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宇津保物語を読む2 藤原の君#9

三春高基の紹介。その徹底した吝嗇生活

 かくて、卑しき人の腹に生まれたまへる、帝の御子、三春といふさうを賜はりて、若きときより国を治め、位まさり、年の高くなるまで、も設けず、使ひ人も使はぬ人ありけり。人の国にありしときは、ものも食はせず、きぬも着ぬ人を使ひて、みづからのれうには、三合のよねろして食ひつつ、一国ひとくにを治むるにおほやけごと全くなして、わたくしもの数多くたくはふ。大きなる蔵はひとくに治むるほどにたからを積みて、くに治むるに、多くの蔵どもを建てて納めつれば、宰相にて左大弁かけつ。しばしあれば、かけたる中納言になりぬ。
 かくて、京に住むにも、もの食はせきぬ着でも使はるる人なし。内裏うちに参らむとては、いたかたの車の輪欠けたるに、迫りたるうしをかけて、小さきの童をつけて、なはしりがい、はつれたるすだれをかけて、布の太きをうへに染めて、太き手作りのしたがさね、上の袴にきて、衛府かけたれば、随身、舎人とねりには、小さき童べにけて、ふるわらぐつしのさし集めて、木の枝に細縄をすげて弓とては持たせて、まゐりまかですれば、京の内にそしり笑ふこと限りなし。それを知らず顔にて交じらひたまふ。御心のかしこく、まつりごとをさしくて、荒るるいくさけだものも、このぬしには静まりぬ。さるによりなむ、朝廷おほやけも捨てたまはざりける。
 かかるほどに、大臣までになりぬ。やもめにてえあるまじ。われ、もの食はざらむ女得む、と思して、きぬぐらにあるとくまちといふいちの富めるあり、それを召し取りて、北の方にしたまふ。(徳町)「なほ、かかる車、装束にてありきたまふこと、人そしり聞こゆなり。人のそこら奉る名づきをとどめさせたまひて、じき賜はすとも、仕うまつりなむ。かく小さき女の童をのみ使はせたまふこと、見苦しきことなり」と聞こゆれば、(髙基)「さもいはれたることなり」とて、人のさるべき使はせたまふ。

 さて、身分の低い女から生まれた帝の御子で、「三春みはる」という姓を賜り、若い時から、国司として国を治め、位が上り、年が高くなるまで妻も持たず使用人も使わないという人がいた。
 地方にいた時には、ものも食べさせず、着物も着させずに人を使って、自分の食糧としては、3合の米を取り出しては食べつつ国を治めていたが、公務は滞りなく行い、私財もたくさん蓄える。大きな蔵は、一つの国を治めるごとに、財を積み、六つの国を治める時には多くの蔵を建てて財を蓄え、参議兼左大弁となった。またしばらくして衛府司を兼務して中納言となった。
 そして、京に住むようになったが、さすがに、ものも食べさせず、着物を着させないでも使われる人は京にはいない。宮中に参内する時は、屋根を板で葺いた粗末な車の車輪が欠けたものに貧弱な雌牛をつなぎ、小さい女童を従者の代わりとしてつけ、縄で作った粗末なしりがいに、端がほどけた伊予簾をかけて、太い布を上の御衣として染め上げ、太い手作りの下襲に上の袴を履き、衛府司をかねているので、随身を付ける必要があるのだが、その随身や舎人としては小さい子どもに木刀を身につけさせ、古い藁靴を履かせ、矢の代わりに篠葉を集め、木の枝に細い縄を張ったものを弓として持たせ、参内したり、退出したりするので、京中の笑いものである。それを素知らぬふりをして宮仕えをなさる。
 そんな風ではあるが、手腕においては聡明で、政務に優れ、荒ぶる軍勢や獣もこの方の前ではおとなしくなる。そのようなわけで、朝廷でも粗略に扱うことはない。
 で、そうしているうちに、大臣にまで上り詰めた。大臣になったからには独身でいるわけにもいかない。“ものを食べない女を妻としたい”とお思いになるが、ちょうど絹を商う“徳町”という市女の裕福な者がいたので、それを妻として北の方となさった。
徳町がいう
「やなり、こんな車や装束で出歩きなさるのは、人からそしられてしまいます。ちゃんとした人をお雇いなさい。使われようとして名簿を提出する人もいるでしょうから彼らを手元に置けば、粗末な食事であっても仕えてくれることでしょう。こんな小さい女童ばかりをお使いになるのは見苦しいことです」
と申し上げると、
「まあ、それもそうだな」
といって、しかるべき人を使用人としてお使いになる。


ずいぶんと個性的な人物の登場です。キャラ立ってますね。

「ものも食わせず~」というのだから、使用人に給金どころか食事や衣類を与えないというほどのケチ。
国司として地方で暮らす時は、現地の豪族たちは下心があり、役得があるので、国司にうまく取り入ることを目的に、タダ働きするものもいたことでしょうが、都ではそういうわけにはいかず、人件費が掛かる。その人件費をケチるために、女の子を従者として雇う。随身の代わりを女の子にさせるわけにもいかないので、それは男の子にさせるのだが、持たせる物は木刀に縄の弓と葉っぱの矢。
 そのくせ、仕事はきっちりできるものだから、国司の時にはしっかりと私財を蓄え、都に戻ってからはついには大臣にまで上り詰める。

ずいぶんと徹底したドケチである。

そんな三春高基もさすがに独身を通すこともできずに妻を娶る。しかし、選んだ女が市場で絹を商う市女である。「もの食わざらむ女」とあるが、まあ自活しているということであろう。妻となっても仕事を続けさせたと思われる。とことん出すことは嫌と見える。


 かくて、人まゐりなどするを、徳町市へ出でたるに、さぶらひに人まゐりて、「昼間しりはべるに、さかななし」とて上に申しければ、おとど心惑ひて、我か人かにもあらでのたまふ、(高基)「かかればこそは、人なくて年ごろ経つれ。いかなるつひえあり。惜しくあたらしくとも、人は十五人、つけまめをーさやあて出だすとも、たうまり五つなり。種らしては、いくそばくなり。を一つあてに出だすとも、十まりなり。らして取らば、多くのいも出で来ぬべし。雲雀ひばりほしどり、これらを生けてをとりにて取らば、多くの鳥出で来ぬべし」と思ひれて居たまへり。徳町帰り来て、「などもの思したるやうなる」。いらへ、(髙基)「くちをしう、もののつひえのあることを数ふれば、多くの損なり。悔しく人のことを聞きて、わが世に知らぬことを聞くこと」とのたまふ。徳町、いとほしきこと限りなし。おとど、(髙基)「男ども、酒買ひてさかな請ふぞや。かけて聞けば、心地こそ惑へ」。市女うち笑ひて、つまはじきをして聞こゆ。(徳町)「かくばかりのことをやは、心地惑はしては思しつる。いやしき身にだに、さばかりのことは思ひたまへぬものを」とて、おさめ殿どのけて、よきくだものからもの、あげて出だす。おとどものも覚えたまはず。

 こうして、使用人などが来るようになったが、ある日徳町が市へ出ている間に、侍所に人が来て、
「昼食を食べるんだが、おかずがないよ。」
と申し上げたので、大臣はビックリして、茫然としておっしゃる
「だから、人を使わないで今までやってきたんだ。どれだけ費用が掛かるんだ。ものを惜しみ倹約しても使用人15人に、漬け豆を1さやずつ出したとしても、15さやになる。それを種として撒いたならば、どれほどの実をつけることか。零余子を1つずつ出したとすれば、10あまりになる。これを育てて収穫すれば、多くの零余子芋ができるだろう。雲雀の乾し鳥だって、生かしておいて囮として鳥を捕ったらたくさんの鳥を手に入れることができるだろう。」
と思い、放心して座り込んでしまう。そこに徳町が帰ってきて、
「何を考え込んでらっしゃるの」
と尋ねれば
「残念だなことに、ものの出費があることを数えると、多くの損失だ。悔しくも人の意見を聞き入れて、今まで経験したことのないめにあうことよ。」
とおっしゃる。徳町はたいそう気の毒に思う。
「男たちは、酒を買うと決まって肴を要求するんだぞ。もう気が狂いそうだ。」
徳町は笑って、爪弾きをしながら申し上げる、
「そんなことに、気も狂わんばかりに心配してるんですか。賤しい身分の私でさえ、そんなことはなんとも思いませんのに。」
といって、納殿を開けて、良質の果物や乾物を取り出しては使用人たちに与えてしまう。それを見た大臣は気を失わんばかりである。


とにかく出すのが嫌な人である。

食べずに植えれば何倍にもなると惜しむのは、ケチの典型的な発想。

一方徳町は生活力がある。稼いだぶんだけ使うというのは、健全な発想だ。
真の金持ちは使うことにも躊躇しない。

そんな徳町を見て高基は卒倒する。稼ぐ徳町は好きだが、使う徳町は嫌いなのだ。

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