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小説 「頭痛が治った日」

ある夏の日、運命の電話が鳴った。

1年前の8月の終わりでした。夏の日差しは中央公園のセミの声とともにアスファルトを焦がしていた。僕は、カーテン越しから公園の風景を覗いて、ベンチにいる人を見やった。おばあさんたちは散歩の途中で公園で休んで行くのだ。何もやることがなくてただ空気を見つめて、夏の日差しを受けて座っている。

普通に元気なように見える人でも本当はどんな闇を抱えて生きているか?本当のところはわからない。公園の中にある児童館から子育てのママが出てきて、子供を追いかけている。どんなに辛い状況でも生活をしていかなければならない。そんな人々の暮らしを励ますようにますますセミの声は大合唱になって中央公園いっぱいに響き渡った。

その時、治療院の電話が鳴った。

「はい。日だまり整体院です。」
「あの〜ホームページを見て電話したんですけど、、、、、石田と言います。予約をしたいんですけど、、、、」

不安そうな優しそうな女性の声だった。彼女は、頭痛で苦しんでいてなるべく早く受けたいという。病院で薬を処方されたが、薬の治療には苦しめられてもうイヤだから助けてほしいという切実な叫びが電話口の小さな声で分かった。

予約の電話を受けて受話器を置いた。セミの声は少し鳴き止み日差しは夕方へと向かう15時少し前、次の患者さんの車が整体院の駐車場に入ってきた。小学生からの頭痛がなくなって喜んでいた都築さんだ。どれだけの時間を頭痛という痛みで過ごしてきたんだろう?今まで2人の子を育て40年間も苦しんできたことを思うと彼女の笑顔が仏に見える。どうか人生の後半は、頭痛のないさわやかな時間にしてほしいと思う。僕みたいな人間でも少し世の役にたてていることが何より嬉しい。患者さんとともにこの時間に生きている絆です。本当にありがとう。

治療を終えて家に帰る道すがら、お昼に電話のあった石田さんのことを思い出した。八方塞がりの人生が明日やってくる。今日は早めに寝よう。明日は公園を散歩して神社でお参りして治療にのぞもう!と決心した。夜空の星は、優しいメロディーを奏でるようにきらめいていた。

初診の日

8月25日。晴れ。昨日と同じようにセミは朝から大合唱だ。何かが始まるように7時の公園をライブハウスにしている。僕は一人公園の林を歩き、木々の吐き出した綺麗な酸素をいっぱい吸って今日を始める。もう何回、この神社をお参りしただろう。患者さんが来なくてお参りしていた日々もあった。頭痛治療をして人を救えるようになった充実感とともに見えないオモリが背中に乗っている。

公園の空に手をかざし、「トゥイ〜」と叫んだ。大自然へのあいさつだ。僕ら人間は、大自然の一部として生きている。同じ時代に生まれ、同じ時間に呼吸をしている。僕の吐き出した二酸化炭素を木々が風に揺れながら嬉しそうに受け取ってくれる。僕らは仲間だ。大自然と共に治療をするのだ。深呼吸をして夏の空に誓った。

今日患者さんトップバッターは、岡田さん。彼女も小学生から偏頭痛で苦しんでいた女性だ。西尾市のびっくりドンキーでもバイトしたことある笑顔がモデル級のOLさん。ストレートネック用に開発した枕の日だまり専属モデルをやってもらっている。ずいぶん頭痛が少なくなってのでメンテナンスで通ってもらっている。今日も大笑いの30分になった。岡田さんは、彼氏ともうすぐ結婚で海外旅行の計画を立てている。頭痛がないので、新婚旅行もすごい楽しみだととてもうれしそうだった。

こんなにはハッピーそうな笑い声の裏に苦労してきた頭痛の人生がある。彼女は、初診の時彼氏と待合い室のソファーで座って問診を受ける時、あまりにもチャラかったので通わないだろうな!と思った。そして問診中も「ここ高いもん!」といきなり値段が高いことを声高に訴えていた。これは強烈な子が来たな〜と思ったら、今は上等な優良患者さんである。整体院のモデルまでやってもらっている。不思議である。人生とはどうなっている本当にわからない。

9時15分過ぎに一台黒いワンボックスカーが整体院の駐車場に入って来た。岡田さんを治療しながら「あ〜石田さんだな」と思った。ワンボックスカーからは、母と娘らしき女性の影がカーテン越しに見える。少し不安そうな後ろ姿は、中央公園の方を見て親子は何か話している。


僕は意識を岡田さんの治療にうつし、笑い話に花を咲かせた。
しばらくして整体院のドアを開ける音がした。僕は治療の手を止めて問診票を持って待合室におもむいた。

「こんにちは!」
親子二人は、ソファーから立ち上がり深々と頭を下げてあいさつした。
「よろしくお願いします」

とても切実な願いがガンガン伝わってきていた。問診表を手渡し記入するようにお願いして施術ルームに戻った。

岡田さんの治療が終わり、次回の予約を取った。あれだけ頭痛で苦しんでいた彼女が、楽しみに通ってくれている。彼氏が外で車で待っている。この二人の将来が日だまりのように優しく幸せであることを心から願う。明るい笑顔の岡田さんは、ソファーに座っている新規の二人にあいさつして出て行った。ドアを開けたとき外からセミの声が激しく聞こえていた。人生が動くとき、それは、とても静かなタッチで訪れる。何事もなかったような平和な1日に彼女の人生を大きく動かす出来事がこれから起こることを誰も知らない。

「こんにちは。」

僕はB5サイズのメモ版を持って二人の前に座った。ボサノバのBGMが静かに流れている。問診表を見ながら質問していく。

「頭痛がひどいようで、どこがどんな風に痛みますか?」

娘さんの方が答える。お母さんが付き添いでついてきたのだ。石田さんは、目がクリッとした女性で、薬の影響だろうか?少し太っていて可愛らしい顔立ちの女性である。色白の彼女の目は何かに怯え、希望を失ってるように見える。必死で笑顔を作ろうとするのがわかった。

幻覚まで引き起こす頭痛薬からの卒業


「左目の奥がガンガン痛くなって寝れないぐらいなんです。頭痛が始まったのが病院の薬をやめた時からです。3年前からひどい頭痛とめまいがあって、頭を締め付けられるような痛みが毎日あって、立っていても横になっていても痛いです。めまいもグルグル回る感じで襲ってきます。」憂鬱そうな彼女の目はとても不安そうに私の方を見て話している。もうどれぐらい騙されてきたんだろう?この苦しみから本当に脱出できるんだろうか?

「病院には行ってるんですか?」

私は、今までどんな経路でここにたどり着いたか?を聞いた。患者の頭痛の歴史と状況を聞くためだ。

「はい。最初、脳神経外科と頭痛外来に行きまして、MRIとかとってもらったんですが原因がわからなくて自律神経の乱れからきてると言われ、心療内科の方に回されたんです。そこで、抗うつ剤と睡眠導入剤を飲んでました。そうしたら体がおかしくなってきて幻覚が見え始めたんです。」と薬の飲み過ぎで起こる副作用について話してくれた。

「もうこれはヤバイと思って、薬を全部止めたんです。病院にいくのもやめたんです。そうしたら、止まっていた頭痛がまた一気に出てきてしまって・・・もうどうしたらいいかわかりません。」

薬で止めていた頭痛が、薬をやめると出てくるのが薬物乱用頭痛の特徴である。そして、みんな薬の服用に戻ってしまう。とても怖いことである。

「わかりました。では、今日は石田さんの頭痛の原因をはっきりと探していきましょう。そして、今日のこの場で楽になっていただきたいと思います。では、こちらへどうぞ!」

「よろしくお願いします!」

3年の苦しみがたった一回の治療で・・・

施術ルームに石田さんはうつむき加減で入ってきました。施術ルームには、木製のマッサージベッドと先生のデスクが置いてあるだけのシンプルな間取り。窓からは、レースのカーテン越しに公園が見える。ベッドの上に優しい光が入ってくる。まさに日だまりが溢れている。石田さんは、私の前に立って検査を受けた。少し猫背になって、気力を失ったような雰囲気を漂わせている。ベッドに座ってもらい、首をチェックします。

「石田さん、これは大変きつい症状ですね。だいぶ耐えてきましたね。」

彼女の首はストレートネックになって筋肉がパンパンに張り詰めていた。これでは、頭部に行く血流がなくなって頭痛が起こってくるのは仕方がない。それを薬で押さえつけていたのだ。苦しみが手のひらに伝わってくる。

「ここってっけっこう痛いですよね!?」

「はい。痛みが走ります。いつもそこから痛くなってくる気がします」

私の指先は、彼女の左の頚椎2番を捉えていた。筋肉の緊張が半端なく、呼吸まで苦しいことが予測された。

「では、上向きで寝てください」と言って首の湾曲をチェックしていく。まったくカーブのない首=ストレートネックになっていた。首の骨がまっすぐになってその周りを固くなった筋肉が覆っていた。胸鎖乳突筋は、今にも爆発しそうである。そして、後頭部をチェックしていく。

その時!左の指先が、石田さんの後頭部の左に膨らみがあるのを発見!

「石田さん、これでしょう!?これ痛いでしょう?」
「はい。目に痛みがきます!うわ〜〜〜っ」

やはりこの後頭部の筋肉の膨らみが石田さんの頭痛を発生させてる一個の原因だとわかった。目の疲れが後頭部に出てくるのだ。少しずつ優しいタッチで痛みの震源地を発見していく。ここまで3分ぐらい。ほとんどこの頭痛の原因がわかった。あとは、「つまり」を抜くだけ。

私は石田さんにこう言った。

「石田さん、本当に頭痛が治っていいですか?」


私は、とてもひどい頭痛の歴史をたどってきた患者さんに必ず言う。もし、頭痛が消えると今までの頭痛の時間はなんだったんだ!ということになって、痛みを感じる自分に戻ろうとするからだ。頭痛を起こしてるクセを変える覚悟が本人にあるか?どうかを確認するのだ。

「先生、本当に治したいです。もう振り返りたくないです!」彼女は本気で脱出しようとしている。私は、心の中で「よし、わかった」と言った。

「わかりました。原因はわかったので、治していきますね。」と言って、治療を開始した。
公園のセミは、静けさを破り、嵐のような轟音で合唱を始めた。私は、うつ伏せになった頭痛患者の後頭部に手を置き、公園の上の空を見上げた。「この人の人生がこの青空のようにさわやかに晴れ渡ること」を願って全身全霊の治療が始まった。

「先生、そこです!全身まで響いてくる感じがします」
「ここまでよくやってきたね。首の骨と頭の骨の隙間がほとんどないです。これは苦しすぎたね」

「ちょっと痛いですが、頑張ってください。」

私は、ここだ!というポイントがわかると集中した。セミの音も聞こえないぐらい集中ゾーンに入った。1分ぐらいすると後頭部のつまりが抜けてくるのがわかった。よし、これでだいぶ痛みが抜けてることが想像できた。

「よ〜し、石田さん、よく頑張りましたね!座ってください。」とベッドに起こして10秒ぐらいボーッとしてもらった。そして、もう一度声をかけた。

「痛みどうですか?頭の痛み。来た時と比べてどうですか?」と聞いた。
「え〜〜!全然ないです!」「すご〜いです。え〜〜!本当に痛くないです」

頭痛整体は、人生の整体である。

この人は頭痛から卒業できることが確信になった。パッと顔が明るくなり、元気な笑顔になった。石田さんはとても信じられないけど、現実に頭痛がないことに驚いていた。薬で押さえつけていた頭痛が、たった10分ほどの整体で消えた現実。石田さんが、思っていた夢が叶った瞬間だった。私も今ままでのこの人の頭痛の歴史を思うと、やったーと手放しで喜べないが、本当に嬉しい。この時が、頭痛治療家にとってなんとも言えない役に立てている満たされる瞬間である。

「石田さんの頭痛の原因は、先ほど何回も施術した左の後頭部にあるんです。もっと言えば、首の骨2番目が左にズレてることが一番の原因です。このつまりを抜けば、頭痛が出なくなってきます。薬なしで治ります。」

「通いますか?」

「はい。通います!」

「では、待合室にいるお母さんを連れてきてもらっていいですか?詳しい説明しますね」

石田さんは、最高の笑顔でお母さんを呼びに行った。
私は、彼女の書いた問診表を見直して、今までの頭痛人生に思いを馳せらせた。一人を救うことでお母さんの苦しみも救える。この人に携わる人々との流れまでよくなる可能性がある。頭痛整体「日だまりショット」は、まさに人生を変える奇跡の治療法である。

頭痛整体は、人生の整体である。

頚椎2番というとても繊細なセンサーを備えた人間の道が、そのズレによって歪み、そのズレによって苦しみ、そのズレによって違う人生になる。私たち人間は、人生において起こるドラマに反応しながら、影響を受けながら暮らしている。あなたもそうやって生きてきたに違いない。

石田さんは、頭痛整体を受けることで、元の笑える生活を取りもどすことができました。そして、頭痛が治ったことだけでなく、新たな人生の道に立つことになったのです。「頭痛整体は、人生の整体」です。

辛かかった時代の吐露

たった一回の治療で3年の頭痛が消えた石田さんでしたが、左の首のつまりは歴史がありクセができてるため、彼女は、日だまり整体院に通院することを決めた。10回コースで完治させることを心に決めて、二人三脚の頭痛治しの日々が始まった。私は思う。治療は、治療者だけが頑張るものではないと。

患者の「治そう!」という本気の想いがあってこそうまくいく芸術だと思っている。10年20年あったひどい頭痛が、たった数回で治るならそれは芸術と呼ばずに何と呼ぶのだ。頭痛のない新しい人生の出発に向けて、石田さんの瞳はますます輝きを増した。彼女は、とてもよく話してくれるようになった。

「先生のおかげです!こんな風になれたのは、今日は母も耳鳴りがあるので先生に治療をお願いしたいと思っています。」と言って、お母さんを紹介してくれた。

お母さんからも石田さんの頭痛で苦しんだ話を聞いた。いつも仲良しの母と娘にこんな苦労が覆いかぶさっていたとは?人生の不思議を思う。石田さんは、家でもすごい明るくなって友達にも電話をかけれるほどになってると。先日は、九州まで二人で旅行してきたこと。エグザイルが好きなので、コンサートに行ってきたなどの話。頭痛が起こると恐怖だから、大好きな音楽を聴けなかったようだ。モノクロだった生活が、日に日にカラーになっていくのが楽しいそうだ。治療家として役割を果たしてる感じがとても嬉しい。

石田さんは、治療中に苦しかった時代の話をしてくれた。

「先生、私は薬はもう絶対に飲みません。」

「薬って本当に怖いんですよ。私は、頭痛がひどかったから頭痛外来や脳神経外科に行って薬をもらっていたんですけど、全然よくならなくって・・・・病院の先生が、これは、ストレスからきてるからウツ病だね。と言われて心療内科に紹介状書いてくれたんです。」

よくあるパターンで、頭痛外来から心療内科に回されて薬づけになってしまう人が他にもいっぱいいる。これは、由々しき問題だと思う。頭痛の根本を治療せずに薬で押さえつけてるだけになってしまう。臭いものに蓋をする方は、まるでミサイルで悪いものをやっつける戦争方式だと思う。結局、根本原因を治さないから、戦争が終わらないんだ。


石田さんは、続けた。


「でね先生、私は、心療内科に回されること自体おかしいな〜。と思ったんです。だってちゃんと笑えるし、精神的に病んでるつもりなかったから。でも病院の先生が言うから仕方なく行って、またそこでも薬をもらって飲んだんです。そうしたら、幻覚が現れ始めたんです。頭痛は軽くなったんですが、意識が飛んで急に眠ったり、バスタブの中に体操座りして座っていたり、友達のわけにわからないことをメールしたり、でもその事覚えてなくて、後で友達から電話かかってきて「大丈夫?」って言われたり。なんかもう自分が壊れていく気がして・・・・ある日、薬をぜ〜〜〜〜んぶ捨てたんです。もう嫌だ〜〜〜!!!!これは違う〜〜〜〜!!!!って叫んで、捨てたんです。」

彼女の目は、ベッドに寝ながら天井の遠くの方を見つめている。可哀想な人を見るような目つきで、少し涙ぐんでいる。私は、デスクにあるティッシュを彼女に渡した。彼女は、ありがとうございます。と言ってティッシュを受け取り、涙を拭かずにその後を続けた。


「薬は怖いですよ!やめた途端に、ものすごい激痛の頭痛が襲ってきたんです。ガーンって頭の中でカナヅチが叩く感じの当たってくる痛さなんですが、終わらないんですよ。もうどうしよう?ってなって、でももう薬飲んだらまた幻覚になるって思ったから耐えるしかなくて・・・・。」

石田さんは、はじめて頬からこぼれ落ちる涙を拭いた。ティッシュを丸めて左の掌でぎゅっと握りしめた。

「すいません。もう本当に辛くて、こんなのが続く人生だったら終わりだなって何回も思いました。母にも当たって、何もできず。本当に暗闇でした。それが三ヶ月ぐらい前で薬の副作用が消えてきて少し頭痛が軽減したんですが、頭痛を耐えてるとめまいが起こってきて自分の中で何が起こってるのか全然わからなくて。もうダメだな〜〜ってなちゃって」

石田さんは、天井に行っていた目を私の方に向けて言った。

「そんな時に先生のホームページを見つけたんです。コレだ!って思いました。この先生が私の頭痛治せるって思いました。何かわからないけど、直感です!病院を探していたんですけど、先生のホームページが目に飛び込んできて、薬じゃなくて手で治してくれる!」

彼女は、いい顔をして笑っている。希望に満ち溢れるってこういう顔になるんだって顔だった。目には、生命力が出るっていうのは本当だ。彼女の暗闇と希望をこの数日間で見させてもらいました。まさに整体院は、大劇場のようなドラマがおこっていた。

「石田さん、これから頭痛がなくなっていきます。新しい人生ですので、生まれ変わったつもりで生きてください。決して、今までの苦しみは無駄ではなくて、きっと何かを財産で教えてくれてことだと思います。」私は、自分の人生に照らし合わせて言った。

「はい。先生、これからもよろしくお願いします。もうよくなっていく気しかしてません。」

これだけ意気揚々としてる石田さんを見て、調子に乗りすぎて大丈夫かな〜と思うほど喜びにあふれていました。私も彼女から頭痛患者の本当の苦しみを教わっているのだ。人生のドラマとともに頭痛があることを魂をかけて教えてくれてる。石田さん、ありがとう!

森林の道を歩く

治療の日々は続きました。公園の日差しも秋の雰囲気をさせて、あれだけ激しく鳴いていたセミの声もツクツクボウシに変わっています。9月の始まりは、夏の思い出が去っていくようで少し寂しさを感じます。毎年、同じように季節が巡るけど、同じ人生は二つとなく、二度とない。一生懸命に一夏を生きるセミのように私たち人間も懸命に生きよ!と教えてくれる。

8回目を数える石田さんの治療もメンテナンスの施術に入ってきている。頭痛もなく、めまいもない。睡眠も毎晩よく取れていて、石田さんのお母さんから「ゆうこが、あれだけひどかったのがウソのようで、先生、ゆうこの頭痛は軽いものだったんでしょうか?」と電話をかけてくるぐらいだった。全然そんなことはなかったのだ。首のつまりが激しく、頚椎は左にハッキリとズレていた。あのつまりを抜かないかぎり、石田さんの頭痛は今でも変わっていなかっただろう。病院では、あのつまりを発見できないでいることが不思議でならない。薬ではない自然療法で頭痛を治す病院を作ろう!という想いが私の胸にある。計画を急がねばならない。

9月10日、晴れ。AM11:00ちょっと前。日だまり整体院の前に黒いワンボックスカーが止まった。石田さん親子だ。あの日を思い出す。初めて不安そうにやってきた8月のあの日を思い出す。彼女たちのシルエットは、とても楽しそうに公園の方を見ている様子に見えた。

私は、整体院の玄関から外に出て迎えた。「こんにちは!今日もいい天気ですね。」

石田さん親子は、「先生、いい公園ですね!」と目を輝かせている。

「石田さん、お母さんも一緒にちょっと歩きましょう!」と公園の散歩に誘った。

「はい。いいですね〜」と石田さん親子。不思議な光景だ。患者と公園を歩くのだ。

いつも整体院の中で会う患者と治療家が、自然の中、公園を歩く。彼らは、神社の階段を登り、午後の穏やかな森の空気を吸い込む。三人の人生を合わせていく小旅行だ。公園の裏の土手に出た。裏手からは、のどかなみかん農家が見える。小さな田舎のささやかな暮らしの音が聞こえる。3時を過ぎた日差しは、嬉しさと切なさを共存させている。

「石田さん、ここからもう少し歩くと蒲郡の町が展望できるんですよ。」私は、親子二人を先導して林の道を歩いた。いつも朝に歩くコースだ。この林道を抜けて、光が見えてくるシーンが大好きなのだ。2分もすると、前方から明るい町が見えてきた。トンネルの上の広場に出た。

「わ〜〜。すごい!」「海まで見える〜〜!」「あ、新幹線!」

石田さん親子は、蒲郡の町を見張らした。海の向こうの水平線の上の空まで見つめて二人は何を思っただろう!?その下に広がる地方都市ガマゴオリ。スーパーや薬局、高校など現実の社会現場が広がっている。左前方に弘法山が見える。

「あの観覧車のとこが、ラグーナで横に見えるのが弘法さんですよ」と私が言うと石田さんのお母さんが、

「あ〜私の町にも弘法山があるんですよ」と得意そうに答えた。「いいとこですね!」

連れてきてよかった。少し風景を眺め、そのまま整体院への帰途に着いた。土の道を歩く。現代人が土を踏むことはほとんどないだろう。私は、毎日この土を踏むことを日課にしている。スニーカーで踏む土がとても気持ちがいい。アスファルトではない、コンクリートではない生きてるあったかさや生命力が足の底から伝わってくるのだ。いつも思う。もし、人生に辛いことがあったら、この土を踏みに来ようと思ってる。人間は皆、土に帰る。土を知ってれば、怖くないだろう。どうせ死ぬんだから、この土を踏んで今をかみしめることが人生なんだと強く思う。

「あ〜〜気持ちいいですね〜」と石田さんが言う。林の木々があいさつするかのように揺れている。笑っているように見える。三人の後ろ姿を見つめるように傾きかけた太陽の日差しが優しく背中を撫でている。石田さんの横顔は、生きてる喜びとともに過去が消えていく切なさをたたえていた。林道は、左にカーブして整体院への下り坂になっていく。林を抜ける瞬間、空気が新しくなる感じがした。体が軽くなったような感じだ。さあ、治療院に戻ろう!

「先生、私も頭痛治療家になります。」

頭痛治療の日々は続いた。石田さんは、まじめに通いもう三ヶ月たったある日だった。頭痛もまったく出なくなり、左目の奥の重さも無くなった。めまいもだるさもない。夜もよく眠れてるようだ。この日も何かいい事あったような顔をして予約時間少し前にやってきた。

「はい。では、石田さんどうぞ!」と私は、もう20回目超えただろう!?名前を呼んだ。

「よろしくお願いしまーす!」彼女は、楽しそうに施術ルームに入ってお辞儀をした。

いつものように左の頚椎を中心に治療をして、後頭部のコリを溶かした。もうだいぶコリのたまるクセは無くなったようだ。始めの頃に教えた頭痛予防のセルフ体操も続けてやっていると言っていた。首の位置がだいぶ軸が通って、しなやかさが出てきている。もう大丈夫だな!と思った。秋も終わり、11月の冬の季節がやってきている。カーテン越しの公園の風景は光にあふれているが寒そうだ。ベンチに座ってる老人も杖をついて固まって動かない。彼らは何を見つめているんだろう?そんなことを思いながら、冬の空を見上げると石田さんはこう言った。

「先生、私も先生みたいに頭痛の人を救いたいです。弟子にしてくれませんか?」

一瞬、時が止まったが、答えた。「ほ〜〜。石田さんが治療するんですか?」

「はい。私のまわりにも友達にも頭痛の人が多くて、やってあげたいなって思って!先生のこの治療を受けて私は、人生をもう一度もらえたので誰かのために使いたいって思ったんです」「あ、もちろん先生に認めてもらえないとダメなので、ちゃんと自分と向き合って考えたことなんですが・・・」

彼女は、本気に言っていた。頭痛の患者が頭痛治療家になった例は、前例がたくさんある。頭痛セラピストの半分以上は、自分や家族が頭痛になったのがきっかけになっている。頭痛がこの仕事への大きな切符となっている。

石田さんは、頭痛とめまいで自宅療養する前はお菓子屋さんのお店を一人で出していたそうだ。見た目のやさしさとは違い、変わった行動をする人物だとは思っていた。あとは、本人が人生をかけて本気でやれるか?どうかを確かめなけらばならない。でも、私はうれしかった。自分で治した患者が、人を救うために私の指導を受けようと希望してくれるのは治療家としてこれ以上の喜びはない。

「先生、私の人生は先生のおかげで大きく変わりました。頭痛が治って、健康になっただけじゃなくて毎日がすごい楽しくなったんです。そうしたらパワーがわいてきて病気になる前より元気かも!これからの人生が面白くなってきました。私、元気です!なんでもやれます!」

たった三ヶ月のドラマがこの整体院で起こった。彼女の人生の大逆転劇が、2015年の夏を飾りました。こんなに苦しみを抱いてる人がいるなら、もっともっと頑張らないといけないと思う。そして、日本の社会が抱える闇を患者さん一人一人が人生のドラマを持って教えに来てくれている。

普通に暮らしたい。自分らしく生きたい。愛のある生活をしたい。

現代社会がロボット化していく中で、忘れられていく人情ドラマを私たち頭痛治療家は、より強く抱きしめていくことになっていくことになるだろう。患者さんそれぞれのストーリーに登場し、彼らの人生のターニングポイントとして整体院がある。田舎の整体院は、今日も大繁盛だ。もうセミも鳴かない冬の町、整体院の電話が鳴る。次の患者がやってくる。新しいドラマの始まりだ。そっと受話器を取って電話に出た。

「はい。日だまり整体院です!」

冬の町は、もうすぐクリスマス。新しい季節がやってくるのだ。

〜終劇〜


愛と情熱の人生整体師
日比大介