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宇津保物語を読む2 藤原の君#6
兼雅、祐澄を介してあて宮に歌を贈る
かくて、かの右大将より、中将の君の御もとに、(兼雅)「このごろ参り来むとすめるを、うちはへもの忌みにてなむ。今日は春日へなむ詣ではべる。かの聞こえしことは、まだものしたまはぬにやはべらむ。このごろはいとあやしき心地になむ。
あやしくも濡れまさるかな春日野の三笠の山はさして行けども
行けど行かれず」と書きて、奉らせたまへり。中将、あて宮に、(祐澄)「聞こえし大将殿より、かくなむのたまはせたる。見たまへ」。(あて宮)「いかでか、御もとにあんなるをば見たまへむ」とて聞きも入れたまはねば、中将、(祐澄)「久しくさぶらはで、かしこまりきこゆるに、賜はせたるをなむ。かのうけたまはりしことは、かくなむとものすべき人、見聞かぬ、心になむ。春日は、
目に近くをりて祈れど春日野の森の榊葉色も変はらず
かひなき音にこそ」とて奉りたまへり。
いっぽう、あの右大将兼雅のところから中将祐澄の君のもとに
「近いうちにそちらに参ろうと思うのですが、物忌みが引き続いておりますので、なかなか参れません。今日は春日神社へ参詣します。あの以前依頼申し上げたことは、まだあれでしょうか。最近はあまり気分もすぐれませんで、
不思議にもいっそう濡れてしまうことです。
春日野の三笠の山を目指して傘を差して進んでいますのに。
(笠、さす=縁語)
行きたくても行けないのです。」
と書いて、お送りになった。
中将はあて宮に
「以前申し上げた大将殿からこのようにおっしゃってきました。ご覧下さい。」
「どうしてあなた宛の手紙を拝見するのですか。」
といって聞き入れなさらない。
中将はしぶしぶ返事を書く。
「しばらくお伺いせず、恐縮しているところに、お手紙をいただきました。以前承ったことは、こういう次第で、お返事申し上げねばならない人が見ようとも聞こうともなさらないので、困っております。春日は、
目の前で折って祈ったけれども、春日野の森の榊葉は色も変わらず。
(目の前にいるのに、心変わりもしないのです)
(をりて=折る・居る) (折る・榊=縁語)
甲斐のないことで。」
とお返事申し上げた。
お父さん、撃沈。
実忠、正明、兵部卿の宮、あて宮に贈歌
かくて、例の宰相、川島のいとをかしき洲浜に、千鳥の行きちがひたるなどして、それにかく書きつく。
(実忠)浦せばみ跡かはしまの浜千鳥ふみやかへすと尋ねてぞかく
(あて宮)「あやしく、例のむつかしきもの、常に見せたまふ」。兵衛、「常に見知らぬやうなり」と聞こゆれば、(あて宮)「例のごと、のたうベかし」などのたまひて、書きつけたまふ。
(あて宮)「浜千鳥ふみ来し浦に巣守子のかへらぬ跡は尋ねざらなむ
とこそは、君の御言にてはのたまふべかなれ」とのたまふ。(兵衛)「兵衛が名は、今なむいと清らになりぬる」と聞こえて、(兵衛)「兵衛に賜へりと聞こえつれば、書きつけたまへる」と聞こゆれば、「いとうれしく、のたまひけるとうけたまはれば、心ざしのしるしも見たまひけるも、いとうれしくなむ覚ゆる」。
また、平中納言殿より、(正明)「からうじて聞こえさせたりしは、おぼつかなけれど、なほ懲りずまになむ。
山深みもの思ふ沼の水多み八重のいは垣越ゆるころかな
おぼろけにや思す」など聞こえたまへれど、御返りなし。
また、兵部卿の宮より、「思ふもしるき御様なめれどゝさてもやむまじければなむ。かくはうけたまはらぬものを、あいなうものいはせたまふらむ」など聞こえたまへり。あて宮、「をかしくもおどしたまへるかな」とて、御返りなし。
宰相、(実忠)「せめて聞こえさすれば、かしこさに、今は思ひたまへやみなむ。
死ぬといはば例にもせむものをのみ思ふ命は君がまにまに
あが君や、後の試みはありといふとも、今日の御返りごとは、つゆをも見せたまへ」とあれば、兵衛、「なほ、こたみばかりは御返り賜へ。もののあはれ知らぬやうなり。兵衛がこと、君に聞こしめすと思せ」。あて宮、「さらば、君のこと聞くと、けしからぬ人にやならむ」とのたまへど、書きつけたまふ。
(あて宮)苔生ふる岩に千代経る命をば黄なる泉の水ぞ知るらむ
とて賜ふ。宰相見たまひて、限りなくうれしと思す。
また、兵部卿の宮より、「いと心強くもものしたまひけるかな。このわたりには、かうしも思し疎まざらなむ。上にも恨み聞こえてしがな。
わが袖は宿とる虫もなかりしをあやしく蝶の通はざるらむ」
と聞こえたまへれど、御返りもなし。
月のおもしろき夜、源宰相、中のおとどに立ち寄りたまひて、(実忠)「兵衛の君、立ち出でたまへ。月いとおもしろし」など聞こえたまひて、御前の花盛り、色々の花の蔭に立ち寄りたまひて、かくのたまふ。
(実忠)花盛り匂ひこぼるる木隠れもなほ鶯は鳴く鳴くぞ見る
などのたまひて、松の木のもとに立ち寄りて、かくなむ。
(実忠)岩の上にしひて生ひ添ふ松の音のたれ聞けとてか響きますらむ
とのたまふときに、みな人あはれがる。木工の君といふ人、労あるものにて、(木工)「これを聞き知らぬやうなるは、いと情けなし」とて、君だちをも、(木工)「なほ、こればかりをば聞こえたまへ」と聞こゆれば、ちご君なむ、御前なる箏の琴
に弾き鳴らしたまひける。
(ちご君)響くとも音には聞こえで末の松今宵も越ゆる波ぞ知らるる
また、宰相の君、
(実忠)涙川汀や水にまさるらむ末より滝の声もよどまぬ
さて一方、例の源宰相実忠は、川島のたいそう風流な州浜の飾り物に、千鳥が行き違っている細工を作り、それに歌を書きつけて贈る。
浦が狭いので、跡を行き交って残す、川島の浜千鳥を見て、
手紙の返事はまだですかと、再度手紙を書くのです。
(かわしま=交わし・川島 ふみ=文・踏み かく=書く・斯く)
跡=足跡・筆跡を
あて宮「いやだわ。また、めんどくさい手紙をあなたはいつも見せるのね。」
兵衛「いつも知らんぷりなさるのですもの。」
と申し上げると
「いつものようにあなたが書いてよ。」
などおっしゃりつつも、書きつけなさる。
浜千鳥が踏んで浦に来るけれど、
卵から孵らない巣守子(私)の所には尋ねてこないで欲しいわ。
(ふみ=文・踏み かへる=返る・孵る 浜千鳥=実忠 巣守子=あて宮)
「あなたの返事として送るのがいいわ。」
とおっしゃる。
兵衛「私の面目がこれで立ったわ。」
と申し上げて、
「私宛に送られたと申し上げたら、姫自らが書いて下さいましたよ。」
と申し上げると、
「たいそう嬉しい。姫がおっしゃった言葉だと承れば、私の気持ちもご覧になって下さったのだと思えて、たいそう嬉しく思われます。」
さて、また今度は平中納言正明殿から、
「やっとのことで、お手紙を申し上げましたが、お返事がいただけず不安なのですが、また懲りずに送ります。
山が深いので、物思いにふける沼の水も多いので、
八重の岩垣をその水は越えてしまうのです。
――気持ちを言っても、言っても言いたりません。
(いわ=岩・言は)
在り来たりな気持ちとお思いでしょうか。」
などと申し上げなさったけれど、返事なし。
またさらに兵部卿宮からも「思う以上にはっきりとつれないご様子ですが、しかしながら、思いとどまることもできません。あなたがこんなにもつれない方だとは承っておりませんでしたが、不本意にも私に思いを述べさせるだけで終わるのでしょうか。」
などと申し上げなさる。
あて宮「面白いわ。脅迫じみたことをおっしゃる」といってご返事はしない。
源宰相から再び
「しいてお手紙を差し上げましたのが、畏れ多いことです、これで最後、諦めます。
もし私が死ぬといったならば、きっと後世の例えともなるでしょう。
あなたを思う私の命は、あなた次第なのです。
愛しい我が君。恋に命を落とすという後の試しとなるでしょうが、今日の返事だけは、ほんの少しでも見せて下さい。」
と書いてきたので、
兵衛「やはり、今回だけはご返事を差し上げて下さい。こんなにつれなく突き放してばかりでは、ものの風情を理解しないもののようです。私兵衛の願いを聞き届けると思って。」
あて宮「では、あなたの願いを聞くと、わたしはけしからぬ人となってしまうではありませんか。」
とおっしゃりながらも返事を書きつける
苔の生える岩に千年生きるあなたの命は、
黄泉の水のほうがよく知っているでしょう
(私の関知することではないわ)
とお与えになる。宰相はご覧になってこの上なくうれしいとお思いになる
(皮肉通じないのか!)
また兵部卿宮から、
「たいそう強情になさるのですね。でも血縁関係にある私には、こう粗略に扱わないで下さい。あなたの母にあたる私の姉にも恨み言を申し上げたい。
私の袖には、それを宿とする虫もいないのに。
不思議なことにどうして蝶は通ってこないのだ。
(独り身の私に、なぜあなたはなびかない)
と申し上げなさるけれど、やはり返事はない。(当然だよね)
月が美しく照る夜、源宰相はあて宮のいる中の御殿に立ち寄りなさり、
「兵衛の君、お出まし下さい。月がとてもきれいですよ。」
などと申し上げなさり、前栽の花が盛りと咲き、色とりどりの花の陰に立ち寄りなさって、このようにお歌いになる。
花が盛り匂うばかりに咲き誇る木陰を、
あいかわらず鶯は鳴きながら、見つづけるのです。
などと歌い、また、松の木のもとに立ち寄って、
岩の上に強いて生えている松吹く風の音は、
誰に聞いてほしいと、その響きを増すのだろうか。
(届け!この思い)
とおっしゃると、人々はみな強く胸を打たれてしまった。
木工の君という女房は物慣れて、心遣いが行き届いているので、
「これを聞いてなんとも思わないようでは、なんとも情けない。」
といって、姫君たちにも、
「やはり、この歌だけはお返事をなさい。」
と申し上げるので、あて宮の妹のちご君が、御前にあった箏の琴をお弾きになって、
いくら響かせても、それは音には聞こえず、
末の松山を今宵も波が越えてゆく音が聞こえるのです。
(あなたのあだ心が伝わりますわ)
また宰相の君
私の涙でできた川はその水かさが増していることでしょう。
その川が滝となって流れ落ちる音は淀むこともありません。
実忠、得意のプレゼント攻撃!
今度も趣向を凝らした贈り物をします。
州浜とは、「州浜の形に似せて作った台の上に、木石、花鳥などを配して自然の景観を表現した飾り台。歌会や宴席などの晴の場の飾り物にした。」と全集の注釈にある。
文はそのまま送るのではなく、花や紅葉などに結んで送るのだが、実忠はとにかく気を引こうとがんばっている。
そして、兵部卿宮の登場。
なんともこの男は嫌みったらしい。
「自分は特別」だとの態度が見え見えで、あて宮が返事したくないのもよくわかる。
こうして並べると、やはり実忠は一生懸命で頑張ってるよね。
木工の君が応援するのも当然。これだけ真剣に歌を詠めば、皮肉交じりであっても返事してやろうかな、ってついほだされてしまう。
(あて宮本人じゃないのが残念だけど)
でも報われないんだろうなあ。失恋フラグ立ってるよね。
仲澄、同腹の妹あて宮に懸想する
また、かくて、夕暮れに、雨うち降りたるころ、中島に、水の溜りに、鳰といふ鳥の、心すごく鳴きたるを聞きたまひて、侍従、あて宮の御方におはして、かく聞こえたまふ。
(仲澄)「池水に玉藻沈むは鳩鳥の思ひあまれる涙なりけり
とは御覧ずや」と聞こえたまへば、あやしう思して、いらへきこえたまはず。この侍従も、あやしきたはぶれ人にて、よろづの人の、婿になりたまへと、をさをさ聞こえたまへども、さもものしたまはず、この同じ腹にものしたまふあて宮に聞こえつかむと思せど、あるまじきことなれば、ただ御琴を習はしたてまつりたまふついでに、遊びなんどしたまひて、こなたにのみなむ、常にものしたまひける。
〔絵指示〕略
また、夕暮に、雨が降っていたころ、池の中島に水がたまり、そこに鳰という鳥が心寂しく鳴いているのを聞いて、仲澄の侍従はあて宮の所にいらっしゃり、こう歌を歌いかける
「池の水に玉藻が沈むほどに水かさが増しているのは、
鳰どりの、思いあまって泣いている涙なのです。
そうは、ご覧になりませんか。」
と申し上げなさるけれど、あて宮は不審に思って返事はなさらない。
この侍従仲澄も、一風変わった風流人で、多くの人から婿におなりなさいと正式に声が掛かるものの、一向にその気にはならず、この同腹のあて宮に言い寄ろうと思うけれど、同母兄弟の恋愛などあってはならないことなので、ただ琴の稽古をつけるついでに、合奏などをなさり、あて宮のいる御殿にばかりいつもおられるのであった。
マイブラザー仲澄登場。
やっぱり、仲忠の前でしょんぼりしていたのは、妹への恋のためでしたね。
恋愛におけるタブー
当時、従弟との結婚は普通でした。叔父姪の関係もOK。
でも兄弟は当然タブーです。
ただ、腹違いの兄弟はギリOKだったらしい。
「とはず語り」には後深草院が異母妹である愷子内親王の美貌に惹かれ、作者二条に手引きを頼み、思いを遂げるシーンがある。
(何とこれは2022年の共通テストに出題されて、「おい、こんなの高校生に読ませていいのかよ」って思ったものだ。)
なんにしても、同腹の兄弟は絶対だめのタブーなのだが、ヒーローは概してタブーに挑戦するものなのである。
伊勢物語49段にも、兄が妹に歌を送るシーンがある。
むかし、をとこ、妹のいとおかしげなりけるを見をりて、
うら若み寝よげに見ゆる若草をひとの結ばんことをしぞ思ふ
と聞こえけり。返し、
初草のなどめずらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな
神話のモチーフにも兄弟婚はある。つまりタブーは人として犯してはならないが、犯してしまうと、もう人ではなくなる。(つまり、神になる。)
神話においてヒーロー(英雄)は神に挑戦するのである。
現代においても、兄弟婚がマンガやラノベのモチーフとなるのは、この神話性をなぞっているのかも知れない。
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