九州五行歌会のネット歌会で行われた印象詠の楽しさをめぐって

 こんにちは。南野薔子です。
 新型コロナウィルスについての状況は、緊急事態宣言が解除される地域も多いものの、まだまだ気を緩めるわけにはいかなさそうですね。すべての方々が、一刻も早くよりよい状況になりますように、そのための有効な対策が速やかにもたらされますように。

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 私は九州五行歌会という歌会に比較的よく出る。しかしここのところは新型コロナの影響で通常の集まっての歌会を開催できず、ネットでの歌会(メンバーのみの掲示板で開催)になっている。そのネット歌会についての感想は栢瑚のブログの方に書いたので(第一回第二回)もし興味のある方がいらしたらどうぞ。
 そして通常の歌会以外でも、外出自粛の中、何かお楽しみがあれば、ということで余興的に先日「印象詠」が行われた。画像を見て、歌を作るというものだ。画像提供は稲本英さん。
 印象詠の期間は約一週間。一人につき一日一首まで、点数などは入れず、感想コメントは一行程度で簡単に、というルールが設けられた。なお「本編」と「お笑い編」の二つの掲示板が設けられた。お笑い編はその名の通りユーモア系の歌が投稿される掲示板である。
 たくさんの歌が投稿され、期間が終わった後、そのうち数首が稲本英さんによって画像に文字入れされた。そのうちの、掲載許可が得られた一部を紹介する。画像はいずれも「本編」の歌である。本編では物語や映画みたいなもの、哲学的なもの、ファンタジーっぽいもの、ミステリーテイストのもの、作者の経験がにじみ出ていると感じられるもの、などなど、本当にいろいろなタイプの歌が40首も出た。またお笑い編ではいろいろな歌に「くすっ」とか「わはは」とか笑わせていただいた。「酒」にまつわるものが多かった。

画像1

画像2

画像3

 九州五行歌会のいつものメンバーがすべて参加したわけではなかったし、また参加した方の中でも投稿した歌の数やコメントの頻度にばらつきはあった。が、参加した方はそれぞれのペースで楽しまれたのではないかと思う。
 私個人としては非常に楽しかった。どういうところがどういう風に楽しいと感じたのか、思ったところを以下述べてみる。参考になれば幸いである。
 まず、画像があることで、ふだんの歌作りにはない制約があると云える。しかし逆に、画像があることで、ふだんの自分ではしないような発想に辿り着くということもある。さらに、他の方の歌を読んで「そういう視点も面白いな」と思い、刺戟されてまた新しい歌が出来るという楽しさがあった。たとえば、私は上記画像に上げたのは最初に出した歌で、これは画像全体から自分がまず思い描いたイメージを書いたのだが、実はグラスの歪みも気になっていて、それに触れたものを書きたいという発想もあった。そして実際、そこに着目して書かれた方もいらして、それを読んでやっぱり私も、と思い、次のような歌を書いたりもした。

画像5

 また、グラスの存在性、グラスをめぐる人の関わりもいろいろな歌で描き出され、そんな中でこういう歌も書いた。

画像4

 そういう楽しさは、以前にも何か経験した気がする、と思って、思い出したのは、二十年以上前のことだが、ひょんなことからアートセラピーの講習会に一度だけ参加したことだった。
 アートセラピーの技法、たとえば、音楽を聴いてそのイメージを描くとか、いろいろな色の折り紙から好きな色三つと嫌いな色一つを選んで、それで貼り紙作品を作るとか、数種類経験した。どの技法も、終わった後に一人一人、どういう意図を持って作ったり描いたりしたかとか、制作中に感じたこととかをコメントし、それについて他の参加者からも感想などがもたらされる。そういう意味では五行歌の歌会に似ている。
 そして、いくつか知った技法のうちで特に面白かったのが、いわば共同制作のような二種類の技法だった。
 一つは、各人が好きな色の色画用紙を選んでそれに絵を描いてゆくのだが、何を描いてゆくのかは、一人一人、一つずつ云ってゆく。たとえば最初の人が「太陽」と云えばみんな自分の画用紙に太陽を描く。次の人が「猫」と云えばみんな猫を描き加える。そうやって全員が順番に云い終わるまで続ける(たしか十数人程度いたかと思う)。画用紙の上にいろいろなものが加わってゆく。そして一人一人、どれをどのくらいの大きさでどの位置にどんな感じで描くのかが違っていて面白かった。自分だと思いつかないようなものが出てくる楽しさもあった。
 もう一つの技法は、やはりまず各人が好きな色の色画用紙を選ぶ。そして何かを描いたり貼ったりする。特にテーマなどは指定されず、好きなように。参加者は広い机を囲む形で座っていたのだが、ある程度のところで自分の色画用紙を、隣の人に渡す。反対側の隣の人のものが自分のところに来る。自分のところに来たものを見て、また自由に何か描いたり貼ったりを加える。それを繰り返して一周ぐるっと回って、最後にもう一度、自分の最初の画用紙に自分で何か手を加えて、終わる。これもまた、一人で制作するときにはないようなダイナミックな発想などがたくさん見られてとても面白かった。終わった後にコメントを述べ合う場面でみんなで何度も大笑いしたり。
 そういった共同制作の楽しさと、今回の印象詠の楽しさがとても似ている感じがした。このたびの印象詠は直接的には共同制作ではない。けれど、次々歌が投稿され、誰かの歌やコメントに触発されてまた歌が生まれてゆく、その過程は、そうと意識されたものでなくても、ゆるやかな一種の連作を作っているのと似ていたのではないかと思う。感想コメントが一行程度と限定されたのも、その短い中でどう感想を集約するかという難しさもあった一方で、テンポとしての軽やかさを生んでいたのではないかと思う。

 しばらく前に大岡信さんの『うたげと孤心』(岩波文庫)を読んだ。一読しただけでもあるしすべてを理解できたかどうかは別として、日本の詩歌は、歌合や連歌というものに代表される「うたげ」の場と、創作者の孤独ないとなみ「孤心」の両方が絡み合って展開、発展してきたということが述べられていたのはだいたい間違いないかと思う。
 五行歌でも、歌会という「うたげ」の場があり、また各人がそれぞれ一人で歌に向かい合う「孤心」の時間がある。人によって「うたげ」と「孤心」の割合は違うだろうし、また同じ人でも状況によって違うだろう。歌会といううたげの場で他の人の作品に接したりコメントに接したりすることで刺戟を受けるということはとても実り多いことだと、私のようなどちらかというと孤心に重心のある人間でも思う。そしてそのうたげも、今回の印象詠のように、時にいつもと違った趣向があるのはまた違った刺戟があって面白いし、また新たな発想などを得ることが出来る。
 もっとも、今回の印象詠がとても楽しかったのは、メンバー限定の掲示板で、お互いを知っているどうしのノリの良さ、というのがあったからというのももちろんある。が、よりオープンな場で試みる方がいてもそれはまたそれで別の面白さがあるかもしれない。また「孤心」の磨き方として、何らかの画像を選んで、この画像から自分はいくつ歌を作れるか、という形で試してみるのも面白いかもしれない。


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