『絶望』と「上手に付き合っていく」事が僕の人生の目的
■ 言いたいことの要約
・生きるという事が、明かりの中を前に進むプロセスだとすると『絶望』とはそこに産まれる影のようなもの。
・絶望は強い。絶望からは決して逃げられない。絶望には勝てない。絶望を消し去ってしまう事はできない。
・「心の中が絶望に支配されている。私には希望が一つもない。だから私は頑張る事ができない」と考えてはいけない。現実に対処する方法がまったく無くなってしまう。もしくは、自分が何もやらないで済ませるために、頑張らずに済ませるために、心は「絶望」を言い訳にする。
■ どういう事?
なんか歪曲表現かも知れないんだけも。
「絶望を消し去ったあとに、発生するのが希望」とか「絶望を打ち砕くのが希望」みたいに考えたくないのだ。そうすると、「ああ、僕はまだ絶望を消し去れてないから、希望が無いんだな」とか「僕には希望がないから、絶望を打ち砕く事ができないのだな」ってなってしまう。
そうじゃないんだと思うんだ。
絶望とか人生の虚無っていうのは、そんな簡単に対処できる相手じゃないんだよ。というか、絶望完全にを消し去ったりする事はできないのだ。
■じゃあどうすれば?
僕も全然掴めていないんだけどさ。絶望を消し去ろうと努力するのをやめるのがいいと思うんだ。絶望をはっきりと意識する。自分にとって絶望とは?と考えてみる。
日々何となくモヤモヤして辛い、行き詰まりを感じている。どうしたらよいかわからない。希望が見えない。そういった事象を因数分解してみる。
例えば、「誰も自分の事を好きになってくれない」だったら「あー、人から愛されたい。一人ぼっちでいるのが寂しくて不安なんだな。」とか。
「仕事がうまくいっていない」だったら「あー、人から無能と思われるのが嫌なんだな。人から必要とされないのが怖いんだな」とか。
「人から愛されたい」とか「人に必要とされたい」って、人間にとって普遍の欲求みたいなもので、これって自然な感情だよね。「あー、これって確かに自然な感情で、確かに満たされないと辛いよねー」って感じる。
うーむ。何か難しいね。「絶望を意識する --> それを自然な事だと思う -->
現実的なアクションに取り組む」っていう感じなのかなあ。
具体的な方法論について、良い方法を考えてまた書いてみたいと思います。
お読みいただいた方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました!!!
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