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Forget Me Not(第14章)

これは何?
 絵を描けなくなった画家である日向理仁を中心に、湖畔で起きた失踪事件の解明を試みるお話。

第14章
 「この前は気分を害するような話をして悪かった。すまない。」
こんな一文から始まる手紙を、私はロクスケ宛に書いた。
ロクスケを家に呼んだ日から5日が経過したが、あの日から私は気が変になっているようだった。

胸の内に留めている間は気分的に楽になるために早く打ち明けてしまいたいと感じるものの、いざそうしてみるとかえってそのままにしておいた方が良かったんじゃないかと、そう思うような時がある。
私は悔やんでいた。あんな話をして彼にどうして欲しかったんだ、彼が困ってしまうだけだろうに。手紙には2つのモノを添えて、気持ちを伝えることとした。1つは、あの日に紹介した湖の絵。もう一つは、娘の書いた詩のコピーだ。

「お詫びと言ってはなんだが、湖の絵を贈ろうと思う。
おれが画家として一番輝いていた頃の作品だ。
前に話した通り、それなりの値段で売ることもできる。君の好きなように使ってもらいたい。
そしてもう一つ、これは君の職務の上でも役に立つかもしれないものだ。こんな詩を娘が書いていた。(詳しくは添付の印刷物で)そしてその数日後に娘はいなくなった。
それから間もなく、あの行方不明事件が起きた。娘は未だに行方知れずだ。君も知っての通り、死体も発見されていない。
これらはすべて、客観的な事実だ。なんの脚色もない。ここまで聞いて、君ならどんな解釈をするだろうか。
何かのつながりを感じるか、それとも時系列の上で嵌まるだけで何ら無関係な事実の羅列に過ぎないか。どうだろう?何かしら考えが浮かんだら、教えてくれないか。
君の訪問ならいつでも大歓迎だ。食事と酒は任せてくれ。それでは」

手紙の結びだけでも、何とか明るく終わらせたかった。それが多少乱暴であっても。
私はウィスキーを注いだグラスとともに地下一階のアトリエへ降りた。カラン。氷塊がグラスに当たる。暗闇の中に、冷たい青い炎が、流れ星のように降りてくるような感覚。
ウィスキーをひと口含み、喉を通すと、内臓を焼く炎が青い炎とぶつかる。相殺。
今の私の生活の上では、青い炎と相討ちする何ものもなかった。手にはいつだって青い炎を拡大させる火薬が、母の胎内にいる時ほどの昔から握られているのだった。
投げるのは容易く、拾うのは難しい。大人になって初めてウィスキーを飲んだ時、私はこれを最良の友とすることに決めた。
 

湖の絵を包装紙にくるむ直前、私はもう一度この作品とじっくり向き合った。ロクスケへの手紙で、追伸として書いた一文を思い起こす。

「−追伸
君はレモンの味を頭に思い浮かべたとき、どんな反応が起きるだろうか。これまでに食べてきたレモンの爽やかな酸味のイメージがスパークして、唾液が口の中で爆発的に分泌されないか?
私がこの湖の絵と対面するときには、決まって似たようなことが起こるんだ。幼い頃、自分の生の何もかもが肯定され幸せだったころに嗅いだ甘い桃の匂いが香ってくる。
クンクンと夢中になって鼻に意識を集中させていると、おじさんが桃の一切れを口に運んでくれるんだな。
鼻も口も、そして心も幸せで満たされていた。−そんな過去の一場面が呼び起こされるんだ。
そしてこうした情景のスパークはどうやら私以外の人間にも起こるようで、この絵にはそうした性質が飼われているらしい。私にはもう必要がないけれど、どうか君の役に立てて欲しいと思う。それでは」


私は少々長くなってしまったこの手紙に恥入りながら、ロクスケなら辛抱して読み切ってくれるだろうということを信じて封をした。

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