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リレー五行歌と四行連詩

 こんにちは。銀野塔です。
 塔野夏子として詩を書き、南野薔子として五行歌を書いています。南野薔子は九州五行歌会という歌会に参加していますが、新型コロナウィルス禍の関係で、歌会はしばらくネット掲示板(メンバーのみアクセス可)での開催となりました。しかし、せっかく掲示板があるのだったら、歌会以外でも何か余興ができたら、ということになり、まず写真を見て、そこから発想した歌を作るという印象詠が開催されました。これは南野薔子として参加している栢瑚五行歌部(仮)のnoteに以前記事としてあげましたので興味がありましたらどうぞ。
 それから、リレー五行歌が開催されました。誰かが作った歌から一語を取って五行歌を作るものです。「一語一会」という素敵な企画名(命名は伊東柚月さん)もつきました。
 今日は、私がこの「一語一会」に参加して感じたことや、塔野夏子名で経験している四行連詩との共通点や相違点などについて書きたいと思います。

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 複数の人で、言葉を連ね合って詩歌を作るのは面白い。
 先日、南野薔子として参加している九州五行歌会のメンバー限定ネット掲示板での余興としてリレー五行歌「一語一会」が開催された。誰かが作った歌の中から一語をとって五行歌を作る。一定期間内であれば誰が作った歌からつなげてもかまわないというゆるいルールでの開催であった。
 とても楽しかった。誰のどの歌からどの言葉をとってどんな風に作ろうかと考える楽しさもあり、また他の方が作った歌を見て、なるほどあの歌のあの言葉からそういう風に展開するんだ、と個性を感じる楽しさもあった。
 言葉を一つもらい、歌全体も前の歌に呼応したようなものにしてもいいし、言葉一つを結び目に、がらっと違うものにすることもできる。どんなものができたかは、伊東柚月さんが「九州五行歌会*紙媒体部」のnoteに少し紹介なさっているので興味がある方はぜひご覧になっていただきたい。

 言葉を一つもらって次の作品を作る、という経験は、塔野夏子として書いている詩の方でも持っている。
 1998年に詩集『透明塔より』(絶版)を出しているのだが、その中に書かれている四行の詩について、詩人の故木島始先生が呼応する四行詩を作って送ってくださったのがきっかけだった。私はそれで、木島先生が考案された「四行連詩」というものを知ったのだった。
 四行連詩のルールは下記の通り。
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*四行連詩作法(木島始氏による)
1.先行四行詩の第三行目の語か句をとり、その同義語(同義句)か、あるいは反義語(反義句)を自作四行詩の第三行目に入れること。
2.先行四行詩の第四行目の語か句をとり、その語か句を、自作四行詩の第一行目に入れること。
(この1か2の規則を守って連詩がつづけられる場合、最初にえらばれた鍵となる語か句が再び用いられた場合、連詩が一回りしたとみなして、終結とし、その連詩の一回りの題名とすることができる)
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 私は木島始先生と、何度かこの四行連詩をさせていただく機会をいただいた。それらは『四行連詩集 近づく湧泉』『四行連詩集 近づく湧泉 第2集』(共に土曜美術社出版販売)に収録されている(その中の一巻<着地>の巻を私のサイトTower117にも載せている。興味がありましたらどうぞ)。また、その後も、大人数で作成する四行連詩に参加したりもした。また「独吟」として一人四行連詩も何度か作った(現代詩フォーラムに掲載しているのでよろしかったらどうぞ。また個人詩集『錬銀術』にもうち三巻を収録しています)。
 四行連詩の楽しさも、リレー五行歌と共通したものがある。どの言葉を選んでどんな詩を作るか、その詩にまたどんな詩がつなげられるか……。

 ただ、四行連詩の方が、今回のリレー五行歌より制約は多い。上記ルールにあるように、何行目からもらった言葉(もしくはその対義語)を何行目に入れるか、ということが決まっている。また、連詩に参加するメンバーとその順番がだいたいの場合決まっていて「四行連詩」という「作品」を仕上げることを目標としているということもある。今回のリレー五行歌があくまで余興であった(とはいえ、そこでできた五行歌は個人の作品として他で発表してもよいことになっていたため、個々人のレベルではそれなりに真剣に作っていた場合も多いと思う)のとそこは大きく違う。誰の歌からつなげてもよいというゆるいルールは、余興という場を盛り上げるのにはとても有効であった。一方、誰とつなぐかが決まっていて、言葉の取り方にも一定のルールがあり、最終的に「作品」を目指した四行連詩には、それはそれとして心地よい緊張感があった。
 もちろん、四行連詩も、たとえばネット上とかで、誰がどの詩からつなげてもよいよ、というゆるいルールで楽しむことも可能であろう。また、リレー五行歌も、参加メンバーと順番を決めて、最終的に一つのつらなりとしての作品を目指すというかたちで作るのも多分面白いだろう。ただ、五行歌の場合は、四行連詩と比較した場合、どちらかというと一行あたりの語数が少ない傾向にあるから、どの行の言葉を取るかを指定するのはあまり現実的ではないと思うが。

 「歌仙」にも興味を持っている。連歌の一つの形式が歌仙だ。五七五と七七を交互に連ねてゆき、三十六句で構成するものである。
 岩波書店の『図書』に以前、大岡信氏、岡野弘彦氏、丸谷才一氏の三人で巻いた歌仙が時々掲載されており、またそれをまとめた『歌仙の愉しみ』という本が岩波新書で出ている。これらを読んで、歌仙面白いなあ、巻いてみたいなあ、でも難しそうだなあ、と思っている。
 歌仙は結構ルールが細かい。月を出さなくてはいけない位置、花を出さなくてはいけない位置が決まっていたり、春夏秋冬、雑、恋といったものを折り込む位置が決まっていたり。他にも最初の六句にはこれこれこういう内容を入れてはいけないとか、以前出た句と似た趣向のものを繰り返してはいけないとか、いろいろ細かい決まりがある。
 そして、リレー五行歌や四行連詩とは違って「前のものから言葉をとる」ということはしない。木田元氏が書いた平凡社新書の『詩歌遍歴』でそのあたりの話が触れられている。前の句からつかず離れず(すなわち不即不離)、物附、心附、移り、響、匂ひ、位、俤、気色、気味、こういったもので附けてゆかなければならないらしい。そのあたりの発想の豊かさ、センスの繊細微妙さを要求される感じである。
 桐野黎で書いている短歌、星野響で書いている俳句、いずれも初心者もいいところだし、古典詩歌にもさして強いわけでもないので、歌仙を巻くなどというのは大それた夢だろう。でもいつか、巻いてみたいなあ……と憧れは抱いておこうと思っている。

 上記引用した栢瑚五行歌部(仮)のnoteでも大岡信氏の『うたげと孤心』(岩波文庫)について触れている。日本の詩歌を駆動してきた大きな場としての「うたげ」、それにつらなる営みとして、複数の人で詩歌をつなぎあう企画が、これから先もいろいろと発展してゆくといいなと思っている。私はどちらかというと「孤心」に重点がある人間だということは今後も変わりないと思うが「うたげ」の場から発想やエネルギーを得てゆく楽しさもまただいじにしてゆきたい。
 今度、また九州五行歌会の余興として「誰かが前2~3行を作り、そのあと誰かが2~3行を作って一つの五行歌にする」という企画が行われる見込みである。これも楽しそうでわくわくしている。


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