食が書かれた紙を渡して終わり。ドアはガラリと開き、私を夜の住宅街に帰す。

詩:扉が開けば、目も開く。
目が開けば、光は刺す。
お誘いは、お受けする。
でも私に重要なものは、あなたには重要ではない。
彼は私に、ひとひらの紙を渡す。
それは、私だけのためのもの。

なんとなく書いてみましたが、物語的といわれる表現や詩的といわれる表現は、こんなものでしょうか。

物語的表現は、外的事象から、内的事象を織り交ぜた描写になっています。内的事象の出方は作品のジャンルによりけりですが、完全に外的事象の描写のみで成り立っている作品は、稀有です。また、描写というものは必ず主観を通した表現であるはずなので、その主観に登場人物の感性や物の見方が反映されているものです。

比べて、詩的な表現はどうでしょうか。より、説明的な言葉が少なくなっています(遠山の詩的センスをうんぬんするのは、お控え下さい)。

言葉というものは、表現するもの・状態・行為についてを説明するためにあります。物語では、その場面や状況をある程度は分かるようにするため、適度な説明を入れる必要があります。

上の例で言えば、「扉」が何の扉であるのか分かるようにするために、「スーパーの」という説明が入っています。特に物語のはじめは、シーンを読者にありありと想像してもらうため、説明的な部分を要求します。

これに対し、詩的表現では扉のみです。なんの扉であるか明示していません。つまり、物語的表現とは、場面を読者と書き手が共有するための表現です。同じ場面を同様に見るのです。もちろん、作家と読者の見ているものはイコールにはなりませんが、同じ場面が思い浮かぶように設計しています。

対して、詩的表現とは書き手と同じ場面を共有するのは至難の業です。
言葉を手がかりに、自分が思いつくものを想定せざるを得ません。

ですから、物語は作家と読者が同じものを見ようとするものですが、詩は
「読者が想定するものを見る」表現です。

言葉が削られた分、自分の中にその言葉で想像されたものを見るのです。
ある種、読者は言葉にいざなわれて、自分自身に対峙している状況です。


この状況が、物語的表現に慣れた子供のころの自分からしたら、とても奇妙に思われました。多くの場合、国語とは正解を探す目的に沿って作られたプログラムですから、何かの答えを出さなくてはいけません。作家の意図とか
そういうものですね。

解読しきれない、もやもやした、何者かに接している感覚がとても不思議でした。しかも、そのスクリーンに映し出されているものは、自分自身です。
なおかつ、言葉が限られている分、文章の音感や流れが非常に重要になってきます。これも詩の特徴です。

賢い皆様はお気づきのように、物語的描写にも、すでに詩的な表現が入っています。そして、両者は時々不可分であったりします。「私の目は開けた」とかは、そのような表現です。

こんな風に、説明するところは抑えつつも、詩的な表現も織り交ぜると、読者の感性や想像力を適度に引き出しつつ、物語世界にいざなうことができます。ちょっと意識してみると、いつもの文章が変わるかもしれませんよ。



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lay toyama_遠山怜/ 作家のエージェント(漫画)
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