見出し画像

Forget Me Not(第7章)

これは何?
 絵を描けなくなった画家である日向理仁を中心に、湖畔で起きた失踪事件の解明を試みるお話。


第7章
 過去の記憶というものは、大切なものも目を背けたいものもみなドリップされ、各時代において象徴的な、また印象的な出来事が抽出されていく。
雑味は取り除かれ、人生に潤いをくれる酸味や苦味が滴り落ちる。

かつて交際していた女性との日々もノイズは取り払われ、将来の不安について話をした夜の公園でのことや家族を愛することについて教わった秋のことは鮮明に思い出せる。今朝飲んだコーヒーの味のように。
その熱や香りや、舌や喉に触れた時のその接触の感覚が蘇ってくる。
「今、ここ」にないようであるもの。
吸って、吐いてを繰り返される透明な空気。その空気。
いつの時代の私も、変わらず求めてきたもの。過去の自分にとっても、今の自分にとっても、そしてまたきっと未来の自分にとっても大切なもの。記憶は、引き継がれるために姿を変化させ、未来へ持ち運びやすい形となる。自然に。ここに私の厄介はいらないのだった。

 そういう意味において、今の自分に近しい未来ー1年、半年、あるいは数ヶ月ーの記憶は現在の私に対してかなり刺々しい熱を持ったものである。
それはまだ時間のフィルターを通っていないから。
大切なものも目を背けたいものもみなそれぞれの温度を、温かくも冷たくも、また勢いを、穏やかにも激しくも、持っている。
そういうものの総体に対して、一体どれほどまで耐えることができるのだろうか。この総体が悪のものとして目の前に現れ、またそれが豊かな実態を伴っている時、あるいは霞のような状態であって払っても払ってもどこまでも離れられないような時に、人は、地下世界へ飛び込むのだろう。
扉は一方通行だ。明日の自分が、昨日の自分と重なり合うことができないように、不可逆で直線的だ。

ーワインに泥水を1滴でも垂らしたならば、それはもう泥水だ。いくらワインを注ぎ足そうが。けれども、泥水にワインを1滴垂らしてみても、それは泥水だ。依然変わりなく。

サポートいただきましたお金は、主催勉強会(プログラミング)を盛り上げるために活用させていただきます^^