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宇津保物語を読む4 吹上 上#6

仲忠、涼に琴を贈る。

 かくて、仲忠の侍従、あるじの君にやどもり風を奉りたまふとて、(仲忠)「これ、昔所々にあかれけるを、御れうにとてなむ、一つ残して侍りける」。舞踏して取りたまひて、がく一つ弾きたまふを聞きて、仲忠大きに喜ぶ。(仲忠)「世の中にありがたき御手なり。これはむかし、仲忠がおやと等しき人ものしたまひける、その御伝へにこそあめれ」など、かしこくおどろく。あるじの君、(涼)「この御琴は、まづ試みさせたまひてこそよからめ」。仲忠、「さること仕うまつらで久しうなりぬれば、かき鳴らさむことなむ思ほえずはべる」などつれなくいふ。
 かくて、ものの声かき合はせ、ある限り声合はせ、調子合はせつつ遊び暮らす。少将、(仲頼)「ぜんにて、節会ごとに、惜しむ手なく仕うまつる折々も、殊にかかるもののなどは聞こえぬを、いとめづらかにもあるかな。一ところに遊ばす御琴の音に、多くの人の手なむまさりぬる」。行政、「左大将殿の春日にてしたまひし遊びをなむ、めづらしき心地せし。それにも、今日はこよなくまさりてなむ思ほゆる」などいふ。


 仲忠の侍従は、あるじの君(涼)にやどもり風を差し上げなさる。
(仲忠)「このきんは昔、祖父の俊蔭があちらこちら献上したものの一つですが、あなたの為にと思いまして、一つ残しておいたものです。」
涼は、感謝の舞踏をして受けとり、一曲演奏なさると、それを聞いて仲忠は大いに喜ぶ。
「この世にめったにない技法ですな。これは昔、わたしの祖父と互角の技量をお持ちだった方の御伝授とお見受けいたします。」
などとたいそう驚く。
あるじの君(涼)「この琴は、まずあなたに試奏していただくのがよろしいかと。」
仲忠「そのようなことをしないまま、ずいぶん経ってしまいましたので、かき鳴らすことなど思いもよらないことで。」
などとつれなく言う。
 こうして、楽器を演奏し、歌を歌い、リズムをとりながら日が暮れるまで遊び暮らした。
仲頼少将「帝の御前にて、節会ごとに技を惜しむことなく楽を奏でる時でさえ、このような演奏を聴くことはできないのに、めったにないことですなあ。涼様お一人の琴の音によって、多くの人々の演奏が引き立ちました。」
行政「左大将殿が先日春日で催した演奏会こそ、すばらしいものだったと思いましたが、それよりも今日のこの演奏はこの上なく優れていると思われます。」
などという。


 涼に俊蔭の琴「やどもり風」が渡される。これで涼もこの物語のメンバーたる資格を得た。
涼もまた琴の名手である。俊蔭と同等の名手の技を伝授しているという。
吹上上#1に
「かしこききんの上手、朝廷おほやけを恨みて山に籠れるを迎へ取りて、さながら習ひ取りなどして経たまふほどに、」
とあるので、その人であろう。

しかし、涼の勧めにも応じず仲忠はまた琴を演奏しない。ともに名人の技を伝授した両者であるが、惜しむことなく演奏する「顕」の涼に対し、どこまでも秘匿しつづける「密」の仲忠。対照的な二人である。
涼はこの物語における仲忠のライバルとしての位置を確固たるものとした。
光源氏に対する頭中将のごとく、ライバルあってこそ物語は面白くなる。仲澄はたんなるお坊ちゃんであり、神秘性(?)が足りない。仲忠と同じ異郷出身の涼でこそ、その役割を担いうるのであろう。

あて宮の噂話

 少将、かくおもしろき所に、ある限りの上手集ひて、明け暮れ遊びわたれど、心に思ふことは、なほ忘れぬままに、あるじの君にも聞こゆ。(仲頼)「かくおもしろき所に、などか心すごきすまひはしたまふらむ。天下の物のけうも、一人見るにはかひなきことなり。見る人ある時なむ、今少しまさるものになむ。ここを一ところ御覧ずるは、秋の池に月の浮かばぬに思ほされずやは」。あるじの君、(涼)「げにいと住みにくく思ほゆれど、かく深きよもぎの住みかを見すべき人もなければなむ。心にもあらぬ住まひして、久しうなりぬるを、世の中に不用なる人もなかりければ、このわたりまでは思ほえずなむ」。少将、(仲頼)「京に見たまふるに、人の御覧ぜむも殊なるかたなき女などは、多かるものにこそあめれ。しな卑しからず、心ある人の娘どもなどは、いと多くて、男少なき所なれば、仲頼らがけしからぬ者に、よき女いと多くつきてなむ時めかすめる。よき女といへど、一人あるは、しき二人に劣りたるものなれば、われもわれもと、男一人に女二人ふたり三人みたりつきてなむある」といへば、あるじの君、(涼)「いと多かる中にも、御つかさの大将、さては宮内卿殿の御娘どもなむ、ありがたきかたち、心になむものしたまふとうけたまはる」。(仲頼)「宮内卿の娘は知らず、大将殿の君だちは、さものしたまふなり。男女など、人にこよなくまさりたまへり。その中にも、男は七郎にあたりたまふ侍従、女の中には九にあたりたまふなむ、いとこよなくものしたまふ。かの女君をば、ただ今の天の下の人、え聞き過ぐしたまはず、これかれ聞こえたまふめれど、思ほしたることあなればえあるまじと知りながら、なほ人々聞こえたまふめる。げにいとあやしうおはしますなり。御かたちよりはじめて、御心なむまたかかるこそいとあやしけれ」。仲忠、「まづいとあやしかなるは、の大臣の不動の御蔵開きて、多くのたから失ひたまふなるこそは、いとめづらかなれ。そがうちにも、この春、春日かすがにて遊ばししの声にこそ、仲忠多く涙は落としてしか。鶯の遥かなる声、松風の遠き響きに、のどかなる声を調べ合はせたまふには、鳥、獣、やまぶし、山人、耳振り立てぬはなかりき」。少将、(仲頼)「その中にも、源宰相の御気色の、あれにもあらで聞き居たまへりしを見たまへしにこそ、老いの世に、物のあはれ知られずはベるを、多く思うたまへ知られにしか」。あるじの君、(涼)「げにいかなる心地しけむ。よそにうけたまはるだにあるものを」とのたまふ。

 仲頼少将は、このような風情のある場所に多くの楽の名手たちが集い日がな一日演奏しつづけているのを聞くにつけても、心に思うあて宮のことは忘れることができず、あるじの君に申し上げる。
「このようなすばらしい場所にどうして一人住まいをなさっているのですか。この世の興というものも、一人で見ていては甲斐のないものです。一緒に見る妻があってこそ、今少しは優るものでしょうに。それをおひとりでご覧になるとは、ちょうど秋の池に月が浮かんでいないかのような心地がしませんか。」
あるじの君「本当に住んでいてわびしいことだとは思いますが、このような深い蓬のような住みかを見せるにふさわしい人もいませんので。心外な一人住まいをして、久しくなりますが、この世には不要な人というものはいませんので、こんな田舎まで来てもらおうなどとは思いもよらないことで。」
仲頼「京の女性を見ましても、どなたがご覧になってもこれといった欠点のない女などは、多いようですよ。身分も賤しくなく気だてのよい娘などは、多くおり、逆に男は少ないところですので、私程度のものの所にも、よい女が多くついて大事にされているようです。たとえ美人であっても、1人だけというのは、不器量な2人に劣るものなので、われもわれもと、男1人に、女2人3人がついていますよ。」
あるじの君「多くの女性の中でも、左大将正頼殿の娘と、それから宮内卿殿の娘は、この上ないほどの器量と性格だと伺っておりますが。」
仲頼「宮内卿の娘のことは、まあ置いておいて、左大将殿のお子様たちは優れていらっしゃいますなあ。男君も女君も誰よりも優っておいでです。その中でも男君では7番目にあたる侍従仲澄様、女君では9番目にあたるあて宮様が、この上なく優っておいでです。この女君を世間のすべての者が、放って置くことができず、あれやこれやと言い寄りなさるのですが、すでに東宮のお后にとお心積もりがあることなので、うまくいくはずがないとはわかっていながらも、人々は求婚なさるようなのです。ほんとに不思議なほどお美しくいらっしゃいます。ご容貌をはじめ、ご性格もまた優れていらっしゃるのがなんとも不思議なことで。」
仲忠「そうそう、不思議っていえば、致仕の大臣(三春高基)が絶対に開けることをしなかった蔵を開いて、多くの財産をあて宮のために使い果たしたといわれていることが、なんともありえないよね。彼女の素晴らしさの中でも、この春、春日詣での際に演奏したの音には、私仲忠多くの涙を流してしまいました。ウグイスの遙か遠くの声、松風の遠い響きに、のどかな琴の音を調べ合わせなさるのは、鳥や獣、山伏や木こりまでもが聞き耳を立てない者はおりませんでした。」
仲頼「その聴衆の中でも、源宰相(実忠)のご様子の、われを忘れて聞き入っていたのを拝見したときは、長年生きてきて、ものの風情というものを知らずにいたことを思い知りました。」
あるじの君「ほんとうに、その演奏を聴いてどのような心地がしたことであろうなあ。話として聞いてでさえ、このように感動するのだから。」
とおっしゃる。


仲頼は、女性談義へと話を振る。都には多くの女性がいるので、自分のようなものでも女には苦労しないのだといい、涼に都に来ることを暗に勧める。
涼は仲頼の妻である宮内卿の娘に話題を振るが、仲頼はそれをスルー。
あて宮へと話は続く。仲頼は、あて宮を見て恋煩いをしたことは、前述したとおり。あて宮のうわさは、ここ、吹上にまで届いている。
話に割り込む仲忠は三春高基のエピソードを紹介する。詳しくは「藤原の君#9~11」参照

仲忠のあて宮に対する態度は、他の求婚者ほどには思い詰めたものがない。あて宮も仲忠には好意を持っている。意外とプラトニックな関係なのかもしれない。
春日詣での時の様子は次の通り、

「~~など、かれこれのたまひて、興ある夕暮に、女がたの御前に、君たちものの音かき合はせて遊ばす中に、あて宮、かの一条殿のを買はれたるみやこ風といふ琴を、の声に調べて、こくのめてたといふ手折り返し遊ばす。
 仲忠、こともなき御琴かな。少しまだ若くぞあんなる。いかならむ世に、わが手習はしたてまつらむなど、心地は空にて思ひたるほどに、~~」
(~~などと、誰も彼もが歌をお読みになる、風情ある夕暮に、女方の御前では女君たちが楽器を合奏していらっしゃる、その中で、あて宮は、あの一条殿所有だったものをお買いになった「みやこ風」という琴を、胡笳の声にかき鳴らし、「こくのめでた」という技法で繰り返し演奏なさる。
 仲忠は、「申し分のない琴であるなあ。まだ未熟なところがあるようだ。いつになったら私の技術をお教えすることができるのだろう。」などとうわの空にて思っているうちに~~)

〔絵指示〕

吹上の宮。みなみおもて、大きなる野辺のほとり、松の林二十はたまちばかり、たけ等しく姿同じやうなる。野清く広し。鹿、雉子きぎす、数知らずあり。ひんがしおもて、浜のほとり、花の林二十町ばかりなり。花のかきのもとまで並み立ち、満つ潮は御垣のもとまで満ち、る潮は花の林の東を限れり。潮満てば、花の木は海に立てるごと見ゆ。いさうるはし。木の根しるからず。色々の小貝ども敷けるごとあり。宮より西、大きなる川のほとり、二十町ばかり、紅葉の林のたけ等しう、数同じ。宮よりきたおもて、大きなる山のほとり、山より下まで常磐ときはの木、色を尽くしたり。町のほど、木の数、南と等し。宮の内おもて巡りての垣、三つの陣の面ごとに、はだきのかど三つ立てたり。
 むま殿。大きなる池、大きなる山の中に、いかめしきそりはしあり。池のめぐりに花の木、巡りて立てり。らち結ひたり。傍らに、西東のまや、別当、預かりことごとしう、御馬十づつ。鷹屋に鷹十づつ据ゑたり。
 おとど町。檜皮葺きのこむごむ瑠璃して造り磨きたるおとど、わた殿どの、さらにもいはず照り輝けり。住みたまふおとど、内造り、ましどころ、心殊なり。客人まらうど三ところ。あるじの君にきん奉りたまへり。あるじの君、舞踏して賜はりたまふ。少将箏の琴、らうすけ琵琶奉りたまふ。

(小学館新編日本古典文学全集)

〔絵指示〕
吹上の宮。
南面、大きな野辺のほとりに松の林が20町ほど、木の高さや姿形が同じようなものが並ぶ。
野は清く広い。鹿や雉が多くいる。
東面、浜のほとり。桜の林が20町ほどである。花が垣根の近くまで並び立ち、満ち潮は垣根の近くまで満ち、干潮は桜の林の東側まで来ている。潮が満ちると、桜の木は海に立っているように見える。砂浜が美しい。木の根ははっきりとしない。色とりどりの小さな貝が敷き詰めているようになっている。
宮の西は、大きな川のほとり、20町ほどの紅葉の林には高さも同じくらいの木が、数は桜と同じほど立っている。
宮の北面は、大きな山のほとりである。山の頂上から下まで常盤の木が生えており、色とりどりである。町の様子、木の数は南面と同じである。
宮の中、四方をめぐらして、3重の垣があり、3つの陣(詰め所)の面にはそれぞれ檜皮葺の門が3つ建っている。
馬場殿。大きな池、大きな山の中に、立派な反り橋がある。池の周囲には桜の木がめぐらして立っている。その傍らに、東西の馬屋があり、別当や預かりが物々しい様子で詰めており、馬が10頭、鷹屋には鷹が10羽ずつ置かれている。
殿町。檜皮葺の金銀瑠璃で装飾された御殿がある。渡殿はいいようもないほどに光り輝いている。
寝殿。内装や御座所の趣向はまた格別である。客人3人。あるじの君に琴を献上なさっている。あるじの君は舞踏してお受け取りになる。少将(仲頼)は箏の琴、良佐(行政)は琵琶を献上なさる。


いままでは、絵指示は省略してきたが、吹上の描写が詳しくなされているので、載せておいた。ここでも四方四季が描かれている。東の海、西の川、北の山、この地形にはやはり何か象徴性があるのだろうか。


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