36.政治と宗教

36.政治と宗教

最近、日本でもやっと政治と宗教の実態がクローズアップされるようになったが、宗教問題と言うのは本当に難しい。「彼ら」と接すると身をもって感じるが、ある種の洗脳でしかない。特に日本における宗教と言うのは独特だ。同族嫌悪の民族であるからこそ、普段のコミュニケーンに飢えている輩がうわべの優しさについコロッと騙されて、のめり込んでしまうのだろう。

ヘンな話、ある宗教がその国の方針と相容れなかったり、様々なトラブルを起こしたりして禁教となったとしよう。我が国でもキリスト教は長年弾圧対象となってきたワケだが根絶させることは出来ていない。例えば踏み絵、別に踏んだところでバチが当たるなんてこともないのだろうが、敬虔な信徒と言うのは踏む事ではなく刑罰を受ける事を選ぶ。

宗教を選ぶか、死刑を選ぶかの裁判があって、弁護士が「(表向きでも)宗教を捨てれば死刑にならない」と説得しても死を選ぶ事が往々にしてある。と言うより教団側は「殉教」として死刑になっても「永遠の命」だとか魂だとか抜かして信徒に死を強要する事だって有るワケだ。そして彼らにとって、死んだ後の世界を信じることのできない人間はむしろ「可哀想な人」となり、教義の矛盾を指摘すると「人を信じましょう」と話のすり替えがなされる。この構成はどの宗教にも共通するものだろう。

信教の自由と言うのは翻って「説得してもムダ」という事だ。そして信教の自由を認める代わりに社会に害をなすな、という事でしかない。しかしながら世界には事実上の国教と言うものが存在する。

日本も隣国である中国や韓国、北朝鮮とは表向きでも仲良くすべきだと私も思う。これに異論を唱える者もいるが、私は戦争は断固として反対だ。もちろん、相容れないところがあるからこそ国として別なのだという主張にも理解はできるが、地政学的に近いから仲良くせざるを得ない。

まあ日本人自体が同族嫌悪民族であるから、同調圧力にどう対応できるかがテーマの未開の国・日本で生きることの苦しみに比べたら国による考え方の違いなど取るに足らないことだろう。いずれにせよ、この国の国民間の抑圧的な人間関係が苦手な私が言うのもなんだが、表向きでは演じてでも国際関係を構築していかざるを得ないのだ。戦争で巻き添えになるのは国民なのだから。

仲の悪い国家と言えばインドとパキスタンもあるが、宗教の違いでお互いが核兵器を保有して対立するほどであることは知っていよう。それでも国民は本来、国の犠牲になるようなことがあってはならない。

まあ、私は実子誘拐が当たり前のような時代遅れのガラパコス的な価値観に凝り固まった日本独特の「エセ」リベラリズムよりも、西洋的なリベラリズムの方にやはり羨ましさを感じてしまう今日この頃だ。

残念なことであるが、生まれてくる国や人種は選べない。

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