あたしたちが無敵だった時代ー映画「わたしたちのハアハア」感想
ここじゃないどこかに行きたい。
つまらない学校も、生活も、つまらないわたし自身さえも変えちゃいたい。
Amazonの映画概要
福岡県北九州市に住むチエ(真山朔)たち女子高生4人組はクリープハイプの大ファン。地元ライブの出待ちで「東京のライブにもぜひ来てください」と言われ、東京行きを決意した4人は、高校最後の夏休みに1000キロも離れた東京を目指す。
クリープハイプのライブに行くため、彼女たちはまずは自転車で(!)東京へ向かう。
次第に、東京に自転車で向かうのは無理があると気づき、
ヒッチハイクをしたり、年齢詐称して夜のアルバイトをしたり…
4人の女子高生のなかで、クリープハイプへの気持ちは熱量の差があり、
それがケンカにつながったりもするのだけれど、
何とか東京駅までたどり着くまでの過程を、
彼女たちの手持ちカメラの視点で、映画は進行する。
わたしがこの映画でひしひしと感じたのは、
高校生という年代は、無敵の年代だったということ。
それと同時に、やっぱりどこまでも無力な存在であるということ。
知恵袋で見た知識で、東京へ自転車で行けると、本気で信じている彼女たち。
自分の環境や立場を、軽やかに捨て去って、どこにでも行けてしまう彼女たち。
常識に縛られていないがゆえに、そして知識がないゆえに、
彼女たちは行動することを恐れない。
よくあるセーラー服を身にまといながら、リボンだけは外している。
女子高生でいながら、学校や地元を捨て去った象徴のような恰好で、渋谷を闊歩している彼女たちは、まぶしいくらいに輝いていた。
まあでも、女子高生のパワフルさを描いた映画なんて、
そんなものはごまんとある。アニメなんかでよくある。
「サマーフィルムにのって」とか、最近話題の「かげきしょうじょ!」とか、そういうものと違うのは、彼女たちの限界がしっかりと描かれているところ。
ヒッチハイクで出会った男性に、彼女は性暴力を受けている。
ライブのあと、所持金80円の彼女たちは、親へ電話をすることになるし、
彼女たちは結局、親のお金で地元の九州へ引き戻されることとなる。
地元じゃないどこかに行きたいと願う彼女たちは、
結局どこにも行けないのである。
何より、ライブの開園時刻を過ぎたあと。
横断歩道から、通行する車や、帰宅途中の会社員を見下げながら、
つぶやいた言葉が象徴的である。
「へんなの。
クリープのライブが始まったはずなのに、世の中は何にも変わってない」
彼女たちはどこにも行けないし、
彼女たちの愛するクリープハイプは、世界を変えることはできない。
彼女たちが神様のように妄信し、全てを捨てて追い求めるアーティストは、
ただの「好きな人は好き」なアーティストに過ぎないのである。
それでも、
そんな限界を知っていてもなお、
ラストシーンの、渋谷の中心にいる彼女たちの姿はまぶしい。
いや、限界を知り、乗り越えているからこそ、
いっそう彼女たちは輝いている。
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