自分をコンテンツにして生きていく。

こんばんは。秋の夜長をいかがお過ごしでしょうか。

最近、またYoutubeの更新を始めようと思い重たい腰を上げました。お恥ずかしいことに、また無職で暇っていう理由もあるんですが。

ふと、自分をコンテンツとして生きていく人が批判されていたことを思い出しました。

『自分をコンテンツにすることでしか、承認欲求を満たせないんだな』

なんて意味合いだったと記憶しています。この意見に対して「それのなにが悪いんだ?」と思うのですが、ちょっと掘り下げていこうかなと。

まず、承認欲求は誰にでもあるものです。生まれた瞬間から親の視線を欲し、自身の行動や思考を肯定してもらいながら大きくなり、社会に出てからも自分の努力を自他に認めてもらう…それは生物として正常な欲求なはず。

しかし、この広いネットの海では、過激なアピールをして承認欲求を満たそうとする人がたくさんいます。中には命に関わるもの、犯罪になりうるものまで。そして多くの場合、過激なアピールをしている人の家庭環境は、いわゆる"普通"とは異なっていることが多いです。

並行して、自分をコンテンツにして生きていく人の家庭環境も、"普通"ではないことが多いです。特殊な家庭環境や人生を、ブログや動画、漫画にすることで人生の苦難を消化する。また、特殊な家庭環境や人生経験のシェアは、同じように特殊な人生で悩んでいる人の支えにもなります。

"普通"ではない家庭環境で育った人は、親から十分な愛情をもらえず、自己肯定感が育っていないことがあります。その空白は、社会に出てから承認欲求として表に出て来る。"普通"に近い家庭環境で育った空白のない人からすれば、きっと承認欲求を持っている人は少し気持ち悪いのでしょう。

『自分をコンテンツにすることでしか、承認欲求を満たせないんだな』

そのとおり、といえばそのとおりですね。間違いではありません。

コンテンツは色々な表現方法を含みます。ネットが普及した今、沢山の人が思い思いの方法で自分の人生を表現することができます。きっと良いことです。特殊な人生は少数派ですから、情報が0だった時代から変わってきています。

マイナス発言ばかりSNSで発信しているので、私のツイッターやnoteは見るに堪えないものかもしれません。しかし、私はこれからも毒親育ちかつ家出達成した人間として人生をコンテンツとしてネットの海に流していきます。

なんだか決意表明になっちゃいました。どうか皆様体調にお気をつけて。

ここまで読んでくださってありがとうございます。毒親育ちの自分に嘆くばかりだった人生から、少しずつ前を向けるようになりました。このnoteは、誰かが前を向くきっかけになればいいな、と思っています。もしよければ、また覗きに来てください!