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院生生活を無駄にするな。

今年の4月からの修士課程1年生としての生活も、セメスターで見れば4分の1が過ぎた。

わたしは学部と大学院で別の学校に進学しているので、気持ちは大学1年生である。新しい授業、新しい先生、新しい先輩・同期…。

それらに慣れるのに苦戦しながらも、ずっと憧れていた”大学院”での生活ををかみしめていた。

これが日本最高学府か。
これが大学院というものか…!
日々の全てが新しく、刺激的であった。

そんなわたしの大学院ライフを、阻むやつがいた。
”””就活”””というビッグイベントである。

わたしの修士課程1年生としての3か月間は、
授業の予習・復習に追われ、そのあとにESを記入して…と、ESの期限に急き立てられるように、慌ただしく終了した。(ちなみに研究は全く進められなかった)

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女子の心を鷲掴むことでお馴染みの、LUMINEのコピーみたいなタイトルを付けてしまったが、タイトルの文章「院生生活を無駄にするな」は、わたしが後期(わたしの学校では通称Aセメ)大切にしたいことでもある。

大学入学時から、”大学院”に強い憧れを抱いており、「だいがくいんに行きたい!」と無邪気に言っていわたしは、そのわりに不勉強な学生だった。
勉強を頑張るのはテスト前だけ!あとはサークル!あそび!旅行!という、めちゃくちゃザ・大学生な生活を送っていた。

そんなわたしが4年生になって、落ちればニート確定の院試なるものに立ち向かわなければならなくなったとき、顔面蒼白したのは言うまでもない。

大学の先生からは、3年生の9月からは大学院に向けての勉強を始めるよう勧められていた。
わたしが始めたのは3年生の3月であった。

幸い、わたしの受験する日本文学の研究科は、「文学史」の問題を課す大学院がほとんどであった。要は、志賀直哉がXX年に、小説「~~」を執筆して、その内容は…みたいなことを、ひたすら暗記する。暗記すれば勝てるのである。

それでも、日本文学というものは奈良時代からある。
イザナギとイザナギの神話から、村上春樹に至るまでを、全て覚えなければならない。暗記パン100枚あっても足りない。
それに加えて、試験では卒業論文も合否の判定対象にあるため、案の定自分の通っていた8月の内部試験に、わたしは落ちた。

120%受かると思っていた。
試験は口頭で文学史の知識を一問一答で出される+論文についての質疑応答で行われた。正直全く答えられなかったが、落とすなんて非情なことはしないと信じていた。しかし、愛する自分の大学にあっけなく不合格通知をいただいてしまったのだから、もう後がない。外部の大学院を受けるしかないのである。

一日十六時間の猛勉強をはじめ、背水の陣で臨んだ1月末の試験に合格した末至ったのが、現在在籍する国文学研究室である。

長々と書き連ねてしまったが、とにかく言いたいことは、
今在籍している”国文学研究室”という貴重な環境は、わたしが苦労に苦労を重ねた末に勝ち取ったものであるということだ。

不勉強な学生だったと言ったが、
日本文学史の勉強も、研究活動も、めちゃくちゃたのしい!と感じたから、大学院に進学したのだ。

実は今の大学院は、わたしが大学受験の際に第一志望として掲げていたが、結局入学が叶わなかった大学でもある。

高校生の頃から渇望していた、今の貴重な研究環境から、
学べるものは全て学び切ってから卒業したい。

就職活動なんかに、今の貴重な研究環境を食いつぶされたくない。

伝統を重んじる国文学研究室に在籍する身として、流行りものを引用するのは悔しくもあるが、今のわたしにいちばん必要な金言に違いないので、載せておく。

壺の中に砂と水と岩を入れる話を、誰もが耳にしたことがあるだろう。

「この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

わたしにとっての大きな岩は、現在の「大学院での学び」である。

本を読んで、考えて、議論を交わして、人と話して。
世の中についての知識を持ちながら、自分の頭で考えられる人、そしてそれを言語化する能力を持つ人になりたい。

わたしの大学院ライフを、就職活動から守らなければならない。

最後までよんでくださってありがとうございました!🌟