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浪人生活は、自由を求めるたたかいだ。

浪人中の受験生である僕はただ生きているだけなのに、友達と喋ることとか、遊びにいくことに、負い目を感じなければならない。恋愛だってそうだ。なぜだなぜだなぜなんだ。そう自分に問いかける。

ああ、そうだった。自由を享受するには、技能が、力量が、必要なのだった。そういえば尊敬する高校の先生が幾度となく説いていた。自由を求め続ける姿勢を忘れてしまえば、たちまち自由などなくなってしまう。自由がよしとされる中高一貫校の外に出たからこそやっと、自由のありがたみがわかる。金に困らず、好きな時に好きなことができて、幸せを追求できる自由が欲しい。でもその自由は、チカラがあるものにしか得られない。自由とは勝ち得るものだったのかもしれない。

ここ最近、無思考と盲信へ反抗する態度が自分のアイデンティティになりつつあった。これも結局プライドが為せる業だったのだろう。当たり前のように自由のある日常を送っていたから、「なんで不自由を感じなければならないんだ!」と反抗していたけど、とてもかっこ悪い気がしてきた。

浪人生活は、自由を求めるたたかいだ。

そこで、筋トレを再開した。闘争には、わかりやすいものさしが必要だ。安定した生活をよしとして、不安定さを悪とすることは、たたかいに有利だ。

でも、わかりやすい物差しに身を置くことは、優しさから離れる行為にもなりうる。予備校が始まってからの一週間で僕は、辛い状態でも楽しめるし、不安定な日々にも幸せを見いだせることを知った。些末なことに気になってしまう自分も、変わろうとしない自分も、いとおしいのだと知った。そんな自分を大切にすることで、優しさに近づけると信じている。

これから僕はたぶん、わかりやすいものさしに身を投じて、自由への闘争を始めることだろう。それはそれで楽しみだ。でも、ポジティブが善でネガティブが悪であるなどと、画一的なものの見方をするようになるのは嫌だ。恥ずかしい自分もよくない自分も受け入れていられる自分でいたい。

日常への気づきと、敏感さを常に持ち合わせ、常にユーモアを探していたい。「おもろさ」と「やさしさ」への志向を絶対に忘れるなよ。

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