24.裁判所で行われている「ウソツキゲーム」をさらに掘り下げる(後編)

24.裁判所で行われている「ウソツキゲーム」をさらに掘り下げる(後編)
 
私が最初の代理人弁護士だった渡部友之に対する損害賠償請求を起こした結果を先に書けば全ての請求を棄却すると言うものだ。私自身、渡部友之を責めあげて金を取ろうというつもりはない。いや、むしろ裁判というものに於いて代理人である弁護士との意思疎通や、実際に起きた出来事を過不足なく伝え、その上で対等な審理を行うための用意をしなければならないと言う事を思い知ったという意味でも悪い事ばかりではない。
 
ただ1点だけに絞るならお金の問題よりも、相手方代理人弁護士のウソツキの絶対王者・木村ウソツキ真実が「親権を相手方として離婚に応じれば子どもに会わせる」としたことで、子どもの親権を騙し取られたと言う事をハッキリと述べてくれればそれで済むだけの話なのだ。
 
そもそも、調停の期日になにもわざわざ記録に残る事のない調停の席以外の場所でと言うのはそれこそ木村ウソツキ真実の策略なのであろうが、穿った見方をすれば木村ウソツキ真実と渡部友之は最初からグルなのではないかという思いもある。もちろん木村ウソツキ真実と渡部友之が結託しても特にどちらかの利益と言うものはないだろうし、相互の接点も考えにくい。確かに裁判や判決まで行くとなると時間もかかり、相互に利益はない。早期に解決するための調停(和解)で終結するような手続きにしても、相手方が初めから約束(和解条項)などを守る気がなかったり、あるいは時間稼ぎに悪用したり、それこそ当事者を騙して、あるいは納得していると誤解させて調停(和解)を成立させても、それ以降に生じる諸問題(私の場合は相手方が子どもと会わせる気が一切なくとも「会わせる」とされ騙された)を考慮しても、渡部友之側になんらメリットがない事も確かである。
 
弁護士たるもの、渡部友之も相手方の代理人弁護士に騙されて依頼者に不利を与えましたと自ら認めるワケには行かないであろうという事情も重々承知はする。しかし騙された事は事実なのだ。
 
損害賠償請求の期日にて被告となった渡部友之とお互いに尋問となる機会を得た。その際に渡部友之の方から「親権と言うものの重要性を原告(私)が知らずに調停に応じたのか」という質問が出たのだが、今でこそ日本における「親権」というものの重要性は痛いほど理解する。残念ながら親権の重要性を全くと言っていいほど知らなかった私が悪いと言われるかも知れないが、それは我が国の親権と言うものの重要性を本当に理解している人以外には分からない事であろう。親権については「そこまで!」と誰もが驚くようなものでも一度得たが最後、失った方は何ら手段がないと言っても過言ではないのだ(同居親が無職で、更に子どもの虐待で児童相談所に保護され施設入所に至った事件に於いて、なんら問題のない別居親が親権変更を求めても裁判所に棄却されるほどである)。
 
しかし弁護士の役割と言うのは何だろうか。親権の重要性を分かっていない当事者に対して「万が一、相手方が子どもに会わせるつもりもないのに騙す意図を隠しているような場合、離婚に応じるとどうにもならなくなる」という助言をする事ではないのか。子どもに会えない親が「子どもと会える」と言う事を取引条件にされてしまえば、助言があったとしても子どもに会う事が先決とばかりに受諾してしまった可能性はもちろん否定しない。だから渡部友之が「木村ウソツキ真実にまんまと騙されました」と「あった事実」だけを認めればカネの話などどうでもいいのだ。
 
尋問(審尋)に際しては、儀式に過ぎないのであろうが宣誓が行われる。法廷ごとに細かな違いがあるのかも知れないが、テンプレが用意されていて「宣誓 良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。 氏名」と言うものを読み上げるだけだ。笑い話にはしたくないが、そもそも木村ウソツキ真実の被害を蒙った私にしたら真実と言うのは辞書には書いていないがウソツキとかペテン師と同義語でしかないワケだが、渡部友之も宣誓をしたにも関わらずその直後に堂々とウソを述べるのだ。
 
肝要なのは、調停期日にわざわざ調停の席ではなく、その前に相手方の代理人であったウソツキの絶対王者・木村ウソツキ真実と会ったかどうかと言う事だ。実際に会ったと言う事を認めれば調停期日に何のためという疑問が当然に出される。しかし渡部友之は期日に於いて調停前に3人で会ったという事実すら「ありません」と否定するのだ(日本の家庭裁判所では、真実を述べると言うのは「ウソをつく」と言う意味なのであることがはっきりと分かる)。
 
結果的に直接の証拠がないと言う事で棄却されているのだが、明確な証拠はあるのだ。その証拠、なんと木村ウソツキ真実が自ら暴露したというだけでなく、わざわざ書面で残しているのだ。
 
私は何があろうとも子どもたちに事実を残す!という思いで、それこそ出来る事は全てやる覚悟の上で様々な事を調べ上げている。そうした中で木村ウソツキ真実と谷口朋子に対しての懲戒請求を所属弁護士会に対して行っている。懲戒請求そのものは一度目は棄却、二度目は3年経った今でも何の音沙汰もないのであるが、その相手方代理人の答弁書の中で、殺人未遂だの何だのまるでシナリオに乗ったバカ女という言い訳に終始している。しかし、これ以降の様々な手段を講じて得たモノはそれぞれの点を線でつなぐにふさわしい重要な証拠となっているのだ。
 
様々な手段の一つがウソツキの絶対王者、木村ウソツキ真実の悪の殿堂、日野・子どもと家族破壊法律事務所に対する抗議行動である。この辺も法的に言うと色々難しい問題がある。いわゆる侮辱罪だとか名誉毀損、場合によっては威力業務妨害。この辺の成立要件は私が付け焼刃に学ぶより、弁護士と言う資格を持つ木村ウソツキ真実が余程詳しく知っていよう。また道路上での活動に於いては事前に警察署に届出て道路使用許可を取る必要がある。細かい事を言えばお店が通行人にチラシを配るようなものでも店舗の敷地外で行うものはこの道路使用許可を取らなければならないのだが、一般商店が店舗の近隣で行うような場合、いちいち検挙されるような事ではない。住民などから苦情があれば、取り敢えず警察官を派遣して説明などはしなきゃならないだろうが、拡声器等も使わず一人で行うものをいくら警察官とは言え取り締まる事など出来ないのだ。
 
警察官と弁護士は言って見れば仕事上のバッティングを起こしやすい立場にある。そうした弁護士が警察へ通報。もちろん弁護士ではなく一般市民からの通報であったり明らかな悪戯であろうが、取り敢えず出動をしないと言う選択は出来ない。最低限、現場を確認する必要があるのだ。常識的には警察官がくれば怯むとか、そういう考えになるのであろうが、私はそうしたウラの読み取り方をようやくではあるが学んだというか、当事者仲間に教えられてきた(手口は同じようなものなので大した事ではないが)。
 
木村ウソツキ真実は私を甘く見ていたのだろう。いや私なんてどうでもいい。むしろ小心者だし相手から高圧的に出られてしまって委縮する事も少なくない。甘く見られたのは母親と言う執念なんだろうなとそこは思う。子どもに会えない母親が本当に母親と言えるのか。そう思えば失うものなど何もないのだ。
 
そりゃ警察官もご苦労な事に通報で呼び出されて行かなきゃならない。ご迷惑千万だと思ってもそこは職務だ。繁華街で酔い客のケンカの仲裁も然りだろう。ただし私は怯まない。警察官との押し問答と言うかそうした事態になって木村ウソツキ真実は口角を上げ悪人が「してやったり」と言うような表情を浮かべたところを私は見逃していない。いや、むしろ私に見せつけてきた。そして「バ~カ、騙されたんだよ」とはっきりと私に言ってきたのだ。ウソツキ真実よ、このことも「なかったこと」にするのかい?
 
このときのウソツキ真実の表情は忘れまい。如何にも「立場が違うんだよ」「弁護士様に逆らうな」とでも言う顔である。木村ウソツキ真実は「相手下がって」とでも思っていたのだろう。まあ弁護士と言う肩書におびえる必要なんてない事を私は重々承知しているのだ。しかし警察官からしたら弁護士の正体なんてロクに知る事もないだろう。私が「木村ウソツキ真実」と言う事に対しても警察官は「弁護士さんがそんなウソなんてつくわけないだろ」と言ったように、巷の善人ならそう思うのも仕方がない。
 
しかしそうなると木村ウソツキ真実としても「警察官を呼んだ手前」という事になる。木村ウソツキ真実が「親権を相手方として離婚に応じれば子どもに会わせる」とした大ウソについて後日に文書で回答という確約を警察官を通してさせられてしまうのだ。まあ、そうしたウソの回答以外では、裁判に訴えるだのなんだの「標準的な脅し文句」が書かれていたのだが、どこまでやれるかやってみろだ。裁判の経済的利益だの何だのもあるが、一応はどうでもいい。
 
木村ウソツキ真実はこの時に警察官との約束で送付してきた文書(言い訳)の中で、調停前に会ったとも会っていないとも述べていない。その事については「5年も前(この時点で)の事なのでどうだったか記憶にない」としている。調停前に会ったか会っていないかというだけの事を「記憶にない」と言うのは、我が国に於いて最難関と言われる司法試験を突破した弁護士様にあり得るのだろうか。もっとも5浪6浪当たり前、社会から隔絶されて記憶だけを余儀なくされる試験勉強でおかしくなっている事は十分に考えられるのであろう。そして「親権を相手方として離婚に応じれば子どもに会わせる」と言ったかどうかについては完全に伏線を張った内容を述べているのだ。
 
自称・子どもの人権派 木村ウソツキ真実が5年も前と言うようにそこは確かに長い時間だ。木村ウソツキ真実もいいおっさんで医学的には初老を超える年代でもそうであろう。それ以上の期間を司法試験浪人として培った根性であろうか。しかし私が子供と会えていないのはもうすぐ丸9年。こちらは長くないのか。老年の近付く木村ウソツキ真実の時間感覚と、幼かった子どもたちの時間感覚は異なるのか。もし異なるとしても赤ちゃんだった子が思春期を迎えるまでの時間との差をどのように説明するのか。整合性を持たせるなら5年なんて大した時間じゃないしはっきり覚えてますよとね。
 
さて、その伏線と言うのは「5年も前なので記憶はない」としながら「親権を相手方として離婚に応じれば子どもに会わせる」と言ったかどうかについては、離婚が成立すれば争点がなくなるので会えるようになるケースも多く、一般論として言った「可能性はある」とあいまいな部分を残しつつも認めているのだ。
 
木村ウソツキ真実からしてみれば、調停の当事者を「騙した」のであれば弁護士としての非行であろうが、子どもに会えるかどうかは相手方(木村ウソツキ真実から見た場合の依頼者)次第なのに、一般論として会えるケースがあると言う事を勝手に会えると誤解した私の落度であり責任はないと言いたいのであろう。
 
最初から責任逃れをするつもりなら「会った事はない」と渡部のようにウソを言えば証拠がないとなるのだろうが、そこはヘタな三流弁護士とは違い、私もウソツキの絶対王者・木村ウソツキ真実と評価する御仁である。もし渡部友之が「私も木村ウソツキ真実から騙された」と言ってくる可能性は十分にある。つまり客観的な証言を引き出せれば、木村ウソツキ真実の悪を暴く事も可能なのだ。
 
しかしながら簡単な事ではない。弁護士同士が訴訟(懲戒など)の場で斯様な足の引っ張り合いを始めると際限がなくなってしまう。
 
何よりも日本の裁判はウソとゴマカシの場なのだ。
 
そのウソの応酬に敗れたと対立側の弁護士を追い詰めても、追い詰めた側にしても返り血を浴びることになる。木村ウソツキ真実からしたら、万が一渡部友之が「騙された」と証言した場合に備えて「一般論を勝手に誤解して」としておくのだ。これならば渡部友之が代理人として適切な助言を欠いたというだけだ。
 
まさに裁判なんてウソのつきあいだまし合い。その縮図とも言える展開だった。これが我が国の現実である。そこに「子どもの気持ち」への配慮は一切存在しないのだ。
 
確かに渡部友之に対する損害賠償請求も、ウソツキの絶対王者・木村ウソツキ真実と自称人権派・子育てで人権委員会とやらを休会してまで親子断絶に邁進する谷口朋子への懲戒請求も棄却。傍から見れば徒労でしかないが、それぞれに示された事実をつなぐと親権を騙し取られた構造が浮き彫りになるのだ。
 
私は負けない。
誘拐されたままの我が子のためにあくまでも事実を残す所存だ。
 
なぜ、あなたたちには物心ついた頃から 実の母親がいないのか、を。
なぜ、相手方の現在の「内縁の妻」と称する女があなたたちと一緒にいるのか、を。
 
ママ(私)は
あなたたちを愛していないのではない。むしろ、9年間も引き裂かれてもなお、翔空(とわ)と彩埜(あやの)への思いは全く消えておらず、さらに強くなっているよ。
 
No one else will ever know how much I love you, not even you. At least not until you see me crying without you on a daily basis. Mummy loves you, two sweethearts – Towa, Ayano

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