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治らないのに病気なんですか?

精神病と診断されてから17年が経ちます。いろんな経験をして今の僕に至りますが、その間に感じたことをnoteに書いていこうと思っています。

『神は乗り越えられる壁しか与えない。』

そんな言葉がとても薄っぺらく聞こえた時期がありました。多分、精神病で悩まれている多くの方が同じような思いをしているのではないでしょうか。

僕の場合、23歳で統合失調症を発症して、それからやっとこさっとこ生活できるレベルに達するまでおよそ7年。そして、17年経った今でも、生きづらさや、苦しさを感じることがあります。

皆さんはご存知でしょうか。統合失調症という病気は『治らない』とされていることを。

苦しみを感じ始めて、その苦しみを抱えながら病院に行って『治らない』と知った時の絶望感を、想像できるでしょうか。

勿論、症状には重い軽いなど、程度の違いはありますが、診断されるということは、それなりの症状が出ているわけです。そんな中で、『治らない』と言われるわけです。

私たちは体の不調を感じたときになぜ病院に行くのでしょうか。それは「治したいから」ではないでしょうか。調子が悪いのが嫌だから、治したいと思って病院に行き、治療をしてもらいます。しかし、そもそも「治らない」とされているものを「病気」と呼んだり、「闘病」させることの意味は何でしょうか。

僕は、この病気になり、治らないと知った時に、「治らないのであれば、それはもう僕のキャラクターだ」と思うようにしました。治らないのであれば闘病する意味がそもそもありません。あらがうことが無意味なのです。

幸い私は、前向きになれるほど症状が改善し、社会生活が送れるようになりました。それでも社会の統合失調症に対する理解は無く、普通の人と同じようなペースで仕事をするということが困難になったりすることがあります。

一度でも挫けてしまったら、再び社会に出て行こうという勇気を振り絞るためには、相当な覚悟が必要となります。そして、その恐怖感は一生ものとなってしまいます。

しかし、苦しむ自分を鼓舞して、必死に病魔と対峙し、社会参加したいと思っている人はたくさんいます。むしろ、多くの症状が「軽い」とされる人は、その狭間で苦しんでいるのではないでしょうか。

「いけるかな?」「いや無理」「なんとかなるかな?」「私にはできない」と自分の中で葛藤している人が大勢いると思っています。

では、そんな僕らに残された選択肢はなにか?

統合失調症に関していえば、残された選択肢は、社会の方が歩み寄るということのみだと思っています。だって、治らないんですよ?でも、人としての権利はある。だとすれば、もう、統合失調症の人のための居場所が、社会に用意されても良いのではないでしょうか。100人に1人はこの病気になるのですよ?

当事者の気持ちで考えると、その事実を受け止める必要があります。「寛解」なんていう曖昧な言葉を信じた僕は、苦しみました。医学の都合のいいように「治療」されたら、こちらが振り回されるだけです。唯一私たちにできることがあるとすれば、それは、全てを受け止めることです。そこから初めてスタートできます。

これは、とても痛みを伴いますし、時間もかかります。しかし、私たちに残された方法はそれしかないのです。前を向いて、両足で地面に立って、全てを受け止めることができて、初めてこの『病気』と共に歩むことができます。

どうしても受け止めきれないときは、心の宇宙にそっとしまっておきましょう。そして、立ち上がれる日をじっと待つのです。すると、あなたにしか見えない景色が見えるようになってくるはずです。焦る必要はありません。必ず、僕らのための場所はこの世界に用意されています。我慢する必要はありません。ただただ流れる時間と友達になって待つのです。

「生まれたからには、自分の生きる場所が必ずある」

僕はそう信じています。

だから、社会の皆さんの協力が必要なのです。もっともっと温かい社会が訪れることを祈って。


”全ては常夏の楽園リオデジャネイロで始まった。23歳で国費留学生としてリオに滞在していた僕は「統合失調症」を発症。いくつもの神秘体験をし、現地の精神病院への強制入院、帰国後には警察沙汰に。服薬に葛藤しながら回復するまでの7年間を赤裸々に綴った回想録をマガジンにて公開中。”

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