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和洋折衷コーデ事始と詩歌について

 こんにちは。銀野塔です。
 最近始めた和洋折衷コーデと、それにこじつけた(?)詩歌の話を少々。

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 和洋折衷コーデが気になりだしたのは二、三年前からだったと思う。ただそれなりに面倒そうだしそれなりのアイテムもいるしなあ、と思ってなかなか手を出さなかった。が、一年くらい前ふとsou・souさんのツイードの羽織が目にとまった。ベルト代わりに帯締めがついているもの。
 これだったら、さりげなく和洋折衷感を出せるんではないか。
 sou・souさんのアイテムはすでにいくつか持っていたが、普通の洋服としても通用するようなものばかりだった。でもこのツイード羽織は袖が明らかに和服の形態、でも生地感は洋風。迷ったが、あるときセールになっていたのをみて、えいやっと買った。
 それから、男物のデニム羽織を一つ買った。ツイード羽織とデニム羽織、それぞれ普通の洋服の上、私の場合はほぼジーンズスタイルだが、それに合わせて着ると楽しい。といっても外出頻度自体が少ない私なのでまだそんなに回数をこなしてないが、ツイード羽織は軽めのコート、デニム羽織はざっくりしたジャケットの感覚で着ることができる。
 そして、二か月くらい前「今うちにある着物が、和洋折衷コーデなら活かせるのではないか?」ということに気づいてしまった。
 成人式の時に伯母が誂えてくれた振袖の他に、母の実家にあったものがわずかにうちに残っている(母の母がなかなか着物方面でおしゃれな人だったらしいのだが、戦争に際して空襲で焼いてしまったか、食料に化けたかがほとんどだという)。そのわずかなものは皆丈が短かいこともあって、存在すらほぼ忘れたままに過ごしていた。
 出してみる。どうやら使えそうなのが三枚ほどある。どれもそんなにかしこまってない系の着物。
 ネットで和洋折衷コーデを研究してみる。私の場合、下にタートルを着る(白シャツもいいかも)のがメインになりそう。タートル好きだし、タートルと着物という合わせも好きなので。短めに着付ける、あるいは裾をたくして上からスカートを履くかどちらか。タイツをはいてショートブーツ。頭には帽子。スカートを履かない場合は、帯は半幅帯でカルタ結びか結ばない帯結び。帯締めを使ってもいいし帯締め代わりにベルトを使うのも試してみたい。帯締めを使う場合は手持ちのブローチを帯留め代わりに使ってみたい。
 いろいろ思い浮かぶのだが、いかんせん私は小心者である。いきなり、それらの着物でトライするのはちょっと怖い気がした。そんなとき、ネットで、わりと好きな感じの着物を千円弱で見つけてしまい、これで練習しようと思って買った。
 それでまあ、隙間時間にちょこちょこと試してみている。着付けを習ったことはないが、ネットを見ながら練習すればなんとかなりそう(紐とか伊達締めとかは幸いうちにあった)。タートルと重ねる和洋折衷なら襦袢いらないし半襟をつけるとかもなくていいし。
 しかしそれで和洋折衷コーデができるようになったとして「それでどこへ行くんだ問題」があるわけである。そのへんのお出かけにそんな格好で出かける土地柄でもないし私も面倒くさがりだし。それでなくても出不精の上に新型コロナウィルス禍なので外出の機会が少ない。
 と思っていたところに、よく参加している九州五行歌会が久しぶりにリアルで開催するという(ここのところはネット開催が多めだった)。練習用に買った着物が黒地に銀の流水柄の交織の袷でちょっとのぞく裏地が淡い曙色なので春先にはいいかなというのもあり、上にスカートを履くヴァージョンで試してみることにした。なんせ小心者なので「もし着物が何か失敗して出先でトラブっても、スカートを履くヴァージョンならばどこかのトイレで着物を脱いでしまえばただの「タートルにスカート」になれるし、と思ったのと、まずは着物に慣れているわけでもないので、その方が動きが楽だからというのもある。
 黒のタートルに黒のフレアロングスカート、太めのベルト(ベルトあった方がいいよなと思ったが手持ちでちょうどいいのないな、と思っていたら母が使ってないベルトでちょうどいいのを発見してしまった、というのも和洋折衷コーデを始める大きな推進力になった)、黒タイツにショートのレースアップブーツ、黒いハット(これも長らく使っていなかったものの掘り出し)で銀のバッグを合わせた。そしてわりと寒い日だったので外ではsou・souさんのツイード羽織(グレイでベルト代わりの帯締めが紺)を着る。とりあえず崩れたりはしなかったしそこそこ好評だったのでまあよかった。
 今後もぼちぼち試したいと思うが、下にタートルを着るということで比較的寒い時期に限られるかなと思うので(使えそうな着物は全部袷)、次にどこかに着て出るとして秋以降だろうなと思っている。また歌会もよいし、美術館とかもよいかな。当面は何かを買い足したりはせずに持っているもので出来る範囲でやってみようと思う。

 もともと私はどちらかというとシンプルコーデ志向、引き算のコーデをする方である。「純粋」とか「統一」への志向性がある。が、だんだん「越境」や「混淆」といった志向性も、以前と比べて出てきたように思う。そのあらわれとして「和洋折衷コーデ」への興味も出てきたように思う。
 いわゆる正統的な着物の着こなしにも今でも憧れはある。そして多分以前の私なら「和洋折衷はちょっと違うなあ」と思っていた気がする。でも「正統的な着こなしより和洋折衷コーデの方が技術的経済的ハードルが私にとってがぜん低い」というのもあるが「和洋折衷、ありだな」と私の中でいつしか思えるようになったというのも大きい。
 そういう「越境」や「混淆」への志向性は私の詩歌の面でもあらわれているなと思う。かなり最近まで「私には無理だな」と思っていた短歌や俳句を、少し前からまがりなりにも書き始めて、さらには自由詩、五行歌、短歌、俳句が入り混じったペーパーや折本など作ったりしている。違う様式が自分の中でいろいろあること自体がなんだか楽しい。
 あと、ちょっと思ったのだが「正統的な着物の着こなしはそれはそれでとてもいいよなあ」と思う気持ちは「文語を使いこなしている詩歌はそれはそれでとてもいいよなあ」と思う気持ちと似ているところがあるような。特に文語での厚い歴史を持っている短歌や俳句についてはそれを感じる。けれど私個人は口語志向で、とりあえず現時点では短歌も俳句も口語新かなでやってみているというのは「和洋折衷コーデ」を試している感じとなんとなく似ているかもしれない。
 まあ今後私の和洋折衷コーデにしても詩歌にしても、どういうふうになってゆくか、まあそのときどきで好きなようにやってゆこうとは思っているが「そもそも『正統』って云われるものも歴史の中で変化してきてるしなあ」「そもそも日本文化っていっても純粋なものが日本列島からにゅっと生えてきたわけじゃなくて外から採り入れたもののアレンジや洗練といったものだしなあ」といったこともごちゃごちゃと考えている。

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