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■日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理&“変異の閾値”の制御)に無知なスガ「Kook権力」(アベノミクス)の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民!

■日常を凝視するスウェーデンモデルへの宇沢弘文の貢献とFiduciary(リアリズム倫理&“変異の閾値”の制御)に無知なスガ「Kook権力」(アベノミクス)の玩具と化し不幸のどん底に嵌る日本国民

◆日常凝視の「Fiduciary資本主義」の不在が露出!自助が最重視!の菅首相は「宇沢弘文の均等福祉社会」と「施し福祉国家」を混同するアナクロ!しかも新自由主義へ全て丸投げで国民は底なしどん底へ! →菅首相「最終的には生活保護ある」コロナでの困窮問われ128朝日

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354857485056659457

<補足0>Kookは“奇人、変人”を表す米国の俗語

・・・従って、Kook権力とは「トランピズム、あるいは日本のアベ・サクラ政権、スガ・ガースーピー政権らが代表する「圧倒的に支持された“奇人、変人=夢現胡乱(ゆめうつつうろん/@D.ディヴィドソン)”タイプの権力者が力を奮う暴政のことになる。因みに、暴政の定義に関する詳しい議論は、将基面貴巳氏(政治思想史学者・西洋史学者)が、20200806日経(文化欄)で取り上げている(関連後述)。

◆「仮定=真」を保証しないabduction 効果で多様性と潜性イノヴェーションの宝庫だが、リアリズム倫理(fiduciary)が不在であれば只の“Kook暴政”のタネと化すリスクあり! →文化の扉:見直されるアナキズム 分断の社会批判、「一丸でバラバラに生きろ」201朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14783809.html

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https://www.asahi.com/articles/DA3S14783809.html

<補足1>均等な「福祉社会」と19世紀の施し型「福祉国家」の違いについて

・・・ごく大雑把に言えば17世紀英国、エリザベス1世時代の貧民救済法の延長と見るべきものが19世紀の施し型「福祉国家」のイメージである。つまり、そこでは資本主義経済の発展と福祉は基本的に断絶している。一方、スウェーデン・モデルが代表する均等な「福祉社会」は、貧民(貧困)も資本主義経済システムの一環と見る点において、両者の関係は分断されていない。現代の先進諸国では多かれ少なかれ、この均等な「福祉社会」を志向するはずであったが、1970年代以降の新自由主義(勤労者層の夢現暗愚化、つまりルンペン・プロレタリア―ト化を当然視する!)の本格的な登場で、再び、資本主義は19世紀の施し型「福祉国家」を志向し始めたかに見える。

・・・しかし、スウェーデン・モデルは、貧困化する(した)人々だけでなく中間層~富裕層も含む全ての国民にとって有意で均等な福祉社会の実現を目標としている。従って、同モデルには、そのことによって顕性・潜性両イノヴェーションが高まり、結果的に国家スウェーデンも持続的に発展できると考える点に大きな特徴がある。まさに宇沢弘文『不均衡動学』の実践に他ならない。然るに、残念ながら我が日本では、肝心の方向性に全く気づかぬのかどうか?は知らぬが、責任ある菅首相らの為政者も、大方のメディアも、国民自身も、その悉くが惰眠を貪っているように見える。

◆同感!問題はゴロツキ権力者らによる旧式の穴クロ「福祉国家」とリアリズム倫理「福祉社会」の混同!  →あるべき安全網=困窮対応は平時から/公共料等の支払不能は日常的!泥縄コロナ支援は非条理!生活保護への意識改革が必須!阿部彩・都立大教授201日経 https://www.nikkei.com/article/DGXKZO68640430Z20C21A1KE8000/

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https://www.nikkei.com/article/DGXKZO68640430Z20C21A1KE8000/

<補足2>宇沢弘文のスウェーデン王立科学アカデミーでの研鑽時代の世界的な影響の大きさについて

画像4宇沢弘文のメッセージ-電子書籍・・・大塚信一氏(元、岩波書店編集長・同社長/宇沢弘文・著書の90%以上の出版に携わった)が著した『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)によれば、・・・

「宇沢弘文の『最適経済成長の理論(不均衡動学、および地球温暖化問題、炭素税の発想などの諸テーマと絡む)に関わる一環の研究)』が、宇沢のスウェーデン王立科学アカデミーにおける研鑽時代(1991~ )の成果を介し、特に1970年代以降のスウェーデンの経済・環境関連政策(ネオ・スウェーデンモデル)、ひいては国連・EU(欧州連合)らの地球温暖化問題等のベースとなる考え方へ大きな影響を与え続けている。

<補足3>Fiduciary Duty とは?(生命論的な視座に因る“より広い概念”であるが、此処ではひとまずの意味)

・・・米国の法律では非常に頻繁に出てくる用語で、一般的には米国憲法上の概念とされる概念である。しかし、Fiduciaryに は日本語の統一的な訳語が存在しない。そして、そもそもFiduciaryは「Duty of Care」と「Duty of Loyalty」という2つの意味が併存する(法的な概念)である。Duty of Careは「同様のポジションにある場合に、委任された人の職業・専門家としての能力・社会的地位などから考えて、通常期待される善良な義務を負うべき立場の方の人が、より選択すべき可能性がある方法で奉仕すべき義務」ということなので、これは既成の「善管注意義務」(善良な管理者の注意義務)の訳語が対応する(日本では民法644条にある)。「Duty of Loyalty」は、「自分の利益を後回しにしてでも忠実に、当然あるべき義務を果たす」(言い換えれば、大きな自然環境の下で、たまたま希少な生命あるヒトの親という立場に置かれた自分として、当然果すべき役割と考えられる親としての義務を果たす、ということ)である。例えばFamily Lawの世界では、親は未成年の子にFiduciary Dutyを負っているので、自分の身の危険をかえりみず子の安全を守るべきだ、ということになる(参照:山本法律事務所HP)。 https://yamamotolaw.pro/fiduciary-duty/

[プロローグ]

・・・D.デイヴィドソン『非法則的一元論』によれば、唯一『リアリズム倫理/fiduciary』だけが生来のウソ吐き人間(夢現胡乱/ゆめうつつうろん、いわばヒトの生命論的な意味では平等(対等)な生地(キジ)をムキ出しに露出させた〖Kook型“露出症”タイプ〗の人間=“ヒト・人間社会”以前に止まりつつ、ヒトはおろか其の肝心の〖獣〗にも成り切れない、いわば未熟なケダモノとも見える存在!)の天敵であることになる!・・・

(ポスト・トランピズムの米国における『リアリズム倫理/fiduciary』Vs『QAnon‐Kook/ゆめうつつうろん』抗争の風景、アラカルト)

◆【むしろ、これは旧アベ & 今の菅政権のことでは?(w)/∵日本はfiduciaryが皆無に等しい!】共和党のトランプ汚染が寛解不能なら↓♨民主党から正統保守が再生する鴨?(苦w)∵民主党(右派)の価値観は歴史的に共和党の正統保守と同値! →【日英全文】バイデン大統領就任演説/<事実「捏造」の文化>は拒絶すべきだが(fiduciaryで!)互いの声を傾聴できれば邪魔を破壊せずに政治はできる!0121 ELLE https://twitter.com/tadanoossan2/status/1352484263350820864

・・・♨トランプロスの共和党重鎮(リンゼー・グラム上院議員)、「彼には共和党の指導者であり続けてほしい」0121ニューズウィーク、https://news.yahoo.co.jp/articles/55d7af72259050528a8ab98b12a8df8adcf4e511

・・・(追記)米共和党、Qアノン支持の新人議員を下院教育委員に-ペロシ議長抗議0129Bloomberg https://news.yahoo.co.jp/articles/181b996ed8bbfca5b2d0e4d6a7f21009090f621c

・・・【共和党全体も窮地化の恐れ?当米国製♀ISのトリセツ公表が必須鴨神社!w】∵"ヒトの生地の意識"は"夢現胡乱"なので(@ D.ディビドソン)救いはFiduciary以外にあり得ない!↓♨  →Qアノン信奉者の共和党新人議員、マージョリー・テイラー・グリーン(Marjorie Taylor Greene)がペロシ殺害支持するSNS投稿で窮地0129AFPhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1355281276027039746

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・・・Vs・・・

◆【旧アベ&菅政権のこと?w】共和党の「トランプKook」汚染が寛解不能であるなら、そもそも正統保守の価値観をも包摂してきた歴史を持つ民主党から正統保守が再生する鴨? →【日英全文】バイデン大統領就任演説/事実「捏造」の文化は拒絶すべきだが互いの声を傾聴できれば邪魔を破壊せずに政治はできる!0121 ELLE https://twitter.com/tadanoossan2/status/1352484263350820864

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(『リアリズム倫理/fiduciary』が不在のため、『JPN夢現胡乱(ゆめうつつうろん)=司法&政財官学界が丸ごとKookまみれの?暴政』が跋扈するバカりのKookyな日本の風景、アラカルト)

・・・残念なことだが欧米諸国と異なり、特に”日本の司法・政治・行政(社会的選択)フィールド”および市民社会一般においては『リアリズム倫理(fiduciary)』を重視する文化(文化観念)が非常に希薄である。逆に言えば、「机上の空論」的な道徳論に終始している。そのため、肝心の米国よりもトランピズムの残滓(Qアノン陰謀論・カルト信仰など)のマイナーな悪影響を日本社会が米国より長く受け続ける可能性が高いと思われる。・・・

◆【知事らの要求を口実に強制導入が謀られた新コロナ関連の懲役刑等の<罰則>ありき”特措法改正”等は、「リアリズム倫理」不在による日本政府の不作為をカムフラージュするための菅内閣の目晦まし戦術!】・・・「知事等自治体の消極性、中医協の形骸化、悪平等の半年診療報酬一律引上のドタバタ、急性期病院問題et労使間調整」を放置したのは安倍・菅歴代政権、厚労省&医師会の不作為。その根源は日本におけるリアリズム倫理"文化"(Fiduciary )の完全不在!Cf.↓♨ https://twitter.com/tadanoossan2/status/1353809190548979714

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1353809190548979714

♨1大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(前編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

♨2 大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

◆【大臣ビジルート新規開拓?】「大臣室・巨額現金授受=司法取引案件化」なる実績作りの糸を強引に引いた三白眼の?権力者は誰か?という異常な側面こそが問題では? →吉川元農相、司法取引?:鶏卵・贈収賄疑惑、特捜部案件なのに「逮捕者ゼロ」の怪123biz.J. https://twitter.com/tadanoossan2/status/1353239226326818817

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・・・Intermission!・・・

🔲〖Kook(無限胡乱/ゆめうつつうろん)暴政権力〗から〖ゴヤ芸術の傑作:我が子を喰らうサテュルヌス〗への連想!

ゴヤ『我が子を喰らうサテュルヌス』/Saturn Devouring One of His Chidren.

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f:id:toxandoria:20210131101917j:plain・・・Francisco José de Goya y Lucientes,「Saturn Devouring One of His Chidren.」c. 1820-23. Oil on cavas, 146 x 83 cm. Museo del Prado, Madrid, Spain.

・・・もし、この絵の初めての鑑賞者が真っ先に非常にグロテスクな感情を覚えるならば、それは彼がれっきとした普通の人間であることの証拠だと言えよう。それは彼が紛れもなく「人間社会の普遍的な繋がりの中で、いわば「何らかの連帯感を共有する世界」で生きていることに他ならないからである。そして、その「何らかのfiduciary的な連帯感を共有する世界」こそが「Kook(無限胡乱/ゆめうつつうろん)暴政権力」なる、非常に面妖で有害な「生地の意識」の天敵であることになる。

・・・しかも、直ぐに彼は『我が子を喰らうサテュルヌス』でゴヤが描いたのは「生命論的、特にオミクス生命論的な意味でのヒトに関わる厳しい真理(同生命論の核心の一部となるDNA・細胞レベルのアポトーシスなど)」であることを、いわば「無限に拡がる大自然の摂理に照らせば非常に矮小なヒト(人間)は何らかの意味で他者ないしは他の生命の犠牲の上でなければ生き続けられない存在だ!」という、厳然たる、しかし何故か悲しむべき真理を見事に描き切ったということを理解し、深い感動を覚えるはずだ。しかも、それこそが<触知型崇高美を重視する英国バーク流『正統保守』イデオローグ>の原点なのである。

<注>「オミクス生命論」と「触知型崇高美を重視する英国バーク流『正統保守』イデオローグ」については、下記★を参照乞う。

★大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

[ネオ・スウェーデンモデルについての素描]

◆より具体的に見れば【(その時に英国から)輸入しなかったのは「リアル国民の日常」を凝視しつつ中立性を死守する「リアリズム倫理(Fiduciary)」の仕組み!】 →インタビュー/官僚の忖度、いつから?/平成の政治改革、英国モデルで輸入されなかった中立性守る仕組み:京都大教授・嶋田博子氏127朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S14778299.html

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354329262581444608

・・・関連/Goofy Smile @goofy_smile4 返信先: @tadanoossan2さん (英国では)「官僚は専門家として誠実に、時の権力には耳の痛い事実も直言せよ、それが中立だとの合意もあります。しかし日本では、法律上の定義(憲法および諸法制上での明確な担保措置)も国民的な合意もありません」...日本の制度は、仏造って魂入れず、ですね。(笑)午後7:18 · 2021年1月27日·Twitter for iPhone https://twitter.com/goofy_smile4/status/1354373317394751489

・・・関連/水のイマージュ2 @tadanoossan2 返信先: @goofy_smile4さん >(英国では)「官僚は専門家として誠実に、時の権力には耳の痛い事実も直言せよ、それが中立だとの合意もあります・・・ ↞日本は、あらゆる意味で全く仰るとおりの名ばかり(羊頭狗肉?)だと思います。伝統・自由・市場・自律・社会福祉等の諸価値観についても同様!と思われます。午後9:59 · 2021年1月27日·Twitter Web App https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354413677701591044

・・・

上の【◆・・・(その時に英国から)輸入しなかったのは「リアル国民の日常」を凝視しつつ中立性を死守する「リアリズム倫理(Fiduciary)」の仕組み!】ということを北欧諸国の現況に合わせ、別に表現するならば次のようになるだろう。

スウェーデン、デンマークなど特に北欧諸国で深化した「リアリズム倫理(Fiduciary)」の意味について、より具体的素描を試みるならば、それは<福祉社会型「ソーシャル・ポリシー」が“個別的な衡平性(Individual Equity)”(配分的正義/人々がそれぞれの能力に応じて地位や財産を手に入れる平等/アリストテレス)、“社会的十分性(Social Adequency)」”(矯正的正義/社会全体における罪と罰との均等や取引・交換における平等のように、絶えず置かれた場の全体を視野に入れつつその全体との調和を図る算術的比例に基づく平等/同じくアリストテレス)、“集団的衡平性(Group Equity/衡平性を支える集団的な責任/リアリズム倫理のベース)”の三要素をバランスさせる意識がより深まったため、その北欧諸国の国家体制そのものが「社会に調和する経済学(資本&市場の原理)」(ドイツ風に言えば『オルド市場原理主義(ドイツで生まれた社会的市場経済)からヒトのための“生命論的な謂いで本物の社会的市場経済”への展相(Potenz)』)を採用する方向へ進化(深化)したものだと看做すことができる>ということになる。つまり、1970年以降においてネオ・スウェーデンモデル(当時の社会民主党政権)が“市場原理主義(小さな政府)”への丸投げに舵を切ったという一般的な理解は決定的な誤りor誤解である!/それよりも重要なのは、例えば宇沢弘文の『不均衡動学』理論などがネオ・スウェーデンモデル(ひいては欧州全体)へ大きな影響を与えた可能性が高いと考えられることだ。/委細は、[本論]以降を参照乞う!https://note.com/toxandoria2/n/n0c5a866911bc

また、それは「1970年以降においてネオ・スウェーデンモデル(当時の社会民主党政権)が“市場原理主義(小さな政府)”への丸投げに舵を切ったという一般的な理解は決定的な誤りor誤解である!」こと、より具体的に言えば「それは“産業政策面での市場原理の活用”と“国民の日常を凝視し続けるリアリズム倫理の一層の深化”という二つの方向性をオミクス生命論(地球環境保全の視座における)と不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』で調整し続けるという、実に斬新で壮大なネオ・スウェーデンモデルへの挑戦、ということであったとも言えるだろう(関連参照→新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府「転換X」にのっとる政策その3 / 松尾匡:連載、https://synodos.jp/economy/9541)。

更に、ここで参考まで示しておくべき「協同組合の組合員数に関する興味深い数字」がある。ごく大雑把に概数で示しておくと、それは「スウェーデンの消費協同組合の組合員数は約300万人(組合数は44/国民の約30%を占める)で、日本の同数(生活協同組合員数)は約6000万人(国民の約半数を占める)」ということになる(出典、https://www.komu-rokyo.jp/arc/etc/201202rep_sweden.pdf)。

組合員の占有率の大きさだけからみれば、あの“協同組合の国”とさえ呼ばれるスウェーデンのイメージとは大きく異なっているが、それも只の誤解に過ぎないようだ。委細は省くが、スウェーデンの“消費協同組合の役割”は、歴史的に見ても、そのベースはまさに「リアリズム倫理」そのものである。しかもそれはスウェーデンの国家観のベースとも一致しているので、国民の間でシッカリ共有されている。従って、現状に関する限り只の廉価な食材等の調達先か、あるいは主婦のへそくりの比較的有利な投資or運用先の程度の認識に留まる日本の生協とスウェーデンのそれとでは比較にならない。

ともかくも、上で触れた<1970年以降の「新(ネオ)スウェーデンモデルに見る協同組合と政府「転換X」・・・>の「産業政策面での日常における矛盾や過剰の調整」を担うという最も重要な役割が“スウェーデンの消費協同組合”にはスウェーデン政府から託されている。しかも、そこでは「ルールが明確で、それ自体に政権や行政権者の胸先三寸の判断の余地がないこと」というリアリズム倫理の原則が常に意識され、当事者・関係者らによってそれが共有され続けている。

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そのため「市場原理の過剰による何らかの歪みや矛盾が起こるのは当然視されており、だからこそ透明なルールと法制に基づいて喧々諤々の議論が行われる訳であり、それが調整され続けることはあって陶然のこと!」と広く理解されている。まさに、宇沢弘文あるいはジョーン・ロビンソンのベーシックな「動学経済の意義=不均衡動学」が持続的に理解され。日々に作動しており、国民の日常が適格に日々担保されているのである。

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更に、このことを「マクロ経済・財政運営・税制・労働市場・教育など経済・社会システム全般に通じるキーコンセプト」をベースにしつつ、特にスウエーデンモデル(厳密に言えば、1970年代以降のネオ・スウエーデンモデル)の特質を抽出すると、以下のとおりとなる(湯本健治・佐藤吉宗著『スウエーデンパラドックス―高福祉・高競争力経済の真実―/日本経済新聞社、P14より部分転載/プラス若干の加筆)。

(1)オープン・エコノミーと健全なマクロ経済・財政運営

(2)ITインフラの整備とイノヴェーションを生み出す戦略的研究開発(当然、潜性イノヴェーションも視野に入っている!/補記、toxandoria)

(3)高い女性の労働参加率と子育て支援の仕組み

(4)包括的かつ大胆な環境政策と環境に対する高い国民意識(当然、その視界はオミクス生命論へも繋がっている!/補記、toxandoria)

(5)連帯賃金制度と呼ばれる労使協調型の賃金決定の仕組み

(6)人間を重視する積極的労働市場政策と実学志向の強い教育制度(一般教養的・コンシリエンス的な視座も併せて重視する!/補記、toxandoria)

(7)労働インセンティブと企業活力に配慮した税・社会保障制度(日本の如き“馴れ合い&女性蔑視”の対極にあるfiduciary(リアリズム倫理)がベースとなっている!/補記、toxandoria)

[本論]

1 『非法則的一元論』に因るヒトの正体(意識の基本は嘘吐き、夢現胡乱!=ゆめうつつうろん)に照らせば、日常の基盤となるべきFiduciary(リアリズム倫理の観念)が皆無の日本は米国よりも危うい!

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◆「特効薬なし!」は、D.デイヴィドソン『非法則的一元論』によればそもそもヒトの正体は嘘吐きであるから!故にFiduciary皆無の日本は米国より危ない! →陰謀論の猛威 検閲は逆効果、特効薬なし!参考!EU報告書:"透明性"他、https://ec.europa.eu/digital-single-market/en/news/final-report-high-level-expert-group-fake-news-and-online-disinformation ジャーナリスト津田大介128朝日

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https://www.asahi.com/articles/DA3S14779614.html

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1354671997578473475

論文「心的出来事」(1970)で「トークン同一説」(非法則的一元論)を主張したD.デイヴィッドソン(Donald H. Davidson/1917 – 2003/米国、W. van O.クワインに師事したネオプラグマティズムの哲学者)は、心的出来事のトークン(心的イメージあるいは何らかの表象)は物理的出来事のトークン(個々の物象的イメージまたはそれに関わる表象)と全く対等・同一であるとする「トークン同一説」(非法則的一元論)を主張している。https://oxford.universitypressscholarship.com/view/10.1093/0199246270.001.0001/acprof-9780199246274

<注>関連論文/行為とその合理化――共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf 

・・・

そのD.『トークン同一説』によれば非常に残念なことだが(苦w)、<"ヒトがどんな有害な嘘を吐こうとも、それは原理(心理・生理・分析哲学)的に自由・平等"であり、そこにはなんら不思議はない!>ということになる。つまり、具体的に見れば安倍晋三、菅義偉あるいはトランプらの如き「生来の悪質な大ウソ吐きの政治権力者」が、昨今の如く恰もウジ虫の如く湧き出しても何ら不思議はないことになる。

◆リアル・虚構、両トークン混同なる重篤な異常オミクス&幼少期ラカン鏡像型の政治的<猟奇犯罪>の病理! →「桜・前夜祭問題」一層巧妙化する安倍前首相のウソ/説明の通りであれば「森友学園問題と共通する『虚構の構図』」1226郷原信郎 Y!N
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1342933899496673281

・・・これぞ我が日本が全世界に誇る「夢現胡乱/ゆめうつつうろん」(@D.ディヴィドソン)のKookで卦体(けたい)な表情!・・・

アベ嘘狂人!

つまり、そもそも「性善説ないしは性悪説の何れかへ大きく傾斜するものではなく、その両者の成分が同等に混然一体化していて当然である!」と、デイヴィッドソンはヒトの正体について、それを「非常にリアルに見ている」ことになる。言い換えれば、これはネオプラグマティズム哲学の特徴でもある、生命論・感情論(先端的な医学用語で言えばオミクス生命論)に立脚した視点でもあり、さらにそれは必然的に自然環境を重視する視界へと拡がる、と考えられる。

更に言い換えれば、D.デイヴィドソンの『非法則的一元論』が意味するのは、唯一『リアリズム倫理(fiduciary)』だけが『生来のウソ吐き人間』(又は、それを真実であると信じ切っているカルト観念ら)の天敵になり得るが、それ以外の只の抽象論あるいは観念論的な倫理けでは、とても生来の悪質な大ウソ吐きの政治権力者、あるいはカルト観念らと癒着した強大な権力等には、到底、勝ち目がない!ということである。なお、この意味での『リアリズム倫理(fiduciary)』は、言語哲学の重要概念である「選言論(説)」を培地として、マクダウエルのリアリズム倫理と共鳴する(マクダウエルの委細は、↓★1.2を参照乞う)。

<注>D.デイヴィッドソン「トークン同一説」(非法則的一元論)の委細については、下記★1、又は★2を参照乞う。

★1 大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(5/6) https://note.com/toxandoria2/n/n99ff3ac04a42

★2 大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編) https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

2 欧米トップ知と日本の決定的な落差、その核心と見るべきものは何か?

・・・以下は、[大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(前編)、(後編)]の【(後編)6-「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見、そしてネオ資本主義の時代へ】、および【(後編)6-結論】の部分転載。・・・

(前編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

(後編)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

2-1「宇沢弘文の不均衡動学」と通底する「スウェーデン・モデル」の再発見、そしてネオ資本主義の時代へ

・・・それは、「スウェーデンモデル」(厳密に言えば、1970年頃~のネオ・スウェーデンモデル)から[ネオ資本主義、真のフィデューシャリー(fiduciary)の時代」へ進む道程である!・・・

2-1-1 市場原理主義(ミルトン・フリードマンら)の天敵!宇沢弘文「不均衡動学」の理論

(宇沢弘文『不均衡動学』の鍵となる言葉)

宇沢弘文によれば、「不均衡動学」の新たな可能性の核心とは「それが❝社会主義の弊害(市場原理への過剰な抑圧)と資本主義の幻想(ネオリベラリズム、市場原理主義への過剰な誘惑)❞という両極端への暴走を克服するための動学理論」であるということだ。言い換えれば、それは「ヒトの生命(いのち)と自然環境の持続に役立つものであるべく数理経済理論で裏付けられた動学である」ということだ。

だから、2020米大統領選挙でトランピズム、つまりトランプ大統領のマイファースト&アナザーファクト幻想論(ディープ・ステート陰謀論など)の是非が問われた結果としてバイデンが勝利したことの真の意味は、次のような点にある。つまり、それは渦中の「経済(学)の第三の危機=市場原理主義の暴走」に対する有意な処方箋を、確実にヒトと自然環境の持続を目指すものへと改編するためバイデン政権が書き替える、そしてそれを必ず実行すると約束したということだ。だから、今後はバイデン民主党は、愈々、そのために重大な責務を負う(fiduciaryの深化が試される)ことになったと理解するのが肝心である。

そして、その鍵となるのが「社会的共通資本」なるインフラストラクチャ―の充実と、その管理・運営のために必須となる「フィデューシャリー(fiduciary)の理念/換言すればリアリズム倫理」の二つということになる。つまり、この二つは❝非常に人間的でオミクス生命論的な価値観であるため、そもそもその揺籃の場でもあった自然環境を必然的に重視せざるを得ないことになる。なかんずく、その二本柱の土台と見るべき「社会的共通資本」がハイエクとミルトン・フリードマンのネオリベラリズム(新自由主義)の、即ち市場原理主義へのリアル実在の天敵となるのは明らかである。

ところで、「フィデューシャリー(fiduciary)」の日本語訳は【受託者・信用上の倫理義務、又は福祉国家(又はそれをを志向する政府・行政府)の負託義務型倫理】であるが、duciaryの類語である「デューティー(duty)」は【必然の義務・務め】である。つまり、受託者として一般国民の生命を保守する義務、あるいはそのための信用上の務め、ということになる。従って、英米法上では「他者の信頼を得て行動する義務」、「他者からの信頼を受け止め、その人のための利益を念頭に置いて行動・活動するか、あるいはそのため助言をする義務」との意味になる。・・・以上の主な出典:大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)p204~ ほか・・・

<注>社会的共通資本 (Social Common Capital)とは?・・・宇沢弘文は、次のように説明している。

出典:https://www.af-info.or.jp/blueplanet/assets/pdf/list/2009slide-uzawa.pdf

概念的には、以下の三つに纏めることができる。


ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的に魅力ある社会を持続的,安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置.


社会全体にとっての共通の財産であり,それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により,専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理,運営される.


一人一人の人間的尊厳を守り,魂の自立を保ち,市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し,真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する.


具体的には、以下のように類型化できる。

(1) 自然環境 : 山,森林,川,湖沼,湿地帯,海洋,水,土壌,大気

(2) 社会的インフラストラクチャー : 道路,橋,鉄道,上・下水道,電力・ガス

(3) 制度資本 : 教育,医療,金融,司法,文化

* この分類は必ずしも網羅的ではなく排他的でもないあくまで社会的共通資本の意味を明確にするための類型化である

・ それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により、専門的知見と職業的倫理観(フィデューシャリー(fiduciary))にもとづき管理,運営される。

・・・

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同じく宇沢弘文によると現代資本主義が直面する重要な課題を二つ挙げるとすれば、以下の二つになるが、これらは相互に密接な関りを持ち、お互いに因果関係を形成しているが、基本的にはそれぞれが異なる性質を持つため、異なる分析方法が求められる(宇沢弘文著作集Ⅴ経済動学の理論‐岩波書店‐)。

(イ)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との執拗な共存(そもそも、これは市場・金融・政治・行政(公共選択)らが責任を負うべき分野←補記、toxandoria)

・・・失業とインフレーションの共存は1970年代になってから世界の資本主義諸国で最も重要な政策課題となったものであるが、これはそもそも、我われのリアルな日常(オミクス生命論で生き続ける/←補記、toxandoria)における不均衡状態についての説明可能な分析理論を持たない新古典派経済学の必然の帰結でもある。この問題はジョーン・ロビンソンが指摘したとおりベトナム戦争のマイナスの余波がもたらしたもの(それが第二の経済学の危機の直接的な原因となったこと/Cf. →第4章-2-(1))であるとしても、更にその隙を突いて経済理論の上で覇権を握ってしまったのが新自由主義(ネオリベラリズム)に基づく市場原理主義である。そして、それが「第三の経済学の危機」の肩を現在も押し続けていることになる(補記、toxandoria)。

(ロ)環境破壊・公害などの現象に代表される「社会的共通資本」の質的悪化と、それに伴う人々の実質的な生活水準の低下

・・・地域・国民・国際経済のエルゴン(±の両義的な潜性可能性の在り処)供給体制、およびその活動機能の劣化に起因する(←補記、toxandoria)社会的共通資本が、国民経済のなかでどのような役割を果たし、また価格、賃金、雇用水準、経済成長率、実質的生活水準などというマクロ経済的な指標にどのような影響を及ぼすかという基本的な設問に関しても、従来の新古派典理論は我々になんの洞察も与えていない。・・・

・・・

ところで、宇沢弘文によれば、経済学の対象となるべきものには(A)「専ら市場活動を介し変化すべき(宿命的に、そうせざるを得ない)領域」と、(B)「極力、市場活動を排しつつ保守(保全)すべき領域」の二つの基本的に異質な領域がある(この部分は、オミクス生命論における個体の"持続性に関わる見立て"の部分に相当すると思われる。/補記、toxandoria)

(A)の専ら市場活動を介し変化すべき(せざるを得ない)領域に該当するのが、(イ)のなかの<市場(および市場周辺)・金融・政治・行政(公共選択)らが、それらの外部環境の整備について責任を負うべき分野>であり、一方で(B)に該当するのは、上で取り上げた(ロ)のなかの<社会的共通資本、および❝既にひとたび投資され❞ており企業・家計・個人らの内部で蓄積され、いわば個体・個性の持続のため血肉化し希少化した資源(オミクス生命論の個体・個性部分の内部環境に当たると考えられる/補記、toxandoria)ということになる。

従って、新自由主義(ネオリベラリズム)による市場原理主義が。(A)「専ら市場活動を介し変化すべき(せざるを得ない)領域」と、(B)「極力、市場活動を排しつつ保守(保全)すべき領域」の二つを諸共にゴッソリと、その名のとおり"原理主義(厳密にいえば超抽象的な市場原理主義/@ツベタン・トドロフ)"的に、あるいは狭義の❝概念飽和(Conceptual Saturation/@アンドリュー・セイヤー)"的に、その一切を市場へ丸投げするのは、いかに当論を哲学的(例えばハイエクのカタラクシー(Catalaxy))に、又は数理経済論的(例えばミルトン・フリードマンの重力理論の援用)に、果ては“預言“詐欺師風(例えば竹中平蔵!w)に喧しく主張するとしても、特に、オミクス生命論の視点(ヒトを含め凡ゆる生命は薄皮一枚の均衡でゼロサムを克服しつつ永続性・持続性を維持している!)で見れば、明かな誤りであろう(関連参照→

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759 

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449 )。

<注>「概念飽和(Conceptual Saturation/アンドリュー・セイヤー)」および「超抽象的な市場原理主義/ツベタン・トドロフ」の委細については、下記★を参照乞う。

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続できる新たなイノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2020/03/25/082423

(宇沢弘文『不均衡動学』の重要な意義)

◆いまだに約4割の国民?(『20210106トランプ支持派(Qアノン、ネオナチ、白人至上主義者ら)連邦議会"乱入"、死者5名』の悲劇で、トランピズム洗脳が解けたか否かを注視する必要はあるものの・・・)が選挙は不正だったと叫ぶ(共和支持層の8割が、そうであることから推測すれば)からこそ、<大格差を生む真の敵=市場原理主義の暴走>であることについて、より平易に分かり易く説きつつトランピズム陰謀論の妄想(≒カルト洗脳の病理)を解く具体策を果敢に打ち出すのがバイデン民主党の仕事!  →バイデン、過半数の選挙人を獲得「民主主義の勝利」/しかし、試練の次期政権1215

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338962997964800001

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・・・宇沢弘文によるジョーン・ロビンソンへの高い評価・・・

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・・・画像は、https://www.azquotes.com/author/32076-Joan_Robinson より・・・

宇沢弘文『経済学の考え方』(岩波新書)によると、ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson/1903 - 1983/英国の経済学者mケインズサーカスのメンバー)は、その生涯を通じ弱いものや虐げられたものに対し深い人間的愛情を注ぎ、傲岸なものや卑劣なものに対しては激しい憤りをもって闘った人物である。また、彼女が経済学の研究で最も重視したのは「すべての人間の活動は歴史的な意味でのリアル時間のなかで行われるものであり、それは単なる抽象的論理が繋がる体系ではない!」ということ(これは、まさに言語哲学の選言論(説)ないしはオミクス生命論を連想させる!/補記、toxandoria)であった(↑の画像は、https://www.azquotes.com/author/32076-Joan_Robinsonより)。

ところで、

この「歴史的なリアル時間のなかで行われる人間活動のための経済学」について、そもそもの<不均衡動学>の着想の創始者でもあるジョーン・ロビンソンの紹介を兼ねて、宇沢は以下のように説明する。

・・・現在は変えることのできない過去と、まだ知られざる将来(未来)との間に存在する断層(ヒトを始めとする生身の生命が生きるリアル"日常"空間の謂い!/補記、toxandoria)であり、その中での関係性は絶えず動いて止まらないものである。だから、人間の行動はこの<歴史的瞬間である現在/D.デヴィドソンの"原因の空間"と"理由の空間"を想起すべき!?>という時点で行われるという観点から<不均衡動学>という新しい構造で語られなければばらない。(出典:ジョーン・ロビンソン、ジョン・イートウエル共著/宇沢弘文訳『現代経済学』-岩波書店-)・・・

・・・宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想を更に推し進め、深化させた成果/ et それはオミクス生命論(特に、これは労働雇用の視点の重視と関連する)とも共鳴!・・・

<注>宇沢弘文『不均衡動学』における<労働雇用の視点>の重視が、オミクス生命論の考え方に接近しており、それは宇沢がヴィクセルより後の時代のジョーン・ロビンソンのそれを引き継ぐためである、という理解については、当節の末尾に記した[関連資料2]を併せて参照乞う。

・・・

つまり、宇沢弘文の『不均衡動学』はジョーン・ロビンソンの着想を更に推し進めて深化させた(言い換えれば、そのリアルの断層をより科学的に観察し数理論的にそれを描写・説明した)ものである。そして、その不均衡動学の研究対象となる領域は、前節で取り上げた「(イ)物価・賃金水準の不安定な上昇と失業との執拗な共存(そもそも、これは市場(および市場周辺の外部環境)・金融・政治・行政(公共選択)らが責任を負うべき分野)」と、「(ロ)環境・公害・福祉・厚生などに関わる諸現象(血肉化し希少化した資源)の調整に関わる『社会的共通資本』」の二つになる訳だ

(イ)は市場的不均衡過程の枠組みについての数学を駆使した、文字どおり動学的な数理分析アプローチが主流となる分野であるが、(ロ)の社会的共通資本については、そもそも❝それは既にひとたび投資され❞たものなので、これは繰り返しになるが、その殆どは企業・家計・個人らの内部で蓄積され、いわば個体・個性の持続のため血肉化し希少化した資源である。言い換えればそれはオミクス生命論の個体・個性部分に相当すると考えられるため、基本的には保守すべき対象としての性質が強いものである。

とはいえ、(ロ)といえども、それはリアル社会での経済活動の繋がりとしては(イ)の分野とも何らかの目に見えにくい部分で連鎖しており、特に計測不能な潜性イノヴェーションとも深く共鳴しつつ通底している関係にあり、殆ど気付かぬ形で相互に影響し合う可能性も十分にあり得ると考えられる。但し、・・・

だからといって、いわゆる市場原理主義の如く「(イ)と(ロ)を十把一絡げにして"市場原理主義論"(例えば、M.フリードマン"重力物理学(修正重力理論)"援用の動学理論、又はハイエクの"カタラクシー論"など、『fiduciaryなどリアリズム倫理の視点』を一切捨象した、只の抽象論理(or 天然キャラ的とさえ言える、両者の抽象論理"原理主義"!w)へリアル経済を丸投げする」のは、そもそも真の「ヒトのための生命論的な動学理論」であるべきとする宇沢弘文の立場から見れば明らかな誤りである。

(ロ)については過去の投資の歴史的な変量の一定の集積と捉えることで、これも動学的な数理分析アプローチの対象となり得る訳である。ここでは(比喩的な表現となるが)、オミクス又はエピジェネティクスという超マクロないしは超ミクロな生命環境における高分子化学の"メチル化あるいはアセチル化などの"修飾"作用が、同時に、より高次のオミクス環境の影響をも受けざるを得ないという内部環境で行われることでもあることから、これら両者が非常に広範に連鎖・共鳴しつつエコーチェンバーするという意味が比喩的に連想できさえすればよいだろう(宇沢弘文は、実はこの様なことを数理論を使いつつ的確に説明している!/宇沢弘文著作集Ⅴ経済動学の理論‐岩波書店‐)。

つまり、オミクス生命論的な視点で動学のリアル経済環境が想像できれば、そこでは個々人の生命を出来得る限り平等(対等)に保全するため、又それと同時に「赤の女王」の誘惑に抗いつつ、毅然としてリアル生命環境トータルの持続性を保守し続けるためには、フィデューシャリー(fiduciary)の倫理観(別に言えば、リアリズム倫理)と『社会的共通資本の理念』という二本の柱が必ず求められることになる。


・・・シュンペーター「静態・動態」と宇沢弘文『不均衡動学』の関連性、およびミルトンフリードマン「市場原理主義」との決定的な差異・・・

更に、ここで想起すべきは「第4章-2-(2)」で書いた<シュンペーターの静態と動態の関係についての、その相互補完的な循環構造という理解の仕方は(それはオミクス生命論的な視座を想像させる!)、後述する<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』(フィデューシャリーで保守されるべき!)と一体と見るべき経済理論であるということだ。

それは、「AとBは、前者A=動学、後者B=静学と見立てるとすれば、この両者は明らかに相互補完的な関係にあると見えるからだ。つまり、この両者は、現代のグローバル世界で、事実上、今や我が世の春とばかり恐ろしく専横な態度で跋扈する<市場原理主義(又は、❝大格差❞を倒すマイファースト英雄を騙る“トランピズム“、あるいは❝JPN追憶のカルト❞など凡ゆる陰謀論ないしは暴政のジャンル!)>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?と思われる。>ということだ。

そして、そのことについては、ほぼ30年にわたり宇沢弘文の著書の9割以上を編集者として手掛けた元岩波書店・社長の大塚新一氏が、以下のような趣旨のことを大塚氏自身の著書のなかで語っている(大塚信一『宇沢弘文のメッセージ』-集英社新書-)。

「その経験をとおし知ることができたのは、❝不均衡動学❞という一つの大きな成果に結実したその数理経済学は、宇沢弘文の学問と人柄が一体化したもであることに因ると思われる。その点が、元祖・市場原理主義の巨人の一人と目される同じ数理経済学者のミルトン・フリードマンと宇沢弘文の決定的な違いである。」

関連資料1

:宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由/コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった:占部 まり(宇沢弘文氏の長女/ 内科医)20201030東洋経済、https://toyokeizai.net/articles/-/384561 


関連資料2

:岩井 克人 (著)不均衡動学の理論 (岩波モダン・エコノミックス 20) ・・・ヴィクセルの不均衡累積過程の理論を再構築し、新たな立場からケインズ的経済理論を展開。伝統的な「経済学的思考」への理論的挑戦であり、ケインズ主義者対古典派復活論者の論争の地平を超える。←<注>同じ不均衡動学であるが、ヴィクセルより後の時代のジョーン・ロビンソンのそれをも引き継ぐ「宇沢弘文の不均衡動学」は、新古典派とケインズの両派を、特に「労働雇用の視点/オミクス生命論に近い!」において超克していると考えられる(ネオ・スウェーデンモデル型の福祉社会のベースを確保したという意味で新自由主義の天敵となり得る強固な確信を得た?)。その意味で、当然ながらヴィクセル(その最適人口論の視点)も取り込んでいる宇沢弘文の数理経済学は、特に「社会的共通資本」の役割と地球環境を重視するという点において、この岩井克人氏のケインズについての読み直しとしての不均衡動学とは全く異なる位置に立つと見るべきであろう。(補記、toxandoria/@『宇沢弘文著作集Ⅴ-経済動学の理論』-岩波書店-)

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2-1-2 宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化が解明したDNA増幅の基本』の共鳴

(1)宇沢弘文『不均衡動学』と、古澤満「不均衡進化(Disparity Evolution)」』が解明した『DNA増幅の仕組み(論理&実証)』の共鳴

<注>既述のとおりだが、<宇沢弘文A『不均衡動学』(B『社会的共通資本論』と一体と見るべき経済理論/∵AとBは、前者A=動学、後者Bとして、相互補完的な関係にあると見える!から>であり、この両者は現代のグローバル世界で一強覇権的に跋扈する<市場原理主義>に対する強力な天敵となり得る、非常に重要な経済理論として再認識すべきではないか?(オミクス生命論の視座から見える資本主義経済理論の新たな希望の方向では?)と考えられる!

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◆【この視座の更なる理解に役立つ二つの知見!/↓★1,2】「一神教Vs多神教」なる<分断と決めつけ>から、例えば多様性を保証する<オミクス環境・生命論 ~ Fiduciary Ⅾutyの深化>への覚醒の契機として伝統神道を理解し直すぐらいの発想転換が必須である!ということ。Cf. https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6   https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

★1 トマス・カスーリス『神道』:伝統日本文化の意義・・・その特質は、十分に水平的なプロトモダニティ(日本型リベラル共和意識)が歴史的に存在してきたということ・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

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★2 ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』:プラグマティズムの現代的意義・・・日本でも必須と思われるネオ・プラグマティズム(“米国型リベラル共和”志向)の視点・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180503/p1

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・・・

<注>古澤満『不均衡進化(Disparity Evolution) 』の論理は、プライマー(DNA複製時の起点となる短鎖RNAまたはDNA)を利用する「PCR(ポリメラーゼ連鎖反応/polymerase chain reactionを使う)検査」におけるDNA増幅の論理と、それを実証すつための根拠ともなっている。(出典:やっと日の目を「見た不均衡進化理論」20180912 古澤満コラム、)

https://journal.chitose-bio.com/furusawa_column37/ 

<参考>PCR検査について・・・

[新型コロナ検査、どれくらい正確?感度と特異度の意味:酒井健司2020年3月23日・朝日、より転載]新型コロナウイルスはRNAウイルスですので、最初にRNAをDNAに変換する作業がありますが、増幅の仕組みは同じです。・・・日本プライマリ・ケア連合学会の診療の手引きによれば、PCR検査はウイルスゲノムを検出するという原理から、一般論として感度(感染者を正しく把握できる割合)は低く(そこでこぼれたのが偽陰性)、特異度が高い(偽陽性と判定される割合は低い)と考えられます。初期のPCR検査で陰性だが後日陽性となった患者等の検討により、感度は30~70%程度、特異度は99%以上と推定されています」とあります。ほかの専門家のコメントでもだいたい同じぐらいです。・・・感度が70%だとすると、感染者100人に検査して陽性が70人、陰性が30人になります。この30人は偽陰性です。原理的には微量のDNAでも増幅できるはずのPCR法でも、検体にウイルスが含まれていなければ正確な結果が出ません。・・・特異度は、感染していない人に検査をして、正確に陰性という結果が得られる割合です。推定では特異度99%以上と高いです。つまり、偽陽性(感染していないのに誤って陽性に判定されること)は少ないのです。・・・https://www.asahi.com/articles/ASN3M7G1XN3MULBJ01C.html

・・・

まず、ここで取り上げるのは「Covid19」に関わるPCR検査そのものの性能に関わる評価」のことではない。それは二本のDNAがほつれて複製されるときに生ずる「二本の鎖」についてのことである。

【参考動画】DNA replication - 3D

一般に、生物が進化する途上での変異の大部分は、DNA複製の過程で生じる。そして、一本のヒストン(DNA を核内に収納する役割を担う塩基性蛋白質)に巻きついた二本のDNAがほつれて複製されるとき、「二本の鎖」のうち一方は連続して複製される「連続鎖」となるが、もう一方は複製酵素の特異性で連続鎖と同じ方向へ鎖を伸ばすことができないので、敢えて断片状に複製されたもの(岡崎フラグメント)が結合され一本になり複製が完成する。これは「不連続鎖」と呼ばれる。

そして、岡崎フラグメント(DNA複製の時によって形成される比較的短いDNA断片、https://sato-ayumi.com/2019/05/06/%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%8E%96%E3%81%A7%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%8C%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BB%95%E7%B5%84/)がある「不連続鎖」では、遺伝子と形態の関係が不明確であるので分子レベルでは中立説(木村資生:中立進化説/https://goo.gl/Xa5vs6)、形態レベルでは総合説として棲み分けが行われるが、形態に影響する総合説の作用と細胞レベルへ影響を与える多様な環境(ミクロ or エトノス、別に言えばエピジェネティクスまたはオミクス)との共鳴・協調・競合が窺われる(http://goo.gl/tQGcAY +補記@toxandoria )。

ともかくも、このうち「連続鎖」は変異の発生が極めて小さく、つまり保守的である(進化心理学上での伝達される文化、を連想させる!)。一方、「不連続鎖」は「連続鎖」合成に比べてDNA複製プロセスがかなり複雑になるため作用する酵素の種類数も多くなり、それだけ変異の発生可能性が大きく、つまり革新的・学習的であるということになる(進化心理学上での誘発される文化、を連想させる!)。

そして、「連続鎖」での変異の発生が比較的大きいときでも(とはいえ、それは相対的に小さいものであるので)、諸環境の変動がない場合には、やはり変異発生の比較的小さい「連続鎖」側により現状がほぼ維持(保守)・継承される。

他方、もし大きな環境変動が発生した場合には、変異発生が大きい「不連続鎖」側で変動に合わせる形で<変異の閾値>を作用させて問題の解決を図る(本源部分も保守しつつ変異に併せた全体の進化プロセスを次世代へ繋ぐ)ということになる。「変異の閾値」とは遺伝情報が存在し得る一定数値の範囲のことで(それには限界があるということ!)、変異がこの「変異の閾値」を超すと遺伝情報は融解し<カオスの海>に沈むことになる。

恐ろしいことだが、これはアダムスミス(そもそも、それは誤解されたアダムスミスと言うべきだが!)、あるいはネオリベラリズム(新自由主義)に因る、市場原理主義への十把一絡げの愚かな丸投げ行為の如き自然選択、つまり神の手に委ねられることとなる。言い換えれば、この状況はブラックエレフアントの発生による、一種のシャッフルに委ねられるため制御不能で大きなダメージを受けるか、我われ生命個体の死を意味することが連想させられる!

しかし、古澤満氏(発生学の進展に大きな貢献をしている研究者/元・第一製薬、(現第一三共)・分子生物研究室長)は、そう簡単に遺伝情報が<カオスの海>に沈む訳ではなく、自然選択(神の手)の役割とともに、木村資生氏の「中立的な意味での自由原理」(中立進化説)、あるいは「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用の可能性が重要だとする。そして、古澤満氏は、この「不連続鎖」側での<変異の閾値>の粘り強い作用を『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説(細胞エトノス環境内でのネオ・ラマルキズム?)と名付けた訳だ。

<注>ラマルキズム( Lamarckism)とは?

・・・J.ラマルクzz(ブルボン朝~王政復古期のフランスで活躍した博物学者)の考えを修正した進化学説。ダーウィンの進化学説が提出されたのちもラマルク思想が復活した。その説の中で「獲得形質の遺伝を主張する立場」が代表的であるが、より根本的には「生物にみられる前進的発達の生命力(一種の潜性イノヴェーション的な、又はエトノス・オミクス環境論的な、あるいは選言論(説)的な生命論理のジャンル?)を進化の推進力と考えようとする思想」を意味する。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0-111150 )。

このDNA次元での『不均衡進化(Disparity Evolution) 』仮説を正確に理解するには、古澤満氏が種の進化過程における遺伝情報の流れ方について想定した二つのモデル、「均衡変異モデル(従来型ダ―ウイニズムのセントラルドグマ/近年までの分子遺伝学では、専ら遺伝における情報の流れはDNAを翻訳して形質が発現する一方通行であるとされていたことを指す)」と「不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹)」の違いを知る必要があるが、余りにも煩瑣になるので、ここでは説明を省かざるを得ない。

ところで、古澤満氏は『不均衡進化(Disparity Evolution) 』のことを「元本保証された多様性の創出」とも称していることに注目すべきだろう。これを平たく表現すれば、「保守すべき価値(価値観)および人間としての最低限の権利、歴史・文化、自然・生態・生命環境、モノ、情報などは確実に守りつつ、大きな環境変化にも耐え得る革新性を何時でも発動できるように常時スタンバイすべきであり、又そのようなスタンバイを可能ならしめる知恵をメンバー間で共有し、かつ子供・若者・子孫等へ確実にそれを継承する教育こそが肝要」だということになる。

また、DNA周辺の「細胞」環境を含む全ての体内環境を体内エトノス、あるいはオミクス環境と見立てることも可能であり、そのように考えれば、いずれ人間の内外エトノス環境を統一的・統合的に説明し得る「ネクスト・ステージの文化進化論、あるいはネオ資本主義論」などの可能性が、AI研究らの進化・深化と相俟って実現することになるだろう。

(2)グローバル市場原理主義のドグマを超え、オミクス生命論的な『Fiduciary Ⅾuty深化』への道を探る

・・・それは不均衡変異モデルにおける❝変異の閾値❞での<ゼロサムの赤の女王に抗う鬩ぎ合い>こそが生命持続の正体だという気付き!・・・

<注>"ゼロサムの赤の女王"については、「第1章‐(8)」を参照乞う。 https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/050440

核禁条約に参加せずの日本は真の「生命&環境」論に関わる意識が不在!オミクス生命論の視点で見れば、政治リアリズムと道徳観念(リアリズム倫理)は一向に矛盾しない!→(核といのちを考える 核禁条約、発効へ)地球に見合った科学進歩を 日本が不参加は残念!ガンダムの生みの親・富野由悠季さん1213朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338405560073420800

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1338405560073420800

・・・関連/望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI・・・唯一の被爆国でありながら #核兵器禁止条約 に批准さえできない日本政府。人類の未来に何のメッセージも残せない。恥ずかしいことだ。 核兵器禁止条約が発効へ 批准数「50」に到達、不参加日本の姿勢問われる #東京新聞 1面

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・・・関連/3K独自情報!?fiduciary観念が全不在のカルト菅日本!新コロナ諸共に核の政治利用も謀るガースー! →「核の傘」日米共同声明に明記を新政権へ要求へ!首脳会談に向け新コロ感染拡大等で国際情勢が不安定化!を口実として米「核の傘」提供の明確化を狙う103産経https://news.yahoo.co.jp/articles/9648c27e7e01b7317f6fa00f561fb5411e0458c9

・・・関連/女川ボロ原発(40年未満)も然りだが議論は尽された!と叫ぶ高浜町議会と原発推進派は傲慢&愚鈍の極み!「当」原則の原点たるフクシマ(過酷臨界事故&311大震災)を思い出せ!同意を焚付ける菅らは言語道断! →老朽原発 「40年」原則を思い出せ1126朝日社説 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1331884678136008704 

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  https://twitter.com/tadanoossan2/status/1331884678136008704

・・・関連/肝心のポイントから逃避する日本司法の根幹にはリアリズム倫理(fiduciary)が微塵も根付いていない!→福島第1原発事故、国の責任否定 津波予見できず 控訴審判断分かれる・賠償額は上積み 東京高裁121時事 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1356726491434770432

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・・・

・・・委細の更なる検討に割くスペースがなくなってきたので、以下に[要検討課題]の項目だけを箇条書で集約することを中心に、簡単なメモ程度に整理しておく。・・・

(1)新たな成長理論の可能性を秘める、計測不能な「潜性イノヴェーション」の問題

・・・これは、経済学とオミクス生命論に通底する重要なテーマだが"そもそも市民権が未だし!"なので、一般へのその理解の普及が課題となる。・・・

・・・シュンペーターの「静態と動態の問題」(第4章ー2-(2))で触れたとおり、ごく平凡な多数派の人々こそが「潜性イノヴェーション/エルゴン(死勢態・潜性態)=プレ・デュナミス(プレ可動潜性態・プレ可動潜在性)」の大きな宝庫ではないかと考えられる。・・・

・・・なお、当記事内で見れば「潜性イノヴェーション」の問題は、特に下記の部分(第5章-2、第5章-3/↓)との関連性が大きい。・・・

5-2 原因の空間、理由の空間、エトノス環境、オミクス生命論について(fiduciary duty深化のためのベースとなる考察)            5-3 「科学知("人文・自然"両科学)および科学技術」の中庸性の問題

・・・

◆市場原理主義では見えないがfiduciaryで見えるものとは?言い換えれば、それが即ち潜性イノヴェーション(持続するオミクス生命の論理)! →(異論のススメ スペシャル)コロナ禍、見えたものは、不要不急と必要の間… 佐伯啓思1226朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1344400985020485634

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1344400985020485634

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・・・近年の生(命)化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などヒトの意識とプレ生命エネルギーたるエルゴンの(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

<注>潜性イノヴェーションの更なる委細は下記★を参照乞う。

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

★新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

(2)具体的な二つの展相(Potenz)の方向(事例)

■米国で第一ゲームチェンジャーが登場!・・・米国より日本の行動単独主義が突出したことが公共選択上の大問題!】資本主義のリーダーたる米国では公正資本主義の歴史が生きている!「20世紀初頭のニュー・リベラリズム」に学ぶ若きゲームチェンジャーたちが登場 https://note.com/toxandoria2/n/n3508558b3083

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・・・(関連)バイデンで株主第一が変わる鴨!株主第一・市場原理主義の見直しと女性重視の根源は、おそらく❝草創期❞米国史における自由を巡る民主・共和系両派の苛烈な葛藤への学びがある点も押さえるべき!正統歴史観を毛嫌う穴クロ菅❝君側の奸❞政権は他山の石とせよ! https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

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https://twitter.com/SamejimaH/status/1335340713739894787

◆米国で第二ゲームチェンジャーが登場!・・・資本主義を創る協同プラットフォーム/中世コモンズ: GAFAに問う革新的伝統で[ No time!→ We have Time! ]の逆転が可!その心はAI「情報」と「協同組合」(スウェーデンモデルの土台になっている!)の結合 et 外界の思考!/付:リアリズム法学、米最高裁オリジナリズム判事、他 https://note.com/toxandoria2/n/nf511803822cd

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(3)EUの展相(Potenz)経済学のルーツと見るべき『スウェーデン学派の北欧型人口論』が意味すること/ヴィクセル『最適人口論』から宇沢弘文『不均衡動学』へのステップ

<要参照資料>

◆【定常(不均衡動学)化】を織り込むEU「Potenz経済学」廻廊に無知な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道必3選」などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>から再出発すべき

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https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180806/p1

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938

・・・

忘れてならないのは『スウェーデン学派、クヌート・ヴィクセルの生活水準欧型人口論(最適人口論)』が意味する(人口問題に関わる生命論的な理解とも考えられる!)ことである。 社会的共通資本とヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)を直接的に結び付けて論じてはいないが、宇沢弘文は「社会的共通資本」が19世紀の終り頃にソースティン・ヴェブレン(19世紀・20世紀初頭期の米国の経済学者/マルクスと異なる視点で現代産業社会を分析した、制度経済学派の創始者)が唱えた制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したものだと書いている。

つまり、[社会的共通資本(宇沢弘文)、北欧型「社会福祉国家」の基盤となったヴィクセルの北欧型人口論(最適人口論)、制度経済学(ヴェブレンら米国の公正資本主義の伝統/参照、↓<補足>)]は、その土壌(一種の生命論的な経済学思想?)が共通していることになる。

<補足>制度経済学派または制度派経済学(Institutional School)

・・・アダム・スミス、デヴィッド・リカード、マルサス、ジョン・スチュアート・ミルなど英国の経済学者に代表される労働価値説を基礎とする古典派経済学を批判し、社会的な行動様式や集団的活動形態などの切り口から市場経済のあり方などを理解する経済学研究の一手法。ドイツ歴史学派の影響を受けつつ、ダ―ウイニズム(進化論)とプラグマティズム(Pragmatism/具体的な事象に即した有効性・有益性を重視する学派でアメリカを代表する哲学)の知見も取り込んでいる。

・・・19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期は、レオン・ワルラス(Marie E.L. Walras/1834- 1910/スイス、新古典経済学派の祖)が活躍した時代にほぼ重なる。一方、その時代のアメリカは「プラグマティズム」と絡みつつ「制度経済学派」が台頭した時でもあり、その中心的存在がソースティン・ヴェブレン、ジョン・ロジャーズ・コモンズらであった。

・・・「制度経済学派」の創始者と呼ばれるソースティン・ヴェブレン(Thorstein Veblen/1857- 1929)の特徴は、「私的所有」よりも「社会資本」の充実を重視する立場であり、一部の階層が“金ぴか生活”をするための“単なる金儲けの手段”としての営利企業は“一国の産業体制そのものを管理し消費者に消費財を公正に分配する任務”(国民に一定の生活水準を保証する“社会的十分性”を担う役割)には適していないと考えた。

・・・一方、ジョン・ロジャーズ・コモンズ(John Rogers Commons/1862- 1945)も「制度経済学派」の代表者の一人とされるが、彼の社会改良主義的な経済思想の特徴は“アメリカ伝統の自由主義的フレームを重視しつつ、強力な労働組合運動・独占的巨大企業・公益企業などに関する諸改革の実行について、その時代の州と連邦レベルの立法・行政(Law Makers)へ大きな影響を与えた”という点にある。そして、ロジャーズの到達点は「集団民主主義」(集団内での“個別的衡平性”の実現)で社会改良を促進する「公正資本主義」 (Reasonable Capitalism)ということ(=非マルクス主義的な経済発展段階説)であった。

・・・いわば、これら19~20世紀初頭のアメリカ経済思想の黎明期に一世を風靡した“現代アメリカ経済思想の源流”とも見なすべき「制度経済学派」に属する経済学者に共通するのは、「社会に公正をもたらす資本主義」を実現しつつ、アメリカ建国いらいの伝統である“個人の自由原理に基づく個人の行動領域を最大限に解放し、それをより一層拡大する”ということであった。

(4)オミクス生命論から見える「あるべきベーシック・インカム」の問題

・・・それは、特に宇沢弘文『社会的共通資本』(不均衡動学と補完関係にある)を社会選択論(政策論)に具体化し、かつ補完する主柱の役割を担う・・・

・・・まず「ベーシック・インカムの意義は、それがそもそも不均衡動学における社会的共通資本の一環でもある」という点を理解することが肝心である。・・・

★参考資料/「エネルギー通貨」モデルこそ「新しいマクロ金融」のエルゴン/その一例がべーシックインカム、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/124628

【結論】 トップ知に関する欧米と日本の決定的な落差・・・、結局は「日本のFiduciary(リアリズム倫理)不在」に尽きる!

・・・それによる「マネー&希少資源」浪費の象徴と見るべき病巣が「ゴロツキ御大尽の如き世襲議員らと眷属・郎党だらけ」の<暴政権力>支配型の国会!・・・

・・・つまり、それは「フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)/リアリズム倫理」の不在が、日本の「社会経済政策(公共選択/民主主義社会の基盤)」の決定的欠陥!をもたらしてきた、ということ。・・・

・・・それにもかかわらず、我われが見逃すべきでないのは、ネオ・スウェーデンモデルへの宇沢弘文「不均衡動学理論ほか」の影響の大きさ!・・・

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<注>『暴政』に関わる諸問題について・・・

・・・「将基面貴巳氏(政治思想史研究者/ニュージーランド、オタゴ大学人文学部歴史学教授)の論考」を参照しつつ、<暴政権力>について纏めた記事(↓★)があるので参照乞う!・・・

★《暴政の愛国/政治的インポテンツ》から《連帯パトリオティズム》なる展相(Potenz)の「リベラル共和」へ脱出が成るかニッポン!?/「愛国の疑似宗教性」と「暴政の条件」に関わる論考(Cf.将基面貴巳806日経:文化欄)https://note.com/toxandoria2/n/n71729a662785

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(1)フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty観念)の重要性

・・・欧州(北欧:特にスウェーデン)、米国最高裁、合衆国憲法解釈、および米国プラグマティズムの限定合理主義を手本とすべき、・・・

・・・米欧の両者が共有するFiduciary概念のルーツは、(a)「メンガー(オーストリアン(生命論的な農業経済学の伝統、更に遡ればケネーらフランス農業経済学)の影響を受けたヴィクセル(最適人口論/スウェーデン)→ヴェブレン、J.R.コモンズらの制度経済学派(北米)の繋がり」、および(b)「リアリズム法学(法哲学イデオローグ)の伝統/20世紀初頭のほぼ同時期に北欧と北米で別々に起こった)」という大きな二つの流れ、と見ることができる。

◆国会議員が半ボランティア(対日比で約半分の待遇)のスウェーデン↓♨らfiduciaryの北欧諸国を見倣え!日本は世襲ゴロツキ議員らが傾国の存在!w →優秀な官僚が消耗!すぐ国会議員の意識改革を! 国民に犠牲を強いる前に自らを改めよ0131野口悠紀雄氏:現代ビジ https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79725https://tatsumarutimes.com/archives/368

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♨スウェーデンでは国会議員の流動性が確保されており、国民の監視下で問題対応型の政治が実現している!だから、議員が世襲や一生の仕事であってはならない!しかも国会議員には若い女性が多い!etc. ・・・https://tatsumarutimes.com/archives/368

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https://blog.hatena.ne.jp/toxandoria/toxandoria.hatenablog.com/edit?entry=26006613684362346

・・・

・・・しかし、我が国では、本来であれば、この種のフィデュ―シャリーやソーシャル・ポリシーの根本を左右する経済史の重要な流れに関心を持つべき、主に与党の国会議員(Lawmakers)の過半数が大変な“遊び好きバカリで、しかも彼らの殆どがヤクザ同然化しており、あるいはLawmakersとして、そもそもあるべき志を喪失した、まるでゴロツキ御大尽の如き世襲議員”だらけの惨状!という水準まで、日本の国会が堕落しているのは実に悲しむべき事態である。それとも、トランピズム陰謀論「Qアノン」の信奉者が3名(上院1、下院2)も連邦議会に加わった米国よりはマシだと胸を張るべきなのだろうか?w

・・・それはともかく、もう手遅れかもしれぬが、これからでも致し方がないので、そのような意味でゴロツキないしは只の徒党集団化してしまった、そして「そもそもの民主主義政治と公共選択のあり方の基本」等について全く無知な(あるいは無関心な!)日本の国会議員(特に保守系を自認する)たちは、スウェーデンらの欧米諸国からフィデュ―シャリー(fiduciary)の意義について真剣に学ぶべきである。

(2)現在のスウェーデン・モデル周辺への宇沢弘文の影響について

既に見てきたとおり、重要な公共選択に関わるオミクス生命論的とも言えるフィデュ―シャリーを基盤とする二つの「経済史周辺」の流れ(a、b)は、【20世紀初頭以降の<シュンペーター、ハロッド、ジョーン・ロビンソン(ケインズ理論の本格的な”ヒトのための経済の動学化”の努力、非常に先見的でfiduciary的な観念の人物である宇沢弘文の『不均衡動学』>らによる「新古典派の静学型市場均衡→動学化→不均衡動学化」】という、新古典派の伝統経済学へ、レベルアップするための血がにじむような努力の積み重ねへ、と重なっていることが理解できる。

なお、くりかえすが、大塚信一(元、岩波書店編集長・同社長)著『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)によれば、「宇沢弘文の『最適経済成長の理論(不均衡動学および地球環境(温暖化)問題に関わる研究の一環)』が、宇沢のスウェーデン王立科学アカデミーにおける研究時代(1991~)の成果を介し、その後のスウェーデンの環境関連政策、ひいてはEU(欧州連合)と国連の地球温暖化問題等でベースとなる考え方へ大きな影響を与え続けている。

(3)スウェーデンモデル(厳密に言えば、1970年頃~のネオ・スウェーデンモデル)の新たな可能性

フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)は、日本でも嘗て流行った?モラル・ハイグラウンド(非常に観念的な道徳的卓越性の理論)と似て非なるものと考えられる。例えば小泉・安倍両政権は此のモラル・ハイグラウンドの権威?とされる高名な学者(猪口邦子)らを小泉政権以降の政治権力側が「机上の空論」なる檻の中で見事に政治利用してきた。

そして、その典型的な弊害の表れが、唯一の核兵器被爆国である日本の<「核兵器の開発から使用までを全面禁止する核兵器禁止条約の批准」非署名>の問題である。それは例えば↓★を参照すれば、つまり「fiduciary(リアリズム倫理)の不在が、人間社会にとっていかに異常なことであるか!」ということが理解できれば誰でもがスッキリ納得できるはずなのだが・・・(なお、既述の[ 2-1-2‐(2)]も併せて参照乞う。

★(再録)行為とその合理化―共感・共同行為への問いの根底にあるもの―川瀬和也(宮崎公立大学・准教授)・・・D.ディヴィドソン「"心的&物的"両トークン同一(対等)説」でリアリズムが認識できれば、fiduciary(≒マルクス・ガブリエルの外界の思考、オミクス生命論理のジャンル)の重要性がわかる!?

https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_kawase.pdf

(関連情報)

◆ 自然を通底する重力とプランク定数ℎから超ミクロのドブロイ波長・円運動・粒子質量と超マクロ暗黒物質の連結は面白い。が、更に言えば超人類史のオミクス生命論(≒リアリズム倫理、fiduciary)へ誘導するヒントも欲しい!∵只管、物理科学知の実利的な利用の方向へ流されると、M.フリードマンの自由原理主義の経済理論(重力方程式の援用)と同轍(科学の政治利用&同・中立性の崩壊!)となり得る! →クエスチョン/ミクロ世界と宇宙の関係を考える 暗黒物質に挑む 人類史の視点から 東大入試問題から120朝日

https://www.asahi.com/articles/DA3S14769616.html

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1356121022580224000

◆【この種の"先端科学技術"等の政治利用の悪弊は「机上の空論」なる檻に囲い込まれたモラル・ハイグラウンドの敵ではない!オミクス生命論でもあるfiduciaryで対峙すべき!】関連/この❝腐食❞は日本政府のアナクロ化して歪んだエネルギー・原子力政策自体の陳腐化と超腐食で、日本国民&<原発立地>住民の<感情と経済観念>が根底で腐食中!という深刻な病巣の現れ! →建設中の核燃料工場 一部の鉄筋が腐食か 青森 六ヶ所村 | 1111NHK

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https://twitter.com/tadanoossan2/status/1326276991184613376

・・・

特に日本では本物の「生のリアリズム」(オミクス生命論的な謂い!)についての理解が不十分であると思われる。菅内閣(半知性主義w or 反知性主義? つまりアナクロ・カルト政治権力)の日本学術会議マターの「病因」も、おそらく此の辺りにあるとの理解が得られる。なお、日本学術会議マターに関する論考は下★の部分に纏めてあるので参照乞う。

★ 第5章-3「科学知("人文・自然"両科学)および科学技術」の中庸性の問題[大格差、温暖化、新コロナ、トランプ残像で煩悶する世界!が、今こそオミクスと不均衡動学(宇沢弘文/新自由主義の天敵)の『自由の知』、フィデューシャリーヘ果敢に挑戦する時!(後編)]https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/01/10/070801

<補足>参考資料

◆「人新世→ネオ人新世」・・・人新世は、人類の活動が地球環境を変えるまでになった現代のこと。ノーベル化学賞受賞者のドイツ人化学者P・クルッツェンが考案した新しい時代区分。新コロナパンデミックは、そのことへの自然の逆襲とも言える。更に言えば、新コロナパンデミックは自然の永続性の原理による自然自身のリカバリー活動とも見える。が、そのことから派生する犠牲を最小限に抑制するための知恵も人類は持っているので、それが発揮できるネオ新人世の到来が、まさに、今、問われている。https://twitter.com/tadanoossan2/status/1248383067883888642

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人新世の「資本論」 (集英社新書) | 斎藤 幸平

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●斎藤幸平:経済思想史、へーゲル哲学、ドイツ観念論、マルクス主義哲学、マルクス経済学、『人新世の本論/集英社新書』

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https://twitter.com/Tama_Goldheart/status/1005094081725255680

●川瀬和也:研究キーワード /プラグマティズム 、ヘーゲル哲学 、心身問題 、分析哲学 .ドイツ観念論 、心の哲学、行為の哲学 、『ヘーゲルと現代思想/寄川条路編著、晃洋書房』

・・・

無論、現在のスウェーデン・モデル(公共選択またはソーシャル・ポリシー)を完成形と見るのは誤りであろう。例えば、渦中の新コロナ対策では個人の自由と責任を重視するという原則に則ったものであるが、それが裏目となり特に高齢者の死者数が大きく目立つことが世界的に批判されたという現実がある。但し、それも見方しだいのようではあるが・・・(Cf.↓画像)。

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https://twitter.com/AyakoMiyakawa/status/1343831932203905024

しかしながら、スウェーデンにはモラル・ハイグラウンドの如く只の言葉遊び(あるいは将来の見通しも深い考えも一切ない与党政治の小手先の小道具)として弄ぶのではなく、国民の日常における幸せな生活の持続ということを確実に視野に入れた、いわば"外界の思考"的な、あるいはマクダウエル『リアリズム倫理』と同じく、全く新しい倫理観とも言える、『新しい自由の知』たるフィデュ―シャリーが存在する。

なお、その意味でのfiduciary(Fiduciary Duty)は、既述のリアリズム法学(法哲学イデオローグ)の伝統を介し、北米(特に、党派を越えた司法観念の世界において!)とスウェーデンら北欧との間で共有されている。

・・・そして、スウェーデンにはフィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)の実現を目指す公共選択の階梯を一貫して着実に歩み続けてきた実績の積み重ねがある。無論、それを支えるアカデミズムには、軽佻浮薄な日本とは異なり、経済思想的な視点から有意な成果を求めて真摯に探究し、それを内外へ発信し続けるスウェーデン学派の経済学が存在する。

因みに、折に触れ引用してきたマクダウエルの『リアリズム倫理』とは、「道徳的実在論」とも呼ばれるが、それは「自然と対比的にリアリズム倫理を、言わば第二の本性たる実在(自然)」と見て対等に位置付けるものである。これは、マクダウエルの選言論、および「外界の思考」(@マルクス・ガブリエル)とも関係する非常に重要な概念なので、下記の部分(既述/★)も併せて理解する必要がある。

★『第5章‐2 原因の空間、理由の空間…』-(ドナルド・デイヴィドソンがマクダウエルの選言論を支持する背景)、および(<補足>ジョン・マクダウエルの『リアリズム倫理』について・・・

・・・ところで、フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)的な考え方が、欧州においては良い意味で他の国々へも波及している。例えば、目立つのはドイツの「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」の伝統である。これは、ドイツの経済学者で、文化社会学者でもあるミュラー・アルマック(Alfred Müller-Armack/1901- 1978)が構想した市場経済についての考え方である。

・・・ミュラー・アルマックは、キリスト教的な社会論(社会倫理)とヴィクセルに影響を受けており、市場経済の結果に対する国家の影響力行使の可能性について(従って国家はその結果にも何らかの責任を負うべきする)の理念を明確に表明した。しかし、ドイツの社会的市場経済においても、その名の下に集まる経済学者は、新古典派から新自由主義までの幅があり、特に1970年代以降は「オㇽド自由主義(Ordoliberalismus)」の経済学者たちが主流派となってきた。

・・・因みに、オㇽド自由主義はドイツで生まれた社会・経済思想だが、端的に言えばそれはケインズ主義に反対するドイツ源流の新自由主義(市場原理主義)である。一方、若い世代の経済学者たちは主に米国への留学経験者が多い。そのため、英米流の新自由主義(+マネタリズム)と共に過酷な格差(勤労者のルンペンプロレタリアート化)問題への反省から、今や急速に復権しつつある?米国ニューケインジアン(価格と賃金の硬直性の背景に市場以外のファクター(おそらく潜性イノヴェーションの視点も?)を見る立場)も学んでいるはずだ。

・・・そのため、「20200616日経・エコノミスト/「(コロナ禍に因る)独、財政規律緩和の真相:・・・オーラフ・ショルツ氏(財務大臣)はありきたりな財政の議論から思い切って一歩踏み込み、ドイツの投資不足や依然として低賃金労働の仕事が雇用の大きな割合を占めている問題、EUにおけるドイツの役割といった幅広い議論を展開すると思われる。大きく変わらぬとしてもドイツでの議論は少なくとも変わるだろう。 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1272947913082064896・・・」 によれば、

ドイツ政界の重鎮たち(例えば、オーラフ・シュルツ財務大臣のほか、シュルツ氏の主任エコノミストであるヤコブ・フォン・ヴァイツゼッカ―氏、シュミット財務副大臣、ヨルグ・クーキース副大臣ら)と若い世代の経済学者たちとの間では、目下、盛んに議論と意見交換が電子ツールなどを介して行われ続けており、ここから"ミュラー・アルマックのそもそものSoziale Marktwirtschaftのフィデュ―シャリー的な外界の思考(@マルクス・ガブリエル)に沿った全く新しい方向性"が芽生える可能性が見込まれている。

・・・このようなドイツに限らず、今も"市場原理主義"一本槍ではない欧州全体には、つまりこれまで述べてきたヴィクセル(最適人口論/スウェーデン)、ヴェブレン(制度経済学派/北米)、そして宇沢弘文(不均衡動学)らの経済思想の根底には、メンガー(オーストリアン:生命論的な農業経済学の伝統が、更にその祖先を遡ればケネーらフランス農業経済学)由来の、言って見れば「オミクス生命論」的な空気が色濃く連綿と流れている。

・・・ともかくも、このような意味での"ヒトの幸せ持続させるための経済学"という潮流が経済思想そのものの底流にも歴然と存在することを確信した宇沢弘文は、特にヴィクセルとヴェブレン両者の経済思想を重視していたと考えられる。

19世紀に活躍したヴィクセルと19世紀末~20世紀前半のヴェブレンに直接的な関係はなく、宇沢弘文も「ヴィクセルの最適人口論」をソックリ踏襲している訳ではないと思われる。おそらく宇沢弘文は"最適"の意味を"エトノス環境と見合った生命活動(オミクス生命活動)圏"と読み替えつつ、得意の「科学的数理論の知」を駆使して「社会的共通資本(おそらくその意味でのベーシック・インカムも含む)」を主柱とする動学経済理論("ヒトの幸せを持続させるための不均衡動学"を創出したと考えられる。

・・・結局、宇沢弘文はシュンペーターの静態と動態の相互補完的な関係に対し「ヒューマンスケールの生態学的システム論」の視点を付加することで、更に価値創造の可能性として「計測不能な潜性イノヴェーション」の要素(エトノス環境の内部に包摂されているからこそ生き続けられるヒト故の潜在可能性)をも暗に取り込むことで、従来の「欲望の経済学」とは異なる、例えば<オミクス生命論的な新しい資本主義の方向性>を実現するための理論の柱として「不均衡動学」を創造像したと考えられることになる。

・・・つまり、その視座からすれば「個々人の要望を放任する自由主義の市場経済ではなく、一国の政府と国民が理解し合い協力しつつ自覚的・自律的・抑制的かつ限定合理主義的に広義の地球環境トータルをコントロールする」ことが非常に重要であることになる。従って、そのような意味で「資本主義経済は、社会的にコントロールする市場経済であるべき」だということになると考えられる。

・・・従って、我われ人類が「フィデュ―シャリー(Fiduciary Duty)の深化に永続的に務めるべき」とする倫理観は、決して只の机上の空論であることは許されず、それは必然的に「リアリズム倫理」(外界の思考)であるべきだということになる。

(完)



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