2018年度版「絶対なるもの」って何だろう②
◆ 結局どうなの? この高度に情報化された社会において僕たちは何を「絶対的な何か」に設定すればいいの?
申し訳ない。今はまだ具体的に、バシッとまとまった事をここに書くことができない。ただ、つかめているものはあるんだよ。いろいろ本を読んできた中で、心に残ったものがある。ティク・ナット・ハンさんが書かれた、以下の本です。
死もなく、怖れもなく―生きる智慧としての仏教www.amazon.co.jp/dp/4393333055
宗教的な本で、確かに少しスピリチュアルな部分もあるんだけど、人の死について書かれている部分が印象に残っているんだ。ざっくり書くと、
『永遠にずーっと残るような魂は存在しない。でも、完全に未来永劫に消え去ってしまうような魂も存在しない。』
みたいな事が書いてあって、ここがすごい好き。詭弁を弄している感じもあるんだけど、自分の解釈を書くと。(本当に自分の解釈ですので、あしからず。)
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・人間はもともと原子とか分子とか、この世界に存在する物質が組み合わさって作られている。
・私達は、あるとき、この世界そのものから、少しだけ原子とか分子とかをお借りして「人間」として形をもった。
・原子とか分子とかは、姿かたちを変えるけど、完全に消滅する事はない
・原子とか分子とかは、この世界そのもの。
・命が尽きるときは、単にその形を崩して、この世界に戻っていくだけ
・イメージとしては「クラス委員」みたいなもの。クラスに40人生徒がいて、学期ごとに「図書委員」とか「中央委員」とか役職につく。期末になって委員が終わっても、その生徒はクラスから消滅したりはしない。ただ「役目が終わって、もとにもどる」だけ。
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何が言いたいかというと、、、
神様とか、死後の世界とか、輪廻とか、現代科学の常識からすると信じられないかも知れない。まぁそれは俺もそう思うんだ。だけど、この世界には「確かに観測できる事実」として物質(原子とか分子)があって、人も動物も植物も鉱物もみんな同じように物質として構成されている。みんなこの世界の中で、あるとき形を持ち始めて、そしてある時になると形を失う。それは皆平等なんだ。そして、みんなこの世界の仲間なんだ。そしてこの世界の物質は減ったり、増えたりしないんだ。(だって、原子とか分子って壊れたり無くなったりしないでしょ?)
昔自分の一部だった、原子とか分子とかも、今は形を変えているかも知れないけど、この世界にずーっと残っているのさ。今はもう亡くなってしまった、自分が好きだったあの人の原子とか分子も、ちゃんと残っているからさ。どこにもいったりしないからさ。そう心配すんなさ。くよくよするなよ。
お風呂の片隅に、赤いカビと黒いカビが生えている。今は赤いカビのほうが数を増やしている。黒いカビは悔しそうだ。赤いカビは、黒いカビを見下して得意になっている。でも、その20分後にカビを殺す洗剤がまかれて、赤いカビも黒いカビも、みんな死んでしまったよ。
この広い宇宙に比べると、人間の一生なんでゴミみたいなもので、人に勝った、負けたとか、本当にスケールが小さくて誤差の範囲なんだよ。このカビの競い合いと一体どれだけ違いがあるだろうか。日々自分と他人を比較して劣等感を持ったり、優越感を感じたりする事にどれだけの意味があるというのだろうか。(相対主義からの超越)
そして、私達はみなこの世界の仲間であるけど、一度形を与えられた以上は、「その形」としての使命を全うする義務があると思うのだ。それが私達がこの世界の仲間である理由であり、意味でもあると思う。
鳥なら鳥の。石なら石の。人間なら人間の。役割を果たす。いたずらに、他の存在を傷つけたり、他の存在の尊厳を貶めるような事は決してしてはいけないんだ。
このように自分の使命を意識して生きるには、自分の生物としての本能に執着するには、人生はあまりにも短すぎるのだ。だから、自分にとって気持ちいい事ばかりに執着するのではなく、自分がやるべき使命に目覚め、日々楽しく頑張っていけばいいと思う。(本能からの超越)
長くなったが「みんなこの世界の仲間、そしてみんな決して完全に消えてなくなる事は無いんだよ。」的な考えが「絶対なるもの」になりうるかもっていう事を言いたかった。
矛盾や無理があるところもあると思う。そうなんだ。まだまだ未熟な思想なんだ。でも、いろいろ考えてまとめていって、自分もまた日々実践して生きられるようにがんばります。
読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。
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