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ちょうどいいが分からない

私の母は私に対して無関心だった。
最低限のお世話はしてくれたが、いつも無表情で冷たく、褒めたり慰めたり、感情に寄り添ってくれることがなかった。身体的接触もほぼなかった。

対して義母は結婚当初、世話好きで朗らかで優しい印象だった。これこそが私が求めていた「お母さん」だと思った。

けれど義母の世話好きは、実は不安と執着の表れで、その内実は「過干渉」、いわゆる「優しい虐待」と呼ばれるものだった。

そんな両極端な母親像しか知らない私が2人の子供を育てている。

それはまさに「暗中模索」「五里霧中」といった言葉がピッタリな育児で、反面教師はいれど、何しろ正解が分からない。

やってはいけないことは分かる。
でもやるべきことは分からない。

「2人の母親のようにならないように」
意識すればするほど2人の反面教師に引きづられてしまう。

「ピンクの像のことは考えるな」
と言われて頭にピンクの像が浮かんでしまうのと同じ原理だ。


こんな私の育児は本当に心許ない。
子供が大切だから傷付けたくない、私のように悲しい思いをさせたくない、ちゃんと愛情を与えて愛着を育ててあげたい、そんな気持ちは強いけれど何しろ正解を見たことがない。

だから日々手探り状態。
子供の反応を見ては後悔して反省する毎日。

それでも、二人の母よりは上手くやれていると思いたい。

そしておそらく私を選んで生まれてきてくれた二人の子供たちには、私が間違ってトラウマを与えてしまったとしてもそれが二人にとって必要な経験で学びになると、そしてそれを乗り越える力があると信じている。

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