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産声をあげずに産まれてきた理由

starseedとして生きるための訓練は
母のお腹にいる時から始まっていた。

両親の夫婦喧嘩は激しく
母は破水している事も気に留めず過ごしていた。
昭和30年代
トイレや洗濯場は共有
お風呂は銭湯にこぞって行っている時代だった。

母が共同の洗濯場で
洗濯をしている時「3〜4日前から下着が濡れて困る」と話したところ
「咲(仮名)ちゃん ほれ 破水じゃない はよう病院に行き‼️」

産院で私は自然分娩で産まれた。
産声あげずにぐったりと産まれた
胎内環境は悪臭がするほど
羊水が混濁していたと想像する

父と叔父は
医者からは このまま 泣かなければ覚悟して欲しいと
そのつもりで 心の準備をしておくようにと言われたそうだ。
医者や助産師や看護師のケアのおかげ
私は 翌日には元気に泣いたとか
7年前の
父の葬儀の日 叔父が
父の思い出話に明け暮れる
私を呼び止めて
「お前が産まれた時は大変だった 泣かずに産まれてきて
葬儀の準備をしておくように
医者から言われて 大変だったんぞ!
達夫(仮名)もわしも心配したけど 良かった。と

助産師をしていると
いろんな赤ちゃんの出産に立ちあう
また いろんな赤ちゃんの相談を受ける

私が 
産声をたてず 仮死状態で産まれた事実は
こうして 元気に生きている姿は
問題を抱えて産まれてきた赤ちゃんを抱えて相談者に訪れる
誰かの 光 励ましになってきた。
私が高らかに 元気な産声をあげて産まれてきたなら
今の元気な姿も 当たり前で
相談者の痛みに寄り深く寄り添うことは
できなかったろうと思うのです

産まれるまでの胎内での環境も
仮死状態で産まれたことも
starseedとしての私の最初の訓練だったのかと
改めて思うのです。








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