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藤崎彩織さん『ふたご』(文春文庫)

 発売当時からその存在は気になっていた『ふたご』、遅ればせながら先日買って読んだ。
 なんだかとても、響くものがあった。
 主人公の夏子と、一学年上の月島の二人の関係を軸に話は進む。二人の思春期から青年期まで、なかなかにハードな日々が展開され、月島が作ったバンドが成功の兆しを見せるところまでを描いている。
 私には二人と共通するような経験はない。私はピアノを小学校から中学校まで一応習っていたが惰性でやっていたところが大きく、夏子のようにピアノで高校大学へ進学するというような境地とはほど遠かった。ほんのちょっとだけ、バンドの真似事をしたこともあるが、熱心にそれに取り組むというようなことはなかった。
 にもかかわらず、この話に描かれていることは、なんだかとてもわかる気がした。わかるといってもあくまでも私なりの枠組みで、私なりのレベルでだけれど。
 夏子と月島の関係は凄絶だ。私が夏子の立場だったら、おそらく月島との関係を維持できないだろう。多分、すぐに疲れたり腹を立てたりして離れるだろう。
 だけれども、一方で夏子と月島の関係をうらやましく思っている自分もいる。
 月島は、困ったやつなのだが、途方もなく魅力的だということはわかる。他の人とできないような会話が月島とならできる、という夏子が月島に感じるかけがえのなさ……というか、二人が互いに、絶望的なほどにどうしようもなく互いにかけがえのなさを感じ合っているという、その状態をうらやましく思う。多分、そういう感覚を経験できる人の数は、そんなに多くない。
 そうやって、夏子にある意味感情移入しつつも、私は月島にも一部自分と通じるものを感じる。何もかもがつまらないと云っていた月島。アメリカに留学を試みるもののすぐにだめになって帰ってきてしまった月島。頑張れた方がいいに決まっていると痛いほどわかっているのに頑張れなかった月島。
 私はアメリカ留学してだめになったことはない。だが、アメリカだろうとどこだろうと、日本語が普通には通用しない場所ならすぐにだめになる自信がある。頑張れない人を世間はよく「甘え」というけれど、頑張れた方がいいに決まっているのはわかってるんだ、でも頑張れない、そんな気持ちにもおぼえがある。

 とにかく夏子も月島も、人一倍感受性が鋭く、ゆえに傷つき傷つけ、けれどそれでもお互いのかけがえのなさ、そのかけがえのなさの純粋さがよりいっそう残酷にきらめく、そういう印象を受けた。そういう日々の描写に眩暈のようなものを感じる。
 ただ、夏子は月島に対して、女性としての恋愛感情も持っていて、それが満たされずに苦しむということもあるのだが、私なら、少なくとも今の私なら、もし誰かとそういうかけがえのなさを感じ合えるのなら、むしろ恋愛感情を介在させない方がいいな、と思った。ただ、この小説においては夏子の恋愛感情があることが(月島の恋人「すみれちゃん」との関係なども含めて)二人の関係性により複雑な色彩をもたらしていることは確かである。

 月島がバンドを組んで、地下室を借りて活動してゆく後半の展開は、月島が七転八倒する前半と比べれば穏やかに感じるが、それはそれで、その地下室を作りつつバンド活動を模索する感じが、まるで子どもが秘密基地を作っているようなわくわく感にも通じるものを感じて楽しく読めた。もっとも子どもの秘密基地と違って、地下室を借りるにも初期費用だの家賃だのの現実問題があるわけなのだが、そういったことも乗り越えて進んでゆく推進力がまぶしい。

 この小説と、SEKAI NO OWARIの実際とがどのくらいオーヴァーラップするのか、正確なところは知らない。また、私はSEKAI NO OWARIに関してはごくライトなファンである。主にアルバムで楽曲は聴くし、バンドのざっくりとした概要は知っているけれど、いろいろ詳しかったり情報をつぶさに追ったりというようなことはない。
 ただ、この小説を読んで、なるほど私はSEKAI NO OWARIの楽曲に惹かれるわけだなあとあらためて思った。

 SEKAI NO OWARIのインディーズ時代の曲に「幻の命」という曲がある。この曲の間奏部分のピアノが、なんだかとてもなつかしい感じがして初めて聴いたときから印象に残っている。あのピアノを弾いているのが藤崎彩織さんであり小説の夏子であり、と思うとそのなつかしさの理由が言葉でなくなんとなくわかるような気がする。

 そして、この本を読んで、おいしいローストビーフサンドが食べたくなった。

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